2007/01/07 - 2007/01/07
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井上@打浦橋@上海さん
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昔のフランス映画で「わが青春のマリアンヌ」ってのがありました。
監督は「望郷」の ジュリアン・デュヴィヴィエです。
ドイツの森と湖と古城が舞台の映画です。
そこにある寄宿学校の学生が古城に住むマリアンヌにあこがれると言う映画です。
私、この映画40年前にテレビで何回か見ました。
いや、そのマリアンヌに扮するマリアンネ・ホルトが裸になって湖で泳ぐ場面が見たくて、何度も見たんですが・・・。
40年前のテレビで裸なんてのは、滅多に見られませんでしたから、もう興奮してしまいましたね。
さて、その話は置いておきまして・・・・
「フアユアンファン」とは、「花園坊」のことなんです。
我が打浦橋から北に伸びる道・瑞金ニ路沿いにあります石庫門住宅ですね。
そして「わが青春の・・」の「わが」とは私のことではありません。
1940年代に、ココに住んでいました中国人女性のことです。
彼女は・・・・・・・・・・・
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1月6日、富山に住むSさんと言う方から私の4travelのブログのメールボックスにメールが届きました。
彼のお母様が上海で16歳まで住んでいた家を、私の散歩ブログの中で見つけたという訳です。
彼のお母様は上海人です。
当時住んでたところの名称は花園坊である、そして[花園坊]で検索を掛けたら、私の散歩ブログ「上海・10月の朝の復興公園」にぶち当たったということなんです。
ここに貼り付けました写真が、その花園坊です。
これは05年の10月16日の朝6時過ぎに撮ったものです。
その時写真に付けたコメントは・・・
花園坊と言う小区の朝の様子です。
まだヒッソリしています。
牛乳配達のリヤカー自転車が止まってました。
それにしても、マイカー所有の人が多いですね。
・・・・です。 -
花園坊でしたら、我が家の近くです、早速、写真を撮って来ましょうという事で、出かけたのが、1月7日の朝8時。
コレから紹介する写真が、その時、撮ったものです。
そしてその一部をSさんにメールで送り、全部を、4travelのブログにアップしますので、どうぞ画像を取り込んでくださいとお伝えしました。
まずは1月7日(日曜日)朝7時53分の新新里再開発の工事現場です。
花園坊は瑞金ニ路沿いにあります。
そして、その瑞金ニ路は私が住む打浦橋から北へ伸びる道でして、この新新里の西側沿いを走る道です。
この写真は徐家匯路の歩道橋から撮ったものですが、徐家匯路から北側地域が旧フランス租界地域です。 -
これは歩道橋から南側を見た風景です。
今でこそ、高層マンションが建ち並ぶスッキリ綺麗な住宅地域ですが、ほんの15年前は、上海で一番臭い所と言われていたとか・・・。
Sさんのお母様が花園坊に住んでいた頃(60年以上前)は、まず、お母様は、この地域に足を踏み入れたことは、絶対無かったはずです。
当時はフランス租界地域から見ましたら、川向こうの別世界、ドヤ街だったんでしょう。実際、徐家匯路は当時は水路が走っていまして、橋を渡らないと向こうへ行けなかったようです。そして、ここにあった橋が打浦橋ということなんでしょう。
さて右の高層マンションは鼎苑といいますが1?あたり33000元から37000元するそうです。
2LDK・100?で330万元から370万元と言うんですから日本円で4500万円から5000万円というところですね。
もう売り出してから、2年くらい経ちますが、売れてるのかなぁ・・・・なんか、全然、生活感が感じられないと言いますか、空き家だらけと言いますか・・・。 -
さて、歩道橋を下りて瑞金二路に出て、北へ行きます。
右側が新新里再開発工事現場です。 -
日曜日だと言うのに、新新里再開発工事現場は仕事です。
SUMITOMOとKOBELCOの建設機械が頑張っています。 -
瑞金ニ路です。
泰康路手前です。
右に見えます泰康路を行きますと、今、人気を集めだしています田子坊へたどり着けます。
日曜日の朝8時ですから、車も自転車も人も少ないです。 -
瑞金ニ路もこのあたりに来ますと、昔はフランス租界だったのかと思わせる雰囲気が漂ってきます。
瑞金ニ路という呼び名は解放後に付けられた名でして、フランス租界時代はRoute Pere Robertというフランス語名がついていまして、漢字名は金神父路だったそうです。 -
紹興路手前あたりです。
-
これが紹興路です。
瑞金ニ路を東端、陝西南路を西端とする短い道です。
出版社や画廊や洒落たカフェなどもあるなかなか趣のある道です。
フランス租界時代の呼び名はAvenue Victor Emmanuel ?です。 -
永嘉路手前あたりです。
向こうの煉瓦壁の建物もなかなかイイです。
朝陽を受けた部分が鮮やかです。 -
これが永嘉路です。
フランス租界時代の呼び名はRoute Herve de Sieyesです。
