2006/06/21 - 2006/06/21
20位(同エリア27件中)
雲の仙人さん
チェンマイより11号線を1時間半南下・LAMPHUN県パサーン群に旧日本兵藤田松吉(87才)がタイ人家族と住んでいる、私は以前にも3回訪問したことがある、同県人と言うことで親しくしてもらっている、戦後1度ふるさと長崎に帰ったことがある、故今村昌平の映画出演のため「無法松故郷へ帰る」という映画製作のためである、その主人公は藤田松吉である、http://homepage3.nifty.com/net1896/space90.html それは35年前のことである、長崎へ帰ったら両親は原爆で死亡、兄妹と会うことが出来た、両親の墓参りしたとき自分の墓石を見つけた、すでに戦死したことになっていた、彼は兄弟げんかして早々とタイへ帰った、彼は昭和14年(19才)で出兵、中国、マレー、シンガポール、マンダレーなど転戦したあとビルマ戦線・インパール作戦に参加した、18師団55連隊・菊部隊第3班第2小隊である、彼は当時のことを淡々と語ってくれた、時には気を高め怒った、インパールで左足を貫通・・・軍から離脱した、またインパールへ戻ろうと試みたが菊部隊には戻れなかった(彼は脱走兵とは認めていない)彼の中にはまだ戦争は終わっていない、「俺は今でも軍人だ、天皇の命令を全うするだけだ」語気を高めた。
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ビルマ戦線勇士慰霊塔も建てて、遺骨収集団に参加して集めた遺骨2000体以上も納骨している(パサーンの自宅敷地内)
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藤田松吉さんの家と広い敷地
数年前タイ人奥さんは亡くなり
養女とその子どもと仲良く暮らしている -
今日の取材は松吉さんはご機嫌だった
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NBCTVの熊切記者の鋭い質問にも笑顔で返事
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長崎の戦友・高平さんの手紙を時間をかけて懸命に読んでいた
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62年前玉が貫通した左足を庇いながら
1歩1歩降りてくる姿は痛ましかった -
孫の写真をテレビの前に飾っている
いま15才のお嬢さんと男の子 -
出征当時の松吉さんの写真 昭和14年19才
古い写真をいっぱい見せてくれた
妹さんは嫌いだといいながら写真を見せてくれた -
大事な大事な軍服をタンスの奥から取り出して着て見せた
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冬服の軍服は重かった
左は夏服と思われる
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