2001/03 - 2001/03
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イスカンダル亜力山大さん
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三峡下り2日目の前編
<白帝城~瞿塘峡~巫峡編>
豊都から279?、クルーズ船は夜を徹して長江を下り、三峡下り第2日目、いよいよ瞿塘峡(くとうきょう)にさしかかる。
四川盆地から三峡に入るところにある町・奉節(古称は夔州)は古くから長江が大峡谷を穿つ「夔門(きもん)」として、天下にその名を馳せた。
-
早暁、クルーザー北斗号から見上げた白帝城のシルエット -
雨に煙る白帝城
夜が明けてきて、本船が動き出した。
艀(はしけ)の近くまで移動するのか、それとも夜が明けたら、ここには停泊できないのか。
白帝城は豊都から279?。
到着は早朝だ。
なお、三峡ダムが完成すると、白帝城はダム湖の中の孤島になり、景観は一変する。
成都を後にした杜甫は、2年間この地に逗留し、400首余りの詩を残している。 -
白帝城内の白帝廟
白帝城は瞿塘峡左岸の切り立った断崖に建てられた城塞で、古来より兵法者は誰でも一度はここを訪れると言われている。 -
託孤堂横の白龍
西暦8年、蜀を治めていた公孫述がこの地に城を築いたとき、毎朝井戸から白い蒸気が立ち上るのを白龍の吉兆と見て、自らを白帝と称した。
以来、この山城は白帝城と呼ばれるようになった。 -
臨終の劉備と脇に立つ諸葛孔明
三国時代、蜀(長江上流域)の劉備は呉(長江下流域)の孫権を討伐しようとして逆襲され、白帝城へ落ちのびてくる。
駆けつけた軍師・諸葛孔明に息子の劉禅を託して息を引き取る。(西暦223年)
ご存知三国志演義の「劉備白帝城にて諸葛孔明に児を託す」の舞台がここだ。
右:劉備 左:諸葛孔明 下:劉禅 -
李白の「朝に辞す白帝・・・」の碑
左:毛沢東の揮毫による碑
右:周恩来の揮毫による碑
中央:我が娘
早発白帝城
朝辞白帝彩雲間
千里江陵一日還
両岸猿声啼不住
軽舟已過萬重山
朝(あした)に辞す白帝彩雲の間
千里の江陵一日にして還る
両岸の猿声啼きて住(や)まざるに
軽舟すでに過ぐ萬重の山
李白 -
瞿塘峡を行き交う小舟
本船に戻り、瞿塘峡の最狭部を目指す。
この辺りは、今はもう水没し、巨大なダム湖になっているはず。
本船から見上げた白帝城は、ダム湖に浮かぶ孤島になっている。 -
瞿塘峡
それにしても、小糠雨が降り止まない。 -
三峡下り最大の難所
瞿塘峡の最狭部に差しかかる。
ここが夔門(きもん)だ。
この絶壁を回り込んだら、川幅は55mの所を通過する。
クルーズ船の船幅は16mで、まあ、すれ違えるけど、ここは時間毎の一方通行。 -
崖に刻まれた夔門の文字 -
前方からは一隻も来ない -
瞿塘峡の出口辺り
両岸の断崖から、凄まじい風が吹き下ろす。 -
巫峡にさしかかる
巫峡は長江支流の大寧河と長江本流の合流点付近から、官渡口までの44km。
途中で重慶市から湖北省へと入って行くが、日本によくある境界標識は見あたらない。
雨が上がって、空が明るくなってきた。
このぶんだと、三峡第一の奇峰・神女峰が見えるかもしれない。 -
神女峰が見えた!
秀麗で趣のある巫峡は、三台、八景、十二峰に集約され、三峡一の景観といわれる。
中でも圧巻は神女峰。
人間界に憧れ、地上に降りたために石にされた仙女が天を仰いでいる姿だという伝説の怪石は高さ7m。
船からは、はるか彼方のつまようじのように見える。
デジカメの10倍ズームでは、これが精一杯。 -
神女峰
普通のカメラ(350mmズーム)で目一杯引きつける。
天を仰ぎ見る仙女の峰が、ようやく視認できた。
<三峡下り2日目の後編へとつづく>
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