街路樹に梯子が何本か立掛けられています。
何が始まるんでしょうか・・・。 -
瑞金ニ路を更に北に行きます。
左側が瑞金賓館の敷地です。
右側が瑞金医院の敷地です。
瑞金医院は昔はST.MARIE HOSPITALと言いました。
このあたりは5月から10月までは緑のトンネルになります。 -
ということで、緑のトンネル状態を披露します。
05年の8月8日です。 -
更に瑞金ニ路を北へ行きます。
-
瑞金賓館側の歩道へ行き、振り返りました。
右側が瑞金賓館の敷地です。 -
ほぼ同じ位置から写した夏の風景です。
05年7月4日です。 -
また07年の1月7日に戻ります。
瑞金ニ路を更に北へ行きます。
目指す花園坊が右向こうに見えてきました。 -
もうスグ復興中路です。
復興中路のフランス租界時代のフランス名はLue Lafayetteです。
漢字表記は辣斐徳路です。
この復興中路手前の左の一帯には昔、三井物産の社宅があったようです。
60年以上前、花園坊に住んでいましたSさんのお母様の記憶によりますと、このあたりに桜の木が3000本植わっていたそうです。
もしかしますと、その桜の木はこの三井物産社宅の周辺にあったのかもしれません。 -
復興中路手前まで来て、瑞金ニ路を振り返りました。
向こうが南です。 -
また南に戻り花園坊まで来ました。
さて、中に入ってみましょう。
当時も道路沿いには店があったんでしょうが、様相は、勿論、相当変わってしまったでしょうね。
今は、コンビニなどもあるんですから。 -
やはり車持ちが多いようです。
朝ですから、まだヒッソリしています。 -
黒板報専欄といったこういうものは昔は無かったのかと想像します。
共産中国になってから生まれたものなのでしょう。
でも、今は定着していますね。
何が書かれてるんでしょうか・・・
左は疲労回復法なんでしょうか・・・
右は可愛的・上海人・・応有的精神風貌と書かれてますね。 -
HONDAの車と洗濯物です。
-
少し奥に入り振り返りました。
向こうに見えます、高層ビル2つのうち、左の金色っぽいのが瑞金大厦、右手前の銀色が民坊大厦です。
昔、三井物産の社宅は民坊大厦の敷地にあったようです。 -
陽が当たってる3階部分だけに、洗濯物が干されています。
-
コレは南北に走る通路です。
その両脇にも3階建て長屋が並びます。 -
通路の奥では、野菜を路盤に並べて売っていました。
朝のこの時間だけなのか、昼間もココで売ってるんでしょうか。 -
洗濯物があると撮りたくなります。
-
この花園坊はいつ頃できたものなのか・・・
1932年頃には、作家たちが数人ここに住んでいたらしいです。
中国のサイトで検索しましたら、黄源とか徐懋庸とか曹聚仁といった文人が住んでいたとか。
いずれも、私ははじめて聞く名ですけど。
ということで1920年代末頃に出来たのかもしれません。 -
文人作家が住んでいたと言うくらいですから、当時としては高級な集合住宅だったんでしょう。
そもそもフランス租界には、なかなか中国人は住めなかったのかと想像します。
地位が高い人達しか住めなかったかと・・・。
Sさんのお母様の話ですと、当時、既に水洗トイレがあったというのですから、高級住宅だったんでしょう。
風呂もあったのかもしれません。 -
今、ぶら下げられたばかりの洗濯物です。
水も滴る・・・ナントカ・・じゃないですが、しずくがボタボタ。
あまり絞らないんでしょうね・・・生地が傷むから・・・・。
しかし、こういったのが歩道上に干されてることありまして、しずくを頭に受けたこと百余回。 -
さて、瑞金ニ路の出口へ向かいます。
その前に空を見上げました。
真っ青です。
右の高層ビルが民防大厦。
この敷地に、昔、三井物産の社宅があり、その庭園には桜の木が3000本植わっていたのかもしれません。
Sさんのお母様は、60年以上前花園坊の近くに桜の木3000本があった、と言われてますので・・・。 -
瑞金ニ路に出まして、南に向かい帰路につきます。
このあたりが瑞金ニ路の中でも、一番好きな道並みです。
右の瑞金賓館、左には瑞金医院。
日曜の朝ですから、車も人も少ないです。 -
永嘉路です。
街路樹の枝落とし作業の開始です。 -
さて、ここで話はシンガポールに移ります。
これはシンガポールに有ります聖アンドリュース教会です。
http://www.i-wanna-travel.com/r1-singapore01.html
によりますと・・・・
シティ・ホールの北にあるゴシック様式の白亜の教会です。英国国教会の教会として1836年に創建されましたが、現在のものは1861年に再建されたものです。建国に貢献した名誉市民たちが祀られています。
・・・・・となっています。
Sさんのお母様とお父様の出会いはシンガポールなんです。
そしてこの聖アンドリュース教会が、イロイロな意味で重要な位置を占めてるようです。
【注】この写真は日本アセアンセンターの壁紙コレクション・シンガポール
http://www.asean.or.jp/tourism/kabegami/singapore.html
から、お借りしました。 -
これは聖アンドリュース教会の内部です。
