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昭和11年(1936)4月15日に、今はなき万世橋駅に併設された交通博物館は、先週末の日曜日に70年と1ヶ月のお役目を終了。来年の<br />10月14日に大宮の「鉄道博物館」として、再出発だそうです。<br /><br />小学生の頃は良く遊ばせて貰いました。当時は、勿論新幹線開業前ですから、交通博物館のシンボルだった入口の「ひかり」の先頭部分の実物大置物も無く、<br /><br />むしろ入口向かって左横の敷地に展示してあった、北海道開拓使号弁慶号、義経号が交通博物館のシンボルでした。<br /><br />なにか老鉄道ファンとしてはさびしいものがありますが、<br />老兵は死なず。消え去るのみ、と思う事にします。<br /><br />交通博物館の閉館は勿論寂しいのですが、この博物館が併設された<br />旧万世橋駅は、かっては東京駅が出来るまでは中央線の起点として<br /><br />東京で、一番繁華な交通の激しいところでした。<br />交通博物館が東京駅から万世橋駅に移されたのは昭和11年ですが、<br /><br />その後、戦時中の18年には駅そのものが廃止されてしまい、<br />当時の面影はこの博物館に残るのみとなりました。<br /><br />この表紙の画像の左下にご注目下さい。大正12年の大震災で<br />焼け落ちた旧万世橋駅の代わりに、小さな万世橋駅ができましたが<br /><br />駅前のシンボルだった「広瀬中佐と杉野兵曹長」の銅像は<br />華やかな万世橋駅も面影を伝え残っているのが、分かりますか?<br />

鉄道輸送の要だった万世橋のシンボルともお別れ

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2006/05/14 - 2006/05/16

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神田明神氏子その五さん

昭和11年(1936)4月15日に、今はなき万世橋駅に併設された交通博物館は、先週末の日曜日に70年と1ヶ月のお役目を終了。来年の
10月14日に大宮の「鉄道博物館」として、再出発だそうです。

小学生の頃は良く遊ばせて貰いました。当時は、勿論新幹線開業前ですから、交通博物館のシンボルだった入口の「ひかり」の先頭部分の実物大置物も無く、

むしろ入口向かって左横の敷地に展示してあった、北海道開拓使号弁慶号、義経号が交通博物館のシンボルでした。

なにか老鉄道ファンとしてはさびしいものがありますが、
老兵は死なず。消え去るのみ、と思う事にします。

交通博物館の閉館は勿論寂しいのですが、この博物館が併設された
旧万世橋駅は、かっては東京駅が出来るまでは中央線の起点として

東京で、一番繁華な交通の激しいところでした。
交通博物館が東京駅から万世橋駅に移されたのは昭和11年ですが、

その後、戦時中の18年には駅そのものが廃止されてしまい、
当時の面影はこの博物館に残るのみとなりました。

この表紙の画像の左下にご注目下さい。大正12年の大震災で
焼け落ちた旧万世橋駅の代わりに、小さな万世橋駅ができましたが

駅前のシンボルだった「広瀬中佐と杉野兵曹長」の銅像は
華やかな万世橋駅も面影を伝え残っているのが、分かりますか?

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  • 今年の1月から始まった「さよならキャンペーン」の最中、神田川に面した旧万世橋駅、5月14日迄の交通博物館のレンガ壁面は、ずっとライト・アップされていました。このライトアップも先週の日曜日14日で、お開きとなった筈です。

    今年の1月から始まった「さよならキャンペーン」の最中、神田川に面した旧万世橋駅、5月14日迄の交通博物館のレンガ壁面は、ずっとライト・アップされていました。このライトアップも先週の日曜日14日で、お開きとなった筈です。

  • 勿論館内には数多くの貴重な鉄道の歴史を語る展示がいっぱいありました。<br />1階のメインホールの奥には、明治5年新橋―横浜間を走った国内第1号機関車もありました。<br /><br />でも、時代ですねえ、この第1号機関車の説明に「きかんしゃやえもん」のモデルになったのがこの英国製の<br />AO276型蒸気機関車でした、という説明が加えられていました。<br /><br />因みにこの「きかんしゃやえもん」の絵本は、1980年に発刊された絵本で、阿川弘之さんの文、<br />漫画「アッちゃん」の岡部冬彦さんの絵でした。今は、絵本もやはりこの機関車をモデルにした<br />「機関車トーマス」のシリーズの方が人気があるみたいですね。<br /><br />

    勿論館内には数多くの貴重な鉄道の歴史を語る展示がいっぱいありました。
    1階のメインホールの奥には、明治5年新橋―横浜間を走った国内第1号機関車もありました。

    でも、時代ですねえ、この第1号機関車の説明に「きかんしゃやえもん」のモデルになったのがこの英国製の
    AO276型蒸気機関車でした、という説明が加えられていました。

    因みにこの「きかんしゃやえもん」の絵本は、1980年に発刊された絵本で、阿川弘之さんの文、
    漫画「アッちゃん」の岡部冬彦さんの絵でした。今は、絵本もやはりこの機関車をモデルにした
    「機関車トーマス」のシリーズの方が人気があるみたいですね。

  • 上の国内第1号機関車の製造プレートです。<br />製造した工場が「VULCAN FOUNDRY Co., Ltd.」。場所は英国ランカシアー州のニュートン・ル・ウィロウという<br />所。製造年1871年とあります。因みに、品川-桜木町間<br />の試運転が明治5年(1972)7月、新橋(汐留)-横浜間<br />の正式開通が2ヵ月後の1972年9月と記憶してますので、<br />第1号機関車は製造された直後、はるばる英国から運送されて直ぐに日本のレールの上を走ったんですねえ、長旅も厭わずに。

    上の国内第1号機関車の製造プレートです。
    製造した工場が「VULCAN FOUNDRY Co., Ltd.」。場所は英国ランカシアー州のニュートン・ル・ウィロウという
    所。製造年1871年とあります。因みに、品川-桜木町間
    の試運転が明治5年(1972)7月、新橋(汐留)-横浜間
    の正式開通が2ヵ月後の1972年9月と記憶してますので、
    第1号機関車は製造された直後、はるばる英国から運送されて直ぐに日本のレールの上を走ったんですねえ、長旅も厭わずに。

  • これ神田明神氏子その五が、さよならキャンペーンの始まった1月に、旧万世橋駅の僅かに残された遺構を見学した時に、記念品として、当時万世橋駅から牛込代々木<br />駅迄の乗車券(固いボール紙の切符、硬券です)のレプリカとして貰ったものです。因みに牛込とは、当時の新宿駅のことでしょうか?

    これ神田明神氏子その五が、さよならキャンペーンの始まった1月に、旧万世橋駅の僅かに残された遺構を見学した時に、記念品として、当時万世橋駅から牛込代々木
    駅迄の乗車券(固いボール紙の切符、硬券です)のレプリカとして貰ったものです。因みに牛込とは、当時の新宿駅のことでしょうか?

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この旅行記へのコメント (1)

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  • 義臣さん 2006/05/16 15:57:11
    珍しい写真を
    topの写真初めて見ました、
    丁度この年に私は生まれたので、
    特に思い出の多い博物館です。
    一昨年も孫を連れて。
    これでついに親子三代厄介になった事になったと感慨無量でした。

    挨拶遅れまして失礼しました。
    はじめまして。

    先日も神田祭りへ行っていました、午前は最終の交通博物館、
    午後はお祭りで、忙しくて 楽しい日でした。

神田明神氏子その五さんのトラベラーページ

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