1976/02/13 - 1976/02/16
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koiさん
「友好の翼・京都府民友好訪中団」? 北京
代表的な観光地は故宮博物院(紫禁城)、天安門広場、明の十三陵、万里の長城、天壇、頤和園など。現在都市建設の開発に重点が置かれ、地下鉄、高速道路、立体交差、高層マンションの建設などが行われ、現代都市の様相を垣間見ることもできる。
しかし、私達が友好訪中した1976年当時は、地下鉄工事が始められていた時でした。勿論高速道路、立体交差、高層マンションはありませんでした。
2/13 北京空港が雪で上海の空港ホテルで一泊。
2/14 翌日北京空港到着し北京飯店で休憩。
午後
北京市革命委員会表敬訪問。(団役員)
天安門広場→大棚檻(地下壕)
夜 勧化レセブション 於 北京飯店 北京飯店泊
2/15午前 明の十三陵(定陵地下宮殿)
午後 故宮博物院→友誼商店買物
夜 人形劇観劇 於 農業展覧館劇場
2/16午前
1・2班 北京大学
3・7班 中央民族学院
4班 労農兵医院
5班 北京医学院付属第三医院
6班 精華大学
宗教家 広済寺表敬訪問
頤和園で昼食
午後
1班 和平里街道
2班 西城区豊盛胡同街道
3班 西城区福綏境街道
4班 北京製薬工場→天壇
5班 大型電気モーター工場
6班 朝陽医院
7班 友誼医院
中日友好協会張香山福会長と会見。
於 北京飯店 (団役員・各班2名)
夜 革命的現代京劇「杜鵑山」 於 労働者クラブ
「友好の翼・京都府民友好訪中団」(団長に依田義賢・117名)は、1976年2月13日から2週間にわたり北京、西安、上海、杭州、蘇州の各地を友好訪問しました。
派遣目的は、「1日も早く日中友好平和条約の締結をかちとり、中国人民との相互理解・友好・連帯を深め、帰国後の活動を通じて京都における日中友好を飛躍的に発展させ、子々孫々にわたる日中友好関係の強固な基礎をうちかためる」を結成されました。
団員は、京都府の北から南まで府民で労働者・農民・教師・宗教家・医療関係者・芸術家・中小企業・俯市町会議員・青年・婦人というあらゆる階層でした。このため現地では、7班に分かれてマイクロバスで移動し百カ所を越す参観や表敬訪問、観劇など精力的に中国人民と交流しました。
訪問地では、熱烈な歓迎を受け、日中両国人民の友好と理解を深めました。主な訪問先は、工場や人民公社、病院や学校それに史跡文物などで通訳を通じて参観交流しました。
※その模様は、京都新聞の記事として、またKBS京都テレビでは帰国後数回に分けて訪問団の代表がスタジオ出演し取材してきた16ミリのフィルムの映像を見ながら説明し放映されました。
当時は、まだNHKでも取材が許されていなくて画期的な放送でした。取材陣も大変苦労されたようで零下20度という悪条件のためカメラを耐寒処理して取材されたようです。当時はまだフィルムの時代でしたので室内はASA400という好感度フィルムを使用しDRというカメラで撮影し、屋外はASA100というフィルムを使用してアリフレックスというズームレンズ付きの16ミリムービーカメラで取材されました。
※中国・今昔(中国の変化)
今は昔、私達が日中国交される前の北京は、人民服を着た人達の自転車列が走っていた。ところが最近はに美しい色とりどりの日本と何ら変わらない服装になってきた。ビルも北京飯店か人民大会堂それに政府の建物だけであつたが沢山の高層建築が建てられている。
日中友好万歳!
日中両国人民の団結と友好万歳!
