2000/05/28 - 2000/05/28
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4nobuさん
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朝の散歩で河岸のフリーマーケットに寄り、冷やかしている内に南チロルの写真集を買ってしまった。写真集は重いのでその後の移動で苦労し、挙句にとうとう郵送する羽目に、しかし後にマインツで性懲りも無くまた同じような本を買う。
今回の旅でぜひ寄りたいところの一つトリアーへ列車で移動。トリアーの観光の後にモーゼル渓谷をレンタカーで下るように計画する。当初はこの谷を列車で訪れるつもりだったが鉄道路線が渓谷を外れるところがかなりあり不便な事がわかったのでレンタカーで周ることにする。
列車でトリアーに移動中に車窓からドライブでどこを訪れようかとチェックに忙しい。
トリアーのホテルに着いて荷物を解くと早速の観光に出かける。ホテルに入る時に入口に自転車が並んでいたのでフロントで聞くと無料で貸してくれると。
これでかなり散らばっているトリアーの観光場所を効率よく周ることができた。
トリアーは第2のローマとも言われる。ローマ軍の駐屯地としてローマ人によって建設されたドイツで一番古い町である。すなわちアウグスト皇帝が紀元前16年にここに住んでいたケルト人トゥレヴェロム族を征服した後に彼等を使って都市を建設し、町の名をアウグスタ・トゥレヴェロムとする。すなわちローマ文化の恩恵に浴した最初の町で、いわばドイツの奈良というところか。
4世紀には西ローマ帝国の首都となり、さらにドイツで最も古い司教座が設けられる。その後にゲルマン部族の圧力が大きくなって皇帝がミラノに退き、トリアーはフランク族の手中となる。9世紀にはカール大帝がここを大司教座に格上げする。後にトリアー大司教は(神聖ローマ帝国皇帝を選ぶ)選帝侯の一つにまでなる。中世を通じて権威を誇る選帝侯の所在地としてトリアーは栄えその当時の遺跡が各所に残り、世界遺産に指定された。
ドイツ人との横メシの時の話題として「ドイツお薦めの町は」と聞くと(居たところがルール地方で比較的近かったせいもあるが)インテリ人の大概がこの地、トリアーを挙げる。それにしても休日に出掛かるにはちょっと遠くて退職するまでには実現しなかった。
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コブレンツのモーゼル河畔のフリーマーケット。あいにくの雨だが、そんなに激しくもないので店は続けていた。この後しばらくして晴れる。ドイツのフリーマケットでは日本と違って本屋が多い。
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これもフリーマケットの様子。背後はエーレンブライトシュタイン要塞
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トリアーの市内地図です。関連する名所を記入しました。
黒の点線がローマ時代の城壁位置。赤の点線が中世の城壁位置。 -
ホテルはトリアーの正門と言えるポルタ・ニグラの反対側の(中世の城壁の)南端に相当する所にある。(前図参照)
従って観光は南端に近いこの皇帝浴場カイザーテルメンから始める。前図に赤線で示す中世の城の地域はローマ時代に比べるとかなり狭くなって、かっては城内であったこの浴場が城壁の南東のコーナーとなりローマ時代の浴場はこの写真のように城壁と砦として利用された。円弧の部分はかっては温水浴場を取り巻いていた円形の建物の一部である。 -
円弧の建物に近づく。レンガと石材が交互に積まれそのパターンが美しい。
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円弧の壁の中側は複雑な構造で、さらに後方にはさまざまな目的の地下の部屋が地下通路とともにある。
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先ほど説明した建物の背後の模様。この芝生の下にも複雑な通路と部屋が迷路のように連なっている。ここには写ってないが背後には運動用の広場もある。
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外側から眺める。
この浴場はローマにある2つの浴場と共にローマ時代の3大浴場といわれる規模である。 -
ローマ時代の城壁の東門と守りの要をかねて円形劇場アムフィテアターがある。その想像図が入口にあったのを写す。当時は2万人収容できたそうだ。
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元観客席だった所は現在は芝生となっている。中世に住宅用として石が持ち去られた結果である。一時はぶどう畑にもなったとか。
今はコンサートなどに使われその仮設備がみえる。地下は現在風に改造され、簡単な展示と劇場用の機材が収まっている。 -
向こうに外への通路が見えその外に劇場入口の建物が新しく作られている。またグランドには地下室への階段が見える。
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外への通路
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ラインラント博物館の展示。ここはラインとモーゼル流域の先史時代とローマ時代の遺物を展示してある。
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窓越しの中庭にも珍しそうな彫刻があるが内容は覚えてない。
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この彫刻の由来も?
