1998/09/16 - 1998/09/16
410位(同エリア532件中)
まみさん
昨日は夜遅くまでめいいっぱい観光したせいか、一晩寝ても疲れがとれません。朝から体がだるい……。私は、普段、机に向かう事務仕事をしているので、昼間歩き回るのに慣れていません。だから、旅行となると、たいてい、二日目からずっと、こういう慢性的な疲労状態になってしまうのですが、今回のイスラエル旅行では、今朝になって初めてこうなりました。足の便では楽してきたので、あまり体力を消耗しなかったということかもしれません。
しかし、こういった疲れは、昼間は忘れてしまうからいいです。問題は、ここ数日、めちゃくちゃお腹をこわしていることです。
もっとも、海外旅行において下痢に苦しむのは初めてとは言わないです。ただ、時々、胃のあたりがキリキリ痛むので、さすがにちょっと不安かな……。
お腹をこわしているせいもあって、エルサレム2日目の月曜日から、3食まともに食べた日はありません。昼食も夕食も抜いた日もあります。朝食だけは、ホテルの部屋代に含まれているので、しっかりいただきます。それに、まさか一日中食べないわけにはいかないし、お腹をこわしていてもお腹はすきますから、なんだかんだとしっかり食事はとっています。でも、実は、お腹にいいか悪いか、あまり頓着していません。今朝の朝食だって、少々油っ気が多いかなぁーっと思えるスクランブル・エッグも平らげましたし、コーンフレークには牛乳たっぷり。おまけにコーヒーは最低2杯飲みます。また、ビタミンCが不足するといけないので、食後にオレンジは欠かしません。しかし、帰国が間近になったとはいえ、いい加減、正露丸に頼るだけではなく、食事制限をしなくてはいけないかしら。
ところで、その食事の話ですが、ユダヤ教徒には、日常生活において守るべき宗教上の食事制限(カッシュルート、あるいはコシェル)があります。イスラム教徒のそういう食事制限は、たとえば不浄とされる豚肉は絶対食べない、などはよく聞きますが、ユダヤ教徒の食事制限コシェルも、そういうのに縛られない私のような無宗教の日本人の目から見ると、奇特というか、あんなうまいものを食べられなくて、お気の毒さま、というか。
例えば、コシェルのせいで、ユダヤ教徒は、うろこもヒレもない魚類は食べられません。よってクジラやウナギはダメ。エビもイカもタコもダメ。貝類も食べられません。ううっ、気の毒。それから、ひづめが割れてもいないし反芻もしていない動物の肉は食べられません。つまり、ウサギやタヌキやラクダなどです。これらの生き物は不浄のものとされる故に、禁じられるのです。鳥類でも、フクロウやタカやミミズクなども同じ理由で食べられません。
まあ、ウサギはともかく、タヌキやラクダはたいていの日本人は食べませんし、フクロウやタカやミミズクも食べる人はいないでしょうけどね。
しかし、コシェルの中でも面白いというか、面倒くさいと思ったのは、子やぎを、その母の乳と一緒に食してはいけない、という規定が拡大解釈されて、乳製品と肉類を絶対一緒に食べてはいけないことです。だから、コシェルを厳密に守っているレストランなどでは調理場でも気を使い、乳製品を扱う場所と肉を料理する場所は別々になっていたりするそうです。まあ、そこまでいかずとも、ホテルはたいていコシェルを守っているようで、牛乳やヨーグルトがつきものの朝食には、ハムやソーセージといった肉類は一切ありません。代わりに魚が出ます。
私は、このイスラエル旅行では、エルサレムに着いてからの自由日程の日では、ホテルの外でちゃんとしたレストランで外食したのは、土曜日の夜、東エルサレムのアラブ・レストランで食べたっきりですが、もしコシェルを守っているユダヤ系レストランで肉料理を食べたりしたら、私が習慣にしている食後のコーヒーは、ミルク抜きのブラックか、それとも注文しても断られたのでしょうか。
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今日のツアーも楽しかったです。
