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以前から一度行きたいと思っていた赤穂に行ってきました!!<br />

忠臣蔵の街

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2006/03/04 - 2006/03/04

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JUNCHIさん

以前から一度行きたいと思っていた赤穂に行ってきました!!

  • JR播州赤穂駅前に立つ大石内蔵助良雄の像<br /><br />

    JR播州赤穂駅前に立つ大石内蔵助良雄の像

  • JR播州赤穂駅内の改札へ上がる階段に、赤穂義士を書いた絵(何絵っていうんだろ・・!? 勉強不足でスミマセン^^;)が貼られていました。

    JR播州赤穂駅内の改札へ上がる階段に、赤穂義士を書いた絵(何絵っていうんだろ・・!? 勉強不足でスミマセン^^;)が貼られていました。

  • 大石神社<br /><br />大石内蔵助良雄はじめ47義士と萱野三平を合祀して建設された神社。 <br />写真は神社の入り口に建つ47義士の石造。

    大石神社

    大石内蔵助良雄はじめ47義士と萱野三平を合祀して建設された神社。 
    写真は神社の入り口に建つ47義士の石造。

  • 良雄お手植えの松<br /><br />大石神社境内にある国指定史跡の大石邸長屋門と庭園。<br />その庭園にあるお手植えの松。

    良雄お手植えの松

    大石神社境内にある国指定史跡の大石邸長屋門と庭園。
    その庭園にあるお手植えの松。

  • 大石邸長屋門<br /><br />大石神社側から見た長屋門。<br />

    大石邸長屋門

    大石神社側から見た長屋門。

  • 大石邸長屋門<br /><br />資料によると、【間口28間、奥行45間5尺、畳数308畳の家老屋敷は、享保14年の火災のため建物の大半が焼失し現在ではこの長屋門のみが残っている。元禄14年3月主君刃傷の悲報をもった早かごがたたいたのもこの門である】  とある。<br />

    大石邸長屋門

    資料によると、【間口28間、奥行45間5尺、畳数308畳の家老屋敷は、享保14年の火災のため建物の大半が焼失し現在ではこの長屋門のみが残っている。元禄14年3月主君刃傷の悲報をもった早かごがたたいたのもこの門である】  とある。

  • 片岡源五右エ門宅址<br /><br />赤穂城跡内大石神社(の駐車場)側に立っていた碑。<br />赤穂城跡内やその周辺には義士宅址の碑が沢山立っていました。

    片岡源五右エ門宅址

    赤穂城跡内大石神社(の駐車場)側に立っていた碑。
    赤穂城跡内やその周辺には義士宅址の碑が沢山立っていました。

  • 花岳寺<br /><br />このお寺には、浅野家霊廟や大石家先祖の墓、義士家族の墓、浅野長直公(赤穂藩初代藩主)・長友公(二代藩主)の墓、森家(浅野家断絶後の藩主・森蘭丸の弟忠政公の直系)の墓、そして写真の義士の墓がある。<br /><br />義士の墓<br />資料によると【中央は主君・浅野内匠頭長矩公、その右には大石内蔵助良雄、左は大石主税良金、そして周囲は右側から格式順に四十五士の墓が並んでいる。遺髪が埋められていると伝えられる。】 とある。

    花岳寺

    このお寺には、浅野家霊廟や大石家先祖の墓、義士家族の墓、浅野長直公(赤穂藩初代藩主)・長友公(二代藩主)の墓、森家(浅野家断絶後の藩主・森蘭丸の弟忠政公の直系)の墓、そして写真の義士の墓がある。

    義士の墓
    資料によると【中央は主君・浅野内匠頭長矩公、その右には大石内蔵助良雄、左は大石主税良金、そして周囲は右側から格式順に四十五士の墓が並んでいる。遺髪が埋められていると伝えられる。】 とある。

  • 高取峠の銅像<br /><br />【元禄14年3月19日の午前4時頃、ここ高取峠を<br />エイホ、エイホの声とともに二挺の早かごが、赤穂城めざして突っ走っていきました。<br />これは、江戸城松之廊下で突発した赤穂城主 浅野内匠頭の殿中刃傷を知らせる第一の使者 早水藤左エ門・萱野三平の両士の姿でした。<br />この早かごは、江戸から155里(約600キロメートル)の長途で昼夜兼行わずか4日半で江戸の事件を家老大石内蔵助に知らせ、使命を果たしました。<br />(忠臣蔵で名高い、元禄赤穂事件の赤穂での始まりは、ここからスタートしたと言ってもよいでしょう)】<br />銅像下の説明書きよりー

    高取峠の銅像

    【元禄14年3月19日の午前4時頃、ここ高取峠を
    エイホ、エイホの声とともに二挺の早かごが、赤穂城めざして突っ走っていきました。
    これは、江戸城松之廊下で突発した赤穂城主 浅野内匠頭の殿中刃傷を知らせる第一の使者 早水藤左エ門・萱野三平の両士の姿でした。
    この早かごは、江戸から155里(約600キロメートル)の長途で昼夜兼行わずか4日半で江戸の事件を家老大石内蔵助に知らせ、使命を果たしました。
    (忠臣蔵で名高い、元禄赤穂事件の赤穂での始まりは、ここからスタートしたと言ってもよいでしょう)】
    銅像下の説明書きよりー

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