![通りには提灯形の街灯が鈴なりに並び、屋台では焼そばやたこ焼きが売られている。日本語の看板で埋め尽くされた商店街には、日本語の本、薬、食材、和菓子はもとより、仏壇屋まであるし、ちゃんと曹洞宗のお寺まである(神社はないのに、目抜き通りには大きな鳥居が掛けられているのは笑ってしまったが)。レンタルのCDショップにはラルクやモーニング娘もあるし、ドラマや演歌などの最新DVDがコピー商品として販売されている。街歩くお年寄り同士は日本語で立ち話していて、日曜日の文化会館では民謡の発表会が行われていた。<br /><br /><br /> どこか見慣れた街並み。のんびりとした雰囲気。まるでここは日本の田舎街のようだ。海外の日本人街で最大と言われるサンパウロの東洋人街リベルダージ。<br /><br /> 先ず、僕はこの街で歯医者へ向かった。日本語の通じる歯医者は、海外では大金を払わなければ、なかなか診察してもらえない。この街であれば安価に受診できるのではないかと思って、今までずっと虫歯の痛みに耐えていた。街へ着くなり、僕は歯医者のある援協総合診療所に駆け込んだ(診察料40レアル=2400円、お陰様で完治?ちなみに後日、風邪をひいて内科も受診)。<br /><br /> 次に床屋へ向かう。日本語の通じる整髪も魅力的だ。担当してくれたお婆ちゃんは今年75歳。熊本生まれで移民して50年になるという。子供が二人いて、次男は南米に向かう船のなかで出産したというから驚きだ(だから名前が洋一郎らしい)。<br /><br /> その後、図書館や本屋で日本語の本を堪能する(週刊誌は2〜3ヶ月遅れ。値段は日本の約3倍)。あまりに高いので古本屋を探そうと、通りかがリのお爺さんに聞いてみた。<br /><br /> 「あー、今はもう全部、潰れちまったよ。中国や台湾の経営者の店に変わっちまった。彼らは金持っているから、土地ごと買い上げてどんどん勢力を強めているんだ。昔はこの辺も日本人の店ばかりだったんだけどねー。」<br /><br /> 日本から若い移住者が来ないことも、日系人の店舗が縮小傾向にある原因の一つらしい。また移住者の2世3世は、景気のいい日本に逆に出稼ぎへ行くことが最近は多いそうだ。<br /><br /> 前述の床屋のお婆ちゃんも、過去に静岡まで出稼ぎに行ったことがあるという。だが、そのときの日本の印象はあまりよくなかった。ブラジルから来たということを周りに話したら、すごく馬鹿にされたのだという。だから途中から誰にもそのことを語らず、隠していたのだと、少し寂しげに語ってくれた。<br /><br /> 僕は名古屋出身なので愛知県人会にも顔を出してみた。踊りを習いに来ていたお婆ちゃん。3世である孫たちはブラジルにどっぷり馴染んで、ほとんど日本語を話せないらしい。お孫さんも日本出稼ぎ経験があるらしいが、1年ほどで帰ってきてしまった。家族や友達の多いブラジルのほうが楽しいからという理由のようだ。<br /><br /> この街は日系人だけのための街ではない。<br /><br /> たくさんのブラジル人たちも訪れる。SOGOビルという名の雑居ビルには、日本のアニメや漫画(ドラゴンボールや聖闘士聖矢)、PS2のゲームを物色する若者たち。その近くの東洋文化会館では、遊戯王のカード交換に熱中する子供たちの姿がみれた。日曜日のみやげ物市には、天ぷら、焼きそば、揚げ物等のたくさんの屋台や電化製品を目当てに観光客たちが道を塞ぐほどわんさと集まっていた。誰もがこの不思議な「日本」を心の底から楽しんでいるようにみえる。ブラジル人が片言の日本語でお店の人にお礼をいう。「アリガト!」<br /><br /><br /><br /> 日本とブラジルとの文化交流の架け橋となっている、この街の存在意義はとても大きいように思えた。<br /><br />「お婆ちゃん、ブラジルと日本のどちらの国が好きですか?」<br /><br /> 75歳とは思えない手際のよさで、仕上げに入っているお婆ちゃんへ最後の質問。<br /><br /> 答えは予想どおり「そりゃブラジルですよ。