1995/02/10 - 1995/02/13
128位(同エリア385件中)
worldspanさん
- worldspanさんTOP
- 旅行記661冊
- クチコミ5664件
- Q&A回答107件
- 2,341,645アクセス
- フォロワー334人
タクシーはどんどんスピードを上げ、キエフ市内からみるみる遠ざかっていく。お世話になるプライベートルームの彼女の家から市内に出るのもどうすれば良いのかもわからないまま、不安ながらにタクシーで向かった。そしてキエフの駅から車で30分以上も離れた団地に老婆の住まいがあった。タクシーで移動した為、今自分がキエフ市内の何処にいるのかも皆目見当がつかない。
老婆のアパートは十数階建ての八階、扉を開けると彼女の夫が出迎えてくれた。夫は私の顔を見ると「キータイ(中国人)?」少々驚きながら尋ねてきたが、「イポーニヤ(日本人)」と答えるとニヤッと「ハラショー」と中へ招き入れた。
夫婦は私のために暖かいチャイとパン、ウクライナ風のワカメスープをさっと仕上げ、自分に差し出した。キエフに到着するまでの間も含め、2月の寒い時期に14時間も食事をとっていなかった私の体は冷え切っていたので、彼女達夫婦の温かいもてなしは大変心に沁みた。
夫はテレビを指差し、「このテレビは日本のフナイ製だ。フナイは最高だ!」と言いながらテレビに近づきテレビを摩り始めた。そして直ぐ下の床にゴミのように置かれていた古びれたテレビを睨み、「ロシア製のクソテレビめ!」と足でド突いていた。テレビに当たる旦那の姿はまるで大国ロシアにでも当てつけているかのように感じる。何故ならウクライナは伝統的にはキエフルーシの正統継承国でありながらも、後に勃興したロシアに翻弄され続けた。そして念願の独立を達成したが、当時経済や資源もロシアに依存せねばならず、ウクライナ人にとりロシアは歯がゆい存在でもある。それにしてもウクライナでもmade in Japan 、Japan Brand の評価は大変高いのには驚くばかりだ。
お互い通じ合う言語のないにも拘らず、老夫婦は温かく私を迎え入れてくれ、ウクライナでの滞在が何とかスタートしたが、苦労の連続だった。その一つが、彼女の家がわからなくなり、迷子になってしまったことだ。老夫婦の家は地下鉄の終着駅から更にバスで郊外に向かった場所に位置する。全く始めて訪れた場所で、旧ソ連になれてない上、持っていた地図から外れた場所なので、地理感覚が全くわからずにいた。
老婆にキエフ市内への出方を教えてもらい、バスと地下鉄を乗り継いで市内まで出てみたは良いものの、復路地下鉄の終着駅に着いたときには日が沈んでしまい、往路でバスの中から覚えた景色が全く見えなくなってしまった。その為、バス停を数えながら降りたが、往路に停車したバス停数と異なっていたため、停留所を降りた場所は見たこともない場所だった。老婆から迷子になった時のためにと住所をもらっていたが、道を尋ねようにも日の暮れた停留所には人は殆ど見当たらない。2月初旬のキエフは非常に寒い。野宿なんてしたら凍死してしまう。どうすれば良いのか、この時私は本当に焦った。しかもバスも車も殆ど通らない。下手に歩いて道に迷ってしまったらそれこそ大変な事になるので、バス停付近で人が現れるのを待った。
30分もの間、暗闇の中待っていたが、不安だった。このまま車やバスが来なかったらどうしよう、この寒さをどうやって凌ごうか、そんな最悪の事態事ばかりしか頭に浮かばない。しかしそうこうしていると、遠くから若い男女の声がした。私は山で遭難している最中、救援者の声を聞いた気分、これぞ神の救いのように感じた。私はその声の方向へと走りよった。すると15歳くらいの2名の青年と、3名の少女が歩いて停留所に向かっていたのだ。私は彼女達に駆け寄ると、ロシア語の単語を並べたて、そして暗闇の中で、持っていたペンライトを照らしながら、老婆にもらった住所を見せ、ここに戻りたい事を必死で伝えた。そして更に幸運だった事に彼女達はこの私の滞在する住所の近くの住人だったことだ。私は彼女達に連れて帰ってもらう事となり、この時本当に彼らが天使のように見えてしまった。
バスに再び乗りなおし、アパートへと戻る時、彼らのうちの一人の少女はバスの揺れで右に左に前に後ろにフラフラしていた私が余りにも頼りなく見えたのだろう、私の腕をグイッと掴んできた。女子中学生とはいえ、既に大人っぽい魅力を出していた彼女に腕をギュッと組まれると、私もドキドキしてしまう。そしてバスを下車し、道を歩く時にも彼女は私の組んだ腕を引っ張りながら、「こっちの道よ」、「この先道に穴が開いてるから気をつけてね」と先導してくれた。まるでどちらが大人なのかわからない・・・。
何とか老婆のアパートに戻ることができたが、アパートの前まで来て、ようやく安堵し、そして親切な彼女達に感激した。彼女達と一人一人固い握手をしてアパートの前で別れたが、暫くの間彼女の腕のぬくもりと感触が自分の腕から消える事はなかった。
この他、キエフでは旧ソ連式のルールに常に困惑していたが、特に苦労したのが、列車のチケット購入だ。ベラルーシのミンスク駅では駅舎二階のチケット売場で難なく購入できたが、キエフ駅の切符売場では外国人の私に切符を売ってくれない。当時旧ソ連の主要駅では外国人は、CIS圏内の人達が購入するチケット売場では買う事ができず、インツーリストカッサに行かなければならなかった。これがミンスクのように駅舎にあれば問題いないのだが、キエフ駅にはこのインツーリストカッサがなく、カッサを町の何処にあるのか探さねばならない。
駅員に「カッサ」を尋ねても、返ってくる言葉の大半が「わからない」、運良く説明してくれる駅員に当たっても、ロシア語が全く分からぬ自分が容易に辿り着けるはずもなく、カッサを見つけることすらままならなかった。
