1999/01 - 1999/01
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buchijoyceさん
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弥次喜多道中記 2
予定を変更して、タクシーとガイドを頼み、ギザの3大ピラミッド、スフィンクス、サッカラ、メンフィスと1日かけて近郊の名所をまわった。
ギザに近づき、ガイドから「ほら、ピラミッドが見える」と指され、「わぁピラミッドだ」と子どものように叫んだら、なんでこんなものに感激するのかといった顔をされてしまった。ピラミッドもスフィンクスも人、人、人でごった返していた。学校が休暇にはいったとかで、子ども連れの家族が多い。加えて外部からの観光客。いろんな言葉がとびかっている。
アムステルダムから飛行機が一緒だった日本人ツアーの人たちとも出会った。彼らは聴覚障害者の一団。空港でも活発に手話で話し合っていたが、残念ながら私にはアラビア語以上になんにも分からなかった。挨拶はニコっと笑って会釈するだけ。以前手話で「こんにちは」を覚えたのだが、使うことがなかったので忘れてしまった。どこの国でも、こんにちは、ありがとう、さようなら、ぐらいは、そこの国の言葉ですると喜ばれる。今回もアラビア数字を覚えて、ルームナンバーはアラビア数字で書くと、ことのほか受けた。だが、同じ日本人なのに手話の一つもできずコミュニケイション出来ないのはなんとも残念だ。
クフ王のピラミッドは入り口までは登れる。中学生くらいの男の子達がわいわい話しかけてくる。調子に乗って私も写真を撮ったりして一緒に騒いでいる。
ピラミッド、初めて見る者には大きくて存在感がある。吉村作治さんによれは(彼の著書は殆ど読んでいる)、ピラミッドは王墓ではないそうだが。ガイドにピラミッドの石を指さし、「この石は何」ときくと、「アラバスター」だと答えた。アラバスターは白い筈なのに変だなと「アラバスターは固いのか」と聞くと「固い」と言う。
私の住む町は小松石の生産地。石にはちょっと知識がある。この答えはどうもおかしい。旅が進むにつれやがて、ピラミッドの石はグラニートで、アラバスターは私の思っていたとおり白くやわらかい石であることがわかった。
公開しているピラミッドの内部通路は背をかがめても頭がぶつかりそうに天井が低い。真っ暗な中を下を向き向き歩いていたら、いきなり前方をふさがれた。さっきの男の子達が、もそもそ上がってくるオバサンを見つけて、通せんぼをしたのだった。こんなところ人なつこくてとてもかわいい。
3つのピラミッドが一望に出来るところに連れていってくれた。さらさらとした砂というより泥の乾いたような細かい砂の上を歩いていくと、遠くサッカラのジェセル王の階段状ピラミッドも見渡せる。「これから行くからね」とピラミッドに呼びかける。96ものピラミッドがあるそうだ。スフィンクスにも寄る。
サッカラに行く前にパピルスmuseumに連れて行かれた。パピルスの製造過程を見せ、土産物を売っている。運転手とガイドはここに私たちをおき、15分くれと言って、近くのモスクにお祈りに行ってしまった。今日は安息日、お祈りの日だからしょうがない。町中にイマームの声がスピーカーを通して響き渡る。コーランなのだろうか?
サッカラまでは田舎道でのんびりしていて居心地がいい。川沿いには麦畑が青々と続き、泥づくりの家々のまわりには山羊、羊、水牛、牛、馬、ロバ、鶏、あひるの姿が見られる。小さなこどもたちがロバに乗ってかけまわっている。動物は生活の相棒であり、食料にもなる。生活の相棒である限り、この種が生き残れるのも確かだ。ロバは車代わり、自分の背に牧草を積んでもらい、荷物を運んだり、荷車を引いたりとよく働いている。
サッカラでピラミッドを見て回り、メンフィスに行った。大きな建物の中に横たわるラムセス?世像は、斜めの光を受けてとても美しかった。ここも団体客が多かったが、ひとり反対の位置から逆光で写真を撮っていた。
ピラミッドの中でも遺跡でも、カメラ料金が必要。しかしフラッシュ使用が禁止されているから写真は撮れないが、カメラを持っていて疑われては嫌なのとカメラを預けたくないので、カメラ料金があるところは料金を払った。たいてい10エイジプトポンド。1ポンドは約30円。
お腹が空いたので、「みなさんにもご馳走するから、どこか食事に連れていって」と頼むと、「美味しくて安い店がある」とレストランに連れていってくれた。入り口の左の窯で、女性が二人、薄くてきれいな円のナンのようなパンを焼いている。傍へ行って「これはなに」と聞くと、答える代わりに焼きたてのパンをポンと投げて寄こした。
裏にフスマがついていて香ばしくて美味しい。ガイドに聞くと「エイシ」という。「ラジーズー(美味しい)」ほどなくエジプト料理が並ぶ。エイシにディップや野菜をはさんで食べるようだ。これがまたいける。ケバブは二人で一人前でいいから、一皿は二人にまわし、夫は専ら水みたいなステラビールを飲んでいる。私は紅茶。どこもリプトンのティーバッグ。ミルクは入れないらしい。デザートまでついて4人で125ポンド。
さすが疲れた。二人は明日の予定を聞く。明日は博物館へ行く予定だというと、午後はどうかと聞く。空いていたら、砂漠にベドウィンを訪ねて、お茶を飲んでこようと誘う。私は「行きたいなぁ」と乗り気。夫は明日はのんびり市内を歩こうと反対。「私たちは年寄りだからね。明日はフリーにする」と断ると、気が変わったら電話してと名刺を置いて行った。
ホテルで一日延長を頼むと、値段がちがいますがいいですかという。予約していくと1泊17,000円。延長は1泊250ドル。予約の方が遙かに安いとは、知らなかった。
旅での私の日課ははがきを書くこと。一日平均10枚は書く。5枚ほど書いて、のどが渇いたので下にお茶を飲みに行くと、結婚式の披露宴が行われていた。
2階から父親に腕を取られて白いウェディングドレスの花嫁が下りてくる。階段の下では黒のタキシード姿の花婿が待っている。ライトがつけられ、大きなビデオカメラが回っている。花婿は花嫁のヴェールをあげ、キスすると手をとり、ホールを進む。ここに上下白に赤いベストと赤い帽子をかぶった楽団が待ちかまえていて、演奏が始まる。実にたのしげなリズム。民族衣装をつけた踊り子達もお祝いの踊りを踊る。腰までスリットの入ったスカートで激しく踊るのでなんともなまめかしい。ホールを一回りすると、花嫁花婿を先頭に一団は階段を上っていった。この先ものぞきに行きたかったが、遠慮した。
と、次の花婿が同じように下に立ち、花嫁を待ち受けだした。今度の花婿は白のタキシード。もう一回式がある。カメラがほしい、というと夫が部屋に取りに行ってくれた。楽団は同じく白装束だが今度は帽子とベストは青。太鼓とラッパがにぎやかに響く。巻き舌でラーというかん高い女声が響く。彼女はプロで、儀式にはつきものだそうだ。花嫁の母親が辺りに金のコインのようなものをまく。今度は踊り子はいないが、花嫁花婿と親族が輪になって踊っている。ほほえましい。柱の横からカメラを向けていると親族が前に出て写真を撮れと押し出してくれた。ついでに記念にまいたものも拾ってくる。コインのようなもの、手形に青い目がついているものなどがある。きっとそれぞれに意味があるのだろう。
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