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3日目<br /><br />今日は友人とダッカ近郊の遺跡をみて回ることになった。<br />友人はホテルに9時に来る、とのことであったが来たのは10時近くのバングラ時間である。<br /><br />一緒に来た友人の友人(IT社長)を営業先でおろし我々はバングラデシュ最大のNGO・BRACが経営している土産物チェーン、アローンでバングラ的な衣装を買う。バングラデシュのNGOは政府が機能不全を起こしているこの国で政府が出来ないこと、やらないことをやる何でも屋のようなものである。それは最近話題のグラミン銀行などにも代表される。(ちなみにグラミン銀行はNGOっぽいことをしている銀行)<br />http://www.brac-aarong.com/<br /><br />遺跡訪問を心待ちにするがなかなかIT社長の仕事が終わらないので営業先の隣に会ったスラムを訪問する。<br /><br />スラムとは写真のような感じでトタンやビニール、ヤシの葉と丸太で出来ている。そんでもって煮炊きに隣の汚い川を使うんだから不衛生に決まっている。<br /><br />IT社長の仕事が終わったのが2時過ぎ。これでは予定していた遺跡訪問は無理となってしまった。とりあえず友人の義理の兄弟の家で飯を食う。白いカレーが出た。何故白いのに辛いのか分からんが辛い。腹は減っていたとはいえ友人は私の皿に飯を盛りつづける。<br /><br />それで私は腹を壊したのではないだろうか。<br /><br />それはともかくバングラデシュ独立戦争の際、パキスタン軍の司令部と死体置き場があった地、シレットへ向かう。<br />そこに行くまでの道のりが最悪であった。交通量と道路の車線数が全くつりあっていない上に皆が我先にと無茶な割り込みをするので<br />多くの乗用車はバンパーの上にバンパーガードをつけている。バスはボコボコである。渋滞がアホみたいに続く。路肩の草むらを走る車は枚挙に暇が無く、そしてIT社長が運転する車も無茶をして前の車に追突し、ヘッドライトを壊す。<br /><br />そんなこんなで着いたのは午後5時過ぎ。独立戦争モニュメントは閉館の時間となっていた。<br /><br />しかしそこは友人の権力と哀願で入場することが出来た。<br /><br />このモニュメントの元には300万人ものバングラデシュ市民の死体があったという。それが30年前にあった出来事なのだ。この国の新しさを感じさせるモニュメントである。<br /><br />帰りに黒いバンダナを巻いた警察官の一団と遭遇する。<br />友人に聞いたところ「あれは不審者即時射殺権をもつ特別警察だ」とこと。この国ではマーダーライセンスが公式に存在するのだ!<br /><br />ダッカに戻ってから旅行会社とホテルのオーナーのミランとカバブを食いながら歓談するが、彼は「バングラデシュの公務員は腐りきっている。まともなのは軍の上層部だけだ。君の友人もゆくゆくは(以下略」<br />という話になり、それについて考えることとなる。<br /><br />ちなみにNGOトランスペアレンシージャパンが発表するバングラデッシュの腐敗度数は156位。下から見たほうが早い。<br />http://www.ti-j.org/corrupt/06/CPI2006TableSourcesEnglish281006.pdf<br /><br />友人は仕事のため帰ったのでIT社長と「オールドダッカを見て回ろう」という話になった。<br />IT社長は車を壊したのでバスでやってきた。<br /><br />都心へ行くバスの中でIT社長は色々と仕事の話を振ってくる。<br />「日本でのITビジネスパートナーを(以下略」<br />小役人の私に聞いてもそんな人は知らん。マイミクのkeingさんくらいしかパソコンに強い人間を私は知らない。<br /><br />そんなこんなでダッカ都心に着いたはいいがIT社長は仕事をしながら私の世話を焼くのでありがたいのだが手持ち無沙汰で困る。<br />オールドダッカは混雑していて汚い。バンコクの比ではない。<br />昨日私が「ダッカの市役所を見てみたい」と言ったので市役所を訪問した。何故か市長まで出てくる歓待振りで困る。<br /><br />そこでバングラデシュの税制、福祉制度にかんする質問をぶつけた。<br /><br />それはそうとバングラデシュにおける公務員制度の不平等性について書きたい。<br />それは<br />1.公務員は非課税(直接税のみ)<br />2.公務員と一部の企業社員にのみ社会保険制度が存在する<br />3.公務員が在職時に死亡するとその公務員の息子が何故か公務員 として就職することになる(息子が一人前になっていない時に限 る)<br />小役人の私でも3はどう考えてもおかしいと思う。遺族年金の制度は無いのだろうか?<br />1はもともとの給料が国庫から出ている公務員から徴税するのが面倒くさいからなのか?<br />2は国家と社会保険制度の発展上仕方の無いことではあるかもしれないが。(日本も大正時代まで公務員以外に社会保険の制度は無かったのだ。自営業者に社会保険制度が出来たのは戦後)<br /><br />バングラデシュは公務員制度においてはまだ封建制の域を出ていないのか?<br />私が「公務員は非課税なのはおかしいのではないか」ときいたら<br />職員に「我々もVAT(付加価値税)などの間接税は払っている」と開き直られてしまった。<br /><br /><br />バングラデシュの公務員制度は日本と違い国家公務員のみで構成されているところに特色がある。<br />市役所といっても日本流に翻訳すれば「ダッカ市役所=総務省ダッカ事務所」であり完全に縦割りの公務員制度になっている。<br />市長は政府の指名で決められられ、選挙制度は無い。<br />選挙は国会議員と村議会であるユニオンのみに存在する。<br />ユニオンは地域の要望について役所に掛け合うことが仕事である。<br /><br />話が長くなってすいません。最後に外務省を表敬訪問して帰った。<br />外務省の何とか課長の部屋でクリケットの番組を見ながら甘いコーヒーを飲んでいたら何で私がここにいるのか解らなくなってしまったよ。執務中にTV見るのもバングラクオリティー。<br /><br />そんなこんなで次の日の午前二時にダッカをドラゴン航空で出発し、帰ってきたわけで。機内で既に腹を下していたのです。

