2003/11/19 - 2003/11/21
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ぱんぱーすさん
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03年のペルー回顧録もついに第4話、早くも最終回を迎えました。久しぶりに昔の写真をじっくり見て、自分自身も結構楽しみながら旅行記を作ることができました。きっつい思い出もあったなぁ。
それでは、どうぞ。
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19日朝。いよいよクスコともお別れ、電車に乗ってチチカカ湖の街プーノへ向かうはずだったのだが、そんなウキウキな俺の目に飛び込んできたTVニュース!
「全国的な農民蜂起のため、地方の幹線道路や鉄道は軒並み不通となっています」
な、なにぃ!?それでは、今日乗るはずのクスコ−プーノ間の世界一高所の駅に停まるという鉄道は……?
宿のおっちゃん曰く「もう1泊していけよ」と言っていたので、地元民のおっちゃんには今の状況が把握できていたっぽい。でも、抗わねば!駅に走る。 -
クスコ駅。マチュピチュ行きの列車の駅とは場所が違い、空港と市街地へ道が分かれる交差点のあたりにある。
駅にはそっけない張り紙に「運休」と書かれており、写真の通り切符を払い戻しにきた連中でそこそこ混んでいた。とりあえず俺も状況を把握し、世界一高所の駅は諦めて切符を払い戻す。あぁ、これからどうすべか、俺。これではクスコから出られない……いや、出られるかも?
俺は空港までタクシーを飛ばした。 -
クスコ駅構内の様子。以下のコメントとは何の関係もないですが……
半ば予想はしていたものの、空港のカウンターで教えられたのは、飛行機はやはり既に満席ということだった。プーノ行きは勿論、リマ行きも今日明日と満席になっていた。他の空港を経由して行っても、やはりリマ行きはほぼ満席状態らしい。さぁ困った。プーノ行きは諦め、プーノ−リマ間の航空運賃もドブに捨てるとしても、何とかしてリマには戻らないと!リマ−東京間の航空運賃まで棒に振るわけにはいかないし、仕事も待っている。うおぉ、本気で困った。 -
とその時、空港をしょんぼりしながら出た俺に、1人のおっちゃんが近づいてきた。
「アンタ、どっかへ行きたいのかい?」
ボッタくりだろうという事は100も200も承知だ。きっと洒落にならん金額を言われるんだろう。しかし、手段は最早無いに等しい。俺には……他に方法が無かった。
「チチカカ湖まで行きたいんだ」
リマまで行くには遠すぎる。ならば、飛行機をあらかじめ予約してあるプーノまで行くのが一番確実だ。距離も500km強だし、タクシーなら例え幹線道路が封鎖されてても、道を迂回して進めるだろう。
値段は覚えていない。日本人にはまぁ即座に払えなくもないが、ペルーならば半月か1ヶ月は過ごせるんじゃないかという金額を払ったのは覚えている。
ともあれ、見事な快晴に心を癒されながら、出発した。 -
タクシーは快調だった。すいすい100km/h以上でかっ飛ばしていく。報道が嘘じゃないかと思ってしまうほどの快調さで、俺も運ちゃんとバカ話しながら気分よく走っていたのだが……
それは突然やってきた。
クスコから200kmは走っただろうか。山あいにさしかかったところで、路上に石が散乱しているのを発見した。最初は落石でもあったのかと思い、また通過できなくもなかったのですんなり通過したのだが、以降の山あいに差し掛かる度にある落石の跡……これは落石じゃない!
運ちゃんに問うと、いつの間にか運ちゃんも厳しい顔になっていた。そして、
「これは農民蜂起の跡だよ。先にここを通過した車の人間が、どかしながら進んだみたいだね」
と言うのだ。俺もさすがに驚いた。
その後も、石は山の深い道路に差し掛かるにつれて段々大きくなり、どこから持ってきたのか疑いたくなるような石も目に付き始めた。更には燃えているタイヤ、横倒しにした木々などが道路を塞ぎ始め、タクシーは道路を下りて脇のブッシュ地帯を走らなければ抜けられない状況になってきた。正直、生きた心地がしない…… -
その後も道に散らばる石は無くなる気配がない。山の上には、手に石を持った地元農民らしき人影も見え始め、向こうから戻ってくる車も目に付き始めた。そして……俺らの車は先頭集団に辿り着いた。
車から降りて前まで出ると、何と目の前の平原でペルー軍と農民の集団がにらみ合っている状態だった。そしてしばらく経った後……
ずどどどどどどーーーーーーーーん!!!ちゅーん、ちゅーん、ちゅーん!!
