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5月31日(火)曇り<br />午前中のんびりと片づけをしたり、日記を書いたりしていた。PapasanはATMにお金を下ろしに行ったがちっとも帰ってこない。心配してご主人が迎えをだしてくれた。ATMは昨日使ったばかりなのに、使い方を間違えてソルばかり出してしまったのだそうだ。そこへ迎えが来て、ドルの出し方を教えてくれたのだという。<br /><br />昼近く、ミゲルが迎えに来た。香苗さんが中華とクリオール料理の店を教えてくれた。「クリオールがいい」と私。で、クリオールの店に行く。<br />「ペルー料理も食べ納めだから、美味しいもの紹介して」<br />「これは地球の歩き方に紹介されています」なんて言いながらミゲルが名前を教えてくれたけど、名前はみんな忘れてしまった。でも食いしん坊、味はしっかりと覚えている。<br /><br />食事が終わってから、リマ市街を見下ろせる十字架の建っている400mの丘に上った。もちろん車でである。頂上は真ん中に十字架が立ち、そのまわりはちょっと広い空間があり、売店もある。360度まわって下を眺めている。地肌をむき出した崖のような傾斜地に住宅が高く高く這い登っていく。日本人の感覚では危険度大である。降雨量がすくないから、こういう芸当が出来るのだろう。日本だったら、さっそく土砂災害に遭ってしまう。<br />「私が日本へ行く前はリマはあそこまででした。それが帰ってくるとこんなに広くなっていました。」<br />「あそこに見えるのはなに?すごく広い敷地だけど」<br />「あれは墓地です。あそこは町外れだったのですが、いつしか中心地になってしまいました」<br />「首都膨張ってのは、どこでも問題なんだなぁ。背景にはいっぱい問題を抱えているんだよ。」<br /><br />中学生ぐらいの制服姿の女の子たちが先生に連れられてやってきた。カメラを私たちに差し出しているので、シャッターを押してくれと言っているのかと思ったら、Papasanといっしょに写真が撮りたいのだという。Papasanは大喜びで女の子たちの中に入った。<br />子どもたち、フジモリさんと言っていた。メガネをかけた日本人だからフジモリさんに似ているとおもったのかも。フジモリさんはもっとハンサムだったよ。ということはフジモリさんはまだにんきがあるのかな。フジモリさんは悪いこともしたけれど(何が悪いかは聞かなかった)いいこともいっぱいしたとミゲルが言った。<br /><br />約束の3時半少し前に天野博物館に着く。日本人団体客がバスで来ていた。するとガイドに金城さんがついていた。なんか友達にあったみたいになつかしかった。私たちの日程を覚えてくれていて、「ラパスから帰ってから天野博物館ではきつかったと思いますよ」と言った。「そうですね、黄金博物館の時みたいに、眠ってしまうかもしれませんね。今日、ここだけはしっかり見ようととゆっくり休んできましたよ」と言って笑った。金城さんはこれから黄金博物館へ団体さんを案内して、明日はクスコに行くそうだ。団体さんの一人が椅子で寝ている。やっぱりお疲れですね。金城さんに「お元気で」、と別れる。<br /><br />天野博物館のことは来る前からよく知っていた。天野さんが収集したチャンカイ文化についてもいささかは理解している。若い女性が説明についてくれた。見学者は10人ほど。私は耳が悪いので、説明のそばについて聞いている。<br /><br />先ずはペルーの地形の概要から。海岸線は乾いた砂漠、そしてアンデス山脈、更に中央はアマゾン川上流に当たるジャングル。そうだった、アマゾンと言うとブラジルを思い浮かべるが、ペルーの国土の50%もアマゾンのジャングルだったんだ。<br /><br />初めの部屋は陶器や土器などが飾られている。特にここの所蔵品はチャンカイ文化のものが主流。チャンカイは海岸部の小さな谷あいに起こった文化だが、長続きしたそう。その後インカに併合されるが、独自の文化を主張していたようだと言う。チャンカイの陶器の特徴は、初めのうちはカラフルだったが、やがて白と黒のモノトーンになった。