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 あまりにも暖かいのでじっとして居られず、西国第24番札所、中山寺と西国22番札所、総持寺を参拝して来ました。<br /><br />紫雲山・中山寺<br /> 中山寺は山号を紫雲山と称する真言宗中山寺派の総本山で、西国三十三ヶ所観音霊場の第24番札所として知られている。<br />このお寺は、寺伝では聖徳太子が建立したとされるお寺で、古くは現在地の北の山腹にあった。しかし、寿永の乱や荒木村重の乱で兵火にあい、消滅したが、豊臣秀頼の命により、片桐且元の手になる諸堂が現在地に再建されている。<br />本堂には、ご本尊である国の重要文化財・十一面観音菩薩立像が安置され、また脇侍の2体の十一面観音菩薩と共に、これを祈願すると西国三十三ヶ所の観音霊場を行脚したのと同じ功徳があるとされている。この本尊は、インドの勝鬘婦人を写したものとされ、女性の苦難を救う菩薩として、「安産信仰」に欠かせない功徳があるといわれ、その御利益を求めて多くの妊婦の方々が訪れる。 <br /> また、毎年8月9日は、西国三十三ヶ所の観音様が全て星に乗って、この中山寺に集まると言われる「星下り祭り」の日で、梵天奉納などが行われ、大変な賑わいを見せる。

西国第24番札所、紫雲山・中山寺を参拝

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2007/01/30 - 2007/01/30

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satoshi.s

satoshi.sさん

 あまりにも暖かいのでじっとして居られず、西国第24番札所、中山寺と西国22番札所、総持寺を参拝して来ました。

紫雲山・中山寺
 中山寺は山号を紫雲山と称する真言宗中山寺派の総本山で、西国三十三ヶ所観音霊場の第24番札所として知られている。
このお寺は、寺伝では聖徳太子が建立したとされるお寺で、古くは現在地の北の山腹にあった。しかし、寿永の乱や荒木村重の乱で兵火にあい、消滅したが、豊臣秀頼の命により、片桐且元の手になる諸堂が現在地に再建されている。
本堂には、ご本尊である国の重要文化財・十一面観音菩薩立像が安置され、また脇侍の2体の十一面観音菩薩と共に、これを祈願すると西国三十三ヶ所の観音霊場を行脚したのと同じ功徳があるとされている。この本尊は、インドの勝鬘婦人を写したものとされ、女性の苦難を救う菩薩として、「安産信仰」に欠かせない功徳があるといわれ、その御利益を求めて多くの妊婦の方々が訪れる。
 また、毎年8月9日は、西国三十三ヶ所の観音様が全て星に乗って、この中山寺に集まると言われる「星下り祭り」の日で、梵天奉納などが行われ、大変な賑わいを見せる。

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車
  • 右の仁王さん<br /> 「山門」に安置されている仁王像を囲んでいる柵には奉納された多数の小さな「わらじ」が掛けられている。昔の西国巡礼は長く苦しい旅であったが、それに自分の足腰が耐えられるよう祈りを込めて「わらじ」を奉納する慣わしがあったといわれており、その考えの基本が交通の発達した現在でも踏襲されているのであろう。<br />

    右の仁王さん
     「山門」に安置されている仁王像を囲んでいる柵には奉納された多数の小さな「わらじ」が掛けられている。昔の西国巡礼は長く苦しい旅であったが、それに自分の足腰が耐えられるよう祈りを込めて「わらじ」を奉納する慣わしがあったといわれており、その考えの基本が交通の発達した現在でも踏襲されているのであろう。

