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【外信コラム】北京春秋 “正義”なんて皆無<br />http://sankei.jp.msn.com/world/china/100927/chn1009270258000-n1.htm<br /><br /><br />北京の人権意識を象徴する話<br />【外信コラム】北京春秋 歩きにくい街(2010.9.2 03:29)<br />http://sankei.jp.msn.com/world/china/100902/chn1009020330001-n1.htm<br /><br /><br /><br />初めて北京を訪問したのは9年前で天安門事件発生後1年2月経ったときであった。当時の旅行者は必ず地区の委員会を訪問し中国共産党の地区委員と懇談することが義務づけられており、窮屈な思いをしたが今回はこのセレモニーなしで自由に行動できたので、隔世の思い一入であった。<br /><br />北京は九県から成り立っており、空港は市内から30kmの郊外にある。 北京市の面積は16,800km2あり日本の四国の面積にほぼ匹敵する。人口は1,200百万人である。北京空港と市内を結ぶ高速道路は1993年に完成した。北京では定番通り万里の長城と紫禁城(故宮)を見学した。<br /><br />西安訪問のため空港へ向かう車中からは丁度出勤時間帯と重なって市民の出勤風景を観察することが出来た。相変わらず自転車が多い。リヤカーを後ろにつけて荷物を引いている自転車もかなりある。それでも過去三回の中国訪問で見たときよりは自転車の数が少なくなり、自動車の数が増えていると感じた。現地ガイドの説明では、車が最近増えてきて17年前の三倍になっているそうだ。中国のモータリゼーションはこれから始まるという感じである。<br /><br />長安街道路の両側には建設中の高層ホテルが幾つも見えた。また、オフィスビルと目される建物もかなりの数建設中であった。前回の訪問で垣間見たときは煉瓦造りの平屋の老屋をあちこちで壊している所を目撃したように思うが、今はたまにしかそういった光景は見られない。地上げは完了して建設の段階に入っているということであろうか。1949年10月1日が中華人民共和国の建国であるから、建国50周年にあたる今年は10月1日に向けて、計画中の建物の建設が急ピッチで進んでいるのである。先ず、観光客誘致のためにホテルからということであろう。四千年の歴史を持つ大国には観光資源は山ほどあるのだから。<br /><br />北京空港から飛び立った飛行機は午前九時には西安空港へ着地した。生憎機外は雨であった。早速迎えのバスに乗り込んで秦の始皇帝の墳墓と兵馬俑博物館へ向かう。空港のあるところは咸陽市で、西安市の北西方向に位置している。ここ咸陽の地は秦の始皇帝が春秋戦国時代の乱世を統一して都を置いた地である。時に西暦前221年がその統一の時であった。<br /><br /> 兵馬俑博物館へ向かうバスの窓外に見える光景は一面の小麦畑である。季節がら青々と田は繁っている。その青田の中にこんもりとなだらかに盛り上がった小山が幾つも見える。これはいずれも前漢時代の諸侯達の墓である。その数およそ六百を数えるという。この辺りは台地になっていて小麦ととうもろこしが主要穀物であり、綿や葡萄も栽培されている。葡萄はワイン用で西安のワインは赤ワインに優れ評判もいいようである。地理的には秦嶺山脈の北側で農産物の豊富なところである。<br /><br />やがてバスは秦始皇帝陵の遠望できる場所に停車した。陵の位置は南に驪山があり北は謂河に臨んだ風光明媚な所である。県政府の所在地から7.5kmの地点にあたる。<br /><br />石榴畑の向こう側前方に緑豊かななだらかなスロープの山が眺められる。ピラミッドのような三角形の形に見えないこともない。現在の高さは76メートルであるが、建設当初は115メートルほどの高さであったことが分かっている。四角に近い漏斗を逆さまに置いた形状をしており、盛り土をして地固めの方法で作られたという。南北の長さは350メートルで東西には345メートルある。 中国歴史上、殆どの帝王は人間世界の栄耀栄華をいつまでも享受するため一生に二つのことを重要事業と考えた。<br /><br />一つは不老長寿の術を求め永遠の長寿を望んだこと。<br /> 二つには陵墓を築造すること。<br /><br />始皇帝も当時の礼制に基づいて即位するや直ちに陵墓の築造に取組み、死後に完成している。紀元前246年に着工して前後合わせて38年間もの月日を要した。陵墓築造に携わった人夫は最も多いときで70余万人が徴発されたという。まさにアジア的専制君主が威信をかけて築造したモニュメントである。<br /><br />やがて兵馬俑博物館へ到着した。この博物館は始皇帝陵墓の東側から約1.5km離れた地点にあり、史跡を保護するために発掘された俑坑の上に建てられたものである。発見の時間的な順序に従って一号、二号、三号と三箇所に別れてそれぞれ建物が建てられており建物の中では今なお慎重な発掘復元作業が行われているのである。<br /><br />この俑坑遺跡は1974年初春に井戸を掘る作業をしていた三人の農民によって発見された。発見した農民の一人である楊志発さんは70才余で今なお健在である。博物館内の売店で兵馬俑の案内書にサインをする仕事に携わっている。<br /><br />三つの俑坑の内最大のものは一号俑坑で東西方向に長方形をなしており、230メートル×62メートルで総面積14,260m2である。坑内には陶俑、陶馬が6,000余点、木製戦車が40余台あり、戦車と歩兵が一体となって編成された長方形の戦陣である。それは前衛、主体、脇、後衛の四部分からなっている。例えば前衛だけを少し詳しく説明すれば、俑坑の最前端には鎧をつけていない軽装歩兵俑が三列あり、横一文字に並び一列は68点で合計204点になる。