ここは本当にいい国よ。みんなやさしいもの。」と即答してくれた。<br /><br /> 来年は、ブラジル移民100周年の年だという。遠く離れた地球の反対側の街にも、日本で知られていない苦労の歴史と日系人の大きな存在があったのだ。<br /><br /> ちなみに僕の髪は、昔懐かしい斬切り頭となった(20レアル=1200円也)。見方によっては、この髪型、サッカーブラジル代表のロナウドのように見えなくもないかな。<br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/14/05/650x_10140542.jpg?updated_at=1178129213)
2007/04/18 - 2007/04/18
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フーテンの若さんさん
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通りには提灯形の街灯が鈴なりに並び、屋台では焼そばやたこ焼きが売られている。日本語の看板で埋め尽くされた商店街には、日本語の本、薬、食材、和菓子はもとより、仏壇屋まであるし、ちゃんと曹洞宗のお寺まである(神社はないのに、目抜き通りには大きな鳥居が掛けられているのは笑ってしまったが)。レンタルのCDショップにはラルクやモーニング娘もあるし、ドラマや演歌などの最新DVDがコピー商品として販売されている。街歩くお年寄り同士は日本語で立ち話していて、日曜日の文化会館では民謡の発表会が行われていた。
どこか見慣れた街並み。のんびりとした雰囲気。まるでここは日本の田舎街のようだ。海外の日本人街で最大と言われるサンパウロの東洋人街リベルダージ。
先ず、僕はこの街で歯医者へ向かった。日本語の通じる歯医者は、海外では大金を払わなければ、なかなか診察してもらえない。この街であれば安価に受診できるのではないかと思って、今までずっと虫歯の痛みに耐えていた。街へ着くなり、僕は歯医者のある援協総合診療所に駆け込んだ(診察料40レアル=2400円、お陰様で完治?ちなみに後日、風邪をひいて内科も受診)。
次に床屋へ向かう。日本語の通じる整髪も魅力的だ。担当してくれたお婆ちゃんは今年75歳。熊本生まれで移民して50年になるという。子供が二人いて、次男は南米に向かう船のなかで出産したというから驚きだ(だから名前が洋一郎らしい)。
その後、図書館や本屋で日本語の本を堪能する(週刊誌は2〜3ヶ月遅れ。値段は日本の約3倍)。あまりに高いので古本屋を探そうと、通りかがリのお爺さんに聞いてみた。
「あー、今はもう全部、潰れちまったよ。中国や台湾の経営者の店に変わっちまった。彼らは金持っているから、土地ごと買い上げてどんどん勢力を強めているんだ。昔はこの辺も日本人の店ばかりだったんだけどねー。」
日本から若い移住者が来ないことも、日系人の店舗が縮小傾向にある原因の一つらしい。また移住者の2世3世は、景気のいい日本に逆に出稼ぎへ行くことが最近は多いそうだ。
前述の床屋のお婆ちゃんも、過去に静岡まで出稼ぎに行ったことがあるという。だが、そのときの日本の印象はあまりよくなかった。ブラジルから来たということを周りに話したら、すごく馬鹿にされたのだという。だから途中から誰にもそのことを語らず、隠していたのだと、少し寂しげに語ってくれた。
僕は名古屋出身なので愛知県人会にも顔を出してみた。踊りを習いに来ていたお婆ちゃん。3世である孫たちはブラジルにどっぷり馴染んで、ほとんど日本語を話せないらしい。お孫さんも日本出稼ぎ経験があるらしいが、1年ほどで帰ってきてしまった。家族や友達の多いブラジルのほうが楽しいからという理由のようだ。
この街は日系人だけのための街ではない。