インツーリストカッサが駅から真っ直ぐ道を歩き、突き当たりのビルにあることがわかるまでに、要領の悪い私はカッサを見つけるまでの段階で二時間以上も要したまった。
しかしカッサをみつければ切符を容易に買えるわけではない。カッサは行き先別に分かれ、それをまた見つけるのにも時間がかかる。そしてようやく見つけ、列に並んだかと思っても、カッサの係員のやる気のなさ、システム化されていないソフト面の問題で、僅か5人がチケットを買うために、有に一時間を超えて並ばなければならないことも多々ある。そしてようやく自分に順番が回ッた時、運悪く彼らの丁度休憩時間に差し掛かってしまおうものなら、人が待ってようとお構いなしにサッとブラインドを閉める。仕事は怠慢にも拘らず、休憩はピッチリと、しかも迅速にとるその根性にハラワタが煮えくり返り大変ストレスを感じる。
結局休憩一時間後にカッサは開き、切符を購入できたのは15時近く、切符を買うだけで一日の大半を費やしてしまった。その切符も間違いがなく発券されていれば腹の虫も治まるが、この切符が原因で、キエフを出発する時に揉めに揉めた。
キエフから寝台車でモルドバのキシニョフ迄のチケットを購入したわけだが、乗車する号車は印字されているにもかかわらず部屋番号(寝台番号)が漏れており、車掌に乗車を拒否されてしまったのだ。ビザの都合で絶対にウクライナを出国せねばならなず、車掌の制止を振り切り強引に乗り込み、車掌と険悪な雰囲気のまま、モルドバへと向かった。
これら自分の身に起こった事は経験があれば対応できることでであろうし、自らも認知していたが、いずれにせよ、自分の初めてのウクライナは最初から最後まで相性の悪さを感じた。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー ヒッチハイク
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
-
12世紀にモンゴルの襲来により破壊された黄金の門だそうです。
黄金の門 建造物
-
市内の中心、独立広場。
独立広場 広場・公園
-
大祖国戦争博物館。展示されているのはボーイングの模倣で作られたイリューシン
大祖国戦争博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
ミグ21。アメリカ映画で、悪役として登場することでおなじみでしたよね。
大祖国戦争博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
ミグ23。
-
遠くに見えるのはスカッドミサイルだそうです。
-
中距離核弾頭を搭載するSS40??
-
戦車が子供の遊び場になっているのは流石ですよね
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- babyananさん 2012/03/25 22:34:12
- ウクライナ旅行、大変でしたね!
- worldspanさん
先日は訪問&投票ありがとうございました!
worldspanさんのプロフィールを拝見し、凄く興味を持ち、更にタイトルに惹かれてウクライナの旅行記を拝見しました。
もともと中東欧方面に興味をお持ちだったようですね。
それに比べれば、私は旅行をするようになってからですが。。
でも、西欧も好きなのですが、「旅をする」と考えると東欧方面に凄く惹かれる方です。
ウクライナは行ったことが無いのですが、(いつか行きたいと思っているのですが。。)やはり旧ソ連関係の国や旧共和国主義の国々を訪れるときは少しドキドキします。
幸い、私は危険な目にあったことは無いのですが、ガイドブック読んでいると不安が↑ですからね。
worldspanさんが行かれていた90年代は、まだまだ旅行する人も少なく、情報も今以上に少なかった頃でしょうね。
でも。時々知り合うように、温かい人もいますよね!そういう方々と出会える時は、旅っていいな〜とおもいます。
突然、長々とすみませんw
また、他の旅行記にもお邪魔させていただきますね!
babyanan
- worldspanさん からの返信 2012/03/26 12:54:17
- RE: ウクライナ旅行、大変でしたね!
- babyananさん
コメントありがとうございます。
私が訪れたころのウクライナは一昔前なので、今とは全く変わっていると思うので、今はbabyananさんも気軽に行けると思いますよー!昔はビザが必要でしたし、ビザを取るのもインビテーションを取ったり、滞在するにも外国人登録をオビールという役所に届け出なかれ場ならなかったり、事由旅行が大幅に制限されている中での自由旅行だったので、本当に大変でした。ついてないことが頻繁に起こっては凹んでましたが、今となっては良い思いでです。また私も是非訪れてみたいナーと思います。
宜しくお願いします。
worldspan
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
worldspanさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
キーウ (キエフ)(ウクライナ) の人気ホテル
ウクライナで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ウクライナ最安
420円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
2
8