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 朝早くタシケントのパレスホテルを出発し、ヒワへ移動するため空港へ向かった。 空港には観光客が大勢押しかけている。搭乗するための行列は先陣争いでなんとなく殺気だっている。航空機の場合、全て指定席になっているから何もあわてて搭乗する必要もないのにと日本の常識で考えていたら日本の常識の通用しない理由があった。<br /><br /> 搭乗券の座席指定の数字はここでは全く意味のないことであることが機内に入って判明した。つまり座席は全て自由席ということで早い者がポジションのいい座席を確保できるということなのである。<br /><br /> ウズベキスタン航空のHY1051便は7時05分に離陸し、ホレズム州の州都ウルゲンチへ8時15分に到着した。<br /><br />  迎えのバスに乗り車窓に綿花畑、貯水池、ポプラ並木、ロバ車、トロリーバス等を眺めながらヒワのホテルメドレセに到着した。<br /><br /> このホテルメドレセはイチャン・カラ(内城)にあり、1,853年創建の神学校である。1976年以降ホテルに転用されている。神学生達が寄宿して生活していたところだからホテルに転用するのはアイデアとしては優れていると思うが二階の個室へ行くには急な狭い階段を頭上の障害物に気遣いしながら昇降したり、浴室にバスタブがなかったり、水道の水がでにくかったりと宿泊施設としての機能は充分ではない。<br /><br /> 定められた部屋へ荷物を置いてからイチャン・カラ内の見学である。<br /><br /> カリタ・ミナール、カーズイ・ハナ、クフナ・アルク、カールマルクス通り、金曜のモスク、ムハンマド・アミン・イナクの神学校、キャラバン・サライ跡のバザールと見学して、昼食は旧キャラバン・サライ内のホテル・アラカンチで摂った。<br /><br /> 日中温度が30度近くまであがるので太陽の勢いが衰えるまで室内で休養し、16時過ぎから再びヒワの観光にでかけた。<br /><br /> デシャン・カラ(外城)のヌル・ラバイ宮殿を見学してから再び内城(イチャン・カラ)に戻り、職人街を見学した。<br /><br /> パフラワン・ムハド廟(13世紀)、イスラム・ホジャのモスク、タシュ・ハウリ宮殿と見て回った。<br /><br /> この日の夕食はトサボーグ宮殿で摂ることになった。<br /><br /> 翌日は平日のため早朝は昨日の活況とはうってかわってイチャン・カラの中には観光客の姿は殆ど見られなくなっていた。<br /><br /> 早朝の静寂を取り戻した城内を散歩していると住民達が箒と塵取り箱を持ってせっせと観光客達が汚していった道路や広場を掃除している姿があちこちに見られた。<br /><br /> 8時にはホテルを出発して次なる観光地トルクメニスタンの国境目指してバスドライブである。<br />

ウズベキスタンの旅・・・ウルゲンチ、ヒワ

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2006/04/26 - 2006/04/26

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早島 潮

早島 潮さん

 朝早くタシケントのパレスホテルを出発し、ヒワへ移動するため空港へ向かった。 空港には観光客が大勢押しかけている。搭乗するための行列は先陣争いでなんとなく殺気だっている。航空機の場合、全て指定席になっているから何もあわてて搭乗する必要もないのにと日本の常識で考えていたら日本の常識の通用しない理由があった。

 搭乗券の座席指定の数字はここでは全く意味のないことであることが機内に入って判明した。つまり座席は全て自由席ということで早い者がポジションのいい座席を確保できるということなのである。

 ウズベキスタン航空のHY1051便は7時05分に離陸し、ホレズム州の州都ウルゲンチへ8時15分に到着した。

迎えのバスに乗り車窓に綿花畑、貯水池、ポプラ並木、ロバ車、トロリーバス等を眺めながらヒワのホテルメドレセに到着した。

このホテルメドレセはイチャン・カラ(内城)にあり、1,853年創建の神学校である。1976年以降ホテルに転用されている。神学生達が寄宿して生活していたところだからホテルに転用するのはアイデアとしては優れていると思うが二階の個室へ行くには急な狭い階段を頭上の障害物に気遣いしながら昇降したり、浴室にバスタブがなかったり、水道の水がでにくかったりと宿泊施設としての機能は充分ではない。

 定められた部屋へ荷物を置いてからイチャン・カラ内の見学である。

 カリタ・ミナール、カーズイ・ハナ、クフナ・アルク、カールマルクス通り、金曜のモスク、ムハンマド・アミン・イナクの神学校、キャラバン・サライ跡のバザールと見学して、昼食は旧キャラバン・サライ内のホテル・アラカンチで摂った。

