2004/10/24 - 2004/10/24
1331位(同エリア1734件中)
arfaさん
出張で松本に行った際、野麦峠を目指しましたが台風で橋が流され途中の奈川村でおいしい新蕎麦をいただきました。
松本には女工博物館もあり、哀愁の歴史を今に語り継いでいます。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 新幹線 JR特急
PR
-
国道158号線を松本から西へ西へと。美しい紅葉の中に台風の大雨で崩れた沢が。
-
ここにも。
-
国道185号線は野麦街道を走っていますが途中で奥飛騨方面に分かれます。
-
紅葉に美しく彩られた梓湖。
-
映画「あゝ野麦峠」で女工たちが泊まった女工宿。古宿にまだ現存していましたが荒れてきています。
この道が当時の野麦街道。 -
ここも女工宿。
-
当時の野麦街道への入り口。こんな山の中を岡谷まで飛騨から若い娘さんが奴隷並みの待遇の繊維工場へ出稼ぎに来ていたんでしょうね。
-
少し前の台風で橋桁が流されて崩れた橋。
ここを通らないと野麦峠には行けないので諦めました。
ちょうどこの時期新蕎麦祭りをやっていて一軒目は売り切れ、2軒目でものすごい混雑の中、なめこそばをいただきました。絶品、すごく美味。実は信州に来て蕎麦を楽しみにしていたのですが松本市内では正直落胆していました。その分ここの奈川村の蕎麦は十分名誉回復。次回もこの時期に来て食べたいと思う味でした。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- kioさん 2008/05/05 22:21:34
- 思い出した事
- arfaさん こんばんわ ご無沙汰しています。
私の旅行記を宣伝していただいたようで
本当に恐縮です。(^-^;
さて<信濃訪問記>という文字に惹かれて
読ませて頂きました。
野麦峠を目指したんですね
女工哀史をルポルタージュとして綴った山本茂美の<ああ 野麦峠>は
明治から大正にかけて安価で劣悪な労働力と労働環境である意味 国を支えた
娘達の哀歓を綴っています。
19世紀末期に生まれ、22年前に亡くなった私の母方の祖母は
娘時代を飛騨から野麦峠を越えて諏訪の製糸工場で働いていた女工でした。
社会政策ゼミを専攻していた自分の卒論はこの祖母の娘時代を聞き書きし、
祖母の一人称という形で命を削るような時代を超えてきた若き日々を綴ろうと
何度も松本に出かけては祖母へのインタビューを重ねたのですが、
力量もなく、根気に欠け、形として残せませんでした。
もし ひとつの形<記録>として残せ、文章としても残せたなら、
そしてそれを祖母に読んで貰う事が出来たなら、
祖母孝行に成り得たのか、と、、ふと思います。
arfaさんの信濃訪問記をみせて頂き、色々な事を思い出してしまいました。
また寄らせて頂きます では では〜
- arfaさん からの返信 2008/05/05 23:23:01
- RE: 思い出した事
- kioさんこんばんは。
たった今、カシュガルより帰ってきました。スケジュールの限られるサラリーマンには一番辛い一日空港で過ごした挙句のフライトキャンセルなどあり、3日に絞り込んだ日程が実質2日となり満足のいく日程ではなかったですがシルクロードの空気をタップリと吸って帰ってきました。
>私の旅行記を宣伝していただいたようで本当に恐縮です。(^-^;
そんな大それたことはしていませんヨ、正直に素晴らしいと伝えただけです。
明日にも写真アップしますのでまた見てやってください。では失礼致します。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
松本(長野) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
8