1988/07/13 - 1988/07/17
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ももんがあまんさん
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「ピレネーを越えれば、そこは、ヨーロッパではない」と言ったのは確か、ナポレオンだったと思うのだけれど、何をもってそう言ったのか ? 風土だろうか ? 人々の心情だろうか ? 711年の西ゴート王国の滅亡から、1,492年のレコンキスタの完成まで、スペインの多くの地域が、イスラムに支配されていた事は、周知の事実だし、16世紀以降は、反宗教改革の先兵として、王権は宗教権力と手を結び、過激な、政教一致の国づくりの道を歩んできたといえる、確かに、西ヨーロッパとしては、少し、毛色が違う国なのかもしれない。 パート?は、北部パンプローナ〜サラゴサ〜ヴァレンシアへと下り、マドリードへと上ります。
写真はサラゴサのカテドラル、この国の教会で驚くのは、北部ヨーロッパでは、殆ど目立たず、見られなくなった、「懺悔」の為の小部屋(告解室)が、今も生きている事、知らずに覗くと、本当に、人が入っていたりして驚かされます、カソリックが今も色濃く、生きているようです。
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パンプローナの風景
フランスから夜行で、バスクの町、サン・セバスチャンまで来たけれど、なんとなく暗い街で、インフォの女性に教えてもらったこの町へ、美味い具合にお祭りです、しかも有名な「牛追い祭り」。 -
パンプローナ、教会裏の風景
インフォの前でウロウロしていたら、若い学生に声をかけられました、2000ペセタ(約2200円)で、部屋を貸してくれるというので、付いて行ったら、旅行中のガールフレンドの部屋だという、小遣い稼ぎですね、あまりきれい好きな彼女でも無いし、スペインの民宿としてはやや高いけれど、お祭りですしね、贅沢は言えません、夜露が凌げるだけでOK。 -
パンプローナ、眼鏡橋
スペインというと、アンダルシアやカスティーリャの荒涼とした風景をイメージするけれど、北部はだいぶ違います、緑は豊かだし、雨も多いようです。 -
パンプローナ、サン・フェルミン祭
闘牛場前の風景
午前中のメーン・イベント「牛追い」は、人だかりがすごくて、潜り込めませんでした、でも、「来た!」と思う間もなく、あっという間に通り過ぎてしまいましたし、わりと、あっけなかったです・・・午後の部の「トロ」に期待して、列に並ぶ事に致します。 -
パンプローナ、サン・フェルミン祭
闘牛場です、盛り上がってます。 午前の部の「牛追い」が有名で、午後の部の「トロ」は、殆ど報道された事もないけれど、午前の牛達の再登場です、勿論、「アーメン」なのですけれど・・・ -
パンプローナ、サンフェルミン祭
闘牛場の入場行進です、最初に入場してくるのは、鎧付きの馬に乗った「ピカドール」だったか ? (ごめん、名前、ど忘れです)、牛達をいたぶる人達ですね、嫌われ者です。 -
パンプローナ、サン・フェルミン祭
後で登場するのが、マタドール(主役)達、少し弱って、くたびれた牛達と戦う人達ですね・・・ (うん? ちょっと棘のある言い方でしょうか・・・??) -
パンプローナ、サン・フェルミン祭、闘牛(トロ)
「オーレー!」 牛の突進を交わす一瞬です。 勇気のあるマタドールは、牛がくたびれ頃を見計らって、素手で、鼻面をなでなでする事になっているようです、そして後、最後の一突き! -
パンプローナ、サン・フェルミン祭の夜
正直な処、やっぱり、「好きになれんなあ!」の「トロ」でしたけれど、お祭りの方は一晩中、盛り上がります。 イタリアのパリオ祭でも、感じた事ですけれど、地域のコミュニティーが生きているお祭りですね、おまわりさん(国家権力)の姿は、殆ど見かけない、現代日本とは、だいぶ違う、お祭りです。 -
パンプローナ、サン・フェルミン祭の夜
ヨーロッパにおけるコミュニティが、今も何故、生きているのかという事は、逆に見れば、「国家」がそれほど信用されても、愛されてもいないという事の証明でしょうか・・・? バスクやカタルーニャの独立運動とまでは行かずとも、中央政府との間に、一種の程よい、「緊張関係」が在ると言えるかも知れません。 日本でも、「国家」≒「中央政府」は、それほど信用されても、愛されてもいないと思うけれど、何故に「緊張関係」が無いのでしょうか・・・・?? -
