2006/09/17 - 2006/09/17
59位(同エリア59件中)
よっしーさん
一度入ってみたいと思っていた承徳へ行ってきました。
承徳は、清朝にとって大変重要な場所でした。
その目的は離宮として先祖の祭祀を行うため瀋陽へ行く際への立ち寄り、康熙帝の時代より夏の政務を行う避暑地として、そのほかにも蒙古、西蔵などの諸民族を招待して何か行ったり、藩部との外交において重要な役割を果たしていたのだろう。
現在、避暑山荘は避暑地としては最高。
北京からバスで5時間、鉄道でも5時間と決して便がいいところではないが、一度いけばとりことなる見事なところでした。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
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避暑山荘正面の入り口
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この先下乗
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がんとばしてます
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内午門の「避暑山荘」の額。
康熙帝直筆 -
皇帝が避暑山荘で政務を執るときは、外国の施設の受け入れ、大臣との接見などはここで行われた。
額の意味は、すんだ無欲の心で志がはっきりしていなければ、遠くまで治めることはできない」ということ。 -
全体的に落ち着いた雰囲気の宮殿区内
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建物もすべて避暑が意識されている
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皇帝が政務を執る前に休憩をし、または着替えを行ったところ。
近臣を呼び打ち合わせをしたり、乾隆帝の時代には諸藩のたとえばモンゴルの王族などをここに招き、親しさを示した。 -
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清朝の生活用品。
博打具 -
たばこ
西太后がすったアヘンもあったようななかったような -
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皇帝が催したところ
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罪人
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世界文化遺産避暑山荘
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湖景区
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野生の鹿がいます
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平原区
この先、蒙古式のパオがたくさんあり、宿泊できる
ここは、実際にモンゴルの王侯、施設がテントをはり、またそれらと接見するためのパオが張られたところ -
パオ
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永祐寺舎利塔
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承徳はかつて熱河といわれた。
その名の由来となる熱河泉 -
最後。避暑山荘の全景と外八廟
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この旅行記へのコメント (1)
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- 老頭児さん 2007/06/03 09:45:23
- Nao6971さんへ
- 避暑山荘 承徳の写真 懐かしく拝見いたしました。
承徳は好い街ですね、コンパクトに各宗教がまとめられてます。
チベツトへ行かなくてもポタラ宮が見ることが出来ますね。
戦前から通算4度行きました。
戦前の思い出ですが大きな風呂、なにか船橋ヘルスセンターのような風呂屋でした、7つくらい湯舟がありました。
88年に再訪時探しましたが分かりませんでした。
北京かた近い歴史ある街です。
外八廟をタクシーで廻りましたが全部は廻ることは出来ませんでした。
もう1度行きたい街です。
謝謝
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