2006/10/01 - 2006/12/06
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52市村康さん
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2006年10月1日17時45分、我が父の市村満雄が旅立ちました。
享年77歳でした。
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市村満雄は1929年8月8日に大連市聖徳街で生まれました。
高等小学校を出てすぐに南満州鉄道株式会社電気修繕部に電子技術者として勤めて敗戦〜満州国瓦解〜国共内戦までそこでいました。
1948年家族が引き揚げる時、ひとりで大連で暮らし続けようと中国人の振りをして残留し、満鉄の工場跡などから色々電気部品をかっぱらってきて闇市で売ったりして、何とか暮らしていたようです。
実は満鉄電気修繕部のロシヤ人工場長の娘と結婚する話があって、敗戦のぐちゃぐちゃの中でそれが果たせず、さりとて日本に引き揚げる気もなく、一人残留してしまっていたやうです。宙ぶらりんのまま生きていた時のこと等、もっと聞いておくべきでした。
その年の年末、周恩来の部隊が大連を占領したときに日本人である事が発覚、八路軍司令部まで連行され、ラジオを直さされたそうです。
ラジオを大急ぎで直して渡したら周恩来に呼ばれ、「ラジオを直してくれてありがとう。国民党軍を追い出し、延安の放送を聞いて最高の正月が過ごせる。だが、なんでまだ日本の子供がここに残っているんだ?」と聞かれたので「大連に残りたい。八路軍にも入りたい。」と父は言ったら、周恩来に「子供が戦争なんかするな!さっさと日本に帰れ!」と日本語で怒られて、すぐに引揚船に乗せられたそうです。(周恩来は日本に留学しており、実は日本語ペラペラ)
そして父祖の地である越後高田に先に引き揚げていた家族と合流しましたが、すぐに叔母の実家のある高松に移動、そこの電気屋に勤めるようになりました。そこの末娘と結婚して、自分や妹が生まれました。 -
1971年春、高松ではまだ珍しいオーディオ専門店を開きました。電子部品も同時に扱い、カーステレオなどの修理も同時にしました。
開店当時は第一次オーディオ・ブームで、システムコンポや単品コンポが飛ぶように売れました。
店にはミミという白猫もいました。よく展示品で爪を研いで怒られていました。 -
写真左側の銀の玉は大阪万博の時、松下さんが販売店にTVの景品で配ったタイムカプセルのミニチュアです。カプセルの中には飴が入っていましたが、その年の夏休みの海水浴場でたくさん捨てられて海にプカプカ浮かんでいるのをよく見ました。
自分は紐と錘をつけて爆竹をたくさん入れて「機雷ぢゃ、ちゅど〜ん!!」(田村信風)とか言って海でふざけて遊んでいたのを覚えています。 -
父親が仕事をしている状態を再現しています。
本人は全然死ぬつもりでなかったんで、直前までこのカーステレオを直していました。
雑然とした感じでしたが、こんな職場環境で30年やってきました。 -
引き出しの中には昔から使い続けた工具がぎっしり入っています。
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このカーステレオも修理中でしたが、完了できず父は旅立ちましたが、結局自分がそれを引き継いで直しました。
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ストックしてあった部品も膨大な量になっています。
カーステレオのベルトも、一本一本長さのデータを取っており、そのデータベースは父の頭の中にあって、結局あの世に持っていってしまったので残念ながら引き継ぐことが出来ず、一点一点整理し再構築するしかない状況です。 -
多分戦前の縦長のラヂヲです。
戦前は家電店・オーディオショップと言うものは無く、「ラヂヲ商」という扱いだったようです。
このラヂヲは「コンドル」と言うメーカーの製品です。
こうの史代「夕凪の街」のP10・16にも近い年代のものと思われる縦長のラヂヲが描かれています。
AM(中波)のみ受信可能です。 -
これは戦中の松下の製品で「国民二号型」との型名が付いていました。どうも前の持ち主がニスを汚く塗ってしまったせいで表面が唐揚げみたいになっています。
戦時下では物資が統制下に置かれていました。ラヂヲも設計から統制され、生産する資材や部品などは配給で供給する事で作らせた製品です。
多分同じ国民二号型は、広島の原爆資料館にあります。
爆風でバラバラになり、透明部の膨らみが熱線が当たったのか、平らになっていて、戦慄したのを覚えています。 -
これは戦後の松下の製品で、短波(?)・短波(?)・中波が受信可能な機種です。
