2006/06 - 2006/07
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JIC旅行センターさん
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◆2日目:7月1日(月) 快晴×2
昨日はぐっすり眠れた。ホテルに着いてウェルカムドリンクをもらった後は、簡単に食事をすませ、サッカーワールドカップをテレビ観戦している市民の歓声が耳に残りつつ、気がつけば眠っていた。おかげで疲れはゼロ。この日も快晴だ。スタートで異国の太陽が味方につくのはこの上なく気持ちいい。
この日は青の都サマルカンドのホテル視察と観光スポット巡りが主な日程だった。朝、タシケントを堪能する間もなく出発し、国内線でサマルカンドへ移動。280位の雰囲気はどこにもないなぁと思いつつ、約1時間のフライト後、到着。天候は・・・よし、サマルカンドでも味方がいる。
荷物を受け取り、空港出口に向かうと、ん?見たことある顔が・・・ラシドだ。「トミサン。ドーブラエウートラ(おはよう)」とちょっと不格好に大きめのサングラスをはずしながら、ニヤリと手をさしだし握手を交わす。距離にして約360キロ。・・・ニクい。やるな、この男。一晩で車移動してきたらしい。例によって荷物を詰め込むとその足でサマルカンド巡りへスタートした。
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車に乗り込むと、ガイドの説明が始まる。
〜サマルカンドは人口約40万人。紀元前よりシルクロードの中心都市として栄えたこの街は、その乾燥気候特有の抜けるような青空とモスクやメドレセの装飾・タイルの色から「青の都」と呼ばれる。
それ以外にも「イスラムの宝石」「東方の真珠」など多くの異名をもつこの街には、かつて世界制覇を夢見て東征したアレクサンダー大王も、その文明の高さ・街の美しさを絶賛し、「想像を超える美しさだ」と最大級の賛辞を惜しまなかったそうだ。しかし、13世紀、チンギス・ハーンの攻撃をうけ、アフラシャブの丘に営々と培った街は、一瞬のうちに廃墟と化してしまうが、その後14世紀、ティムール帝国の首都として繁栄し再び蘇った。2001年には「サマルカンドの文化交差路(Samarkand-Crossroads of Cultures)」としてユネスコ世界文化遺産に登録されている〜
説明を聞きながら、約20分で車は停まり、ある場所に降り立った。
・・・・。絶句した。すごい。これほど目の前の光景に心動かされたのは何年ぶりだろうか。大阪で世界的超有名人を生で目前にしたときぶりか?いやいやそんなささいな絶句とは全く違う。世界的な指揮者、小澤征爾の演奏を聞いたときか、いやそれも少し違う。そう、ロシア北極圏の街「ムールマンスク」で生まれて初めてオーロラを大空に見上げた時のあれ。あのなんともいえない荘厳な世界観を自分に与えられた衝撃に近い。
レギスタン広場。サマルカンドにきた観光客がまず最初に訪れる場所だった。 -
その後は、各種メドレセ(イスラム神学校)、シャーヒズィンダ廟群、ビビハニムモスクなどをひととおり巡った。途中、メドレセ内やモスク内外にはお土産屋が並び、ややシーズンから外れて暇な露天商たちが、久々の観光客に笑顔で声をかけてくる。商売とはいえ、笑顔は世界共通で気持ちがいい。中でも、ビビハニムモスク横のバザール(市場)の雰囲気は人々の笑顔に活気が加わり自然とこちらの顔もほころぶ。
すると、ひとりの男性がナン(パン)の切れ端と、ナッツ類を片手に笑顔で近づいてきた。「ほら、これ食べろ、食べろ。お茶も飲むか?」笑顔だが、妙に慣れなれしい。インドで至高の笑みと共にもらった飲み物に睡眠薬が入っていて、起きたら財布がなくなっていた、という友人の話を一瞬思い出した。
(つづく)
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