ダッカ3日目~5日目

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2006/11/23 - 2006/11/27

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djebel

djebelさん

3日目

今日は友人とダッカ近郊の遺跡をみて回ることになった。
友人はホテルに9時に来る、とのことであったが来たのは10時近くのバングラ時間である。

一緒に来た友人の友人(IT社長)を営業先でおろし我々はバングラデシュ最大のNGO・BRACが経営している土産物チェーン、アローンでバングラ的な衣装を買う。バングラデシュのNGOは政府が機能不全を起こしているこの国で政府が出来ないこと、やらないことをやる何でも屋のようなものである。それは最近話題のグラミン銀行などにも代表される。(ちなみにグラミン銀行はNGOっぽいことをしている銀行)
http://www.brac-aarong.com/

遺跡訪問を心待ちにするがなかなかIT社長の仕事が終わらないので営業先の隣に会ったスラムを訪問する。

スラムとは写真のような感じでトタンやビニール、ヤシの葉と丸太で出来ている。そんでもって煮炊きに隣の汚い川を使うんだから不衛生に決まっている。

IT社長の仕事が終わったのが2時過ぎ。これでは予定していた遺跡訪問は無理となってしまった。とりあえず友人の義理の兄弟の家で飯を食う。白いカレーが出た。何故白いのに辛いのか分からんが辛い。腹は減っていたとはいえ友人は私の皿に飯を盛りつづける。

それで私は腹を壊したのではないだろうか。

それはともかくバングラデシュ独立戦争の際、パキスタン軍の司令部と死体置き場があった地、シレットへ向かう。
そこに行くまでの道のりが最悪であった。交通量と道路の車線数が全くつりあっていない上に皆が我先にと無茶な割り込みをするので
多くの乗用車はバンパーの上にバンパーガードをつけている。バスはボコボコである。渋滞がアホみたいに続く。路肩の草むらを走る車は枚挙に暇が無く、そしてIT社長が運転する車も無茶をして前の車に追突し、ヘッドライトを壊す。

