2007/03/17 - 2007/03/17
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glabraさん
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東海道53次の宿場町の桑名は城下町でもあります。「桑名城址」には堀の跡が残っていますが、三の丸の東海道の七里の渡し乗場の近くに、櫓が再建されていました。
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駐車場に車をとめて回りを見渡すと、銅像がありました。
本多忠勝像だそうです。本多忠勝は桑名藩の初代藩主です。 -
桑名城址(現在は九華公園)の地図です。
堀のあとが一部残っているのが分かります。 -
堀の跡です。石垣は昔のものではない感じです。水堀の水だけが池となって残っている感じです。
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一番奥に見える建物が三の丸跡に再建された櫓です。あとでこの櫓にも行きました。
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池には橋がありました。昔はどんな感じだったのでしょうか?それにしてもこの水堀は幅がありすぎるような気がします。
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「陸の間に水堀がある」かんじではなく「池の中に陸がある」感じです。
向こうの水堀とこちらの水堀が水路で結ばれて、その上に橋が架かっていました。 -
辰巳櫓跡
ここに書いてある案内をようやくすると、
「早くに焼失した天守閣に代わり、桑名城の象徴的建物だったが、戊辰戦争で降伏した時に、見せしめに焼き払われた」
幕末の桑名藩主は松平定敬、会津藩主の松平容保とは実の兄弟(尾張家の分家の高須藩の出)で、2人は共に「賊軍」として戦ったわけです。桑名藩は藩主が留守の間に「官軍」に降伏しました。 -
本丸跡にある神社です。この境内に天守跡があるそうです。
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天守閣は神社境内のこのあたりにあったそうです。
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東海道の七里の渡しの近くの三の丸には櫓(正確には櫓様建築物?)が再建されています。
再建された「櫓」を陸側から写真を撮りました。 -
こちらは反対側の海側からの写真です。
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手前は揖斐川、その奥にあるのが長良川です。正面にある建物は有名な?長良川河口堰です。
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東海道 七里の渡しの乗り場
京都と江戸を結んだ東海道はここ桑名宿から名古屋の宮宿まで海(と川)の上を船で移動しました。
ここも現在整備のための工事中でした。
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