2004/10 - 2004/10
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ndasbeさん
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最近はとんと行ってませんが、実はお城をみることが好きです。
そして歴史(主に日本)も少しではありますが好きです。
お城の歴史(主に戦国時代~江戸時代)とそこに関わっていた人物などを知ることに興味があります。
しかしツレに歴史・人物・意外なつながりの発見など話すのですが、興味・反応ゼロもしくは氷点下マイナス。新たな発見の喜び(?)を分かち合おうと一生懸命話しても聞き流している様子。はぁ~寂しいなあ…でもガンバレ私。というわけで旅行記にぶつけたいと思います←いいのか!?でも単なるメモ代わりかも。
文章が長くマニアックかもしれませんが、よろしければご覧ください。
歴史は調べているとキリがないので、ここでは毛利氏を中心に書いてみたいと思います。
いくつか資料をみて書いているのですが、もし間違えているところがありましたら教えてください。
前置きが長くなりましたが、広島城は日清戦争での大本営や原爆の被害など、さまざまな歴史があります。
表紙写真は広島風お好み焼きです。広島風は薄く延ばした生地の上に大量のキャベツなどの具そして強火で焼いた生麺を乗せ、蒸し焼きにしたものだそうです。おいしかったです。
-
広島城 天守閣。
広島城は街の中心部にあります。
中心部にありながら静かな場所でした。
階段を上ると天守閣がどーんとそびえ立っていました。
おおーなんて立派なんだ〜。
さて歴史をば。
*1589年(安土桃山時代)に中国地方の大半を支配していた戦国大名の毛利輝元(毛利元就の嫡孫)が築城開始。2年後に入城しているが、完成したのは1599年頃らしい。
広島城は当時五箇村という太田川・支流の三角州に築城したそう。
城をつくるのに10年位かかったのですね。
毛利家はもともと安芸国(広島県西部)の一領主だったのが、毛利元就の時代に中国地方大半を支配するほどの勢力になったそうです。毛利元就はすごい武将ですね。
毛利家のお城はもともと吉田郡山城(広島県北部の安芸高田市)だったのですが、守りに適した山間部だったのですが、商業地としては適切な場所ではなかったので、城下町のつくりやすい海沿いの平野部の広島に移ったそうです。 -
写真は広島大本営跡。
*関ヶ原の合戦(1600年10月)後、福島正則が城主。
せっかくお城をつくった毛利輝元氏ですが、関ヶ原の合戦で西軍の総大将となってしまい、長州(周防・長門(山口県))へ所領を大幅削減されてしまいました。
*1619年 浅野長晟(忠臣蔵の浅野内匠頭は長晟の弟長重の曾孫)が入城、明治維新まで浅野氏が城主。
広島城はほとんど浅野氏が城主だったのですね。
*1894年9月 日清戦争にて大本営(戦時中の最高統帥機関)となる。
*1945年8月 原爆の爆風で天守閣倒壊。
1931(昭和6)年に天守閣は国宝(厳密にいえば旧国宝)に指定されていたそうですが残念です。 -
太鼓櫓(右手前)多聞櫓(左奥)。
1958年 旧天守閣の外観復元。
1994年 二の丸跡に表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓が復元。 -
天守閣から広島市民球場がみえます。
プロ野球チームの広島東洋カープの本拠地です。
広島城は別名鯉城と呼ばれているそう。
それにちなんでカープ(鯉)と名付けられたそうです。 -
広島城 天守閣。
広島城は毛利家のお城だと思っていましたが、関ヶ原の戦いの敗北により毛利輝元は領地を大幅削減され、長州藩主になっていたのですね。
徳川幕府への恨みが深かったらしく、このことから明治維新での長州藩の活躍があったのでしょうか。
〜広島城おわり〜
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