 日中温度が30度近くまであがるので太陽の勢いが衰えるまで室内で休養し、16時過ぎから再びヒワの観光にでかけた。

 デシャン・カラ(外城)のヌル・ラバイ宮殿を見学してから再び内城(イチャン・カラ)に戻り、職人街を見学した。

 パフラワン・ムハド廟(13世紀)、イスラム・ホジャのモスク、タシュ・ハウリ宮殿と見て回った。

 この日の夕食はトサボーグ宮殿で摂ることになった。

 翌日は平日のため早朝は昨日の活況とはうってかわってイチャン・カラの中には観光客の姿は殆ど見られなくなっていた。

 早朝の静寂を取り戻した城内を散歩していると住民達が箒と塵取り箱を持ってせっせと観光客達が汚していった道路や広場を掃除している姿があちこちに見られた。

 8時にはホテルを出発して次なる観光地トルクメニスタンの国境目指してバスドライブである。

  • ウズベキスタンの国旗。<br /><br />ウズベキスタンの国勢を外務省のホームページから以下に引用すると以下の通りである。<br /><br />国 名: ウズベキスタン共和国 <br />(Republic of Uzbekistan)   <br />2005年9月現在 <br />一般事情 <br />1.面積 44万7,400km2(我が国の約1.2倍) <br />2.人口 2,560万人(2003年) <br />3.首都 タシケント(214万人) <br />4.民族 ウズベク人(77.2%)、ロシア人(5.2%)、タジク人(4.8%)、カザフ人(4.0%)、カラカルパク人(2.1%)、タタール人(1.4%)、キルギス人(0.9%)、トルクメン人(0.6%) <br />5.言語 公用語はウズベク語(テュルク諸語に属する。但し、タシケント、サマルカンド、ブハラ等主として都市の諸方言はペルシア語の影響を強く受けている) <br />6.宗教 ウズベク人の間ではイスラム教スンニ派が優勢 <br />7.略史 前4世紀 アレクサンドロス大王により制圧 <br />前250頃 グレコ・バクトリア王国成立 <br />1−3世紀 クシャーン朝による支配 <br />6世紀中頃− テュルク系遊牧民(突厥)の侵入、次第に住民のテュルク化が始まる <br />7世紀 ソグド人の活動が最盛期に <br />8世紀以降 アラブ勢力の侵入、イスラーム教の受容 <br />9世紀後半−10世紀 サーマーン朝成立(文芸・学問の発展) <br />13世紀 モンゴル帝国の支配 <br />14世紀後半−15世紀 ティムール帝国(首都サマルカンド)成立 <br />15世紀末−16世紀 遊牧ウズベク集団の侵入、シャイバーン朝の成立 <br />18−19世紀 ブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国の支配 <br />1860−70年代 ロシア帝国による中央アジア征服 <br />1867 ロシア帝国、タシケントにトルキスタン総督府を設置し、植民地統治を開始 <br />1918 ロシア連邦共和国の一部としてトルキスタン自治ソヴィエト社会主義共和国成立 <br />1920 ブハラ人民ソヴィエト共和国、ホラズム人民ソヴィエト共和国成立 <br />1924 中央アジアの民族・共和国境界画定によりウズベク・ソヴィエト社会主義共和国成立 <br />1989.6 フェルガナ事件(ウズベク人とメスフ人の民族間衝突) <br />1990.3 カリモフ大統領就任 <br />1990.6.20 共和国主権宣言 <br />1991.8.31 共和国独立宣言、「ウズベキスタン共和国」に国名変更 <br />1992.12 カリモフ大統領再選 <br />1995.3 国民投票によってカリモフ大統領の任期延長 <br />2000.1 カリモフ大統領再選 <br /> <br />政治体制・内政 <br />1.政体 共和制 <br />2.元首 カリモフ, イスラム, アブドゥガニエヴィッチ大統領(2000年1月再選、任期7年) <br />3.議会 二院制(任期5年、上院:「セナート」(定数100)、下院:「立法院」(定数120)、前回選挙は2004年12月) <br />4.政府 (1)首相 ミルジョーエフ、シャフカット<br />(2)外相 ガニエフ、エリヤル <br />5.内政 (1)旧共産党の党組織や官僚機構がほぼそのまま存続。旧共産党は「人民民主党」と改称したが、依然として大きな勢力を持つ。カリーモフ大統領も、政治的には保守的で、漸進的改革を提唱。イスラム急進派等の活動は禁止されている。92年12月の最高会議で採択された新憲法は、国家元首である共和国大統領に強い権限を付与し、現政権は法的にも強い政治基盤を獲得。