何とペルー軍は迫撃砲や銃を撃ちまくりながら農民を一気に粛清しだしたのだ。まさに蜘蛛の子を散らすとはこの事。農民は蜂の巣をつついたような騒ぎになった後、一目散に逃げていった。周辺の岩山の上にいた石を持った農民達も、いつの間にかいなくなっていた。しかし、それにしても過激な事この上ない。日本では考えられないこの様子、死者は出ていなかったようなのでまぁ不幸中の幸いだった。 -
タクシーの運ちゃん、この騒ぎの間にいつの間にかプーノ行きの大型バスに掛け合って、俺の名をそちらの名簿に登録させていたらしい。つーかよく見たら、大型バスってクスコで右往左往してた時に街角で見かけたバスじゃないか!しまった、最初にそっちに気づいていれば、法外なタクシー料金なんて取られなかっただろうに!
しゃあないのでタクシーを下り、バスに乗り込む。さすがに料金はタクシーの運ちゃんが払ってくれたので無料。つーか当たり前だい。
そのうちに、迂回していた別の車も戻ってき始めた。彼らがいうには、プーノ方面に向かう道路はどんな小さな道路も全て農民に封鎖されていて、この幹線道路を切り開いていくしか進む方法がないという事だった。
バスの乗客(特に男性)は勿論、他の車の客も一致団結しての障害物どかしが始まった。木々を全員で引っ張って1本1本どかし、数人で石を転がして除け、人力ではどうしようもない大岩は、大型トレーラーの牽引によって除去し……そして日もくれようかという頃、ついに最後の巨大岩をどかし、進行方面の道路が完全にクリアになった。その瞬間、誰からともなく沸き起こった拍手と、見も知らぬ他の連中とのハイタッチの嵐。洒落にならない経験でしたが、こんなところでこんなに心が高揚するとは思っていませんでした。でも、2度とゴメンだこんな体験。
その後バスは暗闇の道路をひた走り、夜9時半にフリアカの街に到着。ここからバス車内で知り合ったプーノの宿の主人が呼んだワゴンに乗り換え、40km離れたプーノを目指す。プーノに着いたのは午後11時前。クスコからタクシーに乗ったのが午前10時前だから、ここまで来るのに実に13時間もかかったわけだ。最初の200km余を2時間強、後の250km余を3時間弱。そしてその間の農民蜂起エリア、僅か10〜20km余をを潜り抜けるのに……6〜7時間!!
写真はプーノで泊まった宿の様子。ペルーの宿のカウンターはこんな感じのものが多い。
それにしても、やぁぁぁっと着いた……即寝確定。 -
気を取り直して20日。チチカカ湖畔に立つ。前日は緊張で腹痛も忘れかけていたのだが、今日はしっかりと戻ってきていた。戻ってくるな。
標高3812m、富士山よりも高地にある天空の湖。ボリビアとの国境でもある。あぁ、時間がもっとあればあっちにも行きたかったぁ。
チチカカ湖名物のトトラ(葦)で造られた浮島「ウロス島」を目指し、遊覧船ツアーに申し込む。 -
20分ほどで、ウロス島に到着。見ての通り、草が水の上に浮いてます。そしてその上に、人間が立っているのです。
ウロス島は、1つの島の事を言うのではなく、複数のトトラが集まって出来た集落の事を指すようです。
足元はフカフカで、柔らかめの体操用マットの上を歩いているような感覚。でもどんなに派手に暴れても、決して穴が開く事はありません。 -
トトラの上で土産物を売っています。まぁこれは、完全に観光地化されてしまっている土地ですから、仕方の無い事ですけど。
トトラは、継続的に新しい葦の茎を敷き詰め続ける事によって保持されているそうです。ずっと水に浸かりっぱなしの部分は、やはり腐っていってしまいますからね。でも、チチカカ湖の葦が全部無くなったらどうするんだろ、ココ……
このトトラ、何と食べられます。茎の皮を剥いて、中の白身を食べます。トトラの上で生活する人々は、お腹が減るとそこらのトトラを引っこ抜いて食べているようです。俺も食べてみましたが……うーん、味のあまりないセロリといった食感でした。 -
ここからは遊覧船を下り、この「バルサ・デ・トトラ(葦の舟)」に乗って移動する。とにかく葦の浮力がすごい。10人乗っても全く沈む様子はない。大型舟を造れば、イナバ○置のキャッチコピーに対抗できそうだ。「やっぱりトトラ、100人乗っても大丈夫!」
中国のドラゴンボートのようなデザインだ。 -
トトラ舟は、船頭の櫂さばきに導かれながら、ゆっくりとチチカカ湖を進んでいく。冷たい風が本当に心地よい。さすが天空の湖だけあって水もものすごく冷たい。ここに保存食を漬けておけば冷蔵庫要らずかもしれない。
写真はトトラ住民の居住用トトラ。観光客の立入は認められていない。生活でもトトラ舟を使ってるかと思ってたのに、彼らは彼らでちゃんと船を購入していたようで、ちょっと幻滅。 -
トトラの売店で出会った子供。まだ乳呑み児のようだ。風邪をひいているらしく、鼻の下がちょっとぐじゅぐじゅだった。まぁ赤ん坊にはよくある話だ。可愛いものは可愛い!
