1994/02 - 1994/02
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buchijoyceさん
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チェンマイからスコータイの入口、ピサロヌークまでバスで行った。冷房完備のバスなのだが、走るにしたがって気温が上がり、いくら中から冷やしても温度は上がるばかり。乗客は外国人はイギリス人男性とフランス人カップル、そして私達、と地元の人が数人とがらがらなのにもかかわらず、車内は実に暑かった。
途中タークで昼食休憩。ここでかめに入ったたくさんのタガメを見た。メンダーは食用なのだ。
物売熟れてからではなく、青いときに食べるらしい。甘味のない瓜のような、さくさくした感じだ。でも冷たいのがご馳走だ。
タークからビルマ国境までは近い。
乾季なので大地は土色をしているが、雨季には田んぼも緑になり、まわり一面緑に覆われてきれいだという。
ピサロヌークまで5時間かかっただろうか。ホテルまでタクシーで行ったので、タクシーに待っていてもらい、荷物を置いて、そのままスコータイ遺跡に行った。広い、タクシーで移動しても、とても見切れない。ドライバーの案内で要領よく見てまわる。
表紙の仏さまの手がとても気に入った。あいにくカメラには望遠しかついていなかった。この仏像のあるところが塀で囲われていたので、ぎりぎり後ろに下がって、塀に体を押し付けながらシャッターを切った。それでもちょっと甘ピン。要するに大きな仏様なのである。
マーケットで砂糖の塊を幾つか買った。ちょっと目、ローセキみたいなサトウヤシの汁を煮詰めたもの、ココヤシの汁を煮詰めたもの、甘味も色も違う。紅花も売っていた。
参考:
スコータイ朝 スコータイちょう Sukhothai 13〜15世紀にさかえたタイ人最古の王朝。カンボジアのアンコール朝の支配から独立してスコータイに都をおき、3代目のラーマカムヘン王(在位1279?〜1316?)の時代に強大となった。その支配圏は、北は現ラオスのルアンプラバンから南はマレー半島のナコーンシータマラートまで、東西はメコン川沿岸から下ビルマのペグーまでひろがった。
同王の時代にスリランカ系の上座部仏教(小乗仏教)がつたえられ、寺院建築や仏像づくりが盛んとなり、その後のタイの美術や建築の源となった。さらに中国からつたえられた製陶技術も発展し、日本で宋胡録(すんころく)焼という名で知られる陶器は、スコータイの産物である。しかし、1350年にタイの南部でたてられたアユタヤ朝に勢力をうばわれ、1438年には併合された。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス
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