たくさんのブラジル人たちも訪れる。SOGOビルという名の雑居ビルには、日本のアニメや漫画(ドラゴンボールや聖闘士聖矢)、PS2のゲームを物色する若者たち。その近くの東洋文化会館では、遊戯王のカード交換に熱中する子供たちの姿がみれた。日曜日のみやげ物市には、天ぷら、焼きそば、揚げ物等のたくさんの屋台や電化製品を目当てに観光客たちが道を塞ぐほどわんさと集まっていた。誰もがこの不思議な「日本」を心の底から楽しんでいるようにみえる。ブラジル人が片言の日本語でお店の人にお礼をいう。「アリガト!」
日本とブラジルとの文化交流の架け橋となっている、この街の存在意義はとても大きいように思えた。
「お婆ちゃん、ブラジルと日本のどちらの国が好きですか?」
75歳とは思えない手際のよさで、仕上げに入っているお婆ちゃんへ最後の質問。
答えは予想どおり「そりゃブラジルですよ。ここは本当にいい国よ。みんなやさしいもの。」と即答してくれた。
来年は、ブラジル移民100周年の年だという。遠く離れた地球の反対側の街にも、日本で知られていない苦労の歴史と日系人の大きな存在があったのだ。
ちなみに僕の髪は、昔懐かしい斬切り頭となった(20レアル=1200円也)。見方によっては、この髪型、サッカーブラジル代表のロナウドのように見えなくもないかな。
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アメリカ・バージニアでの韓国人留学生による大量殺人事件、暴力団による長崎での市長殺人事件と銃による犯行が連続して起きて、世間を騒がしている。
僕が今いるブラジルも銃による重犯罪が絶えない国の一つで、一昨日もリオのセントロ近くで12時間にも亘る麻薬組織同士の銃撃戦があり、19人が殺されたという(内6人は一般市民が巻き添えを食らった)。また、その前の日にはブラジル北部の街で、大規模な暗殺集団が摘発されたらしい。そこでは一人6万円〜30万円で殺しを請け負い、過去5年で1000人以上暗殺をしていたという。しかも、軍警が絡んで武器を横流ししていたというから驚きだ。
サンパウロでも、夜に銃声のような音をたまに聞くことがあった。麻薬販売の合図という噂もあるが、単にご贔屓のサッカーチームが得点を入れただけという話もある。僕は実際に危ない目に会うことはなかったが、本物の銃を目の当たりにしたことが一度だけあった。
ある夕方、晩飯の買い出しのため、とぼとぼ歩いていると何やらただならぬ声が聞こえきた。その方向を覗いてみると、数人の若者グループが警官に銃を突きつけられているではないか。付近には学校や民家もあって、危ない地域のように思えなかったのだが、映画のワンシーンのように、若者たちは壁際に顔を向けさせられ、手を後ろに組まされて、一人ずつ取調べを受けている。警官は厳しい口調で何か指示を出していた。麻薬捜査なのかもしれない。若者グループは抵抗する気配はなさそうだったが、反対側の通りにはもう一人若い警官がいて、銃のホルダーに手をかけ、いつでも援護できるよう身構えていた。援護の警官はかなり緊張した面持ちだったので、「彼もできれば撃ちたくないんだろうなぁ」などと思ったことを無性に覚えている。
僕らは怖くなって、その場を足早に通り過ぎて行ったのだけれども、銃を構える光景が日常にあるというのは、本当に恐ろしいものだと改めて実感した。
日本と違ってブラジルのように銃が普及していると、取り締まるほうも命懸けだ。前述のリオの事件の際、警官たちは銃撃戦エリアの中に入っていけず、一般人が立ち入らないようにガードすることで精一杯だったらしい。リオ市長は陸軍の出動要請をしたというから、もはや内戦状態とも言える。その陸軍も若い兵が多く、マフィア相手の市街戦訓練など受けていないので、あまり戦力にならないはずだと、厳しい論調で新聞は書いていた。
「シティ・オブ・ゴット」というブラジル映画を思い出した。リオの少年ギャングたちがスラムの中で派閥抗争のため、銃撃戦を繰り返す。結果、年端のいかない少年たちが次々と命を落としていく(監督の半自伝的映画らしい)。それはまさに戦争に等しい。実際に親に望まれぬまま生まれ、幼いころから銃を握ってマフィアの子分となり、成人になる前に銃で撃たれ死んだファベイラの少年もいるという。