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ラインラント博物館で時間を取りすぎたので隣の宮廷庭園を急いで横切り選帝侯宮殿の方へ行く。この庭園は噴水や彫刻がある。また宮殿の向こうにバジリカが見える。
このバジリカは歴代の選帝侯の城の一部で起源310年ごろに建てた宮殿の広間で、その後いろいろ変遷したが19世紀以降に元のルネッサンス様式が復元され、現在はプロテスタント教会になっている。
その手前の宮殿は1756年に政権を取ったフォン・ヴァルダードルフがこれまでのイメージを嫌い、全設備の改築を計画したが南翼のロココ宮殿の改築だけにとどまった。 -
選帝候宮殿。ロココ風のファサードの左右が非対象なのは20世紀戦後のバジリカの再建で宮殿の西翼部分が取り壊された結果だそうな。時間が無くて入らなかったが、ここの正面の階段が豪華だそうな。写真で見るとヴュルツブルグのレジデンツそっくりの雰囲気で、当時の流行とはいえノイマンの弟子ザイツの指揮で作られたためと勘ぐれる。
現在は群行政のオフィス -
大聖堂。建物は初期ロマネスク様式。内部はバロック装飾が支配的。ここには聖遺物のハイリゲ・ロック(聖なるスカート)や聖なる釘のケースなどがある。最近の科学的調査で世界の聖遺物のほとんどが否定されているがやはり一見の価値はある。
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ドイツで最も美しく古い広場の一つと言われているハウプトマルクト中央広場で演奏するアマチュアバンドを見入る変な衣装と行動の中年男性
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同じく変な中年
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マルクトの十字架の前で記念写真を撮るツーリスト。オットー大帝から史上開設権を与えられたのを記念して、また大司教の市場監督の権威を象徴する目的で大司教が957年に作らせた。ローマ時代に切り出し他の用途?の花崗岩の石柱を流用した十字架。
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彩色された人形で飾られたマルクトブルンネン(泉)もマルクトにある。背後の塔は儀シック様式の聖ガンゴルフ教会で、大聖堂が大司教の教会だったノン大使こちらは市民の教会。16世紀に建てられた塔はかって火の見櫓だった。
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ドライケーニゲンハウス(3人の王の家)キリスト今日で有名な東方三聖人を英知の象徴として屋号にした家。特異な装飾窓を持つ初期ゴシック様式の13世紀の家。元々は1階には窓が無く2階の右の細長い窓に梯子をかけて出入りした。防護上の理由らしい。このような家がいたるところにあったらしい。
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聖母教会だったか?
