1999/09/03 - 1999/09/06
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gruenさん
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2回目の渡独。今回は一人旅。まずはベルリンにいる友達を訪ねベルリンの街やポツダムを観光。友人宅に着くまでにもトラブルが発生!!一時は大都会ベルリンで野宿まで考えた旅の始まりでしたが、その後はいろんな人の親切に支えられたベルリンでした。ヨーロッパの大都会ベルリン。変化し続ける歴史と今が交錯する街。本当に不思議な街でした。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船
- 航空会社
- オーストリア航空
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ウィーンを経由してベルリンに到着。バスに乗って鉄道の駅へ向かう。一番前の席に座り、アウトバーンを快走。料金所もないので、一般道からスムーズにアウトバーンへ。車線も多いしスピードも速い。バスのような大型車はアウトバーンでも100キロ制限。
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空港で友人に電話し、最寄の駅まで自分で行くことになった。バスに乗り、電車に乗って指定の駅まで行ったわけだけど、友人がいない。再度電話するも留守・・・。駅を出てみるとあたりはもう真っ暗。右も左も分からない。再び電話してみると今度はつながらない!その後は何度電話しても同じ。急に不安になった私は、このまま駅にいてもしょうがないと考え、どこか手ごろなホテルを探すことにしてタクシーに乗った。最初についたホテルはすでに満室。ベルリンでは友人宅に泊まる予定だったので、まったく宿泊については調べてこなかった。大荷物を抱え夜中にベルリンの街をウロウロするのは危険、そう思った私はどこかに身を隠して夜を明かそうかとも考えた。でもそれもあまりに危険すぎる。近くのガソリンスタンドに行くと運よくタクシーが止まっている。ガイドブックに書いてあったホテルに連れて行ってもらう。
しかし、そこはベルリンでも最高級ホテル。安い部屋をとお願いしてもものすごい高い。すると近くのホテルでもう少し安いところをと親切(?)にも教えてくれた。名前を書いた紙をもらい、さっそく向かったそのホテルは徒歩で2〜3分のところにあった。少し安いとはいえ、日本円で一泊16000円!信じられない。けど、安心安全には代えられない。ホッとしたけれど、不安いっぱいで一夜を過ごす羽目になった。 -
翌朝、早くに目を覚まし、ホテルのロビーから友人に電話してみる。昨日から何度も押した番号だ。・・・つながった!!友人もかなり心配してくれていて、警察にまで連絡していたらしい。すぐに車で迎えに来てくれて、ロビーで抱き合った。私も緊張の糸が切れて、急に涙がこぼれた。その後、チェックアウトして帰りに朝食用のパンを買い友人宅へ。朝日の映える風景にようやくドイツに来た喜びをかみしめた。
あとで知ったけど、友人宅、駅からものすごい近い場所にあった。 -
気をとりなおして、ベルリン観光。まずはシャルロッテンブルクへ。友人のルームメイトが車で送ってくれた。それまでその彼のことをSieで話かけていたけど、友達だからduでいいと言ってくれた。ありがとう。とてもフレンドリーで気さくな彼だった。
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建物内部ももちろん見所満載で興味深いけれど、私はやっぱり庭園の方が好き。それぞれのお城には必ずといっていいほど広大な庭園が広がる。多くが市民に開放されていて、自由に出入りできる。素晴らしい。
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シャルロッテンブルクの庭園。宮殿を背に庭園を奥に進んだ先で写したもの。庭園は市民に開放されていて、この近くにも入り口があった。
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シャルロッテンブルク前の道路を挟んだ向かい側、エジプト博物館にはシャルロッテンブルク宮殿のチケットと共通で入ることができた。この博物館での見物はアマルナの最高傑作と言われている“女王ネフェルティティ”の胸像。凛としたその姿には古代エジプトを治めた気品が伝わってくるようだった。
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午前中にベルリン郊外のシャルロッテンブルク、エジプト博物館の見学を終え、午後はベルリン市内へ。友人と落ち合い、まずはカイザー・ヴィルヘルム教会へ。第二次世界大戦の空襲で破壊されたが、平和祈念のためにそのままの姿で残されている。側に建てられた教会は青いガラスで埋め尽くされ、差し込む光が美しく、落ち着いた雰囲気。宗教を越え、人々が平和を祈るのにぴったりな空間だと感じた。
