2007/02/08 - 2007/02/09
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tabijiisanさん
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ブラショフを出発しドラキュラ伝説で名高いブラン城を見物した後、往路と同じ道を南下し、シナイアで僧院を訪ねた後、19世紀に皇帝カロル1世が造ったペレシュ城を見物する。その後、ブカレスト市内観光した後、更に南下し、ドナウ河を渡り、ブルガリアのルセに至る旅を記録する。
写真はペレシュ城全景。
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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昨日立寄ったルーマニア第2の都市ブラシェフ市の郊外を通り過ぎる。旧式な荒れ果てた工場の建屋が目に付く中で、新鋭石炭火力発電所が稼動していた。
ブラショフ市は武蔵野市と姉妹都市となっている。チャウシェスク政権崩壊後の混乱時の1991年、当時武蔵野市出身の曾我大助が指揮者をしていたルーマニア国立ジョルジュ・ディマ交響楽団への協力を武蔵野市に申し入れたことにより実現したもの。現在、ブラシェフ市内に日本武蔵野センターがあり、交流事業を行っている由。名前だけの姉妹都市が多い中で、役立っている数少ない姉妹都市事業のようだ。 -
発電所の隣に、焼却灰が積上げてあった。
まるでボタ山のようだ。 -
広大な雪原をバスは走る。14時に小高い丘にあるレストランで昼食。大型バスは登れないので、ケーブルカーが設置されていた。
レストランから見た風景。 -
15時にドラキュラ伝説で名高いブラン城に到着。ブラショフから南西30kmの距離だ。
ここは料金徴収所から城の入口までかなりの上り坂だ。
写真は城内の中庭。
ブラン城はブラショフ防衛のため、14世紀に作られた砦。城内は狭い階段、部屋が続き、秘密の通路があり、造りは簡素である。ドラキュラで名高い串刺し王ヴラド・ツェペシュの祖父が居城としたもの。おどろおどろしい陳列品は皆無で、肩すかしを食らった。 -
ブラン城最上階からブカレストへ通ずる道を見下ろす。
確かにここを押さえれば、トランシルバニア地方には容易に侵入できないことを実感できる。
ヴラド3世は、1462年のトルコ勢2万人との戦闘では、捕虜にしたトルコ兵全員を木の杭に刺したり、槍を肛門から背中まで突き通して殺し、晒し者にしたと伝えられている。これらの残虐な行為から、「ヴラド・ツェペシュ・ドラクル」と呼ばれた。「ツェペシュ」はルーマニア語で「串刺し公」を意味し、「ドラクル」は「悪魔」を意味する。この逸話をもとに、悪魔(ドラクル)をイメージして書かれたのが小説「吸血鬼ドラキュラ」。アイルランド生まれの作家、ブラム・ストーカーが1897年に発表して世界でもっとも有名な吸血小説になった。 -
ブラン城全景。
ガイドはこの城を買いませんかと、この城が売りに出ていることを面白おかしく紹介していた。
調べたら、ブラン城の所有権はルーマニア国王の子孫である米国在住の建築家に2006年に政府から返還された。この国王一族はハプスブルグ家の出身でヴラド3世とは無関係の由。現在、地元自治体が購入を検討しているが、価格93億円を巡ってもめていると言う。 -
ブロン城の入口の土産物屋には、仮面やマグカップなど中国製のドラキュラが溢れていた。
ドラキュラのお化け屋敷まであった。
写真はのお化け屋敷入口。 -
夕日が落ちそうな城を出発して、往路に通ったシナイアの森の中にあるホテルのガイゼル・コンチネンタル・ホテルに30分ほどで到着する。こじんまりした、豪華なリゾートホテルである。積雪が多く、とても散歩できない。
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翌9日8時にホテルを出発し、30分程で、シナイア僧院に着く。この僧院は19世紀に、ドイツから招かれたカロル1世が造ったもの。正教では、金曜日にキリストが十字架に架けられたので、金曜日は、参拝する信者で賑わう。金曜には、信者は肉食(卵、ミルクを含む)せず、酒も飲まない。
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シナイア寺院入口のフレスコ画。
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シナイアにあるペレシュ城。
カロル1世が1875年に夏の離宮として造ったもの。部屋数が160もあり、ドイツのルネッサンス建築の壮麗な建物。内部の撮影は30レイ(2400円)と高価。
1960年から、国立博物館として公開されている。