95年12月には、国民投票により大統領の任期(5年、1人2期まで)を2000年まで延期。2000年1月再選。更に、2002年1月の国民投票による憲法改正で大統領の任期は7年間に延長された(次回大統領選挙は2007年1月)。2004年12月の二院制移行議会選挙を受け、2005年2月新議会が組織された。<br />(2)89年のフェルガナ事件(ウズベク人とトルコ系メフス人が衝突)、90年のオシュ事件(ウズベク人とキルギス人との衝突)などの民族間対立の他、99年2月、2004年4月、7月にはタシケント市等で爆発事件が発生したが、カリモフ政権の下、内政は比較的安定しているとされてきた。<br />(3)他方、2005年5月、フェルガナ盆地アンディジャン市にて武装勢力による刑務所等の襲撃や住民による反政府デモが起き、治安部隊が鎮静の際に一般住民に発砲、数百名の死者が生じたとされる。また、同事件を契機として、ウズベキスタン避難民数百名が国境を越えてキルギスに入国。経済の疲弊、貧困その他の蔓延がこうした事件発生の背景にあるとされる。 <br />外交・国防 <br />1.外交基本方針  旧ソ連よりの独立以降、ロシア依存からの脱却及び西側諸国との関係強化を志向。依然として強いロシアとの経済関係などからロシアとの関係を維持しつつも、2001年9月の米国同時多発テロ事件後は米国との関係緊密化が顕著であったが、2005年5月のアンディジャン市騒擾事件を受け、事件への対応に批判的な欧米各国との関係が微妙となる一方、ロシア、中国等は同国政府を支持する立場を取っている。 <br />2.軍事力 50〜55,000(陸軍40,000人、空軍10〜15,000人)<br />ロシア軍は駐留していない。現在、反テロ作戦の一環として米軍(1,000人)がハナバード基地、独軍がテルメス飛行場に駐留。(ミリタリー・バランス2004-2005) <br />経済 <br />1.主要産業 綿花生産、天然ガス、石油、金など <br />2.GNI 108億ドル(2003年:世銀) <br />3.一人当たりGNI 420ドル(2003年:世銀) <br />4.経済成長率 4.4%(2003年:CIS統計委員会) <br />5.物価上昇率 11.8%(2004年:IMF) <br />6.失業率 0.3%(2003年:EBRD) <br />7.総貿易額 (2003年:世銀)<br />(1)輸出 30.65億ドル<br />(2)輸入 25.54億ドル <br />8.主要貿易品目 (2003年:世銀)<br />(1)輸出 綿花、金、天然ガス、非鉄金属<br />(2)輸入 燃料、食品等 <br />9.主要貿易相手国 (2003年)<br />(1)輸出 ロシア、英、イラン<br />(2)輸入 ロシア、ドイツ、韓国 <br />10.通貨 スム(Sum:94年6月27日導入) <br />11.為替レート 1ドル=1,113スム(2005年6月23日現在) <br />12.経済概況 (1)産  業<br /> 旧ソ連時代より、綿花生産に特化したモノカルチャー経済。綿花生産は世界第5位、米国に次ぐ世界第2位の輸出国。綿花以外では金が重要資源で、その他石油、天然ガス、石炭、鉄鉱石等の資源が存在。<br />(2)経済改革<br /> 市場メカニズム導入、急進的な経済改革路線と一線を画し、国家による経済管理のもと「漸進主義」路線を採用しており、旧ソ連の中では生産性低下が最も少なくインフレも穏やか。92年1月に価格の自由化、9月に民営化法案採択、93年11月から暫定措置として「スム・クーポン」を導入してルーブル圏から脱出、94年6月に新通貨「スム」を導入。96年にはGNPの伸びがプラスに転じた。2003年10月にはIMF8条国に移行し、自国通貨スムの交換性を達成するとともに、公式レートと闇レートの乖離も解消された。 <br />経済協力 <br />1.我が国の援助実績 ((1)〜(2)は、いずれも交換公文ベース)<br />(1)有償資金協力 約975.52億円(2004年度までの累計)<br />(2)無償資金協力 約167.86億円(2004年度までの累計)<br />(3)技術協力実績 65.24億円(2003年度までの累計)<br />(4)人道支援   約1,521万ドル(99年度までの累計) <br />2.主要援助国(2003年) 米、日本、独、西、スイス <br />二国間関係 <br />1.