2007/07/07 - 2007/07/15
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Kim Kimさん
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久しぶりに「おのぼりさんツアー」に参加しました。
行き先は、初めて行くトルコです。直行便ではなくモスクワ経由のトランジット便でしたが、出発日の割には値段が安かったのと、全部の宿泊先が五つ星ホテルというのにつられました。
イスタンブールから出発して左周りにマルマラ海地方→エーゲ海地方→地中海地方→中央アナトリア地方→マルマラ海地方に戻るというコースです。トルコという国の西側の観光地を周遊したと言う感じですね。ちなみに、国の南東側はアラブ(シリア、イラク)との国境でもあり、外務省から「充分注意して下さい」と危険情報が出されています。
今回の旅行は、バスと列車を使って、走行距離は約2300km程の行程になりました。この国の主な宗教はイスラム教でありながら、厳しい戒律に縛られることもなく、人々は暮らしています。だから割と快適な旅ができたと感じました。
ご存知の通り、トルコというと、西洋と東洋の中間と言うイメージがあり、すぐに思いつくのは「オスマントルコ」とか「オリエントエクスプレス」だと思います。最近では「のびるアイス(ドンドルマ)」なんかも有名ですね。
トルコ国内には遺跡が多数あり、様々な民族との攻防が多数ありで全ての歴史的遺産や景勝地を見るには、何ヶ月もかかると思います。
本来の日程は8日間でしたが、帰りの飛行機がサンド・ストームで、モスクワ空港に降りられず、サンクト・ペテルプブルグ空港に一時避難、数時間後モスクワ空港に降りて、モスクワ市内のホテルに1泊したんですよ。
今回は写真が多いので3つに分けてあります。写真は150枚ほどあったのを、厳選してこの枚数にしました。
①は「トロイの遺跡」「アクロポリス」「エフェス」「パムッカレ」の写真です。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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【イスタンブール】
イスタンブールからバス乗って出発!。長いバスの旅が始まるところ。 -
【トロイ】イスタンブールから約350km。
神話で有名な「トロイの木馬」、決してコンピュータウイルスじゃないですよ。ドイツの商人シュリーマンがこのトロイの遺跡を発見しました。説明を聞いてもいつの時代のものか忘れてしまう位、時代が重なっている(9都市が埋まっていた)。 -
【トロイ】
高度な土木技術で舗装された石の道(車両用)。 -
【トロイ】
儀式で使われたと思われるスペース。中央の祭壇には女神像が置かれていた。ギリシャ人統治時代のものらしい。紀元前334年、アレクサンダー大王もここで神様に供物を捧げたと言う。嘉門 達夫なら「見たんか〜!」と言いそう。 -
【トロイ】
議会で使われたと思われる場所。昔の人々は何を議論したのでしょうか?。 -
【トロイ】
この地域固有の植物で札には「オーク」と書いてありました。遺跡のあちらこちらに茂ってました。 -
【トロイ】
ギリシャ神話で有名な「トロイの木馬」のレプリカ、神話では、イダ山の松の木つくられていたと言う。 -
【アイワルク】トロイから約150km。
ホテルの夕食はトルコ料理のバイキング(ビュッフェスタイル)、野菜の料理が多い。左下方の赤いピラフのようなものはチイ・キョフテというクスクスに似た料理で辛い。後はケバブやヨーグルトのサラダ(セミズ・オト)など。基本的に水は有料で1.5〜2トルコリラ(1トルコリラ≒100円)。レストランではやや高めで、水が2〜4トルコリラ、グラスワインが8〜10トルコリラ。 -
【アイワルク】
ホテルの裏がエーゲ海、静かな海原が見える砂浜を散歩した。 -
【ベルガマ】アイワルクから約60km。
アクロポリス遺跡の入り口にて。ここはアレクサンダー大王が急な丘の斜面に造った都市。その死後に、腹心シマコスが支配した。シマコスの死後は、その部下フィレタイロスが実権を握りベルガモン王国になったと言う。 -
【ベルガマ】
アクロポリス遺跡の上から遺跡越しにベルガマの街を見る。 -
【ベルガマ】
アクロポリス遺跡の丘の南西斜面にある大劇場。とても急な斜面に造られている。 -
【ベルガマ】