【日本との姉妹都市】
東京 日本 1979年3月14日姉妹都市。
【警告】
油の高騰により燃油特別深運賃が高騰しているが、20008年7月から更に急高騰し、総旅費の半分以上になる場合が発生している。ゆえに当分海外良好は見送った方がよい。
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- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
「友好の翼・京都府民友好訪中団」(団長に依田義賢・117名)は、1976年2月13日から2週間にわたり北京、西安、上海、杭州、蘇州の各地を友好訪問しました。
団員は、京都府の北から南まで府民で労働者・農民・教師・宗教家・医療関係者・芸術家・中小企業・俯市町会議員・青年・婦人というあらゆる階層でした。 -
「友好の翼・京都府民友好訪中団」
派遣目的は、「1日も早く日中友好平和条約の締結をかちとり、中国人民との相互理解・友好・連帯を深め、帰国後の活動を通じて京都における日中友好を飛躍的に発展させ、子々孫々にわたる日中友好関係の強固な基礎をうちかためる」を結成されました。
このため現地では、7班に分かれてマイクロバスで移動し百カ所を越す参観や表敬訪問、観劇など精力的に中国人民と交流しました。
(※写真は京都新聞随行カメラマン撮影)
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北京市内
北京市(略称:京)は中華人民共和国の首都であり、全国の政治・文化・経済などの中心である。中国の地
図はよく一羽の鶏にたとえられ、北京はちょうど一番重要なのど部分に位置し、面積は1万6800平方キロで、日本の四国とほぼ同じぐらいである。海抜は10メートル。山地が62%、平地が38%を占めている。人口は1382万人で、東京都とだいたい同じぐらい。
北京市は中国の6の古都の一つ。長い歴史を持っている街として、世界中で人気が高まりつつある。数多くの古代宮殿・皇室園林・廟壇建築など歴史文化あふれる景観が現在でも残っている。 -
北京故宮博物院
北京故宮博物院は、明・清二王朝の王宮であり、世界最大かつ、最も完全な形で保存されている皇帝の宮殿です。
「紫禁城」といわれ、明代の永楽四年(1406年)に着工されて以降、14年がかりで完成しました。敷地面積は72万平方メートル、建築面積も約15万平方メートルに達します。太和・中和・保和三殿のあるところは「外朝」と呼ばれ、儀式や政治を司った場所。皇帝の生誕・結婚、春節(旧正月)などの重要な祝典は、いずれも太和殿で行われました。乾清・交泰・坤寧三宮のあるところは「内廷」と呼ばれ、皇帝と皇后の生活スペースであると同時に、日常の政務を処理する場所でもありました。
残りの東西六宮、御花園は、多くの妃たちが日常生活を送った場所です。1925年、紫禁城は一般に公開され、「故宮博物院」と改称されました。現在、この博物院には100万点以上の非常に貴重な文化財が収蔵されており、1987年には世界文化遺産に指定されています。 -
頤和苑
市の中心部から約15キロの場所にある、中国に現存する最大の王室公園。金時代の遊楽地だった場所を、1888年、清朝の慈禧皇太后(西太后)が海軍の軍事費を流用して再建、現在の名称に改めました。同園は万寿山と昆明湖からなり、全ての建築物が山と湖の形に基づいて巧みに配置されています。仏香閣、長廊、仁寿堂、十七孔橋、諧趣園、蘇州街、石坊などが主な見どころと言えるでしょう。
私は、ここで小型のテープレコーダーを忘れてしまいました。そのことを伝えると数時間後に手元に戻りました。他の国では考えられないことです。 -
天壇
天壇は中国最大の壇廟建築であり、明代の永楽十八年(1420年)に建造されました。明・清代々の皇帝が天を祭り、ここで五穀豊穣を祈ってきました。 主な建築物は、祈念殿・皇穹宇・圜丘壇の3つ。祈念殿の外観の雄大さだけでなく、壁に向かって小さな声でお互いが話すことができる「回音壁」の壁を持つことで有名な皇穹宇も必見です。 -
「友好の翼・京都府民友好訪中団」
訪問先では、小中学生をはじめ人民公社などの人達から熱烈な歓迎を受け人民公社の村や各地の寺院それに史跡文物などを各班毎に分かれるなどして見学しました。夜は京劇等の観劇に毎夜招待されました。
(※写真は京都新聞随行カメラマン撮影)
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北京大学前の壁新聞
