2007/01/14 - 2007/01/14
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ソフィさん
東海道新幹線の仕事をやるべく、東北の山奥から東京に赴任したのは、1960年(昭和35年)の春のことだった。
私が着任したときの東海道新幹線は、予算がないだけでなく、まだ技術的に検討しきれていない分野も、たくさん残っていた。
目だった問題としては、まず「パンタグラフの離線」である。
電車が高速で走るためには、たくさんのエネルギーを取り込まなければならない。
このエネルギーは、線路の上に張った電線(架線)を通じて、電車の上に取り付けられたパンタグラフから、モーターに取り込まれる。
だが、電線にいかに多くの電流を流しても、それが電車のモーターに達しない限り、エネルギーを与えたことにはならないのだ。
電車のスピードが速くなると、架線とパンタグラフの動きがばらばらになり、うまく集電が出来なくなる。
もうひとつ問題だったのが、電車の蛇行動だった。
電車のスピードが160キロを越えると、電車を支える台車が急に激しく蛇行を始める。
それをいかにすれば、止めることが出来るかの問題なのだ。
翌1961年初夏に、私はフランス政府給費留学で、パリに出発するが、そのころには国会も通って予算もつくようになり、技術的な基本問題も解決されて、前進が始まっていた。
しかしそれから解決さるべき用地買収の困難さを考えるとき、1964年のオリンピックまでの開業は至難と考えられていた。
当事者の私でさえ、そう思っていたのである。
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