<br /><br /> これらの俑はいずれも兜をつけず髪を束ね、下肢にゲートルを巻き手に弓を引き、勇猛で戦上手のように見える。いずれも等身大の俑である。この前衛は殆ど完全に修復が出来ているが中に首のないものが散見される。これは元の資料が破損散逸していて復元できないものである。それにしても小さな破片になって埋もれていたものも相当あったと思われるが、よくもここまで復元したものだと、関係者の気の遠くなるような根気のいる作業には敬服する。兵士俑の平均身長は1.8メートル、馬俑の平均高さ1.7メートルというから秦の軍隊は大男だったのであろうか。俑はいずれも中空の焼き物で元のものは表面に赤、黄、緑の彩色がなされていたという。目の前にある俑はいずれも彩色が剥落して素焼きのように見えるが注意してみると着衣の箇所に原色が微かに残っているのを認めることができるものもある。<br /><br />二号坑は一号坑の東端、北側にあり一号坑から20メートル離れている。坑の平面は曲尺の形をなし、東西124メートル、南北98メートルで面積約6,000m2である。この坑内には車につけた陶馬が350頭、鞍をつけた騎馬用馬が116頭、各種武士俑が900余点、陶馬が1,400点ほど埋もれており発掘復元されたものは6点だけで、目下発掘復元作業が続けられているところである。<br /><br />三号坑は一号坑の西端の北側25メートルにあり、平面から見ると凹状をしており総面積500m2で三俑坑中、最小規模である。ここからは陶俑66点、車を曳く陶馬4頭、木製戦車1台が出土した。<br /><br />兵士俑の顔はそれぞれに異なっており、当時の兵士の表情を活き活きと伝えている。また始皇帝陵内で発見された二組の銅車馬も博物館内に展示されているが精巧に作られたその技術水準の高さと芸術性には驚かされる。<br /><br />暫し異常な興奮に身を委ねた後、華清池へ赴いた。この地は驪山から湧き出る温泉を館に引いて湯治する保養地として古来有名な所である。唐の玄宗皇帝と楊貴妃のラブロマンスの舞台はここの温泉宮である。楊貴妃が入浴したという浴槽も残っていた。華清池に着いてまず目につくのは池のほとりに立っている真っ白い裸身の大きな楊貴妃像である。薄いベールで下半身は覆われているが乳房丸出しの妖艶な姿をみせている。後世長恨歌の楊貴妃をイメージして作られたものであろうが周囲の落ちついた佇まいにはちょっと異質でチグハグな感じを与える記念像である。<br /><br />華清池の後方の驪山の中腹にあずまやがあり、ここに潜伏していた蒋介石が1936年、12月に張学良によって捕まった西安事件の舞台としても有名である。<br /><br />碑林寺博物館はまさに石に文字を刻んだ本が保存されている寺である。ここでは石碑のことを碑林と呼ぶがその数2,300枚に及ぶ。石面に刻まれた文字数は6,562万文字に及ぶという。「平成」という元号の出典となった石碑もあった。ここには書家として有名な顔真卿、楮遂良、王羲士等の墨跡もあり、拓本をとるため表面に白紙が張りつけられている石碑が沢山みられた。<br /><br />西安市南西部にある大雁塔の七層の頂上階まで278段の階段を上り市内を展望してから再び下りてきたが、往復15分という早いペースで昇降したので地上に降り立った時は足の筋肉が吊って暫く動けなくなってしまった。元気なつもりでも若い人と競争するには体力が衰えていることを痛感させられた出来事であった。278段という数は般若心経の文字数と同じであるという。<br /><br />夕食には西安名物の餃子を賞味したが供された種類は餃子だけで21皿に及んだ。<br /><br />西安駅から洛陽駅まで約6時間の旅は沿線の田園風景を眺めながらの快適ではあるがやや退屈な旅であった。緑なす広大な田畑にときどき出現する村落の建物はいずれも煉瓦造りの単純な構造のものばかりで、木造建築は全然見かけられない。壁面には漢字でスローガンらしきものが書きなぐられているのを散見したが、その度にここはやはり社会主義国家なのだと思いなおすのであった。<br /><br />洛陽市は岡山市と姉妹都市縁組をしており人口は120万人。東西に20km、南北に5kmの細長い都市である。都市の花は牡丹である。洛陽は東周、魏、隋、唐の時代に都になって栄えた交通の要衝の地である。<br /><br />久しぶりに朝ゆっくり起きて九時に宿舎の牡丹城賓館を竜門石窟へ向けて出発した。この石窟は敦煌の莫高窟、大同の雲崗石窟と並んで中国の三大石窟といわれている。<br /><br />伊河の両岸、竜門山・東山と香山・西山に大小1,352の石窟がある。494年、北魏の都が大同から洛陽に移された時、雲崗石窟の後を継ぎ、この石窟の建設が始まった。以来唐代に至る400年間にわたってこれらの石窟は掘られ続けた。見学したのは西山の石窟である。<br /><br />賓陽三洞は建設に80万人が携わったと伝えられ、中央の洞は北魏期のものであり、日本の飛鳥仏に似通った仏像が多い。<br /><br />万仏洞には数cmの小像が15,000体壁にびっしり彫られている。<br />奉先寺洞には唐代に作られた高さ17メートルの盧遮那仏の座像が中央に鎮座している。この仏像は則天武后に似せて作ったと言われておりなかなかいい顔の表情である。これらの仏像は文化大革命の時、全然被害を被らなかった。それは周恩来首相の機転のお蔭だという。<br /><br /> 文化革命が怒濤の勢いで進行している頃、文化財の破壊をくい止めようと考えた周恩来首相はこの地を軍隊の駐屯地に指定し、密かに駐屯地の責任者に命じて石仏を守らせたというのである。<br />なお、書き漏らしたので追加しておくとガイドの話によれば西安市内の勤め人の平均月収は月12,000円位であり、北京で15,000円から20,000円であるという。<br /><br /><br />

