2004/11/27 - 2004/11/27
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comevaさん
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イタリア6日目 ポンペイ
紀元79年8月24日、ヴェスヴィオ火山が突如大噴火を起こして当時ローマの支配下として商業地、別荘地として栄えてきたこの古代都市『ポンペイ』の町を火山灰や火山礫、有毒ガス等で埋め尽くし18世紀半ばに見つかるまで約1700年の間そのまま地中に眠っていたのである。
前置きはこれ位にしてこの日はローマからの日帰りツアーと言うこともあって時間的にもほんの一部しか周れませんでした。
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まずはポンペイの遺跡入口に行く手前にあった胡椒の木です。
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入口(やや上り)マリーナ門を入っていくと最初に現われたのがこれ(世界初の横断歩道)
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バシリカ←裁判所ですが裁判のない時などは市場に変身。
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フォロ(公共広場)は当時の政治、経済、宗教の中心後方に恥ずかしがって雲に隠れているのが何を隠そうヴェスヴィオ火山(1281M)なのです
このヴェスヴィオ火山には1880年山頂までのケーブルカー(フニコラーレ)が新設されましたが開業当時は乗り手がそんなにいなくて不調でした。そこでフニコラーレの宣伝用の曲(フニクラフニクラ世界で最初のコマーシャルソング)を作りビエデイグロッタ音楽祭で発表したところ大評判となり客が大いに増えたと言うことですが1944年の噴火で破壊されるまで活躍してました。フニクラフニクラはこのケーブルカーフニコラーレの愛称なのです。
今は2人乗りのリフトが山頂(火口)まで運んでいると言うことです。 -
当時の足である馬車の轍
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大劇場はアウグストウス時代には5000人を収容(紀元前200〜150年前)
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スタービアーネ大浴場にはミイラが((((((^_^;)
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そのお風呂を出たところでみつけた、2000年前の水道管
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個人のお家から見つかった、壁画
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このパン屋ではありませんが実際本物のパンが当時のままで発見博物館に展示されているとか・・・行っても見せてもらえないらしい。
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ポンペイを出たところのレストランでランチ
ナポリタンって和食だったんですね。イタリアと日本は麺つながりでしたね。。
こちらにはナポリタンって無いし、そもそもナポリタンとはナポリ風って意味らしい
トマトを使ったスパゲッテイっと言うことですがそれならイタリアンで良いのでは・・・アメリカから来たという説も??
イタリアは北より南、南に行くほど料理はおいしい(ヴォーノ)って言われてるらしいのですが確かにここのスパゲッテイが一番美味しかったです。
それよりこのスパゲッテイの隣の赤いオレンジジュースが好評でした
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