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4月6日いよいよ市外の砂漠を走り遺跡巡りへ。<br />シルクロードについてあまり詳しくないが<br />これらの遺跡を回ると、多くの人がシルクロードを<br />追う旅をしたくなる理由が分かる気がする。<br />まさに「百聞一見にしかず」<br />気候、歴史、人情。奥深いぞ、敦煌!

嘉峪関・敦煌−敦煌編?

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2007/04/01 - 2007/04/07

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shayajia

shayajiaさん

4月6日いよいよ市外の砂漠を走り遺跡巡りへ。
シルクロードについてあまり詳しくないが
これらの遺跡を回ると、多くの人がシルクロードを
追う旅をしたくなる理由が分かる気がする。
まさに「百聞一見にしかず」
気候、歴史、人情。奥深いぞ、敦煌!

同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス
航空会社
中国東方航空

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  • 朝8時、砂漠ツアーに出発!<br />と思ったら今回ドライバーを務めてくれた付さん、<br />まずタイヤの整備に向かう。後で砂漠に出てから<br />その必要性はわかりましたが。<br />また私を朝ごはんにも連れて行こうと思っていて<br />くれたらしく、すでにホテルの前で済ませていた<br />私は申し訳なくなった。とにかく、いい人である。<br /><br />付さんが朝食を取った食堂の前でヤギに出会った。<br />人のことは言えないが、顔が間抜けで憎めない。

    朝8時、砂漠ツアーに出発!
    と思ったら今回ドライバーを務めてくれた付さん、
    まずタイヤの整備に向かう。後で砂漠に出てから
    その必要性はわかりましたが。
    また私を朝ごはんにも連れて行こうと思っていて
    くれたらしく、すでにホテルの前で済ませていた
    私は申し訳なくなった。とにかく、いい人である。

    付さんが朝食を取った食堂の前でヤギに出会った。
    人のことは言えないが、顔が間抜けで憎めない。

  • さ、改めて、出発!<br /><br />市内を出発して10分も経たないうちに、こんな<br />風景に。何もない…。風景も変わらないから<br />どこまで進んだのか判断するすべもない。<br /><br />としばらくすると行き先を示す、さして目立つ<br />わけでもない標識が置かれている。<br />ちょっとよそ見して見逃したら・・・とも思ったけど<br />あまりに周りに何もないので、自然とそんなもの<br />でも目につくのかも。

    さ、改めて、出発!

    市内を出発して10分も経たないうちに、こんな
    風景に。何もない…。風景も変わらないから
    どこまで進んだのか判断するすべもない。

    としばらくすると行き先を示す、さして目立つ
    わけでもない標識が置かれている。
    ちょっとよそ見して見逃したら・・・とも思ったけど
    あまりに周りに何もないので、自然とそんなもの
    でも目につくのかも。

  • 1時間以上走って、一つ目の遺跡、「玉門関」へ。<br /><br />素人知識で簡単に説明すると、シルクロードは<br />漢の時代(約2000年前)に開かれた。西安から<br />スタートし、今回敦煌に来る途中で通った安西<br />(瓜州)で分かれ、そして敦煌でさらにまた<br />2つに、合計3つのルートになる。そして敦煌から<br />出た2つルートの最初の関所が玉門関と後で行く<br />陽関。<br /><br />玉門関に着くと、何とも言えないオーラを感じる。<br />それをただの土の塊と言ってしまえば、それまで<br />だが、2000年も残っているということにその価値が<br />ある。

    1時間以上走って、一つ目の遺跡、「玉門関」へ。

    素人知識で簡単に説明すると、シルクロードは
    漢の時代(約2000年前)に開かれた。西安から
    スタートし、今回敦煌に来る途中で通った安西
    (瓜州)で分かれ、そして敦煌でさらにまた
    2つに、合計3つのルートになる。そして敦煌から
    出た2つルートの最初の関所が玉門関と後で行く
    陽関。

    玉門関に着くと、何とも言えないオーラを感じる。
    それをただの土の塊と言ってしまえば、それまで
    だが、2000年も残っているということにその価値が
    ある。

