2006/04/21 - 2006/04/25
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enyasuさん
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2006年4月21日(金)、大阪からHさんの車に乗り名古屋へ。その後、東名高速バスで実家のある伊勢原へ。
翌日22日(土)は市内を散策したあと、御土産を買うために新宿、秋葉原へ。この日は、買い物の途中で友人と会い、夜は大学時代の先生、友人と京王プラザホテルで待ち合わせをし食事。
その後、新大久保駅近くの延辺料理のお店“延吉香”へ。
23日(日)新宿で買い物。※不愉快な出来事発生。
24日(月)秦野市のジャスコ、トイザラスで買い物
25日(火)成田→瀋陽→夜延吉着。
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投資説明会も終わり一安心
大阪から名古屋へは三重県経由。
途中、亀山パーキングエリアで昼食を取ることになりました。何を食べたかというと私にとってはこれまで食べたことの無いとても不思議な食べ物でした。それは -
“伊勢うどん”http://www.iseudonyokocho.jp/history/index.html
以下は伊勢うどん横丁HPより抜粋したものです。
“伊勢の街で「うどん」と言えば『伊勢うどん』のこと。ずんぐり太い麺、とろりと濃褐色のつゆ(タレ)初めての人は、まず見てくれで戸惑ってしまうことでしょう。
この伊勢うどん、いつ頃から食べられていたのかは定かではありませんが、その歴史は相当古いようです。昔は素うどんと呼ばれ、古く江戸時代以前よりこの地の農民はうどんに地味噌からできた「たまり」を少しかけ食べていたのが初めだといわれています。その後、鰹節などでだし汁を加え食べやすくしたのが『伊勢うどん屋』の始まりで約360年前に浦田町橋本屋七代目、小倉小兵さんがうどん屋を開業したということです〜”
それにしましても不思議な食べ物でした。Hさんに勧められて食べたのですが、料理が出てきた時におもわずお店の人に、『スープが少ないですね』と聞いてしまいました。Hさん話では伊勢参りの参拝客にすぐに早く出せる料理として考え出されたものとか。今回日本で食べた料理の中で一番印象の残る食べ物となりました。 -
名古屋市内に入りTOYOTA本社ビルをパチリ
駅前でHさんと別れた後は -
16:00発 東名高速バス東京行きに乗車
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浜名湖サービスエリアでトイレ休憩
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足柄サービスエリアでも休憩をとり、約40分後、私の地元伊勢原バス停で下車。
夕食は延辺ではなかなか食べられないハンバーグを食べました。日本滞在残り実質3日。 -
4月22日(土)、新宿に行く前に地元伊勢原市内を散策。少し紹介します。
写真は伊勢原中央通り商店街にある“伊勢原大神宮”です。http://www.daijingu.net/
※大山行きのバスに乗り2つ目の停留所下車、右手にあります。
以下はHPより抜粋
“この神社の創建は、江戸時代初期の元和年間(1615〜1624)のことであると伝えられております。
元和六年(1620)伊勢の国の人・山田曾右衛門と鎌倉の人・湯浅清左衛門は、大山参詣の途中、千手原という松原に一夜の宿を求めたところ、水音を聞いて開墾可能であることを悟り、当時このあたりを支配していた中原代官成瀬五左衛門の許可を得て、開墾に着手したのです。そこにだんだんと粕屋あたりより人が集まり現在の伊勢原市街の基礎が形成されました。曾植右衛門は、この新しい開拓地の鎮守として、故郷である伊勢の神宮の神様を勧請し、奉祭することにいたしました。
こうして創建された当神社の御祭神に由来して当地は伊勢原と呼ばれるようになりました。
伊勢の神宮では、天照皇大御神が内宮に、豊受姫大神が外宮に、それぞれ奉祭されています。当神社もこれにならい両宮が別々に奉祭されています。全国でも珍しい社殿構造は、江戸時代に編纂された「新編相模風土記稿」にもみられ、創建以来の伝統として現在も受け継がれております。当神社境内には神宮遥拝所が設けられ、当地より伊勢の神宮をお参りすることができます。”
伊勢原の由来は伊勢と関係あるんですね。今回、“伊勢うどん”なるものを食べましたが、伊勢原市内にも伊勢うどんを出す店があってもいいのではないかと思ったりしました。