今日は、エゲッド社の新市街めぐりの一日ツアーに参加しました。私が既に一人で時間をかけてじっくり回った、エルサレム旧市街の「ダビデの塔のエルサレム歴史博物館」と「イスラエル博物館の死海写本館」見学の2ヵ所が含まれていたのは余分でしたが、
・ハダッサ大学病院のチャペルの「シャガールによるステンド・グラスの窓」、
・郊外の村エイン・ケレムにある「洗礼者ヨハネ教会」、
・エルサレム郊外の丘の一つにある「ケネディ・メモリアル」、
・近代シオニズムの提唱者でイスラエル建国の父と言われるテオドール・ヘルツェルを始めとする歴代の首脳の墓がある「ヘルツェルの丘」、
・クネセット(国会議事堂)の「メノラー(燭台)」見学
など、なかなか興味深い場所がてんこ盛りでした。
ツアー人数も、14人程度の中規模で、まあまあです。さすがに昨日のVIPグループのようなわけにはいきませんでしたが、昼食時も含め、一日一緒だったせいか、私も含め、みんな互いにうちとけられたかんじがしました。そして、ツアー・ガイドは、ユーモアやジョークが好きな愉快なおじさんでした。聖書の一節をもじって、「Land of Milk and Honey, But No Money(意訳:ミルクとハチミツが流れる豊かな土地、だけど金はない。)」と韻を踏むフレーズを連呼しては、イッヒッヒ……と一人でうけていました。
また、ツアーの中に、一人、面白い人がいました。プラチナ・ブロンドのカナダ人男性で、年は30〜40歳くらいです。もっとも、西洋人の年齢は見かけで判断つかないので、もしかしたらもっと若かったのかもしれません。顔つきは、鼻の下のちょびヒゲと眼鏡が、なかなか威厳を添えていて、白衣を着ていれば、いっぱしの博士に見えそうな人でした。でも、行動が、その外見に反して、どこか少年っぽかったです。男のくせに……と言っては語弊があるかもしれませんが、一人参加でありながら、ツアーの中の女性たちよりもペラペラよくしゃべります。知識を仕入れるのにも観光を楽しむのにも貪欲で、ガイドにぴったりくっついて熱心に説明を聞いて質問をするかと思うと、みんなが立ち去り始めても写真撮影などでぎりぎりまでその場に粘り、次の場所へ移る時には、タタタッと小走りで先頭に加わります。
あくまで観光の仕方に限ってなのですが、そのカナダ人男性の考える事や行動が、なんだか私と似ている気がして、はじめのうちは共感をもって観察してしまいました。私がしたいなぁと思うことをするし、なんとなく彼の次の行動が予測できてしまうのです。たとえば、ハダッサ大学では、そこのボランティアガイドの人がシャガールのステンド・グラスの窓について解説してくれたのですが、その後、後から思い出せるようパンフレットを買いにもう一度売店に走っていましたし(もちろん、私も)、洗礼者ヨハネ教会の前に見事なザクロの実がなっていましたが、目のつけどころが同じだったと言うべきか、私は行きに、彼は帰りに、写真を撮っていました。
実はこのカナダ人男性とは、翌日のベツレヘム行きの半日ツアーでも一緒でした。もっとも、互いに知らんぷりで、「あらっ」という顔もせず、言葉も交わすことはありませんでした(翌日のツアーは、人数も今日の倍はいましたし……私もシャイなのですが、その男性ももそんなかんじでした。というか、マイペースなのですね)。それだけでなく、さらに、ベツレヘム・ツアー後の午後にも、イスラエル博物館の本館の中ですれ違いました。おそらく、今日の新市街地ツアーのガイドのおじさんに、イスラエル博物館の本館は各自で改めて見に来る価値がある、と推薦されたせいでしょう。あるいは、イスラエルに来る前から私と同じように目をつけていたのかもしれません。
もっとも、本日のツアーの最後の見学地、旧市街の「ダビデの塔の歴史博物館」は自由時間だったのですが、このカナダ人男性は、ついに集合時間に集合場所に戻ってきませんでした。ガイドが付近を探しに行っても見つからず、みんなで1時間近く待ちました。きっと迷子になった、というよりは、もうツアー日程は全て終わったから、旧市街に来たのを幸い、後は一人で行動することにしたに違いありません。ガイドも参加者たちも、「彼ならありうる!」と全員一致で、結局、彼をおいてきぼりにしてしまいました。観光に限れば行動パターンが似てると思いましたけど、さすがに私には、待っている人がいるのに何の断りもせずにすっぽかすような、そんなハタ迷惑な度胸はないです。