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ティーアガルテンを自転車で公園中央にあるジーゲスゾイレへ。
細い階段を降りてくる人をよけ、壁に張り付きながら登ったらそこにはベルリンを一望する大パノラマ。建設ラッシュのベルリンの様子はここからもうかがえる。中央左に見えるのはベルリンフィルの本拠地である建物。 -
友人の通うフンボルト大学。
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ベルリン3日目のこの日は、友人の友人(男の人)がベルリンを案内してくれるという。フンボルト大学の前で待ち合わせ、まずは博物館島のペルガモン博物館へ。最大の見物であるペルガモンの祭壇は、ロビーを入るとすぐにある。再現されたものとはいえ、上に登ったりできて遺跡を身近に感じることができるところはすごい。
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博物館島とテレビ塔。
博物館、美術館めぐりも良かったけど、川沿いを散策しながら歩くのも心地よい天気だった。 -
ノイエヴァッヘ
戦争と暴力支配の犠牲者に対する記憶と追悼の場で、中央に“戦死した息子を抱く母”の像がポツンとある。その何もない空間の中に置かれた像が、そういった記念像としてはあまりに淋しい感じがしたのに、しばらくそこにいると、それが逆に戦争で命を失う悲しさやつらさ、平和への新たな思いを起こさせた。お金をかけて立派で大きな記念碑や広場を造るのではなく、過去を反省し未来へ出発するための創造の場が必要なのだと思う。 -
タヘレスはベルリンミッテ地区にある芸術家ための建物。ショッピングモールや電器製品関係の建物、ナチスに占拠された時代を経て、戦後、使われないまま荒廃が進んだ。その後、芸術家の占拠をともなうサブカルチャーが発生し、最終的には歴史的建造物として保存されることが決まって現在に至る。歴史の合間からテレビ塔が見えた。
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タヘレスから見た風景。
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ベルリン大聖堂。
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赤の市庁舎。
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いわずと知れたドイツ統一の象徴ブランデンブルク門。統一前は東西の境界線のため厳しい警戒下に置かれていた。
ドイツ統一をテレビで見た時も、この門の前に築かれた壁の上に無数の人が立ち壁を壊すシーンが流れていた。その頃ちょうどドイツが好きになっていた私にとっても強烈な印象を残した場面だった。その後、少しずつドイツの歴史を知ることによって、さらにその印象は深くなっていったような気がする。
かつて歴史と壁に阻まれて行き来することができなかった門を、この時、いともたやすくくぐることができたことに、何か複雑な思いがした。 -
ベルリン4日目は、足を伸ばしてポツダムへ。
フリードリヒ2世の夏の離宮として建てられたサンスーシー宮殿。 -
サンスーシー宮殿。フランス語で「憂いなし」の意味を持つこの宮殿はフリードリヒ2世が日常を離れ、芸術に没頭することを目的に造った憩いの宮殿。
階段状に配置された葡萄畑の最上段に宮殿が置かれ、デザインにも関わったというフリードリヒ2世のセンスに脱帽。その眺めは他にはない美しさをたたえていた。 -
フリードリヒ2世によってプロイセンの国力を誇示するために造られた宮殿。そのせいかレンガ造りで重厚な印象を受ける。サンスーシーから庭園を歩いていくと目の前に大きな建物がものすごい迫力で現れる。その圧力はプロイセンそのものかも。フリードリヒ2世の思惑は当たったのかな。
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ポツダム最後の場所は、ポツダム宣言でも有名なツェツィリエンホーフ。宮殿というよりも館。先に見た新宮殿の後に訪れては、なんとなくほっとするような落ち着く場所だった。木組みのこの館は一部ホテルとしても利用できるらしい。
そんな有名な場所なのに、こんなところ?というような感じで道端にいきなりバス停があったのには正直驚いた。でも、それだからこそ、この静けさは守られるのかな〜などと考えながらそばの湖を眺めた。その後再びベルリンへ戻り、友人とその友人達の食事会に飛び入り参加し、そのままベルリンツォー駅から夜行列車でミュンヘンへと向かった。
友人を始め、そのまた友人といろんな人に親切にされたベルリンだった。旅の始めのアクシデントもなんのその、その後の旅は歴史の深さと人の優しさに触れた旅になった。充実した4日間を過ごし、その後の旅にも期待を持って出発することができた。
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