1976年当時の中国は、毛沢東が生存し四人組の江青女子が活躍していた時代で、北京大学の壁新聞が唯一の情報源とされ大学の校門に張り出された壁新聞に注目された時代でした。
(※写真は京都新聞随行カメラマン撮影) -
「周恩来死去の記事」北京週報から
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「北京大学前の壁新聞」 京都新聞記事
訪問地では、熱烈な歓迎を受け、日中両国人民の友好と理解を深めました。主な訪問先は、工場や人民公社、病院や学校それに史跡文物などで通訳を通じて参観交流しました。
(※写真は京都新聞随行カメラマン撮影) -
「友好の翼・京都府民友好訪中団」
明の十三陵 右上の写真
市内から44キロ離れた昌平県天寿山の麓に眠る、明朝13代の皇帝の陵墓。なかでも、雄壮な地上建築を持つ長陵、地下宮殿のある定陵が有名です。
(※写真は京都新聞随行カメラマン撮影) -
「友好の翼・京都府民友好訪中団」
特に中華料理のおいしさは、絶品で北京飯店より人民公社で頂いた中華料理の方が美味しかったです。各地で子供達の熱烈歓迎を受けるなど有意義な日中友好訪問でした。
(※写真は京都新聞随行カメラマン撮影) -
人民中国1976年1月の「」第3回全国協議大会の写真
中央上が毛沢東主席 -
「周恩来死去の新聞記事」 京都新聞記事
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当時の中国の様子を伝えね新聞 京都新聞記事
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当時の中国の様子を伝える記事 北京週報
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当時の中国の様子を伝える記事 北京週報
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当時の中国の様子を伝える記事 人民日報
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KBS京都・報道特別番組「新しい中国を行く」
「友好の翼・京都府民友好訪中団」の模様を取材した放送の番組紹介記事。
その模様は、京都新聞の記事として、またKBS京都テレビでは帰国後数回に分けて訪問団の代表がスタジオ出演し取材してきた16ミリのフィルムの映像を見ながら説明し放映されました。
当時は、まだNHKでも取材が許されていなくて画期的な放送でした。取材陣も大変苦労されたようで零下20度という悪条件のためカメラを耐寒処理して取材されたようです。当時はまだフィルムの時代でしたので室内はASA400という好感度フィルムを使用しDRというカメラで撮影し、屋外はASA100というフィルムを使用してアリフレックスというズームレンズ付きの16ミリムービーカメラで取材されました。
(※写真は京都新聞随行カメラマン撮影) -
KBS京都・報道特別番組「新しい中国を行く」
「友好の翼・京都府民友好訪中団」の模様を取材した放送の番組案内記事。出演者などを紹介。
スタッフによると当時は、現地の放送局カメラマンと通訳がぴったり着かれ「日中友好で来られたので・・・」と言うことで良いところしか撮らせてもらえなかったように聞いています。
■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- がおちんさん 2010/02/10 10:49:53
- 貴重な資料
- koiさん
はじめまして、がおちんと申します。
中国の昔の旅行記を探していたら、koiさんのブログを見つけました。
訪中団シリーズを1〜5まで拝見、1970年代の中国の様子や、当時の資料など貴重なものを見せていただきました。
ありがとうございます。
- koiさん からの返信 2010/07/05 22:42:51
- RE: 貴重な資料
- 中国の昔の訪中団旅行記1〜5、1970年代の中国をご覧頂き有り難う御座います。当時はまだ自由に行き来出来ず、京都からの訪中団が最初で無かったかと思われます。NHKですら取材出来なかった時代ですので。しかも北京へのチャーター直行便など考えられないのです。当時は、香港から陸上で入らなければならなかった時代ですから。今から考えると不思議な国であったわけです。
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