写真は、エイン・カレムの「洗礼者ヨハネ生誕教会」です。エイン・カレムとは、「ブドウ畑の泉」という意味で、イエスに洗礼を施したヨハネの出身地です。エルサレムの西端にある町で、いまはすっかりアラブの町ですが、アラブらしいかっこいい町でした。
現在のこの「洗礼者ヨハネ生誕教会」の建物は、ビザンチン・十字軍時代の教会跡に、1855年に建てられたものです。中では静粛にしなくてはならないというので、ツアーガイドは、中に入る前にひととおり中についての説明を終わらせました。
ところが、中では、20〜30人くらいの大所帯グループがガイドの説明を受けていました。なんでこの人たちはいいんだろう、とちょっと不満に思いました。中の見どころは、その場で説明してもらう方がわかりやすいに決まっていますから。もっとも、彼等は巡礼ツアーでした。ほとんどの人が、洗礼者ヨハネが生まれた場所にタッチして、その指を唇に持って来たり、あるいは直にキスしたり、私たちのような単なる好奇心の観光ツアーとは、真剣さが違っていました。 -
エイン・カレムでは、次に、「マリア訪問の教会」へ行きました。聖母マリアが、洗礼者ヨハネの母エリザベツを訪問したことを記念して建てられた教会です。写真は、その教会の塀の内側です。マリア讃歌が、約50ヵ国語に訳されて、プレートに刻まれています。
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エイン・カレムの「マリア訪問の教会」の塀のマリア讃歌です。日本語に訳されたものも見つけました。ルカ伝によると、イエスを身ごもったばかりのマリアがエリザベツに挨拶したとき、お腹の子が動いたので、マリアが喜んで歌ったとされる歌だそうです。
マリアがエリザベツを訪問するテーマは、キリスト教絵画でもよく描かれています。2人の女性が肩を抱きあうようにしている絵であることが多いです。もしその絵が、マリアの生涯を描いた一連の絵であれば、間違いありません。
その次に訪れたハダッサ病院では、あいにく写真を撮っていません。まずは、短いフィルムを見ました。それはほとんど、ハダッサ病院の宣伝みたいでしたが、盲目でも軍に従事してイスラエルの独立を守った人がいたというのは驚きでした。
ハダッサ病院の見どころは、病院そのものではなく、「シャガールの窓」です。病院のシナゴーグにシャガールのステンドグラスがあるのです。実は、私は、これにはそれほど期待していませんでした。というのも、シャガールの絵は幻想的でドリームチックで素敵ですが、意味深なモチーフがぼろぼろあるので、それが何を意味しているかわからないと、つまらないと思ってしまうからです。意味がわからなくてもシャガールの絵そのものを鑑賞すればよいのでしょうが、このときはそう思ってしまいました。なにしろ、このエルサレムにあっては、なにもかもが意味深なのですから。
しかし、ハダッサのシャガールの窓については、ボランティアガイドが意味を一つ一つ説明してくれたおかげで、すごく面白かったです。ユダヤ12士族の祖であるヤコブの息子たちにちいては、せいぜい、兄たちに売られてエジプトの奴隷から高官まで昇りつめたヨセフと、ヨセフと母親が同じでヤコブがヨセフと同じく数ある子供たちの中でひいきにしていた子ベンジャミンの2人くらいしか知りませんでした。そのヨセフの生涯の話では、兄たちと最後には仲直りするとはいえ、兄たちにはどちらかというと良い役割を与えられていませんでした。それが、ユダヤ12士族の祖先とされているのが、つねづね不思議でした。伝説、というか歴史は、ヨセフの兄たちにそんな舞台しか用意しなかったわけではありませんでした。シャガールはそんな彼ら1人1人に窓の1枚ずつ当てて、象徴的な絵を描きました。 -