パンプローナ、サン・フェルミン祭の夜
こちらは、若者達、老人会の集まりの日本のお祭りとは違います。 明治以降、中央官僚による「支配」と「管理」にスポイルされた、日本の地方自治の不在は、若者達をも、スポイルしているのかも・・・ -
サラゴサ、カテドラル(表紙に同じ)
ある意味で、8世紀のイスラムから、19世紀(ナポレオンの統治)まで、宗教国家であったと言えるかも知れない、スペインの真髄、教会(カソリック)の大伽藍ですね。 -
サラゴサ、カテドラル、祭壇
聖母子の祭壇ですけれど、後光がすごいです、あまり他の西洋諸国では見られませんけれど、スペインでは様式化しているようです、やたらとマリア教会も多く、黄金に輝いています。 -
サラゴサ、アルカサール
イスラム(ムーア人)支配時代の城砦です、イスラムのアルカサールは、スペイン全土に、とても沢山あるけれど、殆どは、廃墟として放置されています、これは比較的まともで、貴重な残り物。 -
サラゴサ、アルカサールのパティオ
スペイン建築(パティオ付き家屋)の原型でしょうか、風土に適した、納得の建築です、デザインも美しい。
ただ、イスラム建築は確かに、デザイン的には美しいと思うけれど、それ以上に感心するというほどのものではない気もするのですね、確かに、14〜15世紀頃までは、ヨーロッパよりも先進地域であったのかもしれないけれど、それはあくまで、ギリシャ、ローマ、あるいはペルシャの遺産だったのではと、そう思うのですね、イスラムが付け加え、進化したものが、何かあったか ? むしろ破壊し、失ったものこそ多かったのではと・・・ ? -
ヴァレンシアの街角
ローマ時代からの古都、ヴァレンシア、カテドラル周辺の街角です。
カテドラルは、13〜14世紀に建てられたものだそうです、元々は、イスラムのモスクがあり、それ以前には、ローマの神殿があった場所であるそうです。 -
ヴァレンシア、カテドラルのガーゴイル
ゴシック様式の彫刻です、フランスのディジョンのノートルダムとも良く似ています、多分、同時代の建築ですね、建築主は誰なのでしょうか、調べたけれど、良く解かりません。 -
ヴァレンシア
セント・カタリナ教会と街並
カテドラルの塔からの眺望です、かなり古色蒼然とした、ほこりっぽい、ボロボロの古い町ですけれど、こうして写真で見ると、美しく見えますね・・・??
ヴァレンシアが、イスラムから、最初に奪還されたのは、1,094年、「エル・シド」によるものであるそうです、映画「エル・シド」で、最後に、騎馬のエル・シド(死体)が、駆けて行った海岸は、この、ヴァレンシアの海岸だったのですね・・・多分?? -
ヴァレンシア
カテドラル(塔)からの眺望
エル・シドの死後、ヴァレンシアは再びイスラムに奪われます(1,102年)、モスクから教会へと立て替えられた建物は、再びモスクへと姿をかえることになります。
その後、ヴァレンシァが再びキリスト教徒の土地となるのは、1,238年、アラゴンとカタルーニャ連合王国(ハイメ一世)の時代だそうです、またまた、モスクは破壊され、現在のカテドラルが、その後に建造されます。 -
ヴァレンシア
ロイヤルバジリカのマリア像
「聖母子像」ですけれど、僕の目からは、「女王様」にしか見えません、権威、権力が黄金の後光と共に輝いています、はっきり言って、俗悪です、個性も精神性も、感じられないです。 けれどマア、国家宗教というものはそんなものです、やがて、ドグマが支配すると共に、リアルな現実が見えなくなるのでしょう、結果として進歩は失われ、故に、新世界からの、これほどの富(黄金)を集めながらも、あっという間に、落日の憂き目にあったと、言えなくも無いです、日本の明治から昭和初期への国家神道の歴史にも似たところがありますね、宗教が、政治の重要なツールになっていた、そんな愚かな国家と時代の証拠品、それがこのマリア像ですね。 -
ヴァレンシア、広場の噴水
暑いスペインには、必携のアイテムです、彫像は何でしょうか? だいたいはポセイドンというのが、ヨーロッパの噴水の定番ですけれど・・?? ギリシャっぽい彫像ではあるけれど・・・?? -
