2006/08/06 - 2006/06/06
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dohrakuさん
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去る8月6日(日)、台北市中心部にある台北賓館(旧台湾総督官邸→現台湾政府迎賓館)が一般公開され、猛暑の中、私も見学してきました。贅をこらした造りは、日本統治時代の権力の象徴の一つともいえますが、それだけに関心も高く、大勢の見学客で賑わっていました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
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入場は事前申込者(ホームページで受け付けていたらしい)と当日参加者に分けられましたが、公開開始時刻の9時ちょうどに行っても特に行列が出来ているわけでもなく、すぐに入れました。
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敷地に入るとすぐにセキュリティーチェックが行われます。入場者カードに氏名と身分証明証番号(私はパスポート番号)を記入、パスポートを見せ、鞄の中を確認されて、金属探知機を通ると、まるで空港みたいです。
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入ってすぐ左にあった馬厩。乗馬や馬車の馬をつないでおくところですが、今や使われることもないと思われます。
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厩舎の中では台北賓館の歴史や構造に関する展示が行われていました。
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厩舎などいわば裏方の施設が並ぶ一角を過ぎ、この門を通って、いよいよ本館に向かいます。
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これが本館です。1901年に台湾総督官邸として建設され、戦前は皇族や日本政府高官、戦後は中華民国政府の国賓の迎賓館として使用されました。戦後は圓山大飯店が国賓の宿泊・饗応に使用されることが多くなりましたが、それでも最近ではクリントン前大統領などが訪台の際にここを使用したそうです。
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車寄せの天井もこんな感じ。細部に至るまで全てが豪華絢爛の一言に尽きます。明治時代の日本も西洋諸国に肩を並べるために必死だったのだなとつくづく思います。
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正面の車寄せから東側に振り返ったところです。ここで台北賓館の基本データを羅列します。
起 工:1899(明治32)年
竣 工:1901(明治34)年
(第4代 兒玉源太郎総督の時代)
設計者:福田東吾、野村一郎
様 式:バロック風(1階)、英国ヴィクトリア様式(2階)
建物の老朽化により、2001年に一旦閉鎖のうえ修復工事(総工費14億元=約42億円とのこと)が進められていたのが完成し、2006年つまり今年6月に一般公開が開始されました。つまり今回が2回目です。 -
本館の前庭は噴水を中心に落ち着いた感じで、豪華極まる建物とは対照的です。なお、塀の向こうに僅かに見えているのは中華民国外交部庁舎(外務省)です。
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本館の正面玄関です。見学者のほとんどがここで記念写真を撮ってから中に入っていきます。
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正面玄関から見た内部です。現在も使用されている施設のため、隅々まで手入れは行き届いています。内部は撮影禁止だったので撮影できたのはこれが限度ですが、奥に見えるシャンデリアなどから、いかに豪華な設備であるかはご想像いただけると思います。なお、これら金色部分には、本物の金箔を貼り付けてあるそうです。
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内部の公開は1階の一部(会議室と宴会場)のみでしたが、それだけでも見応えはあり、あちこちで驚きとため息が聞こえていました。日本人の見学客もかなりいたのですが、解説してくれるボランティアのスタッフが中国語のみだったので、話しかけてもらっても内容が解らなかったのが非常に残念です。内部を通り抜けると裏側(北側)へ出ます。
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裏側つまり北側のテラスです。これだけを見ると、日本や台湾を感じさせるものが何一つありません。しかしとにかく暑かった…。
奥(西側)の半円形に出ている部分が晩餐会などに使用される宴会用ホールです。 -
本館の東側部分です。この1階部分が、来賓との会談や会議に使用されていたホールになります。
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こちらは裏側(北側)から西側を向いて撮影。テラスから庭に降りるカーブした階段が何とも優雅です。注目度は高いだけあって見学客が途切れることはなく、人が手前に写り込まなくなるまでかなり待たされました。
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台北賓館の裏側にはこのように日本庭園が広がっています。台湾では戦後、このような和風施設の多くが破棄されるか、中国風に改装されましたが、ここはあずまやなどが基本的に元のままで残されています。後方に新光摩天楼ビルが見え隠れしているのがミスマッチですね。
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日本風の石灯籠も当時から残されているものでしょうか。奥に見える噴水が意外に違和感のないこの日本庭園、当時は台湾一の庭園と称されたそうです。
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庭園の奥には日本家屋なども見え隠れしており、日本人としてはこれも非常に気になるのですが、見学可能範囲が限られているため、近づくことは出来ませんでした。
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1階の外周廊下です。アーチ型の柱から吊り下げられた電灯まで、まさに優雅の一言です。
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電灯のアップ。
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建物は完全に洋風ですが、総督官邸というからにはそこに住まないといけないわけで、明治時代の日本人にはつらいのでは?と思いましたが、後で調べてみると、果たして洋室に畳を敷いたことがあるそうです。主に儀式や宴会用の1階に対し、居住部分があったはずの2階がどうなっているかも見てみたいところですが、現状では台湾に国賓として招かれない限り、それは無理のようです。
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本館の東側です。ここを正面にしてもいいくらいの威容です。
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庭園から本館の横を通り、再び正面に出ました。見学者入口は撮影場所の反対側にあたるわけです。ここに記念写真コーナーや記念スタンプが置かれていて当然ながら絶えず人混みができており、それが途切れるまで、32℃の極暑の中を待つのは結構つらいものがありました。
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入口車寄せ上のベランダは、1923(大正12)年2月に皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が台湾訪問の際、奉迎の民衆に向かって手を振られた場所です。総督官邸が宿舎として使用されたわけですが、当時はまさに一大イベントで、館内に展示されていた古写真はこのときに撮影されたものが多かったです。
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見学者出口です。見学可能場所が非常に限られているので、ただ見るだけなら30分もかかりませんが、それでも全てが見応えのある充実した一時でした。今後は偶数月に1日だけ公開される予定とのことですが、非公開部分の順次公開を期待しつつ、また訪れたいと思います。
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