2006/06/10 - 2006/06/10
536位(同エリア672件中)
マキタンさん
柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)。
日蓮宗の経栄山題経寺という寺院。創建されたのは寛永8年(1631)、本尊は日蓮上人が自刻したと伝えられる帝釈天板を祀ることから、帝釈天の名で親しまれている。帝釈天とは、須弥山(しゅみせん)の頂上に住み、仏法を守護する勇猛な神様。この板本尊は、一時行方不明になっていたが、安永8年(1799)本堂を再建する際、発見されたと伝えられている。この発見された日に因んで庚申の日だったことから、庚申の日を縁日に決めたと言われている。
二天門・・明治29年、造営の総欅造り。 多くの木彫群によって荘厳された重厚優美な二天門は、門前通りの正面にそびえ立って見られる。四天王のうち、南方守護の増長天、西方守護の広目天を安置する。そして、帝釈堂内に、持国天、多聞天が配置されている。
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参道の突き当たりが明治29年に造営された二天門。通称柴又の帝釈天は、経栄山題経寺が正式。
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大鐘楼。昭和30年、名匠・林亥助棟梁によって完成された総欅の大鐘楼。高さ約15m、で関東一とか。梵鐘は、昭和の銘鐘の名が高い。
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別名「彫刻の寺」とも言われ、壁も柱も欄干も見事な木彫りで、とくに本堂奥の胴羽目いっぱいに彫られた十枚の彫刻は、法華経の教えをあらわしたもの。
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大正から昭和初期に彫られた彫刻が公開されている。彫刻ギャラリーと回遊式庭園の邃溪園は共通券400円。
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この法華経説話彫刻は、篤信者鈴木源次朗氏の丹精協力を得て、大正末期より昭和9年に至る十数年の歳月を費して完成した。
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彫刻下絵は、法華経の絵解きの図を参考にして高山英洲師が描き、独特の構図である。
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欅材1枚の大きさは、縦巾1.27m、横巾2.27m、厚さ20Cm。入手困難な彫刻材料だ。
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大正11年、加藤寅之助師が「法師守護の図」を完成した。翌年の関東大震災で準備した彫刻材を焼失。 再び巨大な欅材を日本全国に手配してようやく集め、昭和元年本格的な彫刻工事が始まった。
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当時の名工の技を集め、木彫技術の点についても希有なものという。 全面を覆いつくす彫刻は迫力がある。
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喜見域、帝釈堂の外壁をめぐる10枚の胴羽目彫刻は法華経の説話に取材した入魂、細微な作品で、欅材の木彫は近世法華経美術の頂点をきわめている。
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経栄山の額字。題経寺が正式名称。厄除け・延寿・商売繁盛等に霊験あらたかとのこと。
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回廊式の庭園「邃渓(すいけい)園」。池の配置が巧みに生かされた庭園だ。
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大客殿の床の間。風格がある。
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邃渓園の名は,庭園の滝の風情が幽邃でもの静かであることによる。昭和40年、高名な造園師、永井楽山翁によって完成された。楽山翁は戦前よりこの庭園を手掛け、92歳で没するまで心血をそそいだ。
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山本亭と寅さん記念館のパンフレット。葛飾区が運営。
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山本亭は、実業家の山本氏の住居で、大正末期の特色を色濃く残した和洋折衷の建物が特徴。昭和63年に葛飾区が取得し、一般公開されている。
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玄関には人力車が・・。大正ロマンの時代を感じる。
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昭和初期における庭園様式を現在まで残した稀有の例という。池の諸方向に入江を設け、池岸を多様に変化せしめている。
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庭園は270坪で縁先の近くには池泉を、背後には緑濃い植え込みと築山を設けて滝を落とすという典型的な書院庭園。
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寅さんの像。渥美清さん逝去(1996年)から10年。でも、心の隅には今も生きている・・記念撮影者も多い。
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「男はつらいよ」で使用されただんご屋「とらや」のモデル。「高木屋老舗」をはじめ江戸時代から続く店が連なっている。
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寅さん記念館のチラシ。拝啓、ご無沙汰しております。没後十年の特集上映もあるそうで・・。
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「葛飾柴又寅さん記念館」では、映画「男はつらいよ」の世界を13のエリアに分けて紹介している。
寅さんが看板取り付け作業中? -
『男はつらいよ』第1作から48作まで使用された「くるまや」の撮影スタジオをそのまま移設したとか。
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「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。 帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎……」。小寅さん?が受け継いで・・。
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さくら。桜模様の着物で歌うは「岩壁の母」。清楚な熱唱で応援したくなる。
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四角い顔が笑ってる・・。素朴な自然や温かい人情・・忘れかけていた大切なもの、哀愁を込めて置き去りにされているようで・・。
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矢切の渡しは、江戸時代初期、地元民専用に耕作・日用品購入・社寺参詣といった目的のために、徳川幕府が設けた渡し場のうちのひとつ。
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伊藤左千夫の小説「野菊の墓」(1906)により全国的に有名になり、さらに1982年、歌謡曲「矢切の渡し」の大ヒットによって再び脚光を浴びるようになった。
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江戸川の堤。
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キャベツ畑。
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タチアオイ。(アオイ科・タチアオイ属) ハナアオイとも?名前のごとく茎は直立して叢生し、穂状に多数の花がつき豪華だ。
一般にタチアオイの花は下段から咲き始めて上部が咲き終る頃には梅雨が明けるころとか・・? -
政夫は民子を野菊になぞらえる。
「まったくの田舎風であったが、けっして粗野ではなかった。可憐で優しくてそうして品格もあった。……どう見ても野菊の風だった」
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西蓮寺の境内に、伊藤左千夫の名作「野菊の墓」の一節を刻んだ文学碑が建っている。
今でも、小高い丘と一面に広がっているのどかな田園風景は、当時をしのばせる。 -
庚申塚。庚申は十干の「庚(かのえ)」、十二支の「申(さる)」が組み合わさった干支。庚申塚といわれる供養塔はそのほとんどが庚申の年(60年に1度)に建てられているようだ。
江戸時代から庚申の晩には身を謹んで夜明かしをすれば長生きをすることができるとする庚申信仰があった。庚申塚とはその「庚申様」を信仰する人々が供養のために建てた石塔や像を納めた堂のこと. -
「やすらぎの像」平成のいしぶみ。ここ矢切の先人は戦乱の世に明け暮れた時代を経て、矢を切らそう(武器を持たない)と誓い地名に残したという。非暴力・非戦の願いを語り継ごう。
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