【注】この写真は4travelのぬいぬいさんのシンガポール旅行記
「マリーナ&シティホールエリア」
http://4travel.jp/traveler/kincyan/album/10115382/
からお借りしました。
Sさんのお母様の青春時代の話、お父様との出会いの話、そして聖アンドリュース教会でのことなどは、Sさんから送られてきたメールをご覧ください。これはSさんが、私の散歩ブログ「上海・10月の朝の復興公園」で花園坊を見つけて、私に送ってきたメールです。一部ぼかして掲載します。
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私の母親は花園坊に両親兄弟と16歳まで暮らしてました。そして、その後は、親元を離れ、香港のミッションスクールで寄宿生活。
あるとき、シンガポールの華僑に嫁いだ姉のもとに、上海の父親から託された手紙を携えてシンガポールに・・・・。しかし、日本軍が攻め入ってきて帰れなくなったそうです。その日本軍の中に、私の父がいました。父は陸軍の応召将校でして、戦争の最中に母に出会い、お互い結婚を意識し始めた。
しかし状況が状況でしたので、シンガポールの聖アンドリュース教会で2冊の中国語の聖書を買い求め、それぞれの聖書に
「いつの日か、この二冊の聖書が一つの所に並べておかれる日の来るように」
と書き、共に祈り、結婚を誓い合って別れました。
その後、父は、1943年に召集解除となり、一旦日本に帰国したんですが、数奇な導きによって父は、商社マンとして終戦前に当時昭南市と呼ばれていたシンガポールに戻り、そして私の母様に再会し、終戦の年の3月に結婚しました。
今、両親が住む日本の実家にはこの二つの中国語の聖書が並んでおかれています。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
いやぁ、もう、小説とか映画になるような話ですね。
当時日本軍はシンガポールにいます16歳以上の華僑をすべて殺そうとしたそうです。
Sさんのお母様はクリスチャンだったそうです。その関係で聖アンドリュース教会に匿われて、助かったのかどうか・・・やはりクリスチャンでありましたSさんのお父様が、その関係でイロイロ働きかけをして、助けたのかどうか・・・その辺の詳しい状況は聞き逃しましたが、とにかく聖アンドリュース教会がお二人を結びつけたところであり、重要な意味を持つ場所だったんでしょう。 -
この写真は、88年にSさんのお母様とお父様が上海に来まして、花園坊を訪れた時の写真です。
右側の人が指をさしてますが、その方向にある家が40年代にお母様が住んでた家だということです。 -
さて、ここからは、Sさんが上海を訪れ、お母様が住んでいたと言う花園坊を私と一緒に訪れた1月10日の話です。
彼の本来のお仕事にチラッと付き合いまして、瑞金ニ路の花園坊へ向かいました。
花園坊に入り込んで、上の写真を持って、探し回りましたが、もう同じ形をした建物がたくさん並び、なかなか見つけられません。また写真も黒白写真のぼやけたコピーでしたので、それも手伝い探すのに苦労しました。
Sさんと、写真を持ち立ち止まり、あっちを指差し、こっちを指差ししていますと、花園坊の住人が数人集まってきまして、写真を奪い、彼らもあっちだ、こっちだと・・・私らの捜索活動に参加してきました。
この様子を見て、Sさんに、中国人は物見高いといいますか、世話焼きと言いますか、参加したがると言いますか、おせっかいと言いますか・・・そういうところがあるんです、と言いましたら、Sさん、「私の母もそうです」ですって。ニコニコしながら、そう言ったんですが、小さい時には、それが恥ずかしかった、といったような表情を見せていたような・・いや、私の勘違いかもしれませんけどね。
そして、なんとか見つけたのがこの写真の家です。
まず間違いないでしょう。 -
これが前側ですね。
一番左の1階、2階、3階部分に昔、お母様の家族が住んでいたんでしょう。
今は三家族が住んでるのかもしれません。
お母様は、もう既に花園坊はなくなってるだろうと思っていたらしいです。
上海は1ヶ月もすると街の姿が変わってるということを聞いていたんでしょう。
確かに、上海はダイナミックにドンドン変わって行ってます。しかし、残すべきものは残してる様子も窺えます。この花園坊は10年後も残ってるかどうか・・・なんともいえませんが、とにかく息子さんはお母様の思い出が詰まった家を目にすることが出来、その住空間も体感できたということです。
このあと、Sさんを瑞金賓館、復興公園、新天地などに案内して、上海のYMCA本部に用事があるということでしたので、本部がある青年館賓館まで送りました。
これで「わが青春のフアユアンファン・・・花園坊の思い出」は終わりです。
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この旅行記へのコメント (7)
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- りっちゃんさん 2007/02/13 10:28:15
- すてきですね。
- 打先生、こんにちは。
お正月の準備してますか?
