2006/06/19 - 2006/06/19
8555位(同エリア12057件中)
井上@打浦橋@上海さん
- 井上@打浦橋@上海さんTOP
- 旅行記362冊
- クチコミ19件
- Q&A回答291件
- 2,251,808アクセス
- フォロワー85人
奥竈麺なる麺を御存知ですか?簡体字では奥[火土]面とかきます。
竈・・・[火土]・・はカマドのことらしいです。私は、初めて耳にする麺です。
私のページを見てくれてる方からメールがありまして、
井上さん、知ってますか、この麺を?上海では滅多に見かけない、
以前、方浜中路にコレを出す店があったんだが、なくなってしまった。
この麺を上海のどこかで食えないだろうか・・・
と言う質問を受けて初めて知ったのです。
この奥竈麺は上海と蘇州の間に位置します昆山名物らしいです。
奥竈麺(ao zao mian)で検索しましたら下記が・・・
http://www.shanghai-dweller.com/feature/cycle/sentochin/cycle_sentochin2.html
コレを見ますとスープは黒々しています。そして、相当脂っこい。
中国系サイトを見ましても、紅油が使われてるとか、相当脂っこいスープの麺のようです。
上海人が好むのは蘇州風のサッパリ系のスープの麺です。ですから、上海にはないんでしょう。また、蘇州でも、この麺を出す店は、たった一軒しかないそうです。コレは蘇州に長く住んでました日本人が言ってました。彼も、奥竈麺が食べたい、なんて言っていましたが・・・。
なんか不思議ですね、サッパリ系の麺を好む、上海と蘇州の間にコテコテ系の麺を好む地域があるとは・・もしかしますと昆山人は、上海人や蘇州人とは気質も文化も違うのかも・・。昆山で、生まれたのが昆劇です。京劇よりもっと古いとか・・・
また、この江南地域で、最初に外国資本を引き込んで成功したのが昆山(そういうふうに記憶してますが、違うかな・・)なんか、昆山にはアクが強そうな人が、多いのかなと思えてきました。
さて、この幻の麺・奥竈麺をやってる店が上海にあるのかどうか・・・閑な私は、先週はじめ、上海をさ迷い歩き捜し求めたのでした。(と言っても我が家の近くのみですけど)10軒くらいの麺屋へ行きました。しかし、奥[火土]面と書いたメモを見せても、誰も反応しません。何じゃ、コリャ、という表情でした。でも1つだけ・・我が家の近くの瞿渓路にあります汚い小さな店の親父だけが激しく反応。いやぁ、ないんだな、ゴメン、と言う表情でした。
その後、色々ネットで調べましたら・・・上海の東安路に奥[火土]面と言う店があるのを見つけました。
そして、早速、その店が、いまでもあるのかどうか、翌日、早朝ジョギングで確認に行って来ました。
店はありました。ただし店の名は奥[火土]菜館で家常菜となってました。果たして奥[火土]菜館と名を変えたコノ店に、奥[火土]面があるのかどうか・・・・なんせ、朝の6時をチョット過ぎた時間なもんで、確認は出来ませんでした。
ということで、この日に、探索に行きました。幻の奥竈麺が、いまでもあるのかどうか・・・そして、勿論、食ってきます。有ればの話ですが・・・・・。スグにその店に行ってしまうのは、味気ないので、無理に遠回りして、烏魯木斉南路と東安路を散策しながら、その店にたどり着く形を取りました。
-
烏魯木斉南路までは、我が家から96路のバスで行きます。
復興中路の西端でバスを降り、淮海中路を西へチョイ行きますとアメリカの旗が見えてきます。
アメリカ領事館です。その手前の道が烏魯木斉南路です。
1999年だったかに、ユーゴスラビアの中国大使館に、アメリカが誤爆した日の翌朝にジョギングでココまで来たことがありますが、その時は騒然としていましたね。
そうそう、1999年で間違いないです。
つまり・・・あの事件があった日は天安門事件の10周年の前日だか前々日でして、人民の目が一斉に、誤爆のほうに向いてしまい、中国政府は内心ホッとした・・・・と言うような記憶があるからです。 -
さて、では烏魯木斉南路を南に、肇嘉浜路まで行きます。
烏魯木斉南路のフランス租界時代の呼び名はRoute Dufourです。
漢字表記は巨福路です。
解放後、一時、迪化路という名になりました。迪化とは現在の新疆ウイグル自治区のウルムチのことです。
ウルムチが清朝時代に清の支配下になった際に付けられた名が迪化(啓発 し 開 化する の 意)ということらしいです。中華人民 共和国成立以後、1954年に烏魯木斉(ウルムチ)と改称されたということで、その時に、この道も烏魯木斉南路なったんでしょう。 -
このお嬢チャン、3歳くらいでしょうかね、お婆ちゃんと一緒に散歩してました。
-
ココは桃江路、東平路が集まるところ。