かなりデフォルメしている。人の顔の陶器が集められていたが、これを見るといろいろな人びとがチャンカイには訪れていたようだ。アラブ人もいれば、刺青をしたポリネシア人の姿もある、それはコロンブスのアメリカ発見よりずっと前から多くの人びとと交流が行われていたことを物語っている。毎度出てくるのですっかりなじみになってしまった年号1532年、スペイン、ピサロの侵略。1821年、ペルー独立。<br /><br />そうそう、陶器のジャガイモを見て、見学者が「ジャガイモの種類は4500種ある」と言った。「4500種も。じゃぁ改良種を含めて?」と聞くと「原種です」と答えた。原種が4500なら改良種はきっと万をこえているだろう。彼らはジャガイモの見学に行って来たのだそうだ。<br /><br />次の部屋は織物の部屋。展示されている以外に、布地は一枚一枚引き出しから引き出して見られるようになっている。ここは圧巻。精緻な織、色鮮やかな染めにも目を見張らされたが、特にレースにはただ、ただ感激。しかも羊毛を細く紡いで織っている。更にそのレースに刺繍を施している。展示品の写真を撮ることはできないから、売店で天野博物館の「染織図譜プレインカ」を買ったが、本の写真はいまいちのできばえ。本物はもっと素晴らしいんだけど。ここに紹介したいが、転載禁止なので紹介できなくて残念だ。<br /><br />ここの赤はコチニールだ。(コチニールは、サボテンを食物とするコチニールカイガラムシの脂肪細胞からえられる赤い色素。天然色素として食品にも使われている)<br />アジアではラックを使うと言うと説明の女性はラックを知らない。「ラックカイガラムシ。シルクロードの発掘品に使われている染料ですよ。あぁ、ナポレオンのマントも武田信玄の陣羽織にも使われていた。天然の染料は時を経ても色鮮やかに残っている。いまでも染料として使われていますよ」なんて余計なことを教えている。彼女が「染料は分かっていますが、定着に何を使ったかまだわかっていないのです」と言った。「使ったとしたら、身近にあるものだろうねぇ。ラックにはタマリンドって酸味のある果物を使っていたよ」これは香苗さんの分野だ。聞いてみようと思っていたが、どたばたして聞き忘れてしまった。<br /><br />帰りの飛行機で読むんだと、Papasanは「アンデスの黄金」、私は天野博物館の創設者、天野芳太郎氏の「わが囚われの記」を買った。天野さんって、太平洋戦争当時パナマにいたんだ。パナマの日系人たちが開戦と同時に逮捕され、強制収容所に送られ、米軍にひどい扱いをうけていたその記録だ。しんどい記録だ。<br /><br />帰って香苗さんに「素晴らしかったです。」というと、「そうでしょう」「特にレースが圧巻でした」「ウチにもあるんですよ」「あら〜、それは残念!見せてもらいませんでしたよ。」<br /><br />早めに空港に行こう。支度をして部屋を出て、カンツータの早内ご夫妻に挨拶をした。ほんと、自分の家みたいにリラックスできた。渡辺さんも見送ってくれた。私たちが出ると、観光バスが着いた。また忙しくなるね。お手伝いしたかったけど。<br /><br />空港に着く。運転手さんはここでお別れ。「この三日間とてもたのしかった」と運転手さん。「こちらこそどうもありがとう。Adios!」と握手。<br /><br />チェックインして、航空使用料を払い、「もう大丈夫だから帰っていいよ」と言ったのだが、ミゲルは「お二人が中に入るまで見届けるのが仕事です」と心配してついている。「じゃぁ、中に入ろう、そうすれば心配しないね」というと「中に入れば心配ない」という。「ほんとにありがとう、ミゲル。たのしかったよ。まだまだ大変だとは思うけど、ペルーには将来があるよ。日本よりずっと活気がある。将来をつくるのは君たちだ。頑張ってね。」と別れを告げて中に入る。<br /><br />頭ん中はまったく整理できていない。マチュピチュもティティカカ湖も遠い昔のようだ。まるで行ったという実感がない。家に帰って、写真ができてきて、旅行記をまとめて、やっと実感するのかも。(完)<br /><br /><br /><br /><br /><br />