  • ここから先は西域で、そこを通るために関所で<br />何らかの手続きをしたはず。それならこの周りには<br />それをつかさどる人たちの生活の場があって、<br />小さな街のようになっていたかも。それに関所を<br />避けていく人がいないように、柵や塀のような<br />ものがこの周りにはあったかも・・・と想像しだすと<br />おもしろい。

    ここから先は西域で、そこを通るために関所で
    何らかの手続きをしたはず。それならこの周りには
    それをつかさどる人たちの生活の場があって、
    小さな街のようになっていたかも。それに関所を
    避けていく人がいないように、柵や塀のような
    ものがこの周りにはあったかも・・・と想像しだすと
    おもしろい。

  • ここからの景色がまたすごい。<br />写真には写り切らないが、手前は沼地のように<br />なっていて、その先には平たい山が広がる。<br />

    ここからの景色がまたすごい。
    写真には写り切らないが、手前は沼地のように
    なっていて、その先には平たい山が広がる。

  • 続いて玉門関から4kmの漢代の長城へ。<br /><br />漢代は匈奴という民族の侵攻が悩みの種で、<br />その対策として造られたそうだ。<br />ここでは敦煌遺跡存続の秘密を知ることができた。

    続いて玉門関から4kmの漢代の長城へ。

    漢代は匈奴という民族の侵攻が悩みの種で、
    その対策として造られたそうだ。
    ここでは敦煌遺跡存続の秘密を知ることができた。

  • ここの長城は石やレンガではなく、土・石と<br />草で層が重ねられている。

    ここの長城は石やレンガではなく、土・石と
    草で層が重ねられている。

  • 草・・・?<br />私:「何で昔の草が残っているの?腐らないの?」<br />付さん:「雨降らないもん。」<br />私:「!!!」<br /><br />そこで私、やっとわかった。この辺りの遺跡は<br />砂や土でつくられていて正直丈夫な造りとは<br />言えないのに、なぜ2000年も残りうるのか。<br /><br />つまりキーワードは「乾燥」。

    草・・・?
    私:「何で昔の草が残っているの?腐らないの?」
    付さん:「雨降らないもん。」
    私:「!!!」

    そこで私、やっとわかった。この辺りの遺跡は
    砂や土でつくられていて正直丈夫な造りとは
    言えないのに、なぜ2000年も残りうるのか。

    つまりキーワードは「乾燥」。

  • 「腐乱」する気候の中で育って、乾燥地帯に行った<br />ことがない私にとって、かなり衝撃だった。<br /><br />写真は2000年も残り続けている草のかたまり…。<br /><br />乾燥が時間を止めている場所。

    「腐乱」する気候の中で育って、乾燥地帯に行った
    ことがない私にとって、かなり衝撃だった。

    写真は2000年も残り続けている草のかたまり…。

    乾燥が時間を止めている場所。

  • これは長城の途中で置かれる烽火台。

    これは長城の途中で置かれる烽火台。

  • 玉門関に戻り、長城と逆方向に13km進むと<br />やはり漢代に軍需食糧倉庫として造られた<br />河倉城に到着。かなり大きい。<br /><br />

    玉門関に戻り、長城と逆方向に13km進むと
    やはり漢代に軍需食糧倉庫として造られた
    河倉城に到着。かなり大きい。

  • こんな大規模な倉庫をここにぽつんと<br />一つ造ったのか、それともやはりこの周り<br />にはいくつかの家もあったのか。<br />とにかく今は一つしか残っていないから<br />わからない。<br /><br />そういえばもう一つ気になる話を聞いた。<br />清の時代かその辺りに敦煌を全く管理して<br />いない時代があったそうだ。考えてみると<br />敦煌が北京のように近現代の重要都市<br />になっていたら、これらの遺跡も外国に<br />破壊されていたかもしれない。皮肉なことに<br />乾燥・水不足という生活上の困難や不便を抱えた<br />砂漠の中の遺跡だからこそ、2000年も残れた<br />のかも。(無知の勝手な想像です。)<br />もちろん莫高窟の芸術品が外国人に持ち去ら<br />れたり、既に消失されている遺跡もきっとある<br />ことは忘れてはいけないのですが。

