1975/02 - 1975/02
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片瀬貴文さん
1975年2月
キンシャサ到着4日目の夜、前任者の夫妻からインターコンチネンタルホテルのレストランに、招待された。
この人は、昔となりに住んでいたことがあり、長年よく知った方である。
前任者夫妻は、私にしみじみ語られた。
「私どものキンシャサ生活は、あらゆる点で不幸の連続でした」
確かにこの二年間、石油ショックは世界の政治・経済を揺るがし、われわれの行動の背景を大きく変えた。
この変化が、これからどのように行動すべきかの判断を、めまぐるしく狂わせた。
日本とザイール両国の政府も、それぞれの部内の判断基準が乱れ、まちまちな動きが目立った。
その結果プロジェクトは迷路に踏み込み、難航を重ねる。
うまくことが運ばないとき、誰か悪者を作りたがるのが、人間社会らしい。
日本政府からザイール政府に派遣された人たちは、両方の政府から悪者にされがちだったことは否めない。
その上この人は、私生活も不幸だった。
日本に残した子供さんはガス自殺し、その巻き添えに何人かの犠牲者が生まれた。
私は「赴任に当たって、前任者の帰国後日本におけるポスト確保を条件にしたから、ご安心ください」と、慰めるのが精一杯だった。
しかしここで知らされたことだが、目先に困難が待ち受けていた。
驚いたことに、部下であるザイール人たちの、今月分の給料が払えないことだった。
ザイール政府の指図で、これまで前任者が持っていた銀行口座のサイン権を、私に引き継がずに、部下のフランス人に引き継ぐようにさせられたとのことだ。
すなわち、私にザイール政府内で使うことの出来るお金がないと言うことなのだ。
この口座は、私が引き継ぐべきOEBK(建設公団)の管理費なのだが、ザイール政府が私への引継ぎを認めていないのだ。
このことは、到着の翌日大使から知らされてはいたが、このような形ではねかかって来るとは予想していなかった。
事情が充分に飲み込めていない私は、どのような手を打ったらよいのか、検討がつきかねるが、まあ何とかなるだろうと思うより仕方がない。
私自身で決めたことだが、ザイール生活における価値判断の第一チェック基準は、「命に支障はないか」だったことを思い出し、命には関係のないことと、救いを見出す。
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