2006/11/01 - 2006/11/01
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Krisflyerさん
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南京は明の時代初代から3代目の皇帝までこの地を首都として設定されていた町。もちろん何らかの世界遺産はあるはずであろうといって見たところやはり有った。明の初代皇帝朱元章の御陵が南京に有ったのだ。その名も孝陵。明の御陵と言えば北京郊外にある13陵が有名で有るが、ここにある孝陵も世界遺産として同じく登録されている。
造りは北京郊外にある定陵と同じであるが、明代初期故、全体的な装飾は幾分かシンプルな雰囲気である。残念な事にいくつかの建物を消失してしまっており、また御陵の中には入れない。
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【金水橋】
明代の御陵の入り口にはこの様に3本の橋がかけられている。真ん中の端を皇帝が、左右はそれぞれ武官、文官が分かれて渡っていった。 -
【文武方門】
金水橋よりまっすぐ歩くと塀に囲まれた御陵の境内が有り、その入り口に有るのがこの門。 -
【碑殿】
この建物は元から有ったものではなく、清の時代に康熙帝がこの地を訪れたとき塀が傾いているのを見て、修繕する様に命じて建てさせたもの。康熙帝自身の碑文も残されている。 -
碑殿の中に有る亀。本来は亀が甲羅の上に碑文を載せているのが一般的だが、ここは亀の前後が壁によって隔てられている。
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【享殿】
孝陵殿と呼ばれていた建物で、朱元章とその后の位牌が奉られている。元の建築は1383年の物であるが、消失したため同治年間に再建されている。 -
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【内紅門】
元々は3つの双扉の紅門であり、屋根は黄色い瑠璃瓦であった。皇帝が葬られている宝頂に至る最後の門であるため、ここから先は「あの世」になり、別名で陰陽門とも呼ばれていた。 -
【明楼】
この建物は皇帝が葬られている場所への入り口となる。この様式の建築はこの孝陵が初めと言われ、後の明清の皇帝陵墓はこの様式を踏襲する形で建てられた。
建物は方城の上部に楼閣が建てられており、既に焼け落ちてしまったが、元々は九重の庇と黄色の瑠璃瓦に覆われていたらしい。
現在はレンガ壁だけが残っており、南側に三孔アーチ、他の方向は単孔アーチの跡が残されている。 -
明楼の周囲はこの様に堀に囲まれている。
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明楼の方城土台部分です。
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方城の下部から上部のテラスへ向かう階段トンネル
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明楼。先に解説の通り。南側に3つのアーチ門が見える。
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明楼のテラスから今歩いてきた道を臨む。明楼までまっすぐ伸びた道は木立に覆われていた。
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明楼のテラスを取り囲む塀の煉瓦。ブロックの一つ一つには工房の名前と煉瓦を作った人の名前が掘り込まれている。もし塀が崩壊する事が有れば、そのブロックの作成者は死刑になったという。
責任を持って作らせるというシステムが出来上がっていたわけですね。 -
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