    こんな大規模な倉庫をここにぽつんと
    一つ造ったのか、それともやはりこの周り
    にはいくつかの家もあったのか。
    とにかく今は一つしか残っていないから
    わからない。

    そういえばもう一つ気になる話を聞いた。
    清の時代かその辺りに敦煌を全く管理して
    いない時代があったそうだ。考えてみると
    敦煌が北京のように近現代の重要都市
    になっていたら、これらの遺跡も外国に
    破壊されていたかもしれない。皮肉なことに
    乾燥・水不足という生活上の困難や不便を抱えた
    砂漠の中の遺跡だからこそ、2000年も残れた
    のかも。(無知の勝手な想像です。)
    もちろん莫高窟の芸術品が外国人に持ち去ら
    れたり、既に消失されている遺跡もきっとある
    ことは忘れてはいけないのですが。

  • 河倉城の横にあった壁に近づいて見るとやっぱり<br />土で固められていた。触ってみると表面は硬い。<br />

    河倉城の横にあった壁に近づいて見るとやっぱり
    土で固められていた。触ってみると表面は硬い。

  • 昔は河のふもとに造られたそうだが、今は遠くに<br />浅い川が見えるだけ。地面も乾燥している。

    昔は河のふもとに造られたそうだが、今は遠くに
    浅い川が見えるだけ。地面も乾燥している。

  • 玉門関一帯を後にして、また1時間以上走り<br />もう一つのルートの関所、陽関へ。<br /><br />これだけ車で走るほど離れているということは<br />その時代の敦煌は大きな都市構造だったのかあ。<br />それとも砂漠地帯だからしょうがなかったのかな。<br /><br />この辺では車も壊れるのが早そう。

    玉門関一帯を後にして、また1時間以上走り
    もう一つのルートの関所、陽関へ。

    これだけ車で走るほど離れているということは
    その時代の敦煌は大きな都市構造だったのかあ。
    それとも砂漠地帯だからしょうがなかったのかな。

    この辺では車も壊れるのが早そう。

  • ちょっと遠いですが、これが陽関関所の烽火台。<br />でもここの見所はこれではない。

    ちょっと遠いですが、これが陽関関所の烽火台。
    でもここの見所はこれではない。

  • ずばり、ここからの景色。壮大。<br />ゴビ砂漠が見える。<br /><br />唐の時代、王維が詩で<br />「西、陽関を出ずれば故人無からん」と詠み<br />友人との別れを惜しんだというが、この先に行けと<br />言われたら、友達や家族ともう会えないかもと<br />思えてしまう。<br />ここから出発して新疆に入る道は過酷で、古代道端<br />に人の亡骸がよく見かけられたと陽関を案内して<br />くれたガイドさんは言っていた。<br /><br />やっぱりここの景色は実際に見ないと分からない。

    ずばり、ここからの景色。壮大。
    ゴビ砂漠が見える。

    唐の時代、王維が詩で
    「西、陽関を出ずれば故人無からん」と詠み
    友人との別れを惜しんだというが、この先に行けと
    言われたら、友達や家族ともう会えないかもと
    思えてしまう。
    ここから出発して新疆に入る道は過酷で、古代道端
    に人の亡骸がよく見かけられたと陽関を案内して
    くれたガイドさんは言っていた。

    やっぱりここの景色は実際に見ないと分からない。

  • 陽関を出てすぐのところに農家が並んでおり<br />食堂を開いている農家もあった。<br />そこでお昼。<br /><br />付さんはここで車を洗い始めた。きれい好き<br />らしく、なかなか終わらない。帰り道で<br />また砂漠を走るのに…。