中国訪問記を更新した=“正義”なんて皆無。世界八番目の不思議・秦始皇帝兵馬俑坑と現代北京人の人権意識  

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1999/05/13 - 1999/05/18

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早島 潮

早島 潮さん

【外信コラム】北京春秋 “正義”なんて皆無
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北京の人権意識を象徴する話
【外信コラム】北京春秋 歩きにくい街(2010.9.2 03:29)
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100902/chn1009020330001-n1.htm



初めて北京を訪問したのは9年前で天安門事件発生後1年2月経ったときであった。当時の旅行者は必ず地区の委員会を訪問し中国共産党の地区委員と懇談することが義務づけられており、窮屈な思いをしたが今回はこのセレモニーなしで自由に行動できたので、隔世の思い一入であった。

北京は九県から成り立っており、空港は市内から30kmの郊外にある。 北京市の面積は16,800km2あり日本の四国の面積にほぼ匹敵する。人口は1,200百万人である。北京空港と市内を結ぶ高速道路は1993年に完成した。北京では定番通り万里の長城と紫禁城(故宮)を見学した。

西安訪問のため空港へ向かう車中からは丁度出勤時間帯と重なって市民の出勤風景を観察することが出来た。相変わらず自転車が多い。リヤカーを後ろにつけて荷物を引いている自転車もかなりある。それでも過去三回の中国訪問で見たときよりは自転車の数が少なくなり、自動車の数が増えていると感じた。現地ガイドの説明では、車が最近増えてきて17年前の三倍になっているそうだ。中国のモータリゼーションはこれから始まるという感じである。

長安街道路の両側には建設中の高層ホテルが幾つも見えた。また、オフィスビルと目される建物もかなりの数建設中であった。前回の訪問で垣間見たときは煉瓦造りの平屋の老屋をあちこちで壊している所を目撃したように思うが、今はたまにしかそういった光景は見られない。地上げは完了して建設の段階に入っているということであろうか。1949年10月1日が中華人民共和国の建国であるから、建国50周年にあたる今年は10月1日に向けて、計画中の建物の建設が急ピッチで進んでいるのである。先ず、観光客誘致のためにホテルからということであろう。四千年の歴史を持つ大国には観光資源は山ほどあるのだから。