なぜ銃による犯罪がこれほどまでに起きるのか。銃による犯罪が当たり前の国に来て、もう一度考えてみる。
銃による犯罪の報復に銃を使い、その事件を打ち消すため更に銃を使う。目には目を。銃には銃を。銃による殺しの負の連鎖。いつから人間は銃という暴力でしか物事を解決できなくなったのだろうか。もしかして、繁殖しすぎたレミングが自ら湖に飛び込んで死ぬのと同じで、人間は無意識のうちに過剰となった人口を抑制しようとして、銃による死を必然と巻き起こしてしまっているとは考えれないだろうか。だとしたら人間は愚かだ。これだけ文明が発展させておいて、結局、仲間同士争うことしか考えていないのだから。
このままでは、銃のない平和な世界とは、夢のまた夢、理想の世界の話となってしまう。そのうち銃の出てこない当たり前の光景は、映画のシーンでしか拝めなくなってしまうのかもしれない。 -
サンパウロといえば夜の遊び抜きでは語れない。
そう、同じ日本人宿(ペンション荒木)の旅行者に教えてもらい、お店を案内してもらうことになった。普段こういうお店には(決して→あまり)行かない僕だが、これも観光の一つと考え、思い切って誘いに乗ってみたのだ(もちろん見るだけだけど)。サンパウロには様々な種類の遊べるお店が無数に存在するという。
8月(アウグスタ)通りには、比較的手ごろな値段のボアッチが数十件立ち並ぶ。入り口で入場料(5レアル=300円)を払って店内に入ると、日本のスナックのような雰囲気。黒人から白人、混血まで様々な人種の女性が待ち構えていた。僕が隣に座ったのは、鼻の筋が綺麗に通った白人女性。彼女はスペイン語も英語もまったくわからないという。ポルトガル語が全然しゃべれない僕は「旅の指差し会話帳」を取り出し、必死にコミニュケーションを試みた。しかし、彼女のテンションはかなり低く、さっぱり乗って来てくれない。会話はまったく弾まず、5分でお互い無言状態。日本のキャバクラであれば、彼女は絶対クビだなぁ。もちろん乗りのいい子もたくさんいるのだが、たまたま僕の隣に座った子はそうだった。
その後、師匠に連添って、お店を数件梯子してみた。お店によって雰囲気は相当異なり、クラブやバー風なところ、キャバクラ風なところありとバラエティーにとんでいる。
昼間から営業しているお店も何件かある。サンタ・クルスというデパートの奥の裏路地、ヘプブリカ広場のそば、アジア人街のリベルダージにもあるという。っていうか、何でそんなに詳しいんですか、師匠は?
話のタネに高級店にも顔を出してみる。僕らが行ったのは「KILT」(キウチ)。入場料は45〜55レアル。ボトルは最低270レアルもする。日本のキャバクラとほぼ同額。ブラジルの物価からするとかなり高級に違いない(もちろんもっと高い店もある。例えば「クラブフォト」は100レアル。セナやハリウッド俳優などが訪れたという超有名店)。
8月通りとは明らかに異なる高級感が漂う店内。ソファー席とバーカウンターに分かれ、100人ぐらいお客は入れるだろうか。ソファー席の前にはステージがあり、数人の女性がノリノリで踊っている。客層はスケベそうな中年男性ばかりでブラジル人、欧米人、駐在員のような日本人もいた。昨日の店と異なり、ここの女性たちは英語も通じるという。店内にいる女性に自分で声を掛けて、隣に連れてくるというシステムだった。愛想のいい女性とはきちんと言葉が通じなくても楽しい。日本でもブラジルでも大事なのは愛想に違いない!そして、このお店は、ただ見ているだけでも、まったく飽きさせない。ステージ上ではサンバにタンバリン、Hなショーが度々演じられていたし、店内にいる多人種のセクシーな女性たちを見ているだけでとても面白かったのだ。
日本では決して味わえないサンパウロの夜の経験。週末でなくとも、この街は毎日眠ることはない。なので、僕はここ最近、ずっと寝不足なんです。そして風邪をひきました。あとお金も続きませんです。ほどほどにしておきますです。はい。とにかく師匠はすごすぎますです。
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