1985/11/02 - 1985/11/16
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akricaさん
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初めての海外旅行。インド北部、ネパールを巡る2週間の旅。
20年以上前の記録。
最終回「デリーの風景」
インド・ネパールの旅、最後に訪れたのは首都デリー。
私たちは主にオールド・デリーを廻りました。現在、IT産業を中心に大躍進を続ける注目のインドですが、街の風景はこの20年以上前の風景と大差ないのではないでしょうか?
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首都デリー、インドの政治・ビジネスの中心地だけど、もちろん歴史的遺跡も見どころはとても多い。
でも、これまで各地で圧倒的なものを見せつけられ、当時の若い私はもうお腹いっぱい。ラールキラーやジャマー・マスジッド、クトゥブ・ミナールにも行った筈だけど、写真も記憶もあまり残っていないのです。
その分、デリーの日常風景をご覧ください。
写真はクトゥブ・ミナールの敷地内にそびえ立つチャンドラヴァルマンの鉄柱。柱を背にし、腕を後ろに回して手を組むことができれば、またここを訪れることが出来ると言われ、このとき私だけが出来たので、またそのうちインドに行けそうです。クトゥブ ミナールとその建築物群 史跡・遺跡
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移動中のバスからの光景。
すれ違ったバス。黄色と青緑がインドらしい色。 -
バスからの光景。
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こちらを見るドライバー。
ドアが開いているのは暑いからか。 -
すれ違うバスの窓からこちらを見る子供の目の輝き!
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スクーターが行く。
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二人乗り。
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国産化されたインドのべスパはインドらしい色。チョコレート色のべスパもあった。
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ショーウィンドー。
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アドバルーン?。
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デュワリ祭に関係あるのでしょうか?
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分かりやすいです。
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ここにも判りやすい表現が。街のあちこちに。
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インドの色はとても豊か。洗濯物も見ものです。
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ラール・キラーから続く、オールド・デリーの昔からの繁華街、チャンドニー・チョークを訪れた。
チャンドニー チョーク 散歩・街歩き
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チャンドニー・チョークの昼食風景。
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パン系の食べ物。
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昔の秋葉原なみの電気街があった。オタクもいるのだろうか?
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ハイトップ
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アジアの混沌と活気。
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街角のトイレ。女性が利用することもあるらしい。
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壁。
建材には牛のウンチも使われているらしい。 -
私たち観光客には周り全てがエキゾチックな絵のようでした。
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なんかきれいね。
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美しい壁と柱。
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リズミカルな窓。
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マリゴールド。
ホテルのチェックイン時にこのレイをもらうと、典型的ツーリスト気分で恥ずかしい。 -
石膏でできているかのような牛。
僅かな自由行動の時間に。
怪しげなインド人にあやしげなものを買わないかと声掛けられたもした。
ハンサムなマービン・ゲイみたいな男だった。
単独での旅行だったら、それこそ色々あるだろうな、と思った。私はまだきっと、醍醐味を知っていない。 -
インドでは誰でも子供の写真はとりたくなるでしょう。
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撮りたくなるでしょう。
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直立する子供が不思議。
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これは実は見本市会場だったと思う。
日本の晴海みたいな工業産業関連の見本市。その片隅にこんなところが。 -
同じく。
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こんな写真も撮ってたんだ、と思った唯一の写真。
旅の最後は感覚が麻痺してきていたかと。 -
帰国前、ホテルのロビー。
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ホテルにて。
旅の最初、トランジットのため、一時休憩で訪れたタジ・パレスに再び。
旅行記は以上です。
最初の最も強烈な海外旅行体験でした。
他の旅行記との大きな違いは人の写真が多いこと。食事の写真が皆無なこと、でしょうか。当時、海外まで行って料理の写真まで撮る、という雰囲気はあまり無かったかも。
インドにはまた行ってみたい。ヴァラナシにももう一度。でも、南インドとスリランカに憧れています。
見てくださって、ありがとうございました。
リカとアクリ
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