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〜淀川・西国街道旅情への誘い〜<br /> 古くから舟運の隆盛と共に一大経済都市を築いた淀川・西国街道沿いの村々。淀の小船で風流に歌会を催す知識人。往時の人々の息吹きが淀川の風に乗って伝わる。烏丸家の法皮を着て農業に従事する上牧の村人達。西国街道を走り抜け法灯を守りき教線を広めた。名僧、傑僧。そして、天変地異と闘った祈りの社。諸人達の夢の跡がここにある。この淀川西国街道沿いの村々は豊富な歴史遺産が残る。哀愁の村々をじっくり歩いて来ました。<br /><br />コースの内容<br /> 藤原鎌足ゆかりの春日神社。信長の末裔が創建の源覚寺。菅公の哀愁溢れる春日神社。国家を憂う日親が創建の一乗寺。神仏習合神仏の遺産、畑山神社。淀川の旅情を味わい西国街道に明日を夢見た人々の往時を偲びたい。<br /><br />JR高槻駅 (10時20分)→東天川バス停(10時45分)→春日神社(東天川)→前島→源覚寺→鵜殿の葦の原碑→春日神社(上牧)→本澄寺→一乗寺→畑山神社→梶原バス停(13時36分)→JR高槻駅(14時00分)<br />

哀愁の淀川・西国街道旅情コース散策?

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2007/02/12 - 2007/02/12

431位(同エリア455件中)

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30

satoshi.s

satoshi.sさん

〜淀川・西国街道旅情への誘い〜
 古くから舟運の隆盛と共に一大経済都市を築いた淀川・西国街道沿いの村々。淀の小船で風流に歌会を催す知識人。往時の人々の息吹きが淀川の風に乗って伝わる。烏丸家の法皮を着て農業に従事する上牧の村人達。西国街道を走り抜け法灯を守りき教線を広めた。名僧、傑僧。そして、天変地異と闘った祈りの社。諸人達の夢の跡がここにある。この淀川西国街道沿いの村々は豊富な歴史遺産が残る。哀愁の村々をじっくり歩いて来ました。

コースの内容
 藤原鎌足ゆかりの春日神社。信長の末裔が創建の源覚寺。菅公の哀愁溢れる春日神社。国家を憂う日親が創建の一乗寺。神仏習合神仏の遺産、畑山神社。淀川の旅情を味わい西国街道に明日を夢見た人々の往時を偲びたい。

JR高槻駅 (10時20分)→東天川バス停(10時45分)→春日神社(東天川)→前島→源覚寺→鵜殿の葦の原碑→春日神社(上牧)→本澄寺→一乗寺→畑山神社→梶原バス停(13時36分)→JR高槻駅(14時00分)

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩

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  • 菜の花開花

    菜の花開花

  • 梅開花

    梅開花

  • 前島公民館<br />淀川の舟運経済を支えた礎<br />江戸期、船乗り場として栄え、淀川の舟運経済を興隆させた。高槻の山手の産物を牛に載せこの浜まで運んだという。また、洋峨亭という料理屋があり、当時のサロンの場として栄えた所で今の前島5丁目辺りであろうと言われる。前島には今も元門屋・丁場などの字名あり、当時を偲ばせる。高槻経済の興隆はここ前島浜から始まった。今は、忘れ去られたかのように民家も少なく、ただ、たんぼの中に病院や中高等学校がぽつんとあり、寂しげではあるが、それでも、淀川の堤の上はトラックや、ダンプカーが砂塵を撒いて行き交い、前島にある企業の力強さが感じられる。現在、前島浜や船乗り場は正確に確認出来ないが、往時を偲んでゆっくりと、歩くのも楽しい。そして、堤に上がり淀川からの対岸の景色を見るのもよい。

    前島公民館
    淀川の舟運経済を支えた礎
    江戸期、船乗り場として栄え、淀川の舟運経済を興隆させた。高槻の山手の産物を牛に載せこの浜まで運んだという。また、洋峨亭という料理屋があり、当時のサロンの場として栄えた所で今の前島5丁目辺りであろうと言われる。前島には今も元門屋・丁場などの字名あり、当時を偲ばせる。高槻経済の興隆はここ前島浜から始まった。今は、忘れ去られたかのように民家も少なく、ただ、たんぼの中に病院や中高等学校がぽつんとあり、寂しげではあるが、それでも、淀川の堤の上はトラックや、ダンプカーが砂塵を撒いて行き交い、前島にある企業の力強さが感じられる。現在、前島浜や船乗り場は正確に確認出来ないが、往時を偲んでゆっくりと、歩くのも楽しい。そして、堤に上がり淀川からの対岸の景色を見るのもよい。

