2007/05/03 - 2007/05/03
780位(同エリア1830件中)
96さん
ノヴォデヴィチ墓地に埋葬された、
ボリス・エリツィン前大統領
クレムリンの外へ埋葬されたのは指導者としては、フルシチョフに次いで二人目です。これは、現役の大統領(以前は書記長)でなかったからとか。
しかし、ソ連の書記長以外でも、いろんな共産主義者がクレムリンに葬られているようです。
ある意味こちらで喜んでいるのではないでしょうか^^
そして、救世主キリスト聖堂と
ポクロフスキー聖堂。
荘厳さ、美しさ、どれもこれも魅了されてしまいました。。。
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ノヴォデヴィチ修道院
敷地内にも墓碑がいくつもあります。
デニス・ダーヴィドフ(1784-1839)
ナポレオン戦での英雄で、軍人にして詩人、
戦争に関わる詩の方がよく知られているようです。 -
ウスペンスカヤ教会
修道院の中は博物館 -
鐘楼
高さ72m -
スモレンスキー聖堂
スモレンスク市が、ロシア領として奪還されたことを記念して、時の皇帝ワシーリー3世の命で創設された。
イタリアの建築家を起用した聖堂は3つのドームと鐘楼を持ち、天井は壁画で覆われています。
モスクワバロック様式のこの聖堂は、後に大きな影響を与えたとされています。 -
とりあえずイコンを見に入ってみる。
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イコンとはロシア正教において聖人や復活祭、そして女神が描かれている聖像画。
ロシア語ではイコーナ。平板にテンペラ絵具で主キリストや聖母マリア、聖者たちの像を描いた「聖像画」で、
イコノスターノス(聖障)は聖堂内の壁や天井にイコンの集まりが描かれたものを指す。 -
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ロプヒンスカヤ塔と、湖
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ノヴォデヴィチ修道院付属墓地
案内図もあるらしいのですが、閉まっているようで仕方なく適当に歩いた。
フルシチョフを探さねば!
ここはじっくり見たかった。 -
ボリス・エリツィン前大統領
4月23日、心不全のため死去した。76歳だった。
エリツィンは1991年から99年末まで大統領を務めた。 -
ロシアの世界的なチェロ奏者で指揮者
「ムスチスラフ・ロストロポービッチ」
4月27日に死去されたばかり。80歳だった。
29日にモスクワ市内の救世主キリスト大寺院で葬儀が営まれ、葬儀には、スペイン王妃やフランスのシラク大統領の夫人など約1,000人が参列し、最後の別れを告げた。
そして遺体は、ノボデビッチ墓地のうち、23日に亡くなられたエリツィン前大統領の近くに埋葬されていました。 -
ユーリー・ニクーリン
ニクーリン・サーカス劇場の団長をつとめ道化師兼喜劇俳優としても絶大な人気があった。 -
ライサ・ゴルバチョフ
ソビエト連邦初代大統領ゴルバチョフ夫人
1999年9月20日、白血病で死去。
最愛の夫人を失い悲嘆に暮れるゴルバチョフの姿は印象的でした。 -
アレクサンドル・レベジ
軍人であり政治家。中将。
クラスノヤルスク地方知事、ロシア安全保障会議書記。
1996年6月のロシア大統領選挙に立候補し第一回投票では、第三位となり決選投票にすすめず。 -
クルチャトフ
原子力の父 -
念願の^^;
ニキータ・フルシチョフである。
一番奥にあった。
スターリンの死後、ソ連の最高指導者として、ソ連共産党中央委員会第一書記と閣僚会議議長を兼ね、スターリン批判によってその独裁と恐怖政治を世界に暴露した。
この白黒の墓碑の設計は、フルシチョフが以前罵倒した彫刻家エルンスト・ネイズヴェスヌイである。 -
救世主キリスト聖堂
設計者は有名な建築家コンスタンチン・トン、
ナポレオンのモスクワ遠征に勝利した記念に建てられ、1838年に着工、1833年に完成した。
聖堂内部のフレスコ画はスーリコフやクラムスコイ、ヴェレシシャーギンなどの画家たちが動員された。
スターリンが、それを1933年に破壊。
再建はモスクワの850周年を祝って、ロシアが生まれ変わったことを示すと同時にモスクワが豊かで偉大であることを示そうとした。
大理石と御影石の白い建物。建設費用は当時総額1億5000万ドル強とか。 -
モスクワ中央部モスクワ河畔に位置し東方正教会の大聖堂中、最も高い103メートルの偉容を誇る。救世主キリスト大聖堂は、ロシア正教会モスクワ総主教直轄の首座聖堂である。モスクワにおける建築中、最も苦難と紆余曲折の歴史をたどった建築である。
ウィキペディアより -
ドンスコイが、セルギー・ラドネシスキーから祝福を受けている場面。
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聖堂内は撮影禁止!
それとは知らずに撮ってしまいました。
すみません。。。 -
教会の丸い屋根は火(情熱)、
天井は天、
床は世界を表しています。 -
ほほぉ〜
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大聖堂の祭壇
祭壇にはキリスト、聖母や聖人などの彫像、レリーフがなく、代りにイコンが多数置かれています。
赤と金色がまぶしい。 -
地下に下りて見ます。
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ポクロフスキー聖堂(聖ワシリー聖堂)
16世紀、モンゴルへの戦勝を記念して、イワン雷帝の命により建てられた。
この建物を見たイワン雷帝は、あまりの美しさに驚き、
二度とこのように美しい建物が作れないように、ポストニクとパルマの2人の設計者の目玉をくり貫いてしまったという、有名な逸話がある。
そして、
ミーニンとポジャルスキーの像
二人は1612年人民義勇軍を指揮して、モスクワをポーランド軍から開放した国民的英雄である。
ミーニンは、これから行く、ニジニー・ノヴゴロドの市民。多額の軍資金を集めて軍隊を組織しました。
ポジャルスキー公はその軍隊の指揮者でした。 -
内部は博物館になっている。
イコノスタスは見事! -
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見事なフレスコ画
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出口にはお土産屋さん
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