2004/11/24 - 2004/11/25
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akkiy363672さん
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湖東の名刹 臨済宗永源寺派総本山「永源寺」は、南北朝時代からの法灯を守る臨済禅の根本道場として…、そして紅葉の名所として、その名を知られている。
寺域は愛知川の右岸に迫る山腹に位置し、カエデに囲まれた崖沿いの石段を上がると、紅葉のアーチの中に総門、次いで楼門(山門)が現れる。境内には、方丈(本堂)・鐘楼・法堂・経堂などが甍(いらか)を連ね、その間を色あざやかなカエデの老樹が立ち並ぶ。本尊の聖観音像は秘仏で、俗に“世継ぎ観音”とも呼ばれている。寺内とその周辺の山々は、赤や黄色の紅葉で溢れていた。
(旅の顛末は、http://www.ztv.ne.jp/kyoiku/monomiyusan/72ktotonoaki.htm へ記しています。)
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
-
午後3時。近江坂本の「西教寺」へ。この寺は、聖徳太子の創建と伝えられる天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)の総本山。信長の比叡山焼き打ち後、坂本城の城主となった明智光秀の尽力により復興した。ここも境内は、今を盛りの紅葉である。
滋賀院門跡の開かずの門前にある、僕のお気に入りの紅葉の大木とともに、坂本城築城に業を発揮した穴太衆(あのうしゅう)の見事な石垣積みなどを見て歩き、日吉大社などをのぞいていたら、すぐに日が暮れてしまった。 -
もみじの「永観堂」は、見渡すばかりの紅葉であった。正式名称は、聖衆来迎山無量寿院禅林寺。第七世法主永観律師にちなみ永観堂と通称される。
紅葉の見事さもさることながら、阿弥陀堂の「みかえり阿弥陀」の、何とも愛くるしくありがたいお姿はどうしたことだろう。
寺伝によれば、『永保2年(1082)、永観禅師50歳のころの2月15日払暁、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた。すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた。永観は驚き、呆然と立ちつくしたという。この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、「永観、おそし」と声をかけられた。永観はその尊く、慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその見返りの尊容を伝えると言われている。』とある。 -
境内の茶店で、「ぜんざい」を食べた。600円…。みたらしを食べた者も居て、勘定は合計2700円。アルバイトだろう、勘定書きを持ってきた女の子に3000円渡して、「おつりはチップ」と言うとむっちゃ喜んで、何度もお礼を言ってくれた。同行の皆んなは、「この300円は会費からは出さんぞ」と念を押していたが、会計も僕だからみんな会費から落としておいた。
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裏山の中腹に多宝塔があり、御影堂の裏手から階段を上っていく。その両側は溢れんばかりの紅葉で、折からの西日を受けて、懸崖に繁る赤や黄色の木々が照り映える。階段を上るにつれて、錦色の波が眼下に広がる。
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圓徳院のライトアップを見に行こうと言っていたら、「チャラララ〜ン」とケイタイの呼び出し音。「帰りに寄るから」と電話を入れておいた、お茶屋の「駒屋」さんからだ。「いつ来るの。待ってますんよ」と言うので、「圓徳院を終わったら」と答えると、「もう、舞妓さんたちも来て、待ってますんえ」と言う。清水寺のあと電話を入れたのだが、先方はその足で向かうと思っていたらしい。
急遽、圓徳院を取りやめて、岡崎パーキングから車を出し、「駒屋」へ向かった。「ほんまに、遅かったどすなぁ」と言う舞妓の君波ちゃんは、今年出たばかりの16歳。1年ほど前に仕込みとして屋形へ入って、行儀作法と京言葉を覚え、今、踊り・三味線・唄のお稽古に明け暮れる毎日だと言う。
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