  • 梅が綺麗に咲いていました

    梅が綺麗に咲いていました

  • 織田信長の末裔・日通が開山<br />江戸時代中期前の日蓮宗の寺院。 開山の日通は織田信長の末裔。石躰高祖日蓮大菩薩は厄除けの祖師と言われ火難・水難除けの祖師像として子安鬼子母神尊は「子授け」「子育ての神」として信仰を集めた。淀川の堤に上がると、当寺の全貌が見える。立派な門構え、勇壮な本堂――。淀川の舟運経済の興隆と共に殷賑を極めた往時の村々のお寺参りの一番寺として、躍動した日々の残影が今に感じられる。淀川前島の文人サロン・洋峨亭、文人墨客が寄り合い風流を好んだといわれるが、ここ源覚寺にも昭和に入って歌会を催した足跡があり、その様子が偲ばれる。また、高槻藩の重鎮で詩、書共に優れ、軍事、財務にも秀でており、かつ、藤井竹外の門弟を集めて結成した「竹外吟社」のリーダーでもあった碩学、高階春帆が記したであろう掛け軸や、佐久間象山ゆかりと思われる書跡も残存している。人々は、ここを中継地にして、行き交った。病を祈祷で治癒し、安産帯を授かる往時の人々の暮らし振りが、見えてくる。

    織田信長の末裔・日通が開山
    江戸時代中期前の日蓮宗の寺院。 開山の日通は織田信長の末裔。石躰高祖日蓮大菩薩は厄除けの祖師と言われ火難・水難除けの祖師像として子安鬼子母神尊は「子授け」「子育ての神」として信仰を集めた。淀川の堤に上がると、当寺の全貌が見える。立派な門構え、勇壮な本堂――。淀川の舟運経済の興隆と共に殷賑を極めた往時の村々のお寺参りの一番寺として、躍動した日々の残影が今に感じられる。淀川前島の文人サロン・洋峨亭、文人墨客が寄り合い風流を好んだといわれるが、ここ源覚寺にも昭和に入って歌会を催した足跡があり、その様子が偲ばれる。また、高槻藩の重鎮で詩、書共に優れ、軍事、財務にも秀でており、かつ、藤井竹外の門弟を集めて結成した「竹外吟社」のリーダーでもあった碩学、高階春帆が記したであろう掛け軸や、佐久間象山ゆかりと思われる書跡も残存している。人々は、ここを中継地にして、行き交った。病を祈祷で治癒し、安産帯を授かる往時の人々の暮らし振りが、見えてくる。

  • 葦刈をしている25日に焼かれる

    葦刈をしている25日に焼かれる

  • 堤防にタンポポが

    堤防にタンポポが

  • 鵜殿の葦の原碑<br />上牧から前島までの大ヨシ原<br />高槻が誇る遺産。淀川右岸にヨシ原がある。上牧から前島までの間で長さ2.5km。最大幅0.4km、面積75haで甲子園球場の約1.8倍。ヨシ原に一端入るとそこはまるで”樹海”のよう。色あせた白い花の帽子をかぶりささやきあうように揺れるヨシ。雅楽の楽器の部品として今なお重宝される。淀川の堤防には「鵜殿霞の原碑」としてヨシ群が紹介されている。土佐日記や平家物語にも登場するこの鵜殿の地。また、「世のようと野に葦のよしとてもほに出けりな秋の夕暮れ」と詠んだのは、歌道を世襲する烏丸家の烏丸権中納言。鵜殿のヨシも雑草が生い茂り危機にさらされ、ヨシが生み出す芸術作品を作る地元の関係者も激減しているのが残念だ。なお、ヨシを守るために始められた風物詩ヨシ焼きは2月に行われる。

    鵜殿の葦の原碑
    上牧から前島までの大ヨシ原
    高槻が誇る遺産。淀川右岸にヨシ原がある。上牧から前島までの間で長さ2.5km。最大幅0.4km、面積75haで甲子園球場の約1.8倍。ヨシ原に一端入るとそこはまるで”樹海”のよう。色あせた白い花の帽子をかぶりささやきあうように揺れるヨシ。雅楽の楽器の部品として今なお重宝される。淀川の堤防には「鵜殿霞の原碑」としてヨシ群が紹介されている。土佐日記や平家物語にも登場するこの鵜殿の地。また、「世のようと野に葦のよしとてもほに出けりな秋の夕暮れ」と詠んだのは、歌道を世襲する烏丸家の烏丸権中納言。鵜殿のヨシも雑草が生い茂り危機にさらされ、ヨシが生み出す芸術作品を作る地元の関係者も激減しているのが残念だ。なお、ヨシを守るために始められた風物詩ヨシ焼きは2月に行われる。

  • 葦の広場でラジコンのヘリコプターを飛ばしていました

    葦の広場でラジコンのヘリコプターを飛ばしていました

  • 池で魚つりを楽しんでいます

    池で魚つりを楽しんでいます

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