政治関係 (1)国家承認日    1991年12月28日<br />(2)外交関係開設日  1992年1月26日<br />(3)我が国大使館開館 1993年1月<br />(在日ウズベキスタン大使館は96年2月に開館)<br /> 積極的なODA供与も背景に両国関係は良好に進展。双方が大使館を開設済み。99年5月に高村外務大臣が、2004年8月に川口外務大臣が訪問。人的交流も活発。 <br />2.経済関係 (1)我が国の対ウズベキスタン貿易<br />   (イ)貿易額(04年:財務省貿易統計)<br />      輸出 56.41億円<br />      輸入 93.86億円<br />   (ロ)主要品目(04年:財務省貿易統計)       輸出   軌条、精密機器、電気機器 <br />      輸入   金、化学製品、タイル <br />(2)我が国からの直接投資(2002年までの累計:財務省資料)計111百万円 <br />3.文化関係 文化無償 8件 計3.34億円(2004年度までの累計) 94年度  ナボイ劇場に対する視聴覚照明機材(47百万円) <br />97年度  国立美術館に対する展示機材(38.8百万円) <br />98年度  世界経済外交大学に対する日本語学習機材(39.8百万円) <br />99年度  タシケント市文化局に対するプラネタリウム機材(50百万円) <br />2000年度  ウズベキスタン工芸美術館に対する視聴覚・展示機材(46百万円) <br />2001年度  ウズベキスタン・テレラジオ国営会社に対する番組ソフト(38.8百万円) <br />2002年度  ウズベキスタン国立音楽院に対する楽器及び音響機材(49.7百万円) <br />2004年度  タシケント法科大学に対する視聴覚機材(8.7百万円) <br /> <br />4.在留邦人数 132人(05年6月現在) <br />5.在日当該国人数 262人(02年末現在) <br />6.要人往来 (1)往(1992年以降) <br />1995年9月 日本・ウズベキスタン友好議員連盟(会長:熊谷弘衆議院議員) <br />1996年4月 武村正義衆議院議員 <br />1997年7月 対ロシア・中央アジア対話ミッション(団長:小渕恵三衆議院議員) <br />1997年9月 麻生太郎経済企画庁長官 <br />1998年5月 中馬衆院外務委員長 <br />1998年11月 渡部衆院副議長 <br />1999年5月 高村外務大臣 <br />2000年7月 鈴木宗男衆議院議員、武見敬三参議院議員 <br />2000年8月 羽田孜元総理 <br />2001年8月 羽田孜元総理 <br />2001年10月 鈴木宗男衆議院議員 <br />2002年1月 森前総理 <br />2002年5月 麻生自民政調会長 <br />2002年7月 杉浦外務副大臣(シルクロード・エネルギー・ミッション) <br />2002年9月 谷口財務副大臣 <br />2002年11月 二階保守党幹事長 <br />2003年1月 土屋外務政務官 <br />2003年5月 塩川財務大臣(EBRD総会) <br />2004年3月 松宮外務政務官 <br />2004年8月 坂本経済産業副大臣 <br />2004年8月 川口外務大臣 <br />(2)来(1992年以降) <br />1992年10月 ムタロフ首相、アブドゥラザコフ外相、バキバエフ財務大臣(旧ソ連邦支援東京会議) <br />1994年5月 カリモフ大統領(公式実務訪問) <br />1996年3月 ハミドフ蔵相(輸銀主催国際シンポジウム) <br />1996年12月 スルターノフ首相 <br />1998年1月 スルターノフ首相(IFC投資セミナー) <br />1999年3月 スルターノフ首相(第5回経済合同委員会) <br />1999年11月 カミロフ外務大臣(外務省賓客) <br />2000年12月 ガニエフ対外経済関係大臣 <br />2001年1月 ヌルムラドフ財務大臣 <br />2001年12月 スルタノーフ首相 <br />2002年6月 アジモフ副首相、ガニエフ対外経済大臣 <br />2002年7月 カリモフ大統領 <br />2003年12月 サファーエフ外務大臣<br />アリポフ副首相<br />ボルヴォン・ゾダ司法大臣 <br />2004年7月 アジモフ副首相 <br />2004年10月 ラヒーモフ財務相 <br />2005年9月 アジズホジャエフ文化・スポーツ大臣(万博賓客) <br /> <br />7.二国間条約・取極 1994年5月 日ソ間で結んだ条約の承継を確認。 <br />2003年12月 日・ウズベキスタン航空協定署名 <br /> <br />