鳥居をくぐり前進します。 -
参拝の順路
子供の頃からよく遊びに来てましたが、しかっりとした決まりがあったのですね。勉強になりました。 -
前方に狛犬
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狛犬の説明
“神様をお守りしている「見張り番」です。片方は口をあけて、もう片方は口が閉じています。これは「あうん」といってはじまりからおわりまでをあらわしています。” -
手水舎(てみずや)
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手水舎の説明
“お参りをする前に手を洗い、口をすすいで心と身体をきれいにする所です” -
お祭りになるととても賑やかな場所という印象があります。
よく整備された伊勢原大神宮へぜひ足を運んで下さい。 -
246号線沿いにあるボーリング場
子供の時は家族でよくボーリングに行きました。ゲームとかもあって楽しい思い出がいっぱいです。 -
伊勢原中央通り商店街のほぼ中間地点にある定食屋さん“ぼんち”
元清水エスパルスの沢登選手も学生時代よく来たそうです。ほっとする定食屋さんです。私はよく生姜焼き定食とマカロニサラダを注文してました。癒し系のお兄さん(おじさま)がいます。 -
“ぼんち”から伊勢原駅方面へ1分ほど歩いた所にある本格的インドカレー屋さん
地元伊勢原で本物のインド料理が食べられるとは。時代は変わるものです。
更に駅寄りに15秒進むと -
中華料理屋“洛神”
瀋陽出身の方がオーナーのようです。ランチがお勧めです。すぐ目の前にバス停があります。
さてさてこの場所から数分歩いた所にある小田急伊勢原駅に到着したあと、友人に会いに新宿へ向け出発。
伊勢原 → 新宿 ※急行で約1時間です。 -
12:00 新宿小田急ハルク内のビックカメラで友人と会い、近くのしゃぶしゃぶ屋さんへ移動し、昼食。友人は夏に4人目の子供が生まれるそうです。3人男だったので次は娘さん?
その後、秋葉原のヨドバシカメラで買い物し、16:00頃有楽町へ。そこで延辺で一番最初に日本語を教えた朝鮮族の学生さん2人と再会(写真)。
崔さん(左)と金さん(右)
2人とも日本語がとても上手になり、すっかり女性らしくなり変身していました。彼女達とは最初の日本への帰国の時に、家族と共にいっしょに箱根へドライブに行きました。湯河原で温泉に入り親交を深めました。
その彼女達は来年中国に戻るかもしれません。日本で楽しい思い出が作れたのでしょうか?辛いことのほうが多かったのでしょうか?それはわかりませんが、元気な姿を見てほっとしました。崔さん、金さん御馳走様でした。また会いましょうね! -
18:30 新宿 京王プラザホテル
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当初行く予定の日本料理屋さんが満席だったため、急遽
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歌舞伎町の安楽亭で焼肉を食べることになりました。
写真は大学院の時の先生、友人達です。
ちょうど写真右奥の高橋さんが割り引きクーポンをたくさん持っていたおかげで、おいしく安く食べることが出来ました。高橋さんは在韓国華僑でしたが27歳の時に日本へ留学し現在は日本に帰化されました。いつかは祖父母の出身地中国山東省に行きたいと話しておりました。
当時のゼミには台湾、韓国、中国、スリランカの学生がいて日本人は私一人だけでした。写真左奥の菅俊雄教授(楊天溢先生・台湾師範大学→東京大学→母校)から専門分野はもちろん中華世界のことを学んだのですが、当時の体験が今ではとても役に立っています。
右手前は日本へ一時帰国?で最後に登場した北京師範大学の教授庚欣さんで、会うたびに中国生活する上でのアドバイスをもらっています。老朋友には助けられてばかりです。
親睦会の後はネットカフェでメールを見て、その後 -
新大久保駅から明治通り沿いに数分歩いた左手にある延辺料理屋“延吉香”のお店に入ってみました。
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店内には長白山天池の写真があり
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店員さんは延辺のお兄さんという感じの人でした。
