2004/01 - 2004/01
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瑞樹さん
?の続きです。
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
正殿の宗廟は、単体の木造建築としては世界最長のもの。
確かに、長い。
先祖を大切にする儒教文化の朝鮮では、最も神聖な場所とされていました。 -
宗廟正門を入ると三本の道があり、少し高い真中の道は亡くなった王のための道で、東側は王、西は王世子のための道となっていました。
真中の道は正殿に続き、両側の道は斎戒沐浴して祭祀の準備をする部屋へと繋がっています。
心身ともに整えた後、王と世子は典祀庁へ移動します。
典祀庁は祭祀を行う食物を準備する所で、庭を中央に建物をロの字型に配置してあります。 -
王に対して祭祀を行うのは中国から伝わったものだそうですが、現在までその伝統を維持しているのはここだけです。
正殿には19の部屋があり、各部屋に王を奉ってあります。
正殿の塀の中には君主に誠実に仕えた臣下たちを奉った功臣殿もあります。
宗廟祭礼楽は器楽や歌、踊りで構成されている祭礼楽ですが、500年前の旋律を今日までそのまま伝えるもので、現在世界で最も古い儀礼文化となっており、64人の舞と共に毎年5月の第1日曜日(変更の場合あり)に
その行事を見ることができるそうです。
中に祀られている様子などは見られませんが、その大きさを見るだけでも行く価値ありです。 -
鍾路周辺には、李王朝が残した王宮が点在しています。
昌慶宮(チャンギョングン)は、昌徳宮とともに朝鮮王朝(1392-1910)別宮のうちの一つ。
李王朝第4代国王・世宗が、退いた上王の太宗(1367-1422)が穏やかに余生を送れるようにと建てた寿康宮がその始まりだそうで、昌慶宮は日本の植民時期(1910-1945)に昌慶苑に格下げされ、一時は動物園と植物園のある遊園地にされてしまったそう。
その後動物園が果川に移り、1983年12月から1986年8月までの3年間にわたり日本帝国が破壊・変形させた昌慶宮を王宮本来の姿に復元する改修工事を行い、ようやく本来の名前を取り戻したとのこと。
ここはガイドブックでも大きくは取り上げられない
ところなので、残念ながらこういった歴史は知りませんでした。
ここもやはり焼失と復旧を繰り返したところ。 -
昌慶宮の正門・弘化門を入ると明政殿へと続く、明政門。
私の持っているガイドブックには、ここが弘化門だと載っていましたが、正門は屋根が二重になっている筈。
正門は朝鮮王朝の成宗15年(1484)に建てられたものだが、やはり壬辰倭乱の時に焼失。
現在の門は、光海君8年(1616)に再建されたもの。
敷地の奥には、春塘池があり元々その半分が王が稲作を行った水田だったところを日帝植民地時代に池にした場所で、その他にも崇文堂、通明殿など多くの見所があります。 -
昌慶宮は、正門である弘化門を過ぎると
すぐに玉川橋に出ますが、
これは朝鮮の宮闕が全て正門をくぐって直ぐに
アーチ型の橋があるという特徴が見られるところ。 -
この橋を渡り明政門をくぐると明政殿へ出ます。
明政殿は昌慶宮の正殿で、朝鮮宮闕正殿としては最も古いもの。
朝鮮時代の正殿が南向きだったのに対し、明政殿は東向きで、これは先王たちを奉った宗廟が南側にあり、
儒教慣習に従って門を開けることが出来なかったことによるそう。 -
昌慶宮にある涵仁亭は、
もともと成宗15年(1484)に建てた仁陽殿があったが、
宣祖25年(1592)の壬辰倭乱で焼失した後
仁祖が仁慶宮の涵仁堂をここに移し涵仁亭としたことによるもの。 -
こちらも細かい装飾と造りが見事です。
第21代・英租は特に文武科挙で壮元及第(首席合格)した
人材と接見する場として使ったそうです。
昌慶宮には他にも大きな温室や、
屋根の鬼瓦がない通名殿など、
様々な建物があります。
全部見るとなると、結構時間 が必要です。
でも冬なら(多分)観光客は余りいないと思うので、
散歩がてらのんびりするのなら、
とっても静かで広くて お勧め。 -
南大門と呼ばれている崇礼門は国宝1号。
城門としては最大規模 で
李朝時代の木造建築では最も古い。
巨大な石で積み上げた石段中央に