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ポルタ・ニグラ(黒門)。ローマ時代の城壁の北門でローマ時代の遺跡として最も重要で、トリアーのシンボルでもある2世紀末の建造物。
その名のとおりの黒い色は砂岩にこびりついた汚れに由来する。
他の建造物や城壁が石材の略奪で消えたのにこの門が残ったのはシラクーサ出身の隠者ジーメオンがここに住み着いていたためと言われる。 -
ポルタ・ニグラに住み着いていた隠者ジーメオンが聖人に列せられた後大司教が11世紀にこの門を覆いかぶさるように5層になる聖ジーメオン教会を作った。
19世紀にナポレオンの命でその追加物を取り除いて原形のローマ時代の城門が現れた。
左端に見える黄色のたてものは教会と同じ11世紀にできた修道院で現在は歴史博物館と観光案内所になっている。 -
よく見るとモルタルによる近代の修復の跡が見える
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別の修復箇所では隙間を埋めたブロック(レンガ?)が見えている。
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黒門の外側。砦としての堅固な構造と門としての装飾性を兼ねた構造がわかる。
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ちょうどこの広場で火事があり、ドイツと日本の消防活動の違いをじっくりと観察できた。
詳細は別に書きます。 -
広場からホテルのあるカイザー通りに帰る途中のカールマルクス通りにその名の由来のカール・マルクスの生家がある。今はマルクス博物館となっている。
ある人が世界史の冗談として、「カソリックでコチコチの街から宗教批判の最右翼、科学的社会主義のマルクスが生まれたこと」を上げている。私には(運命のいたずらというのか)この建物が2次大戦中はナチス系新聞社だったことを展示で見つけたのも思い出深い。 -
モーゼル河に架かるレーマーブリュッケ(ローマ橋)。2世紀に建設され現在までに3回作られた。通路は中世までは木製だった。
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レーマーブリュッケの橋脚7本のうち5本はローマ時代のもの。写真では違いが見えないが現場では判った。
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2世紀に聖女バーバラ地区にローマ帝国で3番目に大きい浴場を建造し数世紀にわたって実際に使われる。その後石材の盗みで地下部分の遺跡のみとなっていた。近年の調査でかっての栄華を示す発掘品が出てそれらはラインラント博物館に展示されている。
対照的にカイザーテルメンは本来の目的の浴場としては使われずじまいだった。
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この旅行記へのコメント (5)
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- とらいもんさん 2007/03/17 11:19:25
- ドイツ
- こんにちは
拝見させていただきました。
私の「ドイツ」は、戦時中までのドイツでした。
で、ドイツと言うと「戦争」に関係することばかりです。
モーゼルは確か「拳銃」ドレスデンは「爆撃機」だったらしい。
スイスお宅の私ですが、楽しく拝見できました。
ありがとうございます。
- 4nobuさん からの返信 2007/03/17 17:44:52
- RE: ドイツ
- とらいもんさん 今日は
いつもご高覧頂き有難うございます。
これからしばらくは2000年のドイツ旅が続きます。その次のスイスの報告は1998年のになりますが、恐らくは夏のドロミテ(の予定)の旅がすんでからの秋になりそうです。その節はどうぞご意見などを賜りたいです。
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- とんちゃん健康一番さん 2007/03/16 18:51:01
- 工事中でした。
- 4nobuさんへ
お久しぶりです。
私が2年前行った時、工事中でした。
懐かしいぃ〜♪
あぁ〜ドイツへ行きたいですぅ☆
- 4nobuさん からの返信 2007/03/16 23:07:13
- RE: 工事中でした。
- とんちゃん健康一番さん
ご無沙汰いたしております。ご訪問と投票有難うございます。
このトリアー行きは7年も前なのですが今写真と当時のメモを見てますと私もまたもう一度行けば当時より多少は知識も増えているので楽しいだろうなーと感じています。反対に加齢でミスも増えるでしょうが。
これから連載を続けますのでまたいらしてください。但し記憶を引き出すのと写真をスキャンするので遅れがちでご迷惑をお掛けしますがご容赦ください。
- wy1さん からの返信 2012/10/16 18:34:37
- RE: トリアー
- Trierへは14年前と7年半前に行っております。一回目は8月で大聖堂に学生のヴォランティアの案内があり、日本語は?なんてドイツ語で質問したら”Nein"でした。二度目は郊外の友人宅に2泊させてもらい、市内見学ツアーに参加しました。カイザーテルメンやマルクトも見ましたが。ガンゴルフ教会でしたっけ、中に入りましたよ。後、観光案内所で”Karl Marx”と言う名前の
”赤ワイン”を売ってました。本来モーゼルワインは”白”なんですがね。
2回目の時は、どうも大聖堂の前で司教に対する抗議活動?が行われていたようで、中には入りませんでした。その代わり、汽車紛いのバス?の街めぐりも遣りました。これですと、大聖堂裏の城壁の名残なども見られました。
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