名前は「アルバロ」君だそうだ。俺が「アルバロ」と声をかけると、きょとんとした顔で振り返ってきたのが印象的だった。が、それよりもそれを見た売店の売り子(彼の父母)が、俺の事を「ゴッドファーザー(名付け親)」と呼んできたのには、何か意味があったのか……?俺が考えた名前でもないし、もともとあんたらがつけてあげた名前でしょ?!
今でも意味がわからない。 -
ウロス本島に到着。集落でもっとも大きい島だ。直径で50m以上はあろうかという、円形の島だ。よく造ったものだ。保存も大変だろう。
売店の数もさる事ながら、小さいながらも教会があったり、学校があったりしたのには驚いた。ここは観光客にとっても居住者にとっても、中心的な意味合いの島らしい。 -
学校の中に入れと言われたので、促されるままに入っていくと、中ではどうやら地理の勉強を教えていた。小学生で地理とはいやはや……と思っていると。
おもむろに生徒達が立ち、先生の指揮に合わせて歌い始めた。すると、同じツアー客の中から歓声が。どうやら、ツアー客達の国の歌を歌ってくれるらしい……一体ここの教育とは何を教えてるんだか、そもそもこの授業自体ツアー用の偽物かと疑いたくなる。
その後も何度か歓声が上がる中、「ハポネー」と先生が言ったのがわかった。次は日本か!そして歌いだしたのは「さくらさくら」。弥生の空は見渡す限り……うぉっ、歌詞間違ってねぇ!どんだけ修行したんだこの子達は!つーか絶対歌の意味わかってねーだろ!等と思いつつも、完成度の高さには思わず大拍手!
出口に「上手に歌えたと思ったら、いくらか入れて下さい」と箱が置いてあったので、ちょっと多めにいれてきてあげました。 -
ウロス本島で見かけた看板。ペルーに伝わる神話を描いてあるらしい。
ペルー民族(インカ民族?)の祖先であるマンコ・カパックは、チチカカ湖から葦の舟に乗ってやってきた、という伝説のようです。
放送禁止用語に触れていますが、人名なのだから仕方が無い。 -
トトラの上で遊んでいた鳥さん。鶏さんかな?
チチカカ湖の、ペルーとボリビアの国境に浮かぶ島の名前は「コパカバーナ」といいます。響きだけ聞くといかにもリゾート地っぽい響きなのですが、実際にはどんな場所だったのでしょうか。行ってみたかったです。
さて、それではプーノに戻りましょうか。 -
プーノの街中。自転車タクシーが何台も街中を走っている。でも優しい俺は、下りでのみタクシーに乗り、上りでは遠慮してあげた。というより、上りでは誰も巨漢の俺には声をかけてきませんでした(笑)
しっかし太陽に近いだけあって日差しが強いねー。日向と日陰の差がくっきりですよ。 -
プーノの市場。人ごみでごった返しています。かなり流行っている模様。自分も露店で見慣れないリンゴのような蜜柑のような果物を買って食べました。名前は忘れた。結構甘くておいしかったのを覚えている。露店のおばちゃんを写真に収めようとしましたが、拒否されたので諦めたのを覚えています。
やっぱどこに行っても活気のある市場はいいものだ! -
午後。リマ行きの飛行機に乗るため、フリアカのマンコ・カパック空港までやってきました。思えば、ここのチケットが今回の旅の生命線になった訳だなぁ。
プーノからフリアカまでワゴンで来る途中、同席になったアルゼンチン人の母子と親しくなった。フェルナンデス一家だったかな?2人で旅行をしているらしかった。息子の方は俺とあまり変わらない年頃。悔しいがかっこよかったなぁ。 -
マンコ・カパック像の下にて。フェルナンデスくんに写してもらった。
俺、イカしてる?それともイカれてる?