今香港に来ています。
映画を見ているような旅行記ですね。
なんだかうっとりとでもちょっと胸がきゅんと来ました。
このサイトはお会いしたことのない人たちの人生の一部も
感じることができるなんて。
先生も本当にたくさんの方とご縁がありますね。
あ、わたしも平均年齢をアップさせていると思います!
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2007/02/13 15:25:16
- Sさんと私の間にも奇遇な繋がりが
- りっちゃんさん、どうも。
春節は、親戚一同とレストランで食事をするくらいです。
このSさんとは、最初にメールがあった後、2・3回メールをやり取りしました。
そうしましたら、私との繋がりがいくつかあることが分かりました。
まずは、大学の後輩だったということ。
また、私が横浜にまだいた頃、
横浜・関内のYMCAに英検2級の講座に通っていたんですが、
その時の講師をご存知だったと言うことです。
というのはSさんは当時横浜のYMCAの外国語講座の統括者だったからです。
そして、その講師も、同じ大学だったことが分かったのです。
不思議なもんですね。
3・4日前、Sさんからメールがありました。
自分の母が、おせっかい焼きで、
子供の頃は、それが恥ずかった、と言うこと、
井上さん、よく分かりましたね、と言うメールでした。
Sさんは、今は富山YMCAの総主事をされていまして、
今回の中国訪問も、上海と成都のYMCAの
施設を訪れることに有りました。
また、いつか上海でお会いすることになるでしょう。
-
- ちぃ912さん 2007/02/06 13:57:08
- 待ち遠しかった!
- このレポートを書き終えるのをじ〜っと待っていました。
本当に映画のストーリーのように心に染み入る出来事ですよね。
日々変わる上海と時が止まったような上海!
本当にナイスレポートです!!
今年もポイント捜索探偵の仕事?は続きそうですね。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2007/02/06 15:35:14
- 女性投稿者平均年齢が一気に・・・
- ちぃママさん、どうも。
上海はポカポカ陽気で、
私は明日から短パンになります・・・・ウソです。
今年も、捜索探偵のネタを提供してくんろ・・
私の掲示板へは、若い女性からの投稿が多いんです。
若いかどうか、ハッキリ確認したわけではありませんが・・・
くるりんさん、usastreetさん、えriさん、カザMAXさんの
平均年齢は28.7歳と見てます。
ちぃママさんの投稿により、平均年齢が一気に・・・・
イヤ、イヤ・・・・皆まで言えない!!
コレは絶対、言ってはいけないのだ!!
まあ、ですがウル姐さんでなかったことを
良しとせねば・・。
- ちぃ912さん からの返信 2007/02/06 16:29:40
- RE: 待ち遠しかった!
- オホホ〜〜!今更、年なんて!!言いたければ最後まで言っても構いませんことよ〜。
でも、今年も上海へのチケットは入手済みですのでご覚悟のほどを。
フッ(-_-メ)
今週末に知り合い2名が北京に行くそうです。お墓と例の映画館のサインと貴賓楼に行く予定なんですってさ〜。みんなすごいなぁ〜と思う次第でございますわ。
-
- 権天使さん 2007/02/05 17:45:44
- ほぉーーー
- 井上@打浦橋@上海さん、こんにちは。
ナイスレポートですね。
良かったです!
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2007/02/06 08:46:42
- ありがとさ〜ん!!
- 権天使さん、お久しぶり。
「ナイスレポートですね」の一言・・・・
嬉しいでごわす。
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