    ウズベキスタンの国旗。

    ウズベキスタンの国勢を外務省のホームページから以下に引用すると以下の通りである。

    国 名: ウズベキスタン共和国 
    (Republic of Uzbekistan)
    2005年9月現在
    一般事情
    1.面積 44万7,400km2(我が国の約1.2倍)
    2.人口 2,560万人(2003年)
    3.首都 タシケント(214万人)
    4.民族 ウズベク人(77.2%)、ロシア人(5.2%)、タジク人(4.8%)、カザフ人(4.0%)、カラカルパク人(2.1%)、タタール人(1.4%)、キルギス人(0.9%)、トルクメン人(0.6%)
    5.言語 公用語はウズベク語(テュルク諸語に属する。但し、タシケント、サマルカンド、ブハラ等主として都市の諸方言はペルシア語の影響を強く受けている)
    6.宗教 ウズベク人の間ではイスラム教スンニ派が優勢
    7.略史 前4世紀 アレクサンドロス大王により制圧
    前250頃 グレコ・バクトリア王国成立
    1−3世紀 クシャーン朝による支配
    6世紀中頃− テュルク系遊牧民(突厥)の侵入、次第に住民のテュルク化が始まる
    7世紀 ソグド人の活動が最盛期に
    8世紀以降 アラブ勢力の侵入、イスラーム教の受容
    9世紀後半−10世紀 サーマーン朝成立(文芸・学問の発展)
    13世紀 モンゴル帝国の支配
    14世紀後半−15世紀 ティムール帝国(首都サマルカンド)成立
    15世紀末−16世紀 遊牧ウズベク集団の侵入、シャイバーン朝の成立
    18−19世紀 ブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国の支配
    1860−70年代 ロシア帝国による中央アジア征服
    1867 ロシア帝国、タシケントにトルキスタン総督府を設置し、植民地統治を開始
    1918 ロシア連邦共和国の一部としてトルキスタン自治ソヴィエト社会主義共和国成立
    1920 ブハラ人民ソヴィエト共和国、ホラズム人民ソヴィエト共和国成立
    1924 中央アジアの民族・共和国境界画定によりウズベク・ソヴィエト社会主義共和国成立
    1989.6 フェルガナ事件(ウズベク人とメスフ人の民族間衝突)
    1990.3 カリモフ大統領就任
    1990.6.20 共和国主権宣言
    1991.8.31 共和国独立宣言、「ウズベキスタン共和国」に国名変更
    1992.12 カリモフ大統領再選
    1995.3 国民投票によってカリモフ大統領の任期延長
    2000.1 カリモフ大統領再選