ヴァレンシア、市場の建物
現在のヴァレンシアの町は、スペインでは三番目に大きい町であるとか、けれど、大きさを感じさせない、かなり庶民的な町です、行政の中心マドリードなどとは、まるで違います。 -
ヴァレンシア、市場の風景
市場の中には、300以上のお店があるそうです、スペインの庶民の暮らしを、少し覗き見れたような、そんな気持ちになれる、そんな場所です。 -
セゴビア、アケダクト(ローマ水道)
マドリードに戻って、日帰りで出かけました、先ず、目に入ったのがこれ、BC80年、セゴビアを占領した、古代ローマの建造物です、すごいです!絶句しますです! 中世都市を見るつもりだったので、余計、思いがけずの驚きでした。
正直なところ、これを見ると、イスラムや中世ロマネスクの建築などは、技術力に於いて、チャチに見えても仕方ないと思いますね。 -
セゴビア、アケダクト(ローマ水道)
何処まで続いているのでしょう ?? とにかく、そのスケールに驚愕!しますです。
でも現代は、電気もあれば、ポンプもあって、地面の下を水が通るのですね、進歩したものです、けれど、もっと未来の人は、いずれを褒め称えるでありましょうか ?? -
セゴビアの街角
中世の町の路地裏の風景、実際の中世に於いては、もっと不潔だったのでしょうけれど、勿論今は、美しさだけが残る、街角です、この通廊の内は、どんな部屋になっているのでしょうか ?? 覗いてみたい気になるのですけれど、何処から入ってよいのか、解りませんでした。 -
セゴビア、銅像のある広場
誰の銅像なのでしょうか、1,085年、この町をイスラムから奪回したという、アルフォンソ6世(カスティーリャ王)でしょうか ? それとも、739年のアルフォンソ1世(アストゥリアス王) ?? 多分、どちらかでしょう ??? 間違っていたら、ごめんなさい。 -
セゴビア、カテドラル
カテドラル(大聖堂)の貴婦人と讃えられているらしい、姿の美しい、建築です、でも、例に漏れず、中は、キンキン・ぎらぎらで、コテコテの女王様(マリア)が居たような記憶があります(結婚式があったので、写真は撮れませんでした)。
現代の世界の宗教について、僕はあまり、積極的な意味を感じてはいないけれど、勿論、古代や中世の、文化黎明の頃の宗教の意味についてまで、否定はしません、何故なら、どんな妄想であろうとも、人間が生き延びる為には、秩序は必要だったと思う故、そして、その中でも、キリスト教の、今日の文明について果たした役割は、いろんな点で、認めてはいるのです。 -
セゴビア、カテドラルの見える風景
家並と城壁の重なり合う美しい風景です、教会はゴシック様式でしょうか、なんとなくフォルムがやさしくて、違って見える気がします、塔の美しさは、スペイン独特のものですね。 -
セゴビア、アルカサール
ローマ以降、西ゴート王国〜イスラムの城砦があり、現在のお城は、13〜15世紀(カスティーリャ王国時代)にかけて建てられたものらしい、その後19世紀に一度焼けて再建されている、そのせいかどうか、妙に、きれい過ぎるような気もします。 -
セゴビア、アルカサール
勿論、言わずと知れたディズニーの、「白雪姫のお城」のモデルとなったお城です、多分本当だと思います、ディズニーに聞いたわけではないので、多分・・・。 -
セゴビア、アルカサール
セゴビアの町は、周囲を谷に取り囲まれて、船の形をしています、アルカサール(城)は、その先頭、船首の部分にあって、この写真は、谷まで降りて撮りました、夏の木の葉が輝いていて、とても美しく、幻想的に見えました。 -
セゴビア、アルカサール
谷には、小川が流れています。
ウーン、騎馬武者か、馬車でも置けば、もっと絵になるでしょうけれど・・・惜しい・・・ -
セゴビア、アルカサール
もう一枚、オマケです・・・
マア、同じような写真ですけれど・・・
涼しくて、しばし、暑さを凌ぐには、とてもよいところでした。
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セゴビア、カスティーリャの風景
アルカサールの窓から見た、荒涼とした、カスティーリャの風景です。
カスティーリャの女王として有名なイザベルは、この城で、戴冠式を行ったそうです、彼女にとって、この風景はどう見えたのでしょうか・・・??
