2003/06/02 - 2003/06/09
6100位(同エリア6430件中)
k-ueさん
初夏のオーストリアを旅しました。首都ウィーンではハプスブルク家ゆかりのホーフブルク(王宮)やシェーンブルン宮殿などを巡りました。
詳しい旅行記は http://www5d.biglobe.ne.jp/~k-ue/ の「2003年6月オーストリア・ハンガリー旅行」をご覧ください。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- オーストリア航空
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ウィーンのシンボル、シュテファン大聖堂です。
14世紀にハプスブルク家の建設公ルドルフ4世によって建設されました。 -
シュテファン大聖堂の内部です。
神聖ローマ帝国皇帝でハプスブルク家発展の基礎を築いたフリードリヒ3世や、対トルコ戦争の英雄プリンツ・オイゲン公が眠っています。 -
シュテファン大聖堂の塔から眺めたウィーンの町並みです。
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グラーベン通りです。ウィーンに町が築かれた頃、ここが王宮の濠だったことが名前の由来です。
通りには神聖ローマ帝国の皇帝レオポルト1世がペスト終焉を祝って建てたペスト記念柱があります。 -
グラーベン通りにあるペーター教会です。
18世紀にバロック様式で再建されましたが、もともとは9世紀のフランク王国のカール大帝の時代に建設されたという長い歴史を持っています。 -
歴代のハプスブルク家の君主が暮らしたウィーンの王宮です。内部では王室の人々が使用した食器や部屋が公開されています。
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1000年続いた神聖ローマ帝国の最後の皇帝フランツ2世です。フランスのナポレオンとの戦いに敗れてドイツの領土を失い、残された領土を再編してオーストリア皇帝フランツ1世を名乗りました。
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ウィーンの新王宮です。王宮の前に立つ騎馬像は対トルコ戦争で活躍したプリンツ・オイゲン公です。
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ライトアップされた新王宮です。
この宮殿が完成した頃、ハプスブルク家は第一次世界大戦を引き起こしてしまい敗北、ほとんどここで暮らすことなくオーストリアを去りました。 -
新王宮の反対側から見えたライトアップされた市庁舎です。前に立っている騎馬像はオーストリア皇帝フランツ1世の弟カール大公です。彼はオーストリア軍を指揮してナポレオン軍と戦いました。
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新王宮の裏にある庭園に建つモーツァルトの像です。
彼はザルツブルクからウィーンに活動の拠点を移し、数々の名曲を残しました。 -
ハプスブルク家の実質上最後の皇帝フランツ・ヨーゼフです。
彼が統治した19世紀末のオーストリア帝国はドイツやイタリアとの戦争、ハンガリーやボヘミアの独立運動など、激動の時代でした。
晩年に皇太子が暗殺されたことから第一次世界大戦を引き起こしてしまい、戦争の最中に亡くなりました。 -
王宮の裏に広がる庭園で咲いていたバラです。6月頃には5000本以上のバラが咲き誇ります。
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こちらも庭園で咲いていたバラです。
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フランツ・ヨーゼフ皇帝の妃、エリザベート皇后です。
絶世の美女と人々に讃えられましたが、バイエルンの大自然で育った彼女は窮屈な王宮での生活に耐えられず旅から旅の人生を送りました。そして旅の途中、スイスのジュネーブで暗殺されました。 -
マリア・テレジアの像です。
彼女は数々の改革を実施してオーストリアの近代化に努めました。
また、300年に渡ってライバル関係にあったフランスと同盟を結ぶことに成功し、末娘のマリー・アントワネットを嫁がせました。 -
ウィーンが世界に誇るオペラ座です。パリ、ミラノと並ぶ3大オペラ座の1つです。
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ライトアップされた市庁舎です。1882年に完成したネオゴシック様式の建物です。
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ライトアップされた国会議事堂です。正面には女神アテナの像が立っています。民主主義発祥の地、ギリシャにちなんで建てられました。
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ノイアーマルクト広場にあるドナーの泉と呼ばれる噴水です。この広場に面して建つカプチナー教会にはハプスブルク家の人々が眠っています。
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ウィーン市立公園に立つワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の像です。
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神聖ローマ帝国の皇帝カール6世がペスト終焉を記念して建てたカールス教会です。
ウィーンのバロック建築を代表する建物です。 -
カールス教会の中央祭壇です。
ペスト退治の成人カール・ボロメウスの像に光が降り注いでいます。 -
ウィーンの環状道路リンクに立つラデツキー将軍の騎馬像です。彼はイタリア方面で活躍しました。ラデツキー行進曲は彼のために作られた曲です。
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ウィーンでもっとも古いといわれるルプレヒト教会です。
この周辺は飲み屋が多く、酔いつぶれる(沈没する)ことからバミューダ・トライアングルと呼ばれているそうです。 -
アンカー時計と呼ばれる仕掛け時計です。
オーストリアゆかりの人々が登場して時間を知らせてくれます。 -
マリア・アム・ゲシュターデ教会です。
かつては、この辺りまでドナウ川の支流が広がっていたそうで、「岸辺のマリア教会」という意味です。 -
アム・ホーフ教会です。
この前の広場には、ハプスブルク家がウィーンにやってくる前にここを統治したバーベンベルク家の王宮があったそうです。
ナポレオンに敗北した神聖ローマ帝国の皇帝フランツ2世はこの教会から帝国の終焉を宣言しました。 -
世界でもっとも美しい図書館といわれる国立図書館のプルンクザール(豪華大広場)にある神聖ローマ帝国皇帝カール6世です。
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新王宮の中にある中世武器博物館です。
ここにはハプスブルク軍の人々が使った武器や鎧が展示されています。 -
こちらも新王宮の中にあるエフェソス博物館です。
現在のトルコ領エフェソスではオーストリアの考古学者たちが発掘調査を行っていて、発掘品が展示されています。 -
ハプスブルク家の夏の離宮シェーンブルン宮殿です。
トルコ軍を撃退した神聖ローマ帝国の皇帝レオポルト1世がフランスのヴェルサイユ宮殿に対抗して建てた宮殿を、女帝マリア・テレジアが大改築しました。 -
シェーンブルン宮殿の庭は多くの噴水や花々、彫刻で飾られています。
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シェーンブルン宮殿の庭には動物園があります。
ハプスブルク家が各国から寄贈されたり調査隊が連れ帰った動物を集めて作られた世界最古の動物園です。
ちなみに写真はトラです。 -
こちらも動物園の中にいるペンギンです。
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動物園の中にある朝食のパヴィリオンです。
女帝マリア・テレジアは、家族とここから動物たちを眺めながら朝食をとっていたそうです。 -
ネプチューンの噴水から見たシェーンブルン宮殿です。
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シェーンブルンの丘の上に建つグロリエッテ(栄光)です。
女帝マリア・テレジアに仕えたダウン将軍がコリンの戦いでプロイセン軍に勝利したことを記念して造られました。 -
対トルコ戦争の英雄プリンツ・オイゲン公が建てたベルヴェデーレ宮殿です。
マリー・アントワネットがフランスに嫁ぐ際、女帝マリア・テレジアはここで別れの宴を開きました。 -
プラーター公園です。もともとはハプスブルク家の狩猟場でしたが、マリア・テレジアの長男ヨーゼフ2世の時代に一般の人々に開放されました。
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