フェルナンデス夫人からメールアドレスをもらったのだが、「Yahoo!アルゼンチン」のアドレスにはメールを送る事ができなかった。Yahoo!ジャパンに聞いても「アルゼンチンの事はわかりません」と言われる始末。おーい、ヤフーの横のつながりはねぇのかよ。
次の年にブエノスアイレスに遊びにおいでね、と言われていたのに、連絡がつかないのではどうしようもありませんでした。残念。 -
滑走路の隣には、人家が広がっています。と言っても、日本のように住宅地が広がっているわけではなく、点在するように平原に広がっている感じ。これがゲルなら、完全にモンゴルなのですが。
プーノで見た満天の星空を思い出しつつ(本当に空気が綺麗で、星がすごくよく見える)、俺は機上の人となった。そういやプーノまでのバスで一緒になった女の子に妙に気に入られて、アレキパまで来てとかいわれて断ったなぁ。彼女、アレキパの空港に見送りにくるとか言ってたが……経由地のアレキパでちょいと探しましたが、全くいる様子はありませんでした。さすがスペイン語圏、愛情は燃え上がり、あっという間に冷めるのね。 -
リマではほとんど写真をとっていませんが、歴史地区で面白いものをいくつか見たので載せておきます。
黒マック。日本でも京都の古都街内にあるマックは紫色らしいですが、ここでは黒を採用していました。 -
続いては青ケンタ。ちなみにどちらも入りませんでしたなぁ。
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リマ歴史地区。歩行者専用道路なので、人が思い思いに歩いている。意外というかちょっと驚いたのは、日系人が結構多くいることだ。2世や3世の方々が沢山いらっしゃるのでしょう。そういや、初日に泊まった宿沖縄も、日系人が経営しているお店だったなぁ。おじいちゃんには会わなかったが、1世の生粋の日本人だったのだろうか。
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リマの高級住宅街。何でこんなトコに来たのかというと……
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この建物を見つけるため。
ここは「ポコ・ア・ポコ」という、ペルー在住の日本人女性が経営する土産物屋なのです。「歩き方」のペルー部分の買い物紹介スペースのトップに載っているこのお店ですが、表を見ただけじゃ全然わかんねー!普通の高級な邸宅なだけで、表札なんか出て無いじゃんかー!ここを訪ねてきたペルーのご夫人に「ポコ・ア・ポコ?」と声をかけられなければ、ずっとこの周辺でまごまごしていた事でしょう。その事を話したら「やっぱり表札つけましょうかしらねぇ」と店長の女性(苗字失念しました、スミマセン)はおっしゃってましたが、その後どうなったのでしょうか。
店の品揃えは、よくもまぁこれだけ揃えたわぁとびっくりするほどの充実した品揃え。ペルー中のあらゆる観光地(&非観光地)の特産品が揃っています。ケーナをはじめとした楽器類や、ペルー独特の染物、アンデスの高地にしか棲まない動物の毛でつくられたセーターや靴下、etcetc……
ここだけで半日は軽く潰せる見事なものでした。ペルーに行かれたら是非! -
リマのとある博物館で見かけたミイラ。ピンボケしているのが非常に残念。インカかナスカの文明か忘れましたが、考古学上の発見としては非常に貴重なものなのだとか。
他にも、ゴリアテの首を持つダビデの絵画とか、色々(つまりは覚えていない)ありました。そんな中で圧倒的に俺の興味を引いたのが下の写真! -
えー、これは……ブツですね、男の。でかすぎますが。
現在の日本にも地方によってはこれに対する信仰が残っていますし、中国の長春にはこれを模した超巨大モニュメントが建っているようですが、ペルーでもまた、子孫繁栄のシンボルとして男性のシンボルをあがめる風習があったようです。確かこれはナスカだったかな。他にも、男女が向かい合って睦みあっている像が残されていたり、とにかくもう18歳未満は立入を控えた方がいいような像がいくつも安置されていました。
だってしょうがないだろ!俺は別に変なこと意識した訳じゃなく、向こうから提示されたんだから!
とオチたところで、ペルー回顧録もそろそろおしまいです。あっそうそう、コカの葉はリマの空港でちゃんと捨てましたよ。アメリカで経由降機した時に捕まりたくはなかったので。お腹に効き目があったのかどうかはわかりませんが、色々な場所で煎じて飲ませていただきました。
ちなみに、ダラス−東京間でトイレのすぐ傍の席に座らせてもらったのはナイショです☆☆☆
TITICACA編 ペルー回顧録 FIN
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