あるいはもう少しは、違う風景だったか・・?? 大航海時代以降、船の材料として、木材の需要は、飛躍的に高まったらしいので、ひょっとしたら、この大地も、もう少しは、緑の木々にに覆われていたかもしれません・・・想像ですけれど・・・でも今は、ご覧のとうり。 -
カスティーリャの風景
赤土が、半砂漠状態で、むき出しになっているところが多いようです、雨もあまり降らないし、植林も難しいのかも ?? けれど、スペインのイメージにはぴったりの、そんな土地です。 -
セゴビア、カスティーリャの風景
町を少し離れたところに、礼拝堂があります、ロマネスクでしょうか、素朴な美しさがあります、アルカサールが船のような形をしているのも、良く解ります、意外とブサイクです。 -
セゴビア、カスティーリャの風景
町を離れて、ぐるっと周りを歩いてみました。
とっても、熱いです! 物好きですね・・・。
帽子は必携! -
セゴビア、尼僧院
町外れに、尼僧院がありました、崖下の、危なっかしい処に、好き好んで立っているようですけれど、なかなか魅力的な建物です、多分、現役だと思います、スペインですから。 -
セゴビア、カテドラルのある風景
美しい、スペクタクルな風景です。
トレドほどではないけれど、充分に魅力的です。 -
カテドラル&街並
美しい塔です、多分、相当に遠くからも見得るであろう、セゴビアのランドマークタワー。
登るべきだったですね・・・でも、登れたかどうか・・・?? -
Celcedilla駅の風景
セゴビアだったか、アランフェスだったか忘れたけれど、乗換駅のひとコマ、犬達のシェスタですね。
スペインらしい、癒される風景です。 -
アランフェス、宮殿
ロドリゴの名曲「アランフェス協奏曲」に魅かれて、此処へ来ました、駅から続く並木道(プラタナス)が美しい、この土地が、カスティーリャの荒野の中の沃野である事が良く解ります。 -
アランフェス宮殿、礼拝堂
宮殿は、フェリペ2世の時代(16世紀)の創建と言うから、スペインの全盛期ですけれど、ヴェルサイユやらリンダーホフ城を見てきた目には、さほどでもないように見えます、ただ、アラビアの部屋のデザインについては見事です、写真のないのが残念ですけれど。
このマリア像は、スペインのイメージとはだいぶ違いますね、フランスのブルボン家の血も入っているらしいし、完成が18世紀後半のカルロス3世の時代という事で、なんとなくロココ趣味なような気もします。 -
アランフス宮殿の別棟
均整の取れた美しい建物ですけれど、中には入った記憶がありません。 -
アランフェス宮殿、庭園&農夫の家
この建物も、中に入った記憶はありません、スペイン観光局の案内によれば、外観の質素さに比べ、中は豪華との事です。 -
アランフェス宮殿、庭園
庭の写真ばかりですけれど、カスティーリャでは珍しい、緑豊かな風景が心地よかったのですね、マア、庶民には縁のない所だったのですけれど、庭園の形式は、フランス式のようです。 -
アランフェス宮殿
噴水は、ポセイドンです、これは、ヴェルサイユ宮殿に同じですね、やはり大分、ブルボン家の影響があるのかも知れません。 -
マドリード、ドンキホーテ像
マドリードの名所と言えば、プラドとピカソ美術館ですけれど、この二つは昔のパック旅行で行きましたので、今回は、パスです。
従って、あまり、そそられるものがありません、仕方がないので、記念にこれを撮っておきました、言わずと知れた、スペインの象徴、ヨーロッパの三大キャラクター(性格俳優)の一人、セルバンテスのドンキィです。
因みに、後の二人は、ハムレット(シェイクスピアー)とファウスト(ゲーテ)で、あるそうです。 -
マドリード
ドンキホーテ&サンチョ・パンサ
セルバンテスは、22才の時に、レパントの海戦(1572年トルコとキリスト教連合軍との海戦)に兵士として参加して、左腕の自由を失ったそうです、その後も、国王や軍の徴税請負人などの、相当に嫌われる仕事をしたりして、浮世の辛酸を嘗め尽くし、この世界的ベストセラーを書いたのが、58才の時とか。
あまりに有名すぎて、読んだ事はないけれど、喜劇のように見えて、なんとなく、苦い思いの詰まっていそうな、著者の略歴です。
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