チョットした広場になってまして、小さな公園もあります。
バスが入っていく道が東平路です。 -
烏魯木斉南路と東平路の角にありますブリティッシュ・ブルドック・パブです。
下記が詳しいです。
http://www.shwalker.com/shanghai/contents/music/200506/index.html -
烏魯木斉南路を更に南に行きましたら右に幼稚園らしき物が・・・
やはり幼稚園でした。欧米人のパパが子供を車で連れてきました。
この幼稚園、上海烏南幼児園と言うようです。
北隣の敷地がアメリカ領事館なんですから、場所柄、それなりの子弟が学ぶところなんでしょう。 -
衡山路まで出ました。
正面に見えます建物は衡山路41号という高級マンションです。 -
右には、FRIDAY\\\'S・星期五餐庁というレストランがあります。
北京の東三環路には、昔から、このフライデイズがありましたが、上海に来たのは5・6年前です。 -
衡山路を渡り、烏魯木斉南路をまた南へ行きます。
人通りも少ないし、車も行き来していません。 -
振り返って、衡山路41号を見上げました。
-
更に南へ行き。右に見えてきましたのが、このレストランです。
三千院と言う名ですね。
日本料理ではありません。
台湾・タイ・日本・広東の創作料理らしいです。
電話番号が6474-3000ですって・・・。 -
もうスグ、永嘉路です。
-
永嘉路を越えて、更に烏魯木斉南路を南へ・・・。
-
先ほど、私の前を歩いていましたお嬢さんは、ここに用があったということです。
-
建国西路はもうスグです。
-
建国西路を越えました。
このあたり両側には高級マンションが建ちます。 -
こちらは西側にあるマンションです。
睿園と言います。
3LDK・130?で家賃は10000元らしいです。 -
烏魯木斉南路をまた南へ行きます。
歩道に椅子を出して昼寝をしてるお爺さん。 -
右側にあります阿婆蒸菜館というレストランです。
なんか雰囲気があります。 -
このあたりは、下町では無いので、洗濯物も遠慮しいしい干されています。
-
肇嘉浜路に出ました。
烏魯木斉南路は、ココで終わります。
右向こうに見えますのは青松城大酒店・3星ホテルです。 -
肇嘉浜路を渡りますと、道は東安路に変り、街並みの雰囲気がガラッと変わります。
昔は、肇嘉浜路には水路があり、その北側地域がフランス租界で、南側地域は、フランス租界から見れば川向こうのドヤ街的な地域だったようです。ですから、今でも、肇嘉浜路の北と南は雰囲気が違う地域となっています。
左側の工事現場は地下鉄7号線関連の工事のようです。
この辺りが将来、7号線と9号線の駅が出来るんでしょう。 -
東安路のこのあたりの両側は上海医科大学に敷地が広がります。
今は、復旦大学の傘下に入ってるようです。 -
東側の敷地に入ってみました。
1926年創立の大学ですから、古い建物もあります。 -
こちらは西側の敷地です。
あまりにも広大ですので、道にも名前が付いています。 -
また東安路に出まして、南へ行きます。
このあたりも右側(西側)は上海医科大学の敷地です。 -
こちらは東側にあります高層マンションです。
四季園と言います。 -
斜土路を渡ります。
-
斜土路を越えて、東安路を更に南へ行きます。
-
左側にあります沐浴倶楽部です。
金湯城・GOLDEN FOUNTAINという名です。
サービス項目は沐浴・餐庁・演芸・視听影院・健身・棋牌・客房。 -
更に東安路を南へ行きます。
左に赤い電話ボックスがありますが、今は使う人少ないでしょうね。 -
零陵路を渡ります。
-
零陵路を越えますと東安路は、更に下町っぽくなります。
商店も多くなります。 -
生煎饅頭のチェーン店・豐裕です。
「豐」の字は、簡体字でなくて、繁体字になっています。
「豐」の字は、簡体字では、どうしようもなく寂しい字になってしまうので、敢えて繁体字なんでしょう。
なんせ、簡体字では、横3本に縦1本の豊かでない字になってしまいますから・・・。
朝飯の時間が過ぎた9時50分ですが、まだまだ客で賑わっています。 -
店先で生煎饅頭を製造販売しています。
店に入らず、ココで買って、持ち帰ってもいいのです。
向こうでは肉餡を皮で包んでいます。
手前ではデカ丸鉄板で焼いています。
1回に焼く数は・・・えーと・・・・・・76個かな・・・。
その手前のは紙袋と、油が置いてあります。 -
東側には中学が・・
上海市零陵中学ですね。 -
少し南へ行き、振り返りました。
下町そのものの風景です。 -
南京名物・南京塩水鴨を売る店です。
北京ダックも製造販売しています。
「皮脆肉嫩」と表示されています。
皮はパリッとしていて、肉は若々しくて柔らかい、と言うことなんでしょう。