    政治体制・内政
    1.政体 共和制
    2.元首 カリモフ, イスラム, アブドゥガニエヴィッチ大統領(2000年1月再選、任期7年)
    3.議会 二院制(任期5年、上院:「セナート」(定数100)、下院:「立法院」(定数120)、前回選挙は2004年12月)
    4.政府 (1)首相 ミルジョーエフ、シャフカット
    (2)外相 ガニエフ、エリヤル
    5.内政 (1)旧共産党の党組織や官僚機構がほぼそのまま存続。旧共産党は「人民民主党」と改称したが、依然として大きな勢力を持つ。カリーモフ大統領も、政治的には保守的で、漸進的改革を提唱。イスラム急進派等の活動は禁止されている。92年12月の最高会議で採択された新憲法は、国家元首である共和国大統領に強い権限を付与し、現政権は法的にも強い政治基盤を獲得。95年12月には、国民投票により大統領の任期(5年、1人2期まで)を2000年まで延期。2000年1月再選。更に、2002年1月の国民投票による憲法改正で大統領の任期は7年間に延長された(次回大統領選挙は2007年1月)。2004年12月の二院制移行議会選挙を受け、2005年2月新議会が組織された。
    (2)89年のフェルガナ事件(ウズベク人とトルコ系メフス人が衝突)、90年のオシュ事件(ウズベク人とキルギス人との衝突)などの民族間対立の他、99年2月、2004年4月、7月にはタシケント市等で爆発事件が発生したが、カリモフ政権の下、内政は比較的安定しているとされてきた。
    (3)他方、2005年5月、フェルガナ盆地アンディジャン市にて武装勢力による刑務所等の襲撃や住民による反政府デモが起き、治安部隊が鎮静の際に一般住民に発砲、数百名の死者が生じたとされる。また、同事件を契機として、ウズベキスタン避難民数百名が国境を越えてキルギスに入国。経済の疲弊、貧困その他の蔓延がこうした事件発生の背景にあるとされる。
    外交・国防
    1.外交基本方針  旧ソ連よりの独立以降、ロシア依存からの脱却及び西側諸国との関係強化を志向。依然として強いロシアとの経済関係などからロシアとの関係を維持しつつも、2001年9月の米国同時多発テロ事件後は米国との関係緊密化が顕著であったが、2005年5月のアンディジャン市騒擾事件を受け、事件への対応に批判的な欧米各国との関係が微妙となる一方、ロシア、中国等は同国政府を支持する立場を取っている。
    2.軍事力 50〜55,000(陸軍40,000人、空軍10〜15,000人)
    ロシア軍は駐留していない。現在、反テロ作戦の一環として米軍(1,000人)がハナバード基地、独軍がテルメス飛行場に駐留。(ミリタリー・バランス2004-2005)
    経済
    1.主要産業 綿花生産、天然ガス、石油、金など
    2.GNI 108億ドル(2003年:世銀)
    3.一人当たりGNI 420ドル(2003年:世銀)
    4.経済成長率 4.4%(2003年:CIS統計委員会)
    5.物価上昇率 11.8%(2004年:IMF)
    6.失業率 0.3%(2003年:EBRD)
    7.総貿易額 (2003年:世銀)
    (1)輸出 30.65億ドル
    (2)輸入 25.54億ドル
    8.主要貿易品目 (2003年:世銀)
    (1)輸出 綿花、金、天然ガス、非鉄金属
    (2)輸入 燃料、食品等
    9.主要貿易相手国 (2003年)
    (1)輸出 ロシア、英、イラン
    (2)輸入 ロシア、ドイツ、韓国
    10.通貨 スム(Sum:94年6月27日導入)
    11.為替レート 1ドル=1,113スム(2005年6月23日現在)
    12.経済概況 (1)産  業
     旧ソ連時代より、綿花生産に特化したモノカルチャー経済。綿花生産は世界第5位、米国に次ぐ世界第2位の輸出国。綿花以外では金が重要資源で、その他石油、天然ガス、石炭、鉄鉱石等の資源が存在。
    (2)経済改革
     市場メカニズム導入、急進的な経済改革路線と一線を画し、国家による経済管理のもと「漸進主義」路線を採用しており、旧ソ連の中では生産性低下が最も少なくインフレも穏やか。92年1月に価格の自由化、9月に民営化法案採択、93年11月から暫定措置として「スム・クーポン」を導入してルーブル圏から脱出、94年6月に新通貨「スム」を導入。96年にはGNPの伸びがプラスに転じた。2003年10月にはIMF8条国に移行し、自国通貨スムの交換性を達成するとともに、公式レートと闇レートの乖離も解消された。
    経済協力
    1.我が国の援助実績 ((1)〜(2)は、いずれも交換公文ベース)
    (1)有償資金協力 約975.52億円(2004年度までの累計)
    (2)無償資金協力 約167.86億円(2004年度までの累計)
    (3)技術協力実績 65.24億円(2003年度までの累計)
    (4)人道支援   約1,521万ドル(99年度までの累計)
    2.主要援助国(2003年) 米、日本、独、西、スイス
    二国間関係
    1.政治関係 (1)国家承認日    1991年12月28日
    (2)外交関係開設日  1992年1月26日
    (3)我が国大使館開館 1993年1月
    (在日ウズベキスタン大使館は96年2月に開館)
     積極的なODA供与も背景に両国関係は良好に進展。双方が大使館を開設済み。99年5月に高村外務大臣が、2004年8月に川口外務大臣が訪問。人的交流も活発。
    2.経済関係 (1)我が国の対ウズベキスタン貿易
       (イ)貿易額(04年:財務省貿易統計)
          輸出 56.41億円
          輸入 93.86億円
       (ロ)主要品目(04年:財務省貿易統計)       輸出   軌条、精密機器、電気機器
          輸入   金、化学製品、タイル
    (2)我が国からの直接投資(2002年までの累計:財務省資料)計111百万円
    3.文化関係 文化無償 8件 計3.34億円(2004年度までの累計) 94年度  ナボイ劇場に対する視聴覚照明機材(47百万円)
    97年度  国立美術館に対する展示機材(38.8百万円)
    98年度  世界経済外交大学に対する日本語学習機材(39.8百万円)
    99年度  タシケント市文化局に対するプラネタリウム機材(50百万円)
    2000年度  ウズベキスタン工芸美術館に対する視聴覚・展示機材(46百万円)
    2001年度  ウズベキスタン・テレラジオ国営会社に対する番組ソフト(38.8百万円)
    2002年度  ウズベキスタン国立音楽院に対する楽器及び音響機材(49.7百万円)
    2004年度  タシケント法科大学に対する視聴覚機材(8.7百万円)

