1988/10/15 - 1988/10/17
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ももんがあまんさん
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ヨーロッパの旅も、あと半月あまり、ウイーンで帰りの航空券(フランクフルト発)を買って、いよいよ残りの共産国家・三カ国(チェコ・ポーランド・東独)制覇を目指します、けれど、此処まで来ると、やや惰性になってしまっているような、そんな感じです、正直言って、共産国家は、旅がしづらいし、何処へ行っても掛かる、「イクスチェンジ」の掛け声も五月蝿いし、歩いていて、あまり楽しくないのですね・・・ 国家が理想の共同体(コミュニズム)を実現したと言えど、人は理想的にはならぬものなのです・・・ 街は、ホントに美しいのですけれど・・・
写真は、その美しい街(多分、東欧では一番)、百塔の街と讃えられる街、プラハのカレル橋、夕暮の風景です、シャッタースピードを遅らせての撮影なので、通り過ぎる人々が、まるで、幽霊のようです、管理されすぎた国家における人間とは、このような物かもと、ふと、感じたものです・・・ 。
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- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 鉄道
-
チェコ、プラハ
ヴァーツラフ広場
ポーランドで一番有名な広場です、広場というよりも、通りなのですけれど、「プラハの春」(1968年)とか「ビロード革命」(1989年)とか、ポーランドの政治上の、節目節目に登場し、人々が集い集まる広場(通り)です。 -
チェコ・プラハ
ヴァーーツラフ広場
「プラハの春」といわれた事件の頃(1968年)には、この広場(通り)は、ワルシャワ機構軍(ソ連軍)の戦車で埋め尽くされたそうです、僕が訪れた、この頃(1988年)は、ご覧のように、花壇などもあって、オフィス街の中の、「憩いの場」というような雰囲気ではありますけれど、実際のところは、進入したソ連軍は、この時も、この後も、1989年まで、この国に、居座っていたのですね。 -
プラハ
火薬塔(旧市街入口)
15世紀に、王様の戴冠式を記念して建てられた塔であるそうです、その後、17世紀の一時期、火薬の倉庫として使用された事から、こう呼ばれているとか。
旧市街への入口の位置にある、かなり煤っぽい塔で、年季物です、百塔の町への入口としては、ややジミですけれど、マア、お楽しみは、これから・・・ -
プラハ、旧市街
旧市庁舎
14世紀の建物であるそうです、ボヘミアがまだボヘミア王の土地であった時代の建物だそうです。
プラハが神聖ローマ帝国皇帝の帝都となったのは 1346年、ボヘミア王、カレル1世(4世)の時代とかで、その頃から、急速に発展したそうです(ボヘミアの古都と呼ばれる由縁ですね)。
その後、神聖ローマ帝国の帝冠が、ハプスプルグ家に移ってからも、長く帝都として繁栄するけれど、この地、ボヘミアのプロテスタント勢力の反乱を契機とした、ドイツ30年戦争(1618〜1648年)の終結と共に、神聖ローマ帝国は、実質的に完全崩壊となり、帝都はウイーンへ、その後は、オーストリア帝国(ハプスブルグ家)に支配された、一地方都市としての地位に落ち、第一次大戦のオーストリアの敗北(1918年)後の、チェコ・スロヴァキアとしての独立まで、その状態が続いていたらしい。 -
プラハ、旧市庁舎
天文時計
1490年に作られたもので、今も動いているそうです、上下二つの時計があるけれど、いずれも、中世の天動説に基づくものだそうで、一年かかって、ひと回りするのだそうです、いわゆる「星占い」の世界なのだそうですけれど、占星術には、殆ど興味無しなので、何がどうやら、良く解かりません。
でも、たとえ、天動説であるとはいえ、時計は、自然を、計測可能なものとして捉えた、キリスト教的、合理主義的思考の産物であり、近代への一里塚、その記念碑でもあります。 -
プラハ、旧市庁舎
天文時計(正午・仕掛け人形)
ちょっとピンボケですけれど、正午になると、時計の上の、窓が開いて、12人の聖人様やらが、順々に現れます、マア、それ程たいした仕掛けだとは思いませんけれど、「ご愛嬌」ですね・・・ 。 -
プラハ、旧市街広場
ティン教会
&ヤン・フスと支持者達の像
宗教改革者の先駆者として有名な人で、ボヘミアにプロテスタントの基礎を築いた人だそうです。
思想的には、イギリスの、ジョン・ウィクリフ(1384年没)に強く影響を受け、聖書を学ぶ事を説き、ローマ教皇庁の権威と免罪符を批判したとの事、1411年「コンスタンツ公会議」で破門、火刑となります、一種の早すぎた改革者「草莽の志士」の一人でしょうか。
イギリスのウィクリフも同会議で異端宣告され、その遺体を掘り返されて、著書と共に焼かれたそうです、全く、既得権と、嫉妬に狂った坊主どもと言うものは・・・・ 始末に負えないものです。