アクロポリス遺跡(ベルガモン)のシンボルとなっている白い大理石のトラヤヌス神殿。ローマ皇帝ハドリヌアスが造らせたもの。コリント式列柱である。 -
【ベルガマ】
アクロポリス遺跡(ベルガモン)のシンボルとなっている白い大理石のトラヤヌス神殿。別な角度から見たところ。 -
【エフェス】ベルガマから約190km。
世界最大級の大規模な古代都市遺跡(地中海文明の中で重要な遺跡)、エフェス都市遺跡(エフェソスとも呼ばれる)。最初は海沿いにあったが、港が土砂崩れで埋まり、現在の地に遷都したと言われている。 -
【エフェス】
エフェス都市遺跡(エフェソスとも呼ばれる)。これは「オデオン」2世紀中頃に建てられた小音楽堂。使われていた当時は屋根があった。 -
【エフェス】
エフェス都市遺跡(エフェソスとも呼ばれる)。これは紀元前1世紀に建てられた「メミウスの碑」。ポントスの乱からエフェスを平定した、ローマの独裁官スラと息子ガイウス、孫のメミウスと三代わたるエフェスの支配者を祭ったもの。 -
【エフェス】
エフェス都市遺跡(エフェソスとも呼ばれる)。ヘラクレスの門の近くにあった建物跡。 -
【エフェス】
エフェス都市遺跡(エフェソスとも呼ばれる)。 これは「ヘラクレスの門」の一部だったが、今は下に落ちている。女神ニケの浮き彫り。ニケ(Nike)の名前はスポーツ関連企業ナイキ(Nike)が使っている。 -
【エフェス】
エフェス都市遺跡(エフェソスとも呼ばれる)。 「クレディア通り」から「大理石通り」方面を一望する。当時は沢山のお店が並んでいたらしい。 -
【エフェス】
エフェス都市遺跡(エフェソスとも呼ばれる)。 「ハドリアヌス神殿」、138年頃完成した。裕福な市民クインティリウスが皇帝ハドリアヌスに献上した。2つのアーチがあり、前の頂上部には女神ニケ、後ろの頂上部にはメドゥーサが彫刻されている。壁面にはエフェス建国の伝説(複製)にちなむ猪やアマゾン族(アマゾネス)、アルテミスなど(複製)が四部構成で描かれている。 -
【エフェス】
エフェス都市遺跡(エフェソスとも呼ばれる)。 これは「セルスス図書館」。1万冊もの蔵書があった。エフェスで一番優美な建築物だ。統治者であったセルススを偲んで、息子ティベリウスが建立した(117年に完成)。 -
【エフェス】
エフェス都市遺跡(エフェソスとも呼ばれる)。 収容人員2万5000人の「大劇場」、ヘレニズム〜ローマ期でも最大級。高さ38m、広さ(直径)158mの半月形。舞台からの声がとても良く反響する。 -
【パムッカレ】エフェスから約185km。
世界遺産パムッカレ観光。パムッカレとは、トルコ語で「綿の城」という意味。地中からしみ出してきた石灰分を含む温泉が崖を流れて棚田のような景観になった。 -
【パムッカレ】
世界遺産パムッカレ観光。石灰棚保護の為、この近くでは靴を脱いで裸足で歩くことが義務付けられている。思ったより滑らない。 -
【パムッカレ】
世界遺産パムッカレ観光。まさに棚田のような景観だ。空の青さと石灰棚の白さがマッチしている。 -
【パムッカレ】
世界遺産パムッカレ観光。棚田にある温泉水が青く見えて珊瑚礁のようだった。 -
【パムッカレ】
世界遺産パムッカレ観光。天然の芸術品とはよく言ったもので、鍾乳洞の鍾乳石と兄弟のような感じで、数千年の歳月がこれを造った。 -
【パムッカレ】
世界遺産パムッカレ観光。とにかく、素晴らしい。 -
【パムッカレ〜コンヤ】
移動の途中でランチ。トルコ風ピザ(Pideピデ)と角煮のような肉を茄子で巻いた料理。デザートは甘くて口に合わない。 -
【パムッカレ〜コンヤ】
移動の途中でランチ。レストランのトイレがトルコ式だったので記念に撮影した。このトイレは水洗だが、汚物を水桶で流したり、お尻を洗ったりする所もあるそうです。
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この旅行記へのコメント (1)
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- パリ好きおばさん 2011/05/31 00:14:29
- 投票、ありがとうございます
- 文章がとても丁寧なんですね 感動しました!
きっちり書いたら、内容を覚えてしまうのでしょう…
私は、きっちりはどうも苦手で〜
パムッカレは青い所が多かったようですね。羨ましい限りです。
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