アンデスへ13

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2005/05/31 - 2005/05/31

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buchijoyce

buchijoyceさん

5月31日(火)曇り
午前中のんびりと片づけをしたり、日記を書いたりしていた。PapasanはATMにお金を下ろしに行ったがちっとも帰ってこない。心配してご主人が迎えをだしてくれた。ATMは昨日使ったばかりなのに、使い方を間違えてソルばかり出してしまったのだそうだ。そこへ迎えが来て、ドルの出し方を教えてくれたのだという。

昼近く、ミゲルが迎えに来た。香苗さんが中華とクリオール料理の店を教えてくれた。「クリオールがいい」と私。で、クリオールの店に行く。
「ペルー料理も食べ納めだから、美味しいもの紹介して」
「これは地球の歩き方に紹介されています」なんて言いながらミゲルが名前を教えてくれたけど、名前はみんな忘れてしまった。でも食いしん坊、味はしっかりと覚えている。

食事が終わってから、リマ市街を見下ろせる十字架の建っている400mの丘に上った。もちろん車でである。頂上は真ん中に十字架が立ち、そのまわりはちょっと広い空間があり、売店もある。360度まわって下を眺めている。地肌をむき出した崖のような傾斜地に住宅が高く高く這い登っていく。日本人の感覚では危険度大である。降雨量がすくないから、こういう芸当が出来るのだろう。日本だったら、さっそく土砂災害に遭ってしまう。
「私が日本へ行く前はリマはあそこまででした。それが帰ってくるとこんなに広くなっていました。」
「あそこに見えるのはなに?すごく広い敷地だけど」
「あれは墓地です。あそこは町外れだったのですが、いつしか中心地になってしまいました」
「首都膨張ってのは、どこでも問題なんだなぁ。背景にはいっぱい問題を抱えているんだよ。」

中学生ぐらいの制服姿の女の子たちが先生に連れられてやってきた。カメラを私たちに差し出しているので、シャッターを押してくれと言っているのかと思ったら、Papasanといっしょに写真が撮りたいのだという。Papasanは大喜びで女の子たちの中に入った。
子どもたち、フジモリさんと言っていた。メガネをかけた日本人だからフジモリさんに似ているとおもったのかも。フジモリさんはもっとハンサムだったよ。ということはフジモリさんはまだにんきがあるのかな。フジモリさんは悪いこともしたけれど(何が悪いかは聞かなかった)いいこともいっぱいしたとミゲルが言った。

約束の3時半少し前に天野博物館に着く。日本人団体客がバスで来ていた。するとガイドに金城さんがついていた。なんか友達にあったみたいになつかしかった。私たちの日程を覚えてくれていて、「ラパスから帰ってから天野博物館ではきつかったと思いますよ」と言った。「そうですね、黄金博物館の時みたいに、眠ってしまうかもしれませんね。今日、ここだけはしっかり見ようととゆっくり休んできましたよ」と言って笑った。金城さんはこれから黄金博物館へ団体さんを案内して、明日はクスコに行くそうだ。団体さんの一人が椅子で寝ている。やっぱりお疲れですね。金城さんに「お元気で」、と別れる。

天野博物館のことは来る前からよく知っていた。天野さんが収集したチャンカイ文化についてもいささかは理解している。若い女性が説明についてくれた。見学者は10人ほど。私は耳が悪いので、説明のそばについて聞いている。

先ずはペルーの地形の概要から。海岸線は乾いた砂漠、そしてアンデス山脈、更に中央はアマゾン川上流に当たるジャングル。そうだった、アマゾンと言うとブラジルを思い浮かべるが、ペルーの国土の50%もアマゾンのジャングルだったんだ。

初めの部屋は陶器や土器などが飾られている。特にここの所蔵品はチャンカイ文化のものが主流。チャンカイは海岸部の小さな谷あいに起こった文化だが、長続きしたそう。その後インカに併合されるが、独自の文化を主張していたようだと言う。チャンカイの陶器の特徴は、初めのうちはカラフルだったが、やがて白と黒のモノトーンになった。かなりデフォルメしている。人の顔の陶器が集められていたが、これを見るといろいろな人びとがチャンカイには訪れていたようだ。アラブ人もいれば、刺青をしたポリネシア人の姿もある、それはコロンブスのアメリカ発見よりずっと前から多くの人びとと交流が行われていたことを物語っている。毎度出てくるのですっかりなじみになってしまった年号1532年、スペイン、ピサロの侵略。1821年、ペルー独立。