    4.在留邦人数 132人(05年6月現在)
    5.在日当該国人数 262人(02年末現在)
    6.要人往来 (1)往(1992年以降)
    1995年9月 日本・ウズベキスタン友好議員連盟(会長:熊谷弘衆議院議員)
    1996年4月 武村正義衆議院議員
    1997年7月 対ロシア・中央アジア対話ミッション(団長:小渕恵三衆議院議員)
    1997年9月 麻生太郎経済企画庁長官
    1998年5月 中馬衆院外務委員長
    1998年11月 渡部衆院副議長
    1999年5月 高村外務大臣
    2000年7月 鈴木宗男衆議院議員、武見敬三参議院議員
    2000年8月 羽田孜元総理
    2001年8月 羽田孜元総理
    2001年10月 鈴木宗男衆議院議員
    2002年1月 森前総理
    2002年5月 麻生自民政調会長
    2002年7月 杉浦外務副大臣(シルクロード・エネルギー・ミッション)
    2002年9月 谷口財務副大臣
    2002年11月 二階保守党幹事長
    2003年1月 土屋外務政務官
    2003年5月 塩川財務大臣(EBRD総会)
    2004年3月 松宮外務政務官
    2004年8月 坂本経済産業副大臣
    2004年8月 川口外務大臣
    (2)来(1992年以降)
    1992年10月 ムタロフ首相、アブドゥラザコフ外相、バキバエフ財務大臣(旧ソ連邦支援東京会議)
    1994年5月 カリモフ大統領(公式実務訪問)
    1996年3月 ハミドフ蔵相(輸銀主催国際シンポジウム)
    1996年12月 スルターノフ首相
    1998年1月 スルターノフ首相(IFC投資セミナー)
    1999年3月 スルターノフ首相(第5回経済合同委員会)
    1999年11月 カミロフ外務大臣(外務省賓客)
    2000年12月 ガニエフ対外経済関係大臣
    2001年1月 ヌルムラドフ財務大臣
    2001年12月 スルタノーフ首相
    2002年6月 アジモフ副首相、ガニエフ対外経済大臣
    2002年7月 カリモフ大統領
    2003年12月 サファーエフ外務大臣
    アリポフ副首相
    ボルヴォン・ゾダ司法大臣
    2004年7月 アジモフ副首相
    2004年10月 ラヒーモフ財務相
    2005年9月 アジズホジャエフ文化・スポーツ大臣(万博賓客)

    7.二国間条約・取極 1994年5月 日ソ間で結んだ条約の承継を確認。
    2003年12月 日・ウズベキスタン航空協定署名

  • 空港で交換したウズベキスタンの紙幣。

    空港で交換したウズベキスタンの紙幣。

  • タシケントの空港

    タシケントの空港

  • タシケント離陸直後

    タシケント離陸直後

  • ウルゲンチ市内の民家。黄色いガス配管がなされている。

    ウルゲンチ市内の民家。黄色いガス配管がなされている。

  • ホテルメドレセの入り口

    ホテルメドレセの入り口

  • ホテルメドレセの中庭。神学校であったことがよく判る。

    ホテルメドレセの中庭。神学校であったことがよく判る。

  • ホテルメドレセの中庭。青い塔はカリタ・ミナール

    ホテルメドレセの中庭。青い塔はカリタ・ミナール

  • ホテルメドレセの室内

    ホテルメドレセの室内

  • ホテルメドレセのシャワー室。バスタブはない。

    ホテルメドレセのシャワー室。バスタブはない。

  • イチャン・カラの配置図

    イチャン・カラの配置図

  • 配置図の前でイチャン・カラの観光について説明を受ける観光客

    配置図の前でイチャン・カラの観光について説明を受ける観光客

  • イチャン・カラのメインストリートであるカールマルクス通り。ホテルメドレセのすぐ前の通りで出店が沢山並んでいる。

    イチャン・カラのメインストリートであるカールマルクス通り。ホテルメドレセのすぐ前の通りで出店が沢山並んでいる。

  • カリタ・ミナール。ヒワのランドマークとなっている、ミナールで未完の塔という意味である。この塔の建設に携わった建築家が殺されてしまったので半分の高さの30mになってしまった。

    カリタ・ミナール。ヒワのランドマークとなっている、ミナールで未完の塔という意味である。この塔の建設に携わった建築家が殺されてしまったので半分の高さの30mになってしまった。

