1976/04 - 1976/04
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ソフィさん
1976年4月
さて、不安定ながらもようやくザイールでの公私の居場所が決まったこの時点で、私がなぜここに来ることになったのだろうかを、もう一度振り返って考えてみたい。
そもそも、国鉄とザイールとの交わりは、1967年(昭和42年)に始まった。
当時のザイールは、独立後の混乱から、ようやく抜け出し始めたころである。
この年、立花氏を団長とする調査団がザイールを訪れ、「国民路線(アフリカ横断鉄道)」の未着手区間、イレボ・キンシャサ間の新線建設計画をまとめ、報告書に残している。
国鉄は、海外に向けての展開を模索していた。
それを、国際化時代を迎えての、必然的な流れと考えていた。
とくにアフリカの新興国に対しては、未熟のプロジェクトも多く、プロジェクトへの関与にロマンを感じる人も少なくなかった。
その中でもザイールは、鉱物資源の宝庫で、日本も当面は銅の採掘権を目指していた。
そして、旧宗主国がベルギーであり、その影響が少ない反面、東西対決のアフリカにおける第一線として、アメリカの強い力が入っていた。
その後ザイール政府内での発言力を得ようと、日本政府の負担で顧問を派遣すべく、1969年(昭和44年)に、任期二年間で二人が選ばれる。
この顧問団の派遣は、1974年以降拡大され、現在の派遣者数は、国鉄と鉄道建設公団から、13人に達している。
この数は、国鉄関係の海外派遣者総数の過半数を占めている。
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この旅行記へのコメント (1)
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- とらいもんさん 2007/06/12 15:49:51
- 時間が少ない
- 片瀬さんの、中学校入学頃の記録!を拝読いたしました・
東欧の記録も。
レニングラードの都市名はなつかしいです。
たしか「イスタンブール」は、「コンッスタンチノーブル」でしたか?
1945年(5年生)の歴史や地理が懐かしいです。
1947年頃(新制中学校)は「くにのあゆみ」でした。
1956年(21歳の時定時制入学)では「歴史」
3種の「歴史」を学びました。
そして近年は、文明の利器によって発見された「歴史。地質・天文ETC]
頭の中がゴチャゴチャです!
私は必ずや、もう一度片瀬様にお会いしたいです。頑張ります。
今日、家内を病院に連れてゆきました「経過良好」だそうです。
次は7月10日に病院に行きます。
家内は、気分良く(コロッケ作り)を、私のテーブル(キーw叩いてる目の前)で造ってます。
TVは「水戸黄門」これから「買い物」に行ってきます。帰ったら(16時30分)授業に出かけます。
知人がお茶の用意をして待ってます。
以上です。
長くなってスミマセン。
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