そんなこんなで着いたのは午後5時過ぎ。独立戦争モニュメントは閉館の時間となっていた。

しかしそこは友人の権力と哀願で入場することが出来た。

このモニュメントの元には300万人ものバングラデシュ市民の死体があったという。それが30年前にあった出来事なのだ。この国の新しさを感じさせるモニュメントである。

帰りに黒いバンダナを巻いた警察官の一団と遭遇する。
友人に聞いたところ「あれは不審者即時射殺権をもつ特別警察だ」とこと。この国ではマーダーライセンスが公式に存在するのだ!

ダッカに戻ってから旅行会社とホテルのオーナーのミランとカバブを食いながら歓談するが、彼は「バングラデシュの公務員は腐りきっている。まともなのは軍の上層部だけだ。君の友人もゆくゆくは(以下略」
という話になり、それについて考えることとなる。

ちなみにNGOトランスペアレンシージャパンが発表するバングラデッシュの腐敗度数は156位。下から見たほうが早い。
http://www.ti-j.org/corrupt/06/CPI2006TableSourcesEnglish281006.pdf

友人は仕事のため帰ったのでIT社長と「オールドダッカを見て回ろう」という話になった。
IT社長は車を壊したのでバスでやってきた。

都心へ行くバスの中でIT社長は色々と仕事の話を振ってくる。
「日本でのITビジネスパートナーを(以下略」
小役人の私に聞いてもそんな人は知らん。マイミクのkeingさんくらいしかパソコンに強い人間を私は知らない。

そんなこんなでダッカ都心に着いたはいいがIT社長は仕事をしながら私の世話を焼くのでありがたいのだが手持ち無沙汰で困る。
オールドダッカは混雑していて汚い。バンコクの比ではない。
昨日私が「ダッカの市役所を見てみたい」と言ったので市役所を訪問した。何故か市長まで出てくる歓待振りで困る。

そこでバングラデシュの税制、福祉制度にかんする質問をぶつけた。

それはそうとバングラデシュにおける公務員制度の不平等性について書きたい。
それは
1.公務員は非課税(直接税のみ)
2.公務員と一部の企業社員にのみ社会保険制度が存在する
3.公務員が在職時に死亡するとその公務員の息子が何故か公務員 として就職することになる(息子が一人前になっていない時に限 る)
小役人の私でも3はどう考えてもおかしいと思う。遺族年金の制度は無いのだろうか?
1はもともとの給料が国庫から出ている公務員から徴税するのが面倒くさいからなのか?
2は国家と社会保険制度の発展上仕方の無いことではあるかもしれないが。(日本も大正時代まで公務員以外に社会保険の制度は無かったのだ。自営業者に社会保険制度が出来たのは戦後)

バングラデシュは公務員制度においてはまだ封建制の域を出ていないのか?
私が「公務員は非課税なのはおかしいのではないか」ときいたら
職員に「我々もVAT(付加価値税)などの間接税は払っている」と開き直られてしまった。


バングラデシュの公務員制度は日本と違い国家公務員のみで構成されているところに特色がある。
市役所といっても日本流に翻訳すれば「ダッカ市役所=総務省ダッカ事務所」であり完全に縦割りの公務員制度になっている。
市長は政府の指名で決められられ、選挙制度は無い。
選挙は国会議員と村議会であるユニオンのみに存在する。
ユニオンは地域の要望について役所に掛け合うことが仕事である。

話が長くなってすいません。最後に外務省を表敬訪問して帰った。
外務省の何とか課長の部屋でクリケットの番組を見ながら甘いコーヒーを飲んでいたら何で私がここにいるのか解らなくなってしまったよ。執務中にTV見るのもバングラクオリティー。

そんなこんなで次の日の午前二時にダッカをドラゴン航空で出発し、帰ってきたわけで。機内で既に腹を下していたのです。

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