「NATIONAL ALL WAVE」の文字が誇らしげです。
東京オリンピックあたりまで、こんなラヂヲは各家庭にあったと思います。
新聞も当然ラヂヲの番組表の方が主だったと思います。 -
掃除していたら出て来たスタンダードのトランジスタラヂヲ。
RCサクセッションの歌の「授業をさぼってゑ〜ん、イエ〜♪」屋上に持っていきたい感じのラヂヲ。 -
革ケースから出したところ。
外観も痛んでいない。 -
開けて中を見たところ。
単3電池4本で鳴る。
電池の液漏れも起こっていないが、リード線が2本余っている。 -
裏面には立てかけるためのレバーとPHONOとAUXの端子がついている。
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横には外部アンテナ端子と二連のイヤホン端子が付いている。
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富士通TENの70年代のカーラヂヲ(24V仕様)も出て来た。点検するとパイロットランプが切れていただけで、ちゃんとAMが受信できた。
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正面から。
昔は周波数をHz(ヘルツ)でなくKc(キロサイクル)で表示していた。 -
交換したパイロットランプ。
24V/2.4A
ちゃんと店に在庫があった! -
開店以来使い続けている24V用電源。
表示は6v/12Vだが、24V出せる。
セレン整流機が正式名称。 -
4チャンネルステレオが一時期だけ流行った頃、ONKYOのシステムコンポで、8トラのテープデッキで4チャンネルステレオ対応のがあったようだ。
デモ用ソフトのパッケージの絵、誰のかは忘れたけど、当時流行った見覚えのあるタッチです。(このソフト、未開封です。) -
8トラに録音機能のあるデッキもあって、生テープもうちんくの店では売っていたようで、一本1500円だったようです。(これも未開封です。)
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三菱の8トラのカーステレオも出てきました。
もう、実際取り付けている車両は現存していないようですが、カセットテープのカーステレオが出てくる前の70年代には相当の数の8トラデッキがあったようで、父も一晩で40台位修理していた時期もありました。 -
8トラデッキのヘッド部分です。
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あと、鉄道・バス関係で、こんなテープを使っていたようです。音声ガイダンスも、今はデジタル化されたけど、肉声でアナウンスしていたのと同時にテープを使っていた頃もありました。
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この旅行記へのコメント (3)
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- mo moさん 2025/10/31 08:48:30
- 感謝の思い
- 「オーディオいちむら」が閉店してから幾久しいですが、懐かしさもあって、いちむらの記事が無いかを探していて、幸運にもご子息様の記事にたどり着きました。
学生のころには、電子部品を買いに時々寄らせていただいておりました。私が訪ねたときは、よく お母さまがひな壇に座っておられた印象があります。電子部品の型番を言うと、ササっと出してくれていました。とても懐かしく過ぎし日のことが思い出され、お店の匂いも甦る気がします。いちむらさんのようなお店がなくなり寂しい限りですが、これも時代の流れと言うものでしょう。お父さまのご冥福をお祈りいたします。ワクワクする楽しかった日々をありがとうございました。
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- itsさん 2006/11/23 20:28:52
- 遺影を拝見させていただきました。
- お悔やみもうしあげます。
おさびしいことでしょうが、またおいおい思い出などあたためられますよう。
- 52市村康さん からの返信 2006/11/25 02:46:50
- RE: 遺影を拝見させていただきました。
- あ、どうも。ごぶさたしておりますた。
まあ急だったんで、まだ何も整理もついていませんが、父の仕事場や遺品のラヂヲや修理工具や蔵書を少しづつUPして行こうと思います。
どうも「夕凪」(P10・16)に出ていたのと同じ頃のラヂヲが家に一台あり、今度自分で修理して内部も写して見てもらおうと思います。
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