2007/03/29 - 2007/03/30
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tabijiisanさん
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ヘルシンキ市内観光の記録。
ストックホルムからシリアラインに乗り、翌朝、ヘルシンキに到着。ヘルシンキの市内観光をして、夕方、ヘルシンキ空港からフィンランド航空にて成田に向け出発する。翌朝、成田に到着するまでである。
写真はシベリウス公園のシベリウスのオブジェ。
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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17時発のシリア・ラインに乗るために、ストックホルムの中心街からさほど離れていない船着場にバスで移動する。港ではムーミンの大きな人形がお出迎えである。乗船するシンフォニー号は12階立ての大型船で、
排水量58400トン、最高速度23ノット、全長203m、最大幅31.5m、喫水7.1m、乗客定員2852人、キャビン数985室、乗用車400台またはバス60台である。
1991年建造だからかなり古い。しかし、中々デラックスで古さを感じさせない。部屋は海の見えない内側だったが、吹抜け部に面して大きな窓があり、圧迫感は感じない。バスはないが、シャワー、トイレが完備し、広い。夕食はバイキング・スタイルでビール、ワインまで、飲み放題、このツアー最後の晩餐のため、かなり盛り上がった。魚介類が豊富で、偽キャビア、フォアグラまで食べ放題だった。このツアー1番の豪華な食事であった。 -
早朝の吹抜けにある商店街。三角のガラス窓はキャビン。
吹抜けの両側には多くのレストラン、バー、カジノや商店が軒を連ねている。商店にはブランド品からスーパーの品物まである。北欧の物価が高いので、買い物欲をそそらせられる事はなかった。フィンランドはユーロなので絵葉書を買い、スウェーデン・クローネをつかい切った。
参考 為替レート(成田にて)
ノルウェー・クローネ 21.56円
スウェーデン・クローネ 19.32円
ユーロ(フィンランド) 159.73円 -
シンフォニー号の側壁のムーミンののマーク。
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ヘルシンキ港に9時55分到着する。
写真は接岸したシンフォニー号。
ここで日本人の現地ガイドが出迎え、専用バスで市内観光に出発する。 -
まず、港近くのウスペンスキー寺院へ。ここはロシア正教の教会である。フィンランドにはロシア正教は2%しかいないにしては、立派な教会である。
写真は港から見たウスベンスキー寺院。 -
寺院正面の祭壇には華やかなキリストと12使徒のイコンが飾られている。正教では、立ったまま礼拝するので、椅子は置いてない。老人は壁にもたれて礼拝するようだ。
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ここでは信者が亡くなった時、見に付けた装身具を教会に寄付するのが慣わしであるとか。額に入れて飾ってあった。
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港にグリーンピースの船が留めてあった。レイネで見た沿岸捕鯨船のように、マストに見張り台がある。常駐しているのではないそうだ。
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港の近くに、大きな製紙工場があった。
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このマークは犬専用の公園を示す。周囲はフェンスに囲まれている。
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港のマーケット広場には、土産物、野菜、花などの露店が開いていた。
写真は毛の帽子のお店。 -
馬鈴薯の種類の多いこと。
フィンランドではアルコール分4.8%以上のお酒類は専売所でのみ販売し、スーパーでは入手できない由。 -
港に面している大統領公邸。今は女性大統領である。
フィンランドの人口は500万人。小さい国だが、教育水準は高い。先日の調査で、子供の学力は世界一だった。社会主義国でないのに、私立大学はなく大学まで、学費は無料で、教科書のみ個人負担の由。 -
港から見たヘルシンキ大聖堂。
1852年完成。 -
ヘルシンキ大聖堂前の元老院広場にて。
ツアー参加者全員の記念撮影。 -
元老院広場に立つロシア皇帝アレキサンドル2世の銅像とヘルシンキ大聖堂。