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おなかが一杯だったこともあるのですが、料理の値段が延辺価格の6倍前後でしたので、ジンジャエール300円を頼みました。
それにもかかわらず小皿を出してくれたお兄さん本当にありがとうございました。オーナー婦人らしき人に話を聞くとこの店はオープンして5年、その婦人は以前延辺テレビ局の北側付近に住んでいたそうです。
“延吉香”には延辺の香りがただよっていました。
このあと -
大久保駅まで歩き総武線に乗り、今回計3泊させてもらった山東省青島出身友人宅へ(飯田橋)と向いました。友人とは神楽坂でお別れ会を開き、またの再会を約束し就寝となりました。Sさん今回東京ではお世話になりました。
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4月23日(日)は朝から新宿西口ヨドバシカメラで買い物。
買い物の途中、街中で少し不愉快なことが・・・
警察官2人から荷物の検査を求められました。事情を聞くと最近カッター等での犯罪が増えているのでカバンの中身を確認させて下さいとのこと。
私はこれは任意ですか強制ですかと聞きながら断るような話をし立ち去ろうとしましたが、警察官の方が執拗に強制でもあると言い進路を防ぎましたので、5分ほど考えた後、仕方なく応じました。
私の持ち物は黒いカバンにウエストポーチとヨドバシカメラの紙袋。ウエストポーチに手をかけると警察官は『もう一度聞きますが、この中にはさみ、カッターはないですね!』と念を押してきました。
なんと失礼なことを言う警察官だと思いながら、中身を見せました。警察官は確認すると一礼し、すぐに別の場所へと移動して行きました。
写真の友人(高校時代の同級生)に夕食時にこのことを話すと
『中国の人に間違われたんじゃないの。長い間その国にいると知らないうちにその国の人の雰囲気になるって聞いたことあるよ。それに俺らの年代だったら、日曜は普通家族といっしょじゃん。だからだよ。』
なるほど。警察官はもしかすると不法滞在者を捕まえるために中国人に見えた自分に声をかけてきたのかもしれません。私はまた中国にいる時と同じように、緊張しながら街を歩いていたので目つきが普通の日本人と違っていたのかもしれません。
それにしてもなにか犯罪者扱いされたようで後味の悪い新宿での買い物となりました。たぶん中国から日本へ留学に来た学生さんも、警察官に限らずこのようなことを日本で何度か体験したのかもしれないと考えると、少し辛く悲しい気持ちになりました。 -
4月24日(月)は母と地元で買い物。
4月25日(火)、いよいよ延辺へ戻る日となりました。父には家内も子供達も延辺で皆元気にしてるから心配しないでと話をし、健康には気をつけてと言い最寄の駅伊勢原駅へと向いました。
伊勢原駅 → 新宿駅 → 日暮里駅 → 成田空港
→瀋陽へ
写真は瀋陽桃仙国際空港内搭乗口近くのコーヒーショップ -
搭乗口付近の待合室
瀋陽では当初のフライトの時間変更があり2時間半ぐらい空港で待つことになりました。普通1元のミネラルウオーターが喫茶店で30元、売店で5元。喉が渇いたので仕方なく5元の高級ミネラルウオーターを飲みました。 -
CZ6603 瀋陽 20:00発 → 延吉へ
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延吉空港で荷物待ち
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今回父に会いに行くのがメインでしたが投資説明会を始め本当にいろいろな方と会い勉強になることも多くまた多くの方からいろいろな助言を頂きました。
写真は国内線出口方面を撮りました。 -
会社からは休みをもらい行くことができたので本当に感謝しています。
写真は空港内にあった私の勤務する会社の広告 -
最後に延辺に今後投資ブームが起きるのかはまだわかりませんが、少なくとも家族が今現在、延辺でお世話になっている以上、私はこれからも積極的に延辺朝鮮族自治州及び中国のこの地域の発展の為に協力していきたいと思っております。
帰国後はこちらのお偉い方から、と○○○べを○け○ようなこともありましたが、やましいい事は何もしていないので、堂々と胸を張ってこれからも延辺の為に生きる生活をしていきたいものです。
延辺出身の方、たまには故郷に帰りましょう!
旅行記 日本への一時帰国 これで終了
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