  • カーズイ・ハナ(牢獄博物館)の前。建物の横の細い階段を降りていくとカーズイ・ハナがある。後ろにはカリタ。ミナールが聳えている。

    カーズイ・ハナ(牢獄博物館)の前。建物の横の細い階段を降りていくとカーズイ・ハナがある。後ろにはカリタ。ミナールが聳えている。

  • カーズイ・ハナの室内に収容されている囚人の&#34847;人形の模型。大きな木枷が脚にはめられている。

    カーズイ・ハナの室内に収容されている囚人の蠟人形の模型。大きな木枷が脚にはめられている。

  • デジタルカメラがまだ現地の人達には珍しいらしく、撮影したばかりの映像を日本人観光客から再現して見せて貰い、感心している。

    デジタルカメラがまだ現地の人達には珍しいらしく、撮影したばかりの映像を日本人観光客から再現して見せて貰い、感心している。

  • クフナ・アルク(古い城砦)の中の謁見の間の舞台

    クフナ・アルク(古い城砦)の中の謁見の間の舞台

  • 謁見の間の壁の装飾

    謁見の間の壁の装飾

  • 謁見の間の玉座

    謁見の間の玉座

  • 謁見の間の舞台

    謁見の間の舞台

  • 謁見の間のミヒラブ

    謁見の間のミヒラブ

  • 当時の職人の様子の&#34847;人形

    当時の職人の様子の蠟人形

  • カール・マルクス通り

    カール・マルクス通り

  • イチャン・カラの見学に来たお登りさん。

    イチャン・カラの見学に来たお登りさん。

  • 金曜のモスク。(10世紀〜20世紀)。212本の柱があるところに特徴がある。

    金曜のモスク。(10世紀〜20世紀)。212本の柱があるところに特徴がある。

  • 金曜モスク内で日本人かと話しかけてきた、イスラム教の老人。メッカへの巡礼も二回ほど済ませたという有徳の敬虔なイスラム教徒

    金曜モスク内で日本人かと話しかけてきた、イスラム教の老人。メッカへの巡礼も二回ほど済ませたという有徳の敬虔なイスラム教徒

  • イチャン・カラ内の路地の光景

    イチャン・カラ内の路地の光景

  • アッラークリ・ハーンのキャラバンサライ跡のバザール

    アッラークリ・ハーンのキャラバンサライ跡のバザール

  • アッラークリ・ハーンのキャラバンサライ跡のバザール

    アッラークリ・ハーンのキャラバンサライ跡のバザール

  • キャラバン・サライ内の貸衣装屋で俄新郎新婦となったガイドと日本人観光客

    キャラバン・サライ内の貸衣装屋で俄新郎新婦となったガイドと日本人観光客

  • キャラバン・サライのバザール

    キャラバン・サライのバザール

  • バザールで日本人観光客からデジタルカメラの説明を珍しそうに聞く売り子

    バザールで日本人観光客からデジタルカメラの説明を珍しそうに聞く売り子

  • 澄ました顔でカメラに納まる売り子の親子

    澄ました顔でカメラに納まる売り子の親子

  • バザールの風景

    バザールの風景

  • バザールの木の実や乾燥した果物

    バザールの木の実や乾燥した果物

  • 城内の広場につながれた駱駝

    城内の広場につながれた駱駝

  • 城外を荷車で行く農夫

    城外を荷車で行く農夫

  • ホテル・アラカンチ(旧キャラバン・サライ内のレストラン)での昼食

    ホテル・アラカンチ(旧キャラバン・サライ内のレストラン)での昼食

  • ヌル・ラバイ宮殿

    ヌル・ラバイ宮殿

  • パフラワン・ムハドの像(力士で詩人のヒワの英雄)

    パフラワン・ムハドの像(力士で詩人のヒワの英雄)

  • パフラワン・ムハマド廟のミヒラブ

    パフラワン・ムハマド廟のミヒラブ

  • イチャン・カラ内の建物

    イチャン・カラ内の建物

  • 放牧民の伝統的なテント(ユルタ)。遊牧民をもてなすためのもの。

    放牧民の伝統的なテント(ユルタ)。遊牧民をもてなすためのもの。

  • タシュ・ハウリ宮殿

    タシュ・ハウリ宮殿

  • タシュ・ハウリ宮殿の高台からヒワ市内を眺望

    タシュ・ハウリ宮殿の高台からヒワ市内を眺望

  • タシュ・ハウリ宮殿の高台からヒワ市内を眺望

    タシュ・ハウリ宮殿の高台からヒワ市内を眺望

  • イチャン・カラの入り口にある聖人の像

    イチャン・カラの入り口にある聖人の像

  • 観光客がまだいない早朝のイチャン・カラの風景

    観光客がまだいない早朝のイチャン・カラの風景

  • 早朝のイチャン・カラ

    早朝のイチャン・カラ

  • 早朝のイチャン・カラ

    早朝のイチャン・カラ

  • 早朝のイチャン・カラ<br />掃除を終えて帰路につく人々

    早朝のイチャン・カラ
    掃除を終えて帰路につく人々

  • 出店と人出で賑わうカール・マルクス通りも早朝は静寂である。

    出店と人出で賑わうカール・マルクス通りも早朝は静寂である。

  • 早朝のイチャン・カラ

    早朝のイチャン・カラ

  • 店開き前の出店

    店開き前の出店

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