    陽関を出てすぐのところに農家が並んでおり
    食堂を開いている農家もあった。
    そこでお昼。

    付さんはここで車を洗い始めた。きれい好き
    らしく、なかなか終わらない。帰り道で
    また砂漠を走るのに…。

  • そこで私は農家を写真撮影をして過ごすことに。<br />きれいな小川がある。

    そこで私は農家を写真撮影をして過ごすことに。
    きれいな小川がある。

  • この辺りは葡萄生産が盛んらしい。<br />まだ時期ではないので、畑しか見られなかった。<br /><br />付さんは会う人会う人、私がなに人に見えるか<br />聞いて回る。みんな「中国人だろ」と言うから<br />そこでうれしそうに「彼女は日本人だ」と言うのを<br />今回の旅行中、何回聞いたことか…。

    この辺りは葡萄生産が盛んらしい。
    まだ時期ではないので、畑しか見られなかった。

    付さんは会う人会う人、私がなに人に見えるか
    聞いて回る。みんな「中国人だろ」と言うから
    そこでうれしそうに「彼女は日本人だ」と言うのを
    今回の旅行中、何回聞いたことか…。

  • やっと出発し、市内へ向かう途中にある西千佛洞へ。<br />これは莫高窟の西に位置する石窟。

    やっと出発し、市内へ向かう途中にある西千佛洞へ。
    これは莫高窟の西に位置する石窟。

  • 石窟は公開していない様子。莫高窟より破損が<br />進んでいるというが、中が見れないので確かめ<br />られない。

    石窟は公開していない様子。莫高窟より破損が
    進んでいるというが、中が見れないので確かめ
    られない。

  • それよりも、西千佛洞の奥にあった河辺の景色は<br />見る価値あり!!この時期は水が少なく、河と<br />呼べるか分からないが、迫力のある岸壁を前に<br />河辺にはきれいな石も落ちていて、楽しく<br />過ごした。<br /><br />

    それよりも、西千佛洞の奥にあった河辺の景色は
    見る価値あり!!この時期は水が少なく、河と
    呼べるか分からないが、迫力のある岸壁を前に
    河辺にはきれいな石も落ちていて、楽しく
    過ごした。

  • 夕方に行ったのもよかった。

    夕方に行ったのもよかった。

  • 付さんです。(写真公開したら怒るかな。)<br /><br />

    付さんです。(写真公開したら怒るかな。)

  • 石を拾ってきた。<br />「それ以上荷物を増やすな」と言われ、4個で<br />あきらめた。(私はいつも荷物が多すぎるタイプ)<br />

    石を拾ってきた。
    「それ以上荷物を増やすな」と言われ、4個で
    あきらめた。(私はいつも荷物が多すぎるタイプ)

  • 最後に敦煌古城へ。<br />つまり映画村、日光江戸村といったところ。<br />

    最後に敦煌古城へ。
    つまり映画村、日光江戸村といったところ。

  • 翌日から中央電視台のドラマ「神探狄仁杰」の<br />撮影が始まるそうで、撮影スタッフが必死で<br />準備をしていた。<br /><br />すでに撮影現場という感じで、観光地では<br />なくなっていた。だったら休館にすればいいのに。<br />

    翌日から中央電視台のドラマ「神探狄仁杰」の
    撮影が始まるそうで、撮影スタッフが必死で
    準備をしていた。

    すでに撮影現場という感じで、観光地では
    なくなっていた。だったら休館にすればいいのに。

  • プロのスタッフは大忙しで、何か聞いても<br />面倒くさそうに相手にしてくれない・・・。<br /><br />

    プロのスタッフは大忙しで、何か聞いても
    面倒くさそうに相手にしてくれない・・・。

  • これは作り物。<br /><br />ということで砂漠ツアーはここまで。<br />ホテルまで送ってもらい、付さんに車代を<br />払って部屋に入ると、しばらくしてホテルロビー<br />にいた付さんから呼び出しが。<br />夜の敦煌を案内してくれるという。ということで<br />夜市の辺りのお土産屋さんや屋台が並ぶところを<br />ふらつき、面(名前を忘れた!)をごちそうに<br />なり、さらにはらくだの人形を買ってくれた。<br />私は自分でも夜光杯の一番安いものを購入。<br />敦煌を遊びつくし、現地の人とも楽しく過ごした<br />一日だった。

