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ヴァイマール<br /><br />ヴァイマールはゲーテが築いた町と言ってもいい。ゲーテの「ファウスト」は愛読書なので、ゲーテ追っかけには欠かせない町。カール・アウグスト大公が「若きウェルテルの悩み」を発表して人気作家になっていたゲーテを招いたのは1775年、ゲーテ26歳のとき。はじめは文学者として招かれたのだが、すっかりここが気に入ったゲーテは生涯をここで過ごし、宰相としてワーマールを一級の町にするための努力をおしまなかった。文化行政には傑出した腕をふるった。<br /><br />ゲーテはナポレオンともここで会っている。ナポレオンが「若きウェルテル」について論争を挑んだことも語り継がれている。ナポレオンもウェルテルを読んでいたことがうかがえてほほえましい。<br /><br />またここはシラーもいる。ゲーテとシラーはお互いに啓発しあっている。国民劇場の前にはゲーテとシラーの像が立っている。<br /><br /> ゲーテ博物館、ゲーテハウス。シラーの家(ここでウィリアム・テルを書く)エッカーマンの家、リストの家、クラナッハの絵のある教会、美術館となっている城、と見るべきところはたくさんある。クラナッハ展もやっていた。足を棒にしてあるきまわった。<br /><br />マルクト広場にあるホテル「エレファント」に泊まろうとしたのだが、あいにくいっぱい。広場は人であふれている。今日はキリスト昇天祭でお休みなのだそうだ。そこで駅まで引き返し、駅の近くのホテルに泊まり、ワイマールカード(交通機関・博物館等有効)を買った。私たちにはワイマール憲法としてもお馴染みの町。<br /><br />でも町は荒れ果てている。お世辞にも美しい町とはいえない。ワーマールは戦災を免れたはずなのに。旧東ドイツの共産党政権は徹底した中央集権をしいた。東ベルリンにすべてのものが集められ、地方都市はなおざりにされたのだ。ワイマールも例外ではなかったようだ。この古都はドイツ人の精神のよりどころではなかったのか。<br /><br />私は壊れかけた家とか、廃墟が好きなのだが、それにしてもこの惨状をゲーテが見たら、さぞかし嘆くだろう。1999年までに復興予定と書かれた看板が立って工事が行われていた。<br /><br />ワイマールカード(交通機関・博物館等有効)のおかげでバスも電車も乗り放題、は良かったのだが、行き先を間違えて反対路線に乗ってしまった。ひとたび市街を離れると、いまにも崩れ落ちそうな家々が並んでいる。人が住んでいないのかと思ったが、屋根にはテレビのアンテナが乱立しているし、車も見えるので人は住んでいるようだ。<br /><br />これに味を占めて、バス路線をやたらと乗ってみた。<br />7番の終点まで行くと四角い住宅群。旧ソ連の影響の家並み。通りの名もモスクワ通り、ワルシャワ通り。<br />中央のゲーテプラッツで2番に乗り換え、終点までいく。今度は古いがいかにもドイツらしい古い家並みの通りを通って行く。終点の名はシェイクスピア通り。<br /><br />町はずれのゲーテとシラーが眠っている墓地に行った。<br />広い墓地を二人の墓を探したがなかなか見つからない。<br />行き会ったドイツ人に訊ねると自分も探しているのだと言う。<br />ほどなく、その人が大きな声で私たちを呼んだ。<br />墓地の中にある建物(何回もそばを通ったのだが)の地下に安置所があり(そこは有料だった)、木製の二つの棺は並んで安置されていた。<br /><br />ヴァイマールに近くにも強制収容所があったが、ザクセンハウゼンでかなりショックをうけていたので、今回はパスすることにした。<br /><br />復興なったヴァイマールをもう一度訪ねてみようと思っている。 <br />

ドイツ1997年 4

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1997/05/05 - 1997/06

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buchijoyce

buchijoyceさん

ヴァイマール

ヴァイマールはゲーテが築いた町と言ってもいい。ゲーテの「ファウスト」は愛読書なので、ゲーテ追っかけには欠かせない町。カール・アウグスト大公が「若きウェルテルの悩み」を発表して人気作家になっていたゲーテを招いたのは1775年、ゲーテ26歳のとき。はじめは文学者として招かれたのだが、すっかりここが気に入ったゲーテは生涯をここで過ごし、宰相としてワーマールを一級の町にするための努力をおしまなかった。文化行政には傑出した腕をふるった。

ゲーテはナポレオンともここで会っている。ナポレオンが「若きウェルテル」について論争を挑んだことも語り継がれている。ナポレオンもウェルテルを読んでいたことがうかがえてほほえましい。

またここはシラーもいる。ゲーテとシラーはお互いに啓発しあっている。国民劇場の前にはゲーテとシラーの像が立っている。

ゲーテ博物館、ゲーテハウス。シラーの家(ここでウィリアム・テルを書く)エッカーマンの家、リストの家、クラナッハの絵のある教会、美術館となっている城、と見るべきところはたくさんある。クラナッハ展もやっていた。足を棒にしてあるきまわった。

マルクト広場にあるホテル「エレファント」に泊まろうとしたのだが、あいにくいっぱい。広場は人であふれている。今日はキリスト昇天祭でお休みなのだそうだ。そこで駅まで引き返し、駅の近くのホテルに泊まり、ワイマールカード(交通機関・博物館等有効)を買った。私たちにはワイマール憲法としてもお馴染みの町。

でも町は荒れ果てている。お世辞にも美しい町とはいえない。ワーマールは戦災を免れたはずなのに。旧東ドイツの共産党政権は徹底した中央集権をしいた。東ベルリンにすべてのものが集められ、地方都市はなおざりにされたのだ。ワイマールも例外ではなかったようだ。この古都はドイツ人の精神のよりどころではなかったのか。

私は壊れかけた家とか、廃墟が好きなのだが、それにしてもこの惨状をゲーテが見たら、さぞかし嘆くだろう。1999年までに復興予定と書かれた看板が立って工事が行われていた。

ワイマールカード(交通機関・博物館等有効)のおかげでバスも電車も乗り放題、は良かったのだが、行き先を間違えて反対路線に乗ってしまった。ひとたび市街を離れると、いまにも崩れ落ちそうな家々が並んでいる。人が住んでいないのかと思ったが、屋根にはテレビのアンテナが乱立しているし、車も見えるので人は住んでいるようだ。

これに味を占めて、バス路線をやたらと乗ってみた。
7番の終点まで行くと四角い住宅群。旧ソ連の影響の家並み。通りの名もモスクワ通り、ワルシャワ通り。
中央のゲーテプラッツで2番に乗り換え、終点までいく。今度は古いがいかにもドイツらしい古い家並みの通りを通って行く。終点の名はシェイクスピア通り。

町はずれのゲーテとシラーが眠っている墓地に行った。
広い墓地を二人の墓を探したがなかなか見つからない。
行き会ったドイツ人に訊ねると自分も探しているのだと言う。
ほどなく、その人が大きな声で私たちを呼んだ。
墓地の中にある建物(何回もそばを通ったのだが)の地下に安置所があり(そこは有料だった)、木製の二つの棺は並んで安置されていた。

ヴァイマールに近くにも強制収容所があったが、ザクセンハウゼンでかなりショックをうけていたので、今回はパスすることにした。

復興なったヴァイマールをもう一度訪ねてみようと思っている。

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