旨そうだなぁ・・・・・。 -
更に東安路を南へ行きます。
-
東安路も、もうスグ終わりです。
向こうに、内環状線の高架が見えてきました。
その下の道が、中山南二路で、そこまでで東安路は終わりです。
目指す奥竈菜館は、もう見えてきていいはずです。 -
やっと奥竈菜館に着きました。
ご覧のように「竈」は簡体字では[土火]と書きます。
カマドという意味らしいですが、「竈」も[土火]も、カマドを連想させてくれます。
左側は東安一村の入り口です。
まだ10時前ですので、昼飯には早い・・・ということでこの近くにあります大型スーパーへ買い物に行きました。 -
コレが買い物行きました大型スーパーです。
東安路を中山南二路まで行き、中山南二路を渡り、東へ少し行き、船廠路に入り南にチョイ行ったところにあります。
易初蓮花・LOTUS CENTERというタイ系のスーパーで、ココに出来て、6・7年になります。 -
買い物をして、また奥竈菜館に戻ってきました。
戻ってきたのは11時過ぎですが、早めの昼飯にしました。
早速、お姉さんに「奥火土面」と書いたメモを見せながら、コレあるのか、と聞きました。
そうしましたら、無い!!ですって・・・・・アチョー!!!!!!
なんで、奥竈菜館に奥竈面がないのっ!!
いやぁ、前はあったんだ・・・店を改装してからは、やってない・・・又、そのうちやる・・・・奥竈面はないけど、奥竈鴨ならある・・・・なぁんてなことを言ってました。
まあ、しゃあない・・・とにかく、菜単(メニュー)を見せてくれ・・・ -
持ってきたメニューにはシッカリ、
奥[火土]面・・・・6元・・・・・・
と載ってるのに・・・・
なんで、無いのっ!!!!!!
許せん!! -
気を取り直して、昼飯を注文。
まずは冷えた三得利ビール(サントリー)・4元とピータン豆腐・6元を注文。
そのあと、奥竈鴨・18元、蒜泥刀豆・12元、蛋炒飯・5元を頼みました。
一番右は近くのコンビニで仕入れてきました白酒・3.5元です。
全部食って、全部飲んでしまいました。
奥竈鴨はなかなか旨かったです。 -
いい気分になり、帰途につきました。
帰りは41路バスを利用します。
中山南二路に、また出て、41路バスのバス停まで行きました。
そのバス停の前にあります東北一品餃子館です。
メチャメチャ客が入っていましたね。 -
バスを待っていましたら、隣にキティーちゃんの日傘が・・・・。
結局、奥竈麺には巡り会えませんでした。
こうなると、思いは、ますますつのるばかり・・・・・。
2ヵ月後に、またこの奥竈菜館に来てみるつもりです。
また、上海近郊の水郷観光地・錦渓にもあるという情報も得ています。
いや、それより・・・・
自転車で行って、奥竈麺を食べたという記事が載っています
http://www.shanghai-dweller.com/feature/cycle/sentochin/cycle_sentochin2.html
に出てきます千灯鎮のほうが、なんか魅力的です。なんせ、まだ観光地化されて無いということですので・・・・。いずれ、千灯鎮には、行きたいと思います。そして奥竈麺を食って来ようかなと思っています。
コレにて、看板倒しの「奥竈麺を求めて・・・」は終わりです。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- ベスママさん 2006/06/25 20:30:42
- 残念でしたネ
- 奥土火麺どんなものか楽しみに読みましたが・・・・
せっかく行って、食べれなかったのは本当に残念でしたネ。
私も残念です。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2006/06/25 21:25:52
- 看板倒しで,
- ベスママさん、どうも。
スミマセーン、看板倒しで・・・
バァーット、しかし・・
奥竈菜館という看板を掲げていて奥竈麺を作って無いとは!!
メニューにはチャンと載ってるのに、作って無いとは
絶対に許せんのじゃ!!
コキントちゃんに訴えてやる!!
(あっ、また、同じこと言ってる・・・・)
【注】コキントちゃん=現在の中国国家主席さん
どうも、あの奥竈麺ってのは、上海人に合わないんでしょうね。
蘇州人にも合わないようです。
しかし、上海と蘇州の中間地点の昆山や太倉では、好まれてるとか・・・
不思議です。
とにかく、Sのうち、その地域まで行って、
奥竈麺を必ず食ってきます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
上海(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
47