    これは作り物。

    ということで砂漠ツアーはここまで。
    ホテルまで送ってもらい、付さんに車代を
    払って部屋に入ると、しばらくしてホテルロビー
    にいた付さんから呼び出しが。
    夜の敦煌を案内してくれるという。ということで
    夜市の辺りのお土産屋さんや屋台が並ぶところを
    ふらつき、面(名前を忘れた!)をごちそうに
    なり、さらにはらくだの人形を買ってくれた。
    私は自分でも夜光杯の一番安いものを購入。
    敦煌を遊びつくし、現地の人とも楽しく過ごした
    一日だった。

  • 最終日7日の午前はゆっくりホテルで過ごし、<br />昼から日本人旅行者の間で有名な、旅人の家<br />と書かれた食堂(飛天賓館側)へ行き<br />日本人のメッセージが書かれたノートを見せて<br />もらい、二日酔いをビールという薬(!)で<br />治そうとしている隋さんに話し相手になって<br />もらった。宿泊先など決めずに敦煌に行かれたり<br />中国語が苦手な方はまず彼のお店を訪ねるのも<br />いいかも。<br /><br />その後お世話になった付さんの奥さんのお店へ<br />行った。面を作ってもらい、二人でしばらく<br />おしゃべりをしていると、付さんがわざわざ<br />仕事を抜けてきて、私を空港まで送ってくれた。<br />「北京に着いたら、さらには帰国しても<br />連絡するように」という暖かい言葉をくれて、<br />本当にいい人たちに出逢ったなぁと思った。<br />空港の搭乗ゲート前で座っている間、敦煌での<br />いろいろな思い出に浸っていた。

    最終日7日の午前はゆっくりホテルで過ごし、
    昼から日本人旅行者の間で有名な、旅人の家
    と書かれた食堂(飛天賓館側)へ行き
    日本人のメッセージが書かれたノートを見せて
    もらい、二日酔いをビールという薬(!)で
    治そうとしている隋さんに話し相手になって
    もらった。宿泊先など決めずに敦煌に行かれたり
    中国語が苦手な方はまず彼のお店を訪ねるのも
    いいかも。

    その後お世話になった付さんの奥さんのお店へ
    行った。面を作ってもらい、二人でしばらく
    おしゃべりをしていると、付さんがわざわざ
    仕事を抜けてきて、私を空港まで送ってくれた。
    「北京に着いたら、さらには帰国しても
    連絡するように」という暖かい言葉をくれて、
    本当にいい人たちに出逢ったなぁと思った。
    空港の搭乗ゲート前で座っている間、敦煌での
    いろいろな思い出に浸っていた。

  • 15:30発のフライトで北京へ。<br />甘粛省での7日間の旅行から帰宅の途に着く。

    15:30発のフライトで北京へ。
    甘粛省での7日間の旅行から帰宅の途に着く。

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この旅行記へのコメント (1)

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  • こまちゃんさん 2010/09/14 13:07:10
    神探狄仁杰
    梁おじさん主演の狄仁杰、結局3シーズンまで撮影しましたね。
    みんなは「シーズン4もやろう」と言うノリだったのですが、梁おじさんが、
    「・・・・・」だったそうです。彼の台詞、橋田壽賀子のドラマなみに
    長すぎますよね。^^

    残念な報告です。。。
    こまは今敦煌にいますが、金城牛肉面が閉店していました・・・
    近所のおっちゃんに聞いたら、「早就関門了哦(敦煌のイントネーション)」。
    他に美味しいと言われる店を回ってみましたが、金城が良すぎて足下にも及びません。
    電話番号をロストしてしまったので、連絡してみる事も出来ず。。。
    残念・・・(;;
    (こまの個人HPに書いているのですが、大陸からのアクセスが出来なくなっちゃいました…)

     こま

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