北京空港から飛び立った飛行機は午前九時には西安空港へ着地した。生憎機外は雨であった。早速迎えのバスに乗り込んで秦の始皇帝の墳墓と兵馬俑博物館へ向かう。空港のあるところは咸陽市で、西安市の北西方向に位置している。ここ咸陽の地は秦の始皇帝が春秋戦国時代の乱世を統一して都を置いた地である。時に西暦前221年がその統一の時であった。

 兵馬俑博物館へ向かうバスの窓外に見える光景は一面の小麦畑である。季節がら青々と田は繁っている。その青田の中にこんもりとなだらかに盛り上がった小山が幾つも見える。これはいずれも前漢時代の諸侯達の墓である。その数およそ六百を数えるという。この辺りは台地になっていて小麦ととうもろこしが主要穀物であり、綿や葡萄も栽培されている。葡萄はワイン用で西安のワインは赤ワインに優れ評判もいいようである。地理的には秦嶺山脈の北側で農産物の豊富なところである。

やがてバスは秦始皇帝陵の遠望できる場所に停車した。陵の位置は南に驪山があり北は謂河に臨んだ風光明媚な所である。県政府の所在地から7.5kmの地点にあたる。

石榴畑の向こう側前方に緑豊かななだらかなスロープの山が眺められる。ピラミッドのような三角形の形に見えないこともない。現在の高さは76メートルであるが、建設当初は115メートルほどの高さであったことが分かっている。四角に近い漏斗を逆さまに置いた形状をしており、盛り土をして地固めの方法で作られたという。南北の長さは350メートルで東西には345メートルある。 中国歴史上、殆どの帝王は人間世界の栄耀栄華をいつまでも享受するため一生に二つのことを重要事業と考えた。

一つは不老長寿の術を求め永遠の長寿を望んだこと。
 二つには陵墓を築造すること。

始皇帝も当時の礼制に基づいて即位するや直ちに陵墓の築造に取組み、死後に完成している。紀元前246年に着工して前後合わせて38年間もの月日を要した。陵墓築造に携わった人夫は最も多いときで70余万人が徴発されたという。まさにアジア的専制君主が威信をかけて築造したモニュメントである。

やがて兵馬俑博物館へ到着した。この博物館は始皇帝陵墓の東側から約1.5km離れた地点にあり、史跡を保護するために発掘された俑坑の上に建てられたものである。発見の時間的な順序に従って一号、二号、三号と三箇所に別れてそれぞれ建物が建てられており建物の中では今なお慎重な発掘復元作業が行われているのである。

この俑坑遺跡は1974年初春に井戸を掘る作業をしていた三人の農民によって発見された。発見した農民の一人である楊志発さんは70才余で今なお健在である。博物館内の売店で兵馬俑の案内書にサインをする仕事に携わっている。

三つの俑坑の内最大のものは一号俑坑で東西方向に長方形をなしており、230メートル×62メートルで総面積14,260m2である。坑内には陶俑、陶馬が6,000余点、木製戦車が40余台あり、戦車と歩兵が一体となって編成された長方形の戦陣である。それは前衛、主体、脇、後衛の四部分からなっている。例えば前衛だけを少し詳しく説明すれば、俑坑の最前端には鎧をつけていない軽装歩兵俑が三列あり、横一文字に並び一列は68点で合計204点になる。

 これらの俑はいずれも兜をつけず髪を束ね、下肢にゲートルを巻き手に弓を引き、勇猛で戦上手のように見える。いずれも等身大の俑である。この前衛は殆ど完全に修復が出来ているが中に首のないものが散見される。これは元の資料が破損散逸していて復元できないものである。それにしても小さな破片になって埋もれていたものも相当あったと思われるが、よくもここまで復元したものだと、関係者の気の遠くなるような根気のいる作業には敬服する。兵士俑の平均身長は1.8メートル、馬俑の平均高さ1.7メートルというから秦の軍隊は大男だったのであろうか。俑はいずれも中空の焼き物で元のものは表面に赤、黄、緑の彩色がなされていたという。目の前にある俑はいずれも彩色が剥落して素焼きのように見えるが注意してみると着衣の箇所に原色が微かに残っているのを認めることができるものもある。

二号坑は一号坑の東端、北側にあり一号坑から20メートル離れている。坑の平面は曲尺の形をなし、東西124メートル、南北98メートルで面積約6,000m2である。この坑内には車につけた陶馬が350頭、鞍をつけた騎馬用馬が116頭、各種武士俑が900余点、陶馬が1,400点ほど埋もれており発掘復元されたものは6点だけで、目下発掘復元作業が続けられているところである。