  • 左の仁王さん

    左の仁王さん

  • 仁王門の天井

    仁王門の天井

  • 参道<br /> 山門から石畳の参道が真っ直ぐ本堂に通じており、参道の両側には塔頭寺院が並んでいる。

    参道
    山門から石畳の参道が真っ直ぐ本堂に通じており、参道の両側には塔頭寺院が並んでいる。

  • 右の仁王さんの裏側

    右の仁王さんの裏側

  • 左の仁王さんの裏側

    左の仁王さんの裏側

  • 境内案内板

    境内案内板

  • 鐘楼

    鐘楼

  • 地蔵堂

    地蔵堂

  • 本堂への石段<br /> 山門から本堂までの間に階段が二ヶ所あり、最初の階段を上がったところ右手に、震災後新築された「五百羅漢堂」が建っている。以前の「五百羅漢堂」は阪神大震災により壊滅的な被害を受けたようである。 <br /> 本堂から山門までの間にある二ヶ所の石段の横にはエスカレーターが設置されている。<br /> エスカレーターは震災後設置されたものであるが、震災前の中山寺を知る者にとって違和感がある。この寺に参拝する人々には妊婦、お宮参りの子供を抱いた両親などが多いので、たとえ短い階段であっても歩かないで済むように配慮した結果なのであろう。 <br />

    本堂への石段
    山門から本堂までの間に階段が二ヶ所あり、最初の階段を上がったところ右手に、震災後新築された「五百羅漢堂」が建っている。以前の「五百羅漢堂」は阪神大震災により壊滅的な被害を受けたようである。
    本堂から山門までの間にある二ヶ所の石段の横にはエスカレーターが設置されている。
    エスカレーターは震災後設置されたものであるが、震災前の中山寺を知る者にとって違和感がある。この寺に参拝する人々には妊婦、お宮参りの子供を抱いた両親などが多いので、たとえ短い階段であっても歩かないで済むように配慮した結果なのであろう。

  • 本堂前の石段下、「大黒堂」の横に「中山寺古墳」がある。この古墳は仲哀天皇の妃、大仲津姫の墓という言い伝えがあるというが、古墳が建造されたのは6世紀後半とされているから、大仲津姫の墓とするには時代が合わない。一方、この地方に勢力を誇っていた豪族の墓とする説もあるようで、こちらの説の方が真実味があるのではないかと思われる。

    本堂前の石段下、「大黒堂」の横に「中山寺古墳」がある。この古墳は仲哀天皇の妃、大仲津姫の墓という言い伝えがあるというが、古墳が建造されたのは6世紀後半とされているから、大仲津姫の墓とするには時代が合わない。一方、この地方に勢力を誇っていた豪族の墓とする説もあるようで、こちらの説の方が真実味があるのではないかと思われる。

  • この「古墳」は横穴式石室で、羨道の奥の玄室には「石棺」が安置されている。石棺はくり抜き式家形で、その大きさは幅約1m、長さ約1.8m、高さ約1.2mとされている。長谷寺を開き法起院に隠棲した徳道上人が仮死状態になったとき、冥土の閻魔大王から授かったという宝印を中山寺に埋めたという伝説があるが、それによれば、その宝印を埋めたのがこの「石棺」の中といわれ、約270年後に花山法皇によって掘り出されるまで、この「石棺」の中で眠り続けたとされている。花山法皇はこの宝印に基づき、西国三十三ヶ所を再興したとされているが、宝印がこの寺に埋められていたということから、かつて、この中山寺が西国霊場の第一番札所だったこともあるという。

    この「古墳」は横穴式石室で、羨道の奥の玄室には「石棺」が安置されている。石棺はくり抜き式家形で、その大きさは幅約1m、長さ約1.8m、高さ約1.2mとされている。長谷寺を開き法起院に隠棲した徳道上人が仮死状態になったとき、冥土の閻魔大王から授かったという宝印を中山寺に埋めたという伝説があるが、それによれば、その宝印を埋めたのがこの「石棺」の中といわれ、約270年後に花山法皇によって掘り出されるまで、この「石棺」の中で眠り続けたとされている。花山法皇はこの宝印に基づき、西国三十三ヶ所を再興したとされているが、宝印がこの寺に埋められていたということから、かつて、この中山寺が西国霊場の第一番札所だったこともあるという。

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