後方のティン教会は、プロテスタントの教会であるそうです、ボヘミア様式なのでしょうか、塔の4角の装飾がもとても印象的な、なんとなく、蝙蝠が、羽を広げているような、はたまた、ぶら下がっているような・・・ 不気味で、かっこよい教会です、勝手に「蝙蝠教会」と名付けております。 -
プラハ、旧市街広場
ヤン・フスの像
銅像は、緑青で真っ青になって居ますけれど、シルエットはなかなか、かっこよいです。
フランスのワルド派やカタリ派(12世紀末)、イギリスのウィクリフ(14世紀)、宗教改革の先駆者たちは、たくさんいるけれど、基本は「聖書主義」(文献主義)なのですね、それが嵩じて「ローマ教皇権の批判」まで行けば「異端」、そこまで行かず「教皇権の権威」を認めれば、アッシジのフランチェスコ(1226年没)のように認知され、オマケに聖人になれるという、わりと解かりやすい構図が、あるようであります。
その後「聖書(文献)主義」は、15世紀・ルネサンス以降の、印刷・出版技術の革新と共に、花開き、ルター以降のプロテスタント達に、勝利をもたらす事になります。 -
プラハ、旧市街
プラハはバロックの都と言われています、街の至る所に、ドラマティックな建築が溢れています。
バロック建築様式と言うのは、ローマのサン・ピエトロ寺院(17世紀初頭)に端を発するものだそうで、その後、17世紀後半にフランス(ルーブル宮&ヴェルサイユ宮等)やイギリス(セントポール大聖堂等)へ、18世紀初頭には、オーストリア帝国(シェーンブルグ宮等)へと受け継がれたそうです、現在に残るプラハの町は、主としてそのオーストリア帝国時代、「後期バロック」と言われる時代のものであるそうです。 -
プラハ、旧市街
前掲の写真の側面です、ドラゴンの頭の上で、騎士が剣を振りかざしています、ルネサンス期のシンプルな美しさとは明らかに異なる、絵画と彫刻に彩られたバロックの特徴であるそうです。
プラハの町は、町全体が、装飾的で劇的な空間として作られているような、そんな気のする街です、まるで、町そのものが、一つの宮殿をなしているような、ただ歩いているだけで、そんな気のする華麗な街です。 -
プラハ、ブルダハ川
ブルダハ川(モルダウ)に浮かぶ、魚釣り人の小船の風景です、ちょっと、東洋風な、水墨画のような風景ですね・・・ わりといけると思いません?? -
プラハ、ブルダハ川
こちらは、前面に白鳥を配して見ました、後方には、王宮が、もやの中にかすんで見えています。
プラハは、小説家フランツ・カフカの街でもあります、多分、間違いなく、彼は、この「城」(王宮)を、このように、見ていたに違いありません、多分・・・ ? -
プラハ、カレル橋
ボヘミア王であり、神聖ローマ帝国の皇帝、カレル1世(4世)により、1357年から60年かかって完成したと言われる、由緒ある橋です、橋の両側の彫像は、17世紀以降のバロック期のものであるとか。
それにしても、戦火を潜り抜けて、良く残ったものであります。 -
プラハ、カレル橋
プラハが、ナチスドイツに占領されたのは、オーストリア併合(1938年)に続く1939年で、その年の11月の 「ポーランド進入」=(第二次大戦の開始ゴング) の少し以前(3月頃)で、比較的平和裏に?併合(ボヘミア・モラビア保護領)されたそうです、美しい街が無事に保存されたのは、そのせいでしょうか?
また、併合直前の、爆撃予定のその夜に、たまたま霧がたち込め、爆撃機が離陸できなかったとか?
あるいは、ヒトラーが、この「ボヘミアの古都」を愛し、「第三帝国」の完成後の帝国の首都とする為に、爆撃を許可しなかったとか?、諸説あるようであります。
でも、「ヒトラーに愛された古都」と言うのは、あまり、観光用キャッチコピーとしては、宜しくないのでしょうねえ・・・ ?? -
プラハ、王 宮
聖ビート教会
王宮の中にある、ゴシックスタイルの教会です、写真は、その一部ですけれど、その「荘厳な」雰囲気のいくばくかは、伝えているでしょうか?
14世紀の、これも、カレル1世(4世)によって建てられた教会で、因みに、聖ビートと言う人は、スラブ人に対する布教のためにこの地を訪れて、王宮の窓から、ブルダハ川へ放り込まれて殉教した宣教師の名前であるとか、ハンガリーのブダペストのゲレルトと同じような物語であります。 -
プラハ郊外の風景
プラハだけでは面白くないので、面白そうな町は無いかと、電車で出かけてみました、ボヘミアの森(今も狼が棲むという?)を、探してみたかったのですけれど・・・ 森らしきものはあったけれど、少し遠すぎて、辿り着けず・・・ 町のほうは、周りにあまり、よさそうな処も無く、それどころか、やたら近代的なアパート群が目に付いて、ちょっと、プラハとの、その「落差」に、考え込んでしまいました・・・ 次は、スロヴァキアへ参ります、勿論この頃(1988年)は、同じ国「チェコ・スロヴァキァ」であります。
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