三号坑は一号坑の西端の北側25メートルにあり、平面から見ると凹状をしており総面積500m2で三俑坑中、最小規模である。ここからは陶俑66点、車を曳く陶馬4頭、木製戦車1台が出土した。

兵士俑の顔はそれぞれに異なっており、当時の兵士の表情を活き活きと伝えている。また始皇帝陵内で発見された二組の銅車馬も博物館内に展示されているが精巧に作られたその技術水準の高さと芸術性には驚かされる。

暫し異常な興奮に身を委ねた後、華清池へ赴いた。この地は驪山から湧き出る温泉を館に引いて湯治する保養地として古来有名な所である。唐の玄宗皇帝と楊貴妃のラブロマンスの舞台はここの温泉宮である。楊貴妃が入浴したという浴槽も残っていた。華清池に着いてまず目につくのは池のほとりに立っている真っ白い裸身の大きな楊貴妃像である。薄いベールで下半身は覆われているが乳房丸出しの妖艶な姿をみせている。後世長恨歌の楊貴妃をイメージして作られたものであろうが周囲の落ちついた佇まいにはちょっと異質でチグハグな感じを与える記念像である。

華清池の後方の驪山の中腹にあずまやがあり、ここに潜伏していた蒋介石が1936年、12月に張学良によって捕まった西安事件の舞台としても有名である。

碑林寺博物館はまさに石に文字を刻んだ本が保存されている寺である。ここでは石碑のことを碑林と呼ぶがその数2,300枚に及ぶ。石面に刻まれた文字数は6,562万文字に及ぶという。「平成」という元号の出典となった石碑もあった。ここには書家として有名な顔真卿、楮遂良、王羲士等の墨跡もあり、拓本をとるため表面に白紙が張りつけられている石碑が沢山みられた。

西安市南西部にある大雁塔の七層の頂上階まで278段の階段を上り市内を展望してから再び下りてきたが、往復15分という早いペースで昇降したので地上に降り立った時は足の筋肉が吊って暫く動けなくなってしまった。元気なつもりでも若い人と競争するには体力が衰えていることを痛感させられた出来事であった。278段という数は般若心経の文字数と同じであるという。

夕食には西安名物の餃子を賞味したが供された種類は餃子だけで21皿に及んだ。

西安駅から洛陽駅まで約6時間の旅は沿線の田園風景を眺めながらの快適ではあるがやや退屈な旅であった。緑なす広大な田畑にときどき出現する村落の建物はいずれも煉瓦造りの単純な構造のものばかりで、木造建築は全然見かけられない。壁面には漢字でスローガンらしきものが書きなぐられているのを散見したが、その度にここはやはり社会主義国家なのだと思いなおすのであった。

洛陽市は岡山市と姉妹都市縁組をしており人口は120万人。東西に20km、南北に5kmの細長い都市である。都市の花は牡丹である。洛陽は東周、魏、隋、唐の時代に都になって栄えた交通の要衝の地である。

久しぶりに朝ゆっくり起きて九時に宿舎の牡丹城賓館を竜門石窟へ向けて出発した。この石窟は敦煌の莫高窟、大同の雲崗石窟と並んで中国の三大石窟といわれている。

伊河の両岸、竜門山・東山と香山・西山に大小1,352の石窟がある。494年、北魏の都が大同から洛陽に移された時、雲崗石窟の後を継ぎ、この石窟の建設が始まった。以来唐代に至る400年間にわたってこれらの石窟は掘られ続けた。見学したのは西山の石窟である。

賓陽三洞は建設に80万人が携わったと伝えられ、中央の洞は北魏期のものであり、日本の飛鳥仏に似通った仏像が多い。

万仏洞には数cmの小像が15,000体壁にびっしり彫られている。
奉先寺洞には唐代に作られた高さ17メートルの盧遮那仏の座像が中央に鎮座している。この仏像は則天武后に似せて作ったと言われておりなかなかいい顔の表情である。これらの仏像は文化大革命の時、全然被害を被らなかった。それは周恩来首相の機転のお蔭だという。

 文化革命が怒濤の勢いで進行している頃、文化財の破壊をくい止めようと考えた周恩来首相はこの地を軍隊の駐屯地に指定し、密かに駐屯地の責任者に命じて石仏を守らせたというのである。
なお、書き漏らしたので追加しておくとガイドの話によれば西安市内の勤め人の平均月収は月12,000円位であり、北京で15,000円から20,000円であるという。


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