大理石の列柱、木彫の内装が素晴しかった。手入れが行き届き、中世の甲冑、武具、刀剣、銃、大砲のミニチュアーが収集されていた。
広大な敷地内には、独裁者チャウシェスクが占有していたペリショール城があり、狩猟に来た時愛用したそうだ。 -
城に面した庭園にはローマ風の多くの彫像が並べられていた。
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ペレシュ城の入口。
外部にも木彫が施されている。 -
写真は車窓から最初に目にしたスターリン様式の建物。
11時にペレシュ城を発ち、ブカレストを目指し、往路に通った同じ道を引き返す。シナイアのブチェジ山を仰ぎ、石油井戸を見て、ブロイエシュテの石油精製基地を通る。2時間半走り、ようやくブカレスト市内に入る。まず、冬枯れの木立の向こうにスターリン様式の建物が目に入る。出版社だとガイドは答えたが、チャウシェスク時代には国営通信社でも入っていたのだろうか。
間もなく大きな凱旋門が道路のロータリーに突っ立っていた。第1次大戦の戦勝記念碑として建立されたもの。
バスは米国大使館、ロシア大使館、勝利広場、ロマーナ広場を抜け、中心地区に入る。大統領官邸、大学広場、統一広場を経てレストランに直行する。 -
中心街は、多くの古い建物が雑然と並んでいる印象を受ける。全市が旧市街の趣で、新しいビルは少ない。
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チャウシェスクは通りから教会が見えないように破壊したり、国民の館から統一広場へ続く統一大通りをパリのシャンゼリゼ通りに似せるために、多くの歴史建造物を破壊したそうだ。
写真は統一通りから国民の館を望む。道路幅はシャンゼリゼ通りより6m広く、そっくりの噴水まで設置されている。 -
昼食後、「国民の館」へ。チャウシェスクが自分の権勢の象徴として建設した巨大宮殿は確かに、巨大で周囲を圧している。ワシントンのペンタゴンに次ぐ世界2位の建物であると、ガイドは自慢していた。チャウシェスク時代には半分しか完成していなかったが、放置すると廃墟になりかねないので完成させた由。内部は天井が高く、どでかいホールが多い。大理石がふんだんに使われている。大きなシャンデリアが吊るされたり、一通り揃っているが、勿論歴史あるヨーロッパの他の宮殿と比べるのは酷である。国民議会など官庁としても使用され、貸しホールとして、コンサート、国際会議などが開催されているが、有効活用はこれからであろう。
館内への入場はX線検査があり厳重だった。館内撮影は10ユーロだったが、節約する。 -
国民の館正面。
館内はチャウシェスクの指示で空調設備はないそうだ。ガイドは毒殺を恐れたためだと言っていたが。 -
写真は大主教教会正面。
国民の館から15分ほどで到着。
ルーマニア正教の教会。金曜日なので、信者で賑わっていた。大勢の信者に混じって脱帽して見学。内部は撮影禁止。 -
教会の側らには、信者が灯したローソクが。
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教会の横に、立派なルネッサンス様式の重々しい建物がある。
旧議会で今は活用されていないようだ。 -
写真は翌朝ルセのホテルの窓から撮ったドナウ河。向こうに波止場、工場群が望まれた。
夕闇迫るブカレスト市を別れ、バスは1時間ほど南下し、ドナウ河に架かる橋のたもとにある国境検問所に到達する。ルーマニア側は直ぐ通過できたが、ブルガリア側では、待っている車が少ないのに、一向に通過させてくれそうもない。添乗員は「ここの国境通過で待たせられたと言う情報はない。下手に袖の下を渡しこじらせると悪い待つしかないない」と説明する。結局1時間半ほど待たされた通過できた。ブルガリアの検査官はカーキ色の軍服を着て、角が突っ張ったスターリンのような帽子を被っている。東欧圏の中で唯一親ソ連だったブルガリアを象徴しているようないでたちだった。
通過したドナウ河に架かる長い橋は、「友好の橋」と名付けられ、上に車、下に鉄道が走っている。今もう一本橋を架ける計画が進行中だそうだ。
通過して直ぐ、ブルガリア第4の町人口18万人のルセに入る。橋の袂のホテルに案内されて、長かった一日の観光を終わる。 -
ホテルから撮影したルセ市内。
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共産主義時代には、町の要所に労働者や戦士を描いたプロガダンタのポスターが良く見られた。ホテルの近くのビルの壁面に、これに似た大きな絵が描いてあった。
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宿泊したルセのホテル・リガ。
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