フィンランドは12世紀から凡そ600年間スウェーデンの勢力化にあったが、1709年にスウェーデンはロシアに大敗して、ロシアの勢力化に入り、1809年にはロシアに併合された。4人のロシア皇帝治世下の中でアレキサンドル2世(在位1855-1881)はフィンランド語の使用を認め、善政を敷いた。ロシア革命の混乱の中でフィンランドは独立を達成した、ロシア色が一掃される中で、3人目の皇帝アレキサンドル2世の銅像だけが、そのまま残された。毎年独立記念日の12月6日に、ここで祝典が行われる。
明石元二郎は日露戦争当時、北欧を舞台に諜報活動して大活躍し、側面から日露戦争勝利に貢献した。フィンランド独立運動に武器、資金を援助して、ロシア革命の成功、フィンランド独立へ導いた。
(「動乱はわが掌中にあり」水木楊より) -
ヘルシンキ大聖堂内部の祭壇。
キリストを十字架から降ろすイコンが一枚飾っている。
福音ルーテル派の大聖堂だが、イコンがあるのは珍しかった。同じプロテスタントでも、偶像崇拝の考え方に濃淡がある。 -
写真は、マンネルハイム通りに立つマンネルハイム元帥の銅像。
第2次世界大戦勃発に際し、1939年ロシアはフィンランドに攻め込み、1940年に和平が成立し南東部を割譲させられた。1941年のドイツのソ連進撃に際して、フィンランドはドイツ軍と協調して東部に進撃し、失地を回復した。ところがドイツ軍の敗色が濃厚になると、わざわざヒットラーがヘルシンキに乗り込み懸命にフィンランドのドイツへの更なる協力を要請した。この時、ドイツとの協調を懸命に反対したのがマンネルハイム将軍だった。しかし、ソ連からは大量の戦車と爆撃機で攻撃され、大変な被害をこうむった。戦後、ロシアの過酷な要求を受け入れつつ、英米の信頼を勝ち取り、フィンランド発展の礎となった。
戦後、ソ連と敢えて事を構えない一方、西欧側に付く戦略を「フィンランド化」と言われた。現在でもユーロ圏に入っても、NATOに加盟していない。
(「物語北欧の歴史」中公新書より) -
入口が防空壕の入口にしか見えない半地下にあるテンペリアウキオ教会に行く。壁は岩石、天井はドームで大きな銅製の大天井が吊るしてある。別名ロック・チャーチ。福音ルーテル派の教会で1961年完成である。ここには、キリスト像、イコンは一切ない。正面に小さな祭壇があるだけ。パイプオルガンから荘厳な音楽が鳴り響いていた。どこで演奏しているか探していたら、自動演奏だった。曲はシベリウスでなく、バッハだった由。
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テンペリアウキオ教会内部のパイプオルガン。
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その後、シベリウス公園へ。海岸に面していて水面はまだ、少し結氷していた。バルト海は塩分が通常の海水の6分の1しかないとは驚きである。
シベリウス公園のパイプオルガンを模した芸術作品。 -
パイプオルガンのオブジェの脇にあるシベリウスの肖像。1967年設置。
シベリウスの「フィンランデア」は第2の国歌として、しばしば演奏される。 -
シベリウス公園の野生のマガモの番。全然人を恐れなかった。
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シベリウス公園にて。
当地のカラスはこの白と灰色のものが多い。
九州に冬渡ってくるコクマルガラスよりかなり大きい。 -
ヘルシンキ中央駅の構内。
昼食をとったレストランが駅の前のビルの2階だったので、駆け足の見物となる。 -
ヘルシンキ中央駅正面。
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昼食後、午後2時にレストランから空港に直行する。
17時20分発のフィンランド航空機にて帰国する。
スペインからの日本人観光客で満員である。機内で偶々横に座った女性は、別の旅行社の添乗員だった。彼女は機内に供された夕食を食べた後は只々眠り、その後食事もしないで眠り続けた。添乗員の過酷な勤務を物語っていた。
翌朝、8時55分無事成田に到着した。
写真の女性は帰りの飛行機の客室乗務員の別府啓子さん。座席に置いてあった日本語のフィンランド航空機内誌「キートス」に載ってていたもの。本人は順番が回ってきたので掲載されただけと言っていた。 -
ハルシンキ駅前にあるアテネウム美術館。(1887年完成)
ムンク、ゴッホ、ゴーギャン、ルオーもある由。 -
ヘルシンキ空港待合室のスナップ写真。
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ヘルシンキ空港待合室のスナップ写真。
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