アーチ型の入り口があり、
段の上には
柱と屋根が覆われ上層と下層に分かれています。 -
両横の東側と西側には互いに行き来できるように扉もあり、段上両脇には青い芝が植えられ、今はなき城壁の痕跡が見える、、そうですが、いかんせん道の真ん中にある南大門は近付けないので、そこまでは分かりません。。。
崇礼門の懸板にはほかの門とは違い、縦に「崇礼門」と書かれています。
太祖(1335-1408)成桂が都城を建設した当時、風水地理上ソウルの安山である冠岳山の形が火気を表しており、その火気が都城の中はもちろん景福宮までおよび、火災を起こすと信じられていました。
崇礼門の「礼」の字は陰陽五行中、「火」に当たり、
「崇」の字と縦に配列すれば、ちょうど火が燃え上がる形だと言われ、冠岳山の火気をこの火で防ごうという意図で縦に書いたと言われています。
太宗(1367-1422)の長男・讓寧大君(1394-1462)の書だそうです。
道路の真ん中に位置するこの門は近づいて見ることはできませんが、夜には城門の下からライトアップされ南大門を照らし、その美しい姿を満喫できます。 -
南大門市場の一角。
辺りは衣料品店や、食料品店、土産物屋など、たくさんの店があります。
私は一人で歩いていたためか、革服製品展の店員(男性)に腕を掴まれ強引に店の中に入れられそうになったり、(まぁ、観光地ではありがちですが)店先の椅子に座らされ屋台のものを勧められたりしたので、
必要のないときは、キッパリと断りましょう。 -
この建物、とても素敵なのですが、今となっては何の建物か分かりません。。。
(通ったときは、地図で確認した、筈。。。) -
どこの国へ行っても、市場を見るのが好きです。
ソウルを観光してお腹が空いたので、何か温かいもの(この日はマイナス15℃)ないかな〜と南大門市場近くを探していたら粥屋さんを見付けました。
おばちゃんに勧められるままに店の前の長いすに座ると、電車の座席のようにぽかぽかと暖かい。
寒いソウルの屋外なら、必須かも。
韓国で代表的な粥といえばあわび粥でしょうが、日本のような小豆を使った粥「パッチュッ」もあります。
「パッ」というのは小豆のことで、「チュッ」は粥のこと。
違いといえば、韓国のお汁粉はお米も一緒に煮て
塩を加えることがあるというところ。
私が見かけたこの屋台は、「パッチュッ」と「ケジュッ(黒ゴマ粥)」とほかに、写真の「ホバッチュ」、かぼちゃ粥がありました。
茹でたカボチャと米を一緒にコトコトと炊いて、
丁寧に濾したり、ミキサーにかけたりして作るそうです。
仕上げに砂糖などで味を調えてあるため、寒い冬のデザートにはもってこい。
この粥には、餅(白玉だったかも)も入っていて、
水キムチつきでした。
もし寒〜い時期に韓国を訪れたなら、是非皆さんも食べてみて下さい。
温まること必死です。 -
1920年建設のソウル駅は、レンガ造りのレトロでかわいい建物。
今回の旅では電車には乗らなかったのですが、折角なので駅舎を見に行きました。 -
すぐ脇には、大きくて立派なターミナルもありますが
こういう昔ながらの建物は是非残して欲しいです。
構内には、鉄道博物館もあるそうです。 -
私が行ったときは、
帰省(外出?)の途中らしい軍服姿の人を
何人か見かけました。
これも徴兵制度のある韓国ならではの風景でしょうか。 -
私が行ったときは、殆ど観光客はいませんでした。
儒教のイメージが強い韓国ですが、これは習慣や考え方などが広まり根付いているもので人口の約25%がキリスト教徒だと云われています。(その他25%が仏教徒だと云われているそうです) -
そして韓国では12月25日は聖誕節で祝日なんですよね。
ちょっと不思議。
1892年に工事が始まり、1898年5月に完成。
高さは45m、煉瓦造りです。
教会前にはイエス像が立ち、中にはステンドグラスの窓もあり2階にはパイプオルガンも見えます。
地下には小聖堂があり、地下墓地には殉教者らの遺骸が安置されているそうです。
この後は街で色々買い物して、土産物屋でであった韓国人と御飯を食べ、ホテルへ。
ホテルからバスに乗りDFSに連れて行かれ、何も買わずに空港へ。
慌しくも、のんびりと自分時間で過ごしたソウルでした。
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