そうそう、陶器のジャガイモを見て、見学者が「ジャガイモの種類は4500種ある」と言った。「4500種も。じゃぁ改良種を含めて?」と聞くと「原種です」と答えた。原種が4500なら改良種はきっと万をこえているだろう。彼らはジャガイモの見学に行って来たのだそうだ。

次の部屋は織物の部屋。展示されている以外に、布地は一枚一枚引き出しから引き出して見られるようになっている。ここは圧巻。精緻な織、色鮮やかな染めにも目を見張らされたが、特にレースにはただ、ただ感激。しかも羊毛を細く紡いで織っている。更にそのレースに刺繍を施している。展示品の写真を撮ることはできないから、売店で天野博物館の「染織図譜プレインカ」を買ったが、本の写真はいまいちのできばえ。本物はもっと素晴らしいんだけど。ここに紹介したいが、転載禁止なので紹介できなくて残念だ。

ここの赤はコチニールだ。(コチニールは、サボテンを食物とするコチニールカイガラムシの脂肪細胞からえられる赤い色素。天然色素として食品にも使われている)
アジアではラックを使うと言うと説明の女性はラックを知らない。「ラックカイガラムシ。シルクロードの発掘品に使われている染料ですよ。あぁ、ナポレオンのマントも武田信玄の陣羽織にも使われていた。天然の染料は時を経ても色鮮やかに残っている。いまでも染料として使われていますよ」なんて余計なことを教えている。彼女が「染料は分かっていますが、定着に何を使ったかまだわかっていないのです」と言った。「使ったとしたら、身近にあるものだろうねぇ。ラックにはタマリンドって酸味のある果物を使っていたよ」これは香苗さんの分野だ。聞いてみようと思っていたが、どたばたして聞き忘れてしまった。

帰りの飛行機で読むんだと、Papasanは「アンデスの黄金」、私は天野博物館の創設者、天野芳太郎氏の「わが囚われの記」を買った。天野さんって、太平洋戦争当時パナマにいたんだ。パナマの日系人たちが開戦と同時に逮捕され、強制収容所に送られ、米軍にひどい扱いをうけていたその記録だ。しんどい記録だ。

帰って香苗さんに「素晴らしかったです。」というと、「そうでしょう」「特にレースが圧巻でした」「ウチにもあるんですよ」「あら〜、それは残念!見せてもらいませんでしたよ。」

早めに空港に行こう。支度をして部屋を出て、カンツータの早内ご夫妻に挨拶をした。ほんと、自分の家みたいにリラックスできた。渡辺さんも見送ってくれた。私たちが出ると、観光バスが着いた。また忙しくなるね。お手伝いしたかったけど。

空港に着く。運転手さんはここでお別れ。「この三日間とてもたのしかった」と運転手さん。「こちらこそどうもありがとう。Adios!」と握手。

チェックインして、航空使用料を払い、「もう大丈夫だから帰っていいよ」と言ったのだが、ミゲルは「お二人が中に入るまで見届けるのが仕事です」と心配してついている。「じゃぁ、中に入ろう、そうすれば心配しないね」というと「中に入れば心配ない」という。「ほんとにありがとう、ミゲル。たのしかったよ。まだまだ大変だとは思うけど、ペルーには将来があるよ。日本よりずっと活気がある。将来をつくるのは君たちだ。頑張ってね。」と別れを告げて中に入る。

頭ん中はまったく整理できていない。マチュピチュもティティカカ湖も遠い昔のようだ。まるで行ったという実感がない。家に帰って、写真ができてきて、旅行記をまとめて、やっと実感するのかも。(完)





  • ガイドのミゲルさん

    ガイドのミゲルさん

  • 女生徒たち

    女生徒たち

  • カンツータの早内ご夫妻<br />お世話になりました

    カンツータの早内ご夫妻
    お世話になりました

  • 天野博物館

    天野博物館

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