写真は、ケネディ・メモリアルです。ケネディ・メモリアルは、イスラエルがいかにアメリカに支えられているかを示す象徴だと思いました。今や、イスラエルに住むユダヤ人より、アメリカに住むユダヤ人の方がずっと多いのです。
ケネディとは、むろん、暗殺された、かのアメリカ大統領のことです。ケネディ・メモリアルは、彼の死を悼んで造られたメモリアルで、これがあるがため、エルサレムを見下ろすこの丘は「ケネディの丘」と言うそうです。見晴らしがいいし、夏でも涼しいので、エルサレム市民の格好の散歩場所だそうです。写真のメモリアルのあるところを少し下ると、自然公園のようになっていました。
まあ、私にとって、ここは、見晴しがよい格好の散策場所、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。アメリカ人ではないので、そう興味を惹かれるものでもありませんでしたから。たぶん、これが日程に組込まれたのは、アメリカ人観光客に対するサービスではないかと思いました。私がイスラエルに持参した二冊のガイドブック、「地球の歩き方」にも、オーストラリアの出版社のものである「Lonely Planet」にも、ケネディ・メモリアルについては一言の紹介もなかったくらいですから。 -
「ケネディの丘」で撮りました。メノラーの形とヘブライ文字です。メノラーについては、後述します。
「ケネディの丘」では糸杉(cypress)をたくさん見かけました。辞書で調べたところ、糸杉は、哀悼の象徴らしいです。 -
次にヘルツェルの丘に行きました。1897年、スイスのバーゼルで開催された第一回シオニスト会議の提唱者で、イスラエルの建国を世界中のユダヤ人に呼びかけ、イスラエルの建国の父と呼ばれるようになったテオドール・ヘルツェルが眠る丘です。ここで毎年、イスラエル独立記念式典が行われるそうです。この丘には、ヘルツェルの他にも、名高いシオニストたちや歴代首脳の墓もありました。
ちなみに、このときにツアーガイドに教わましたが、ユダヤ教では、お墓まいりのときに献花せず、訪れた証拠に、墓石の上に小さな石を置く習慣があるそうです。そのため、どの墓も、墓石の上にぎっしり小石が乗せるられていました。日本にも、石を置いたり、石で墓石を叩いて知らせる習慣があることを思い出しました。
写真は、手前の石碑がヘルツェルの墓です。その背後にあるのは、この写真ではわかりにくいと思いますが、半円ドーム状になっています。 -
写真は、クネセット(国会議事堂)の「メノラー(燭台)」です。これはとても興味深かったです。ただ、残念ながら、会期中ということで、クネセットの建物の中は見学できませんでした。
この「メノラー」は、クネセットの前庭にありました。メノラーとは、古代から祭儀に使われてきた七枝の燭台で、「ダビデの星」と並んで、ユダヤ人の象徴の一つといえます。イスラエルの国家紋章にも採用されているそうです。現在の形に定着した最も古いメノラーは、ヘロデ大王が造らせた第二神殿のもので、黄金製でしたが、古代ローマ帝国がエルサレムを攻略した時、勝利の証としてローマに持って帰ってしまったそうです。その場面が、ローマの「ティベリウス帝の凱旋門」に浮き彫りにされているそうです。
でも、その後の黄金のメノラーの行方は誰も知りません。イタリアの人々は、近代に考古学ブームが始まるまで、新しい建物を造る際などに古代の遺跡・遺品をせっせとリサイクルしていたくらいですから、当然溶かされて、別の何かに使われてしまったのでしょう。
クネセットのメノラーは、イギリス政府が寄贈したブロンズ製です。高さ5m、幅4m。表には、ユダヤ人の歴史の重要な出来事や重要人物が29コマ、浮き彫りされています。ツアーガイドがざっとひととおり説明してくれました。ここでも、旅行前に下調べしていて本当に良かったと思いました。やっぱり、一つ一つがなんのことかわかってて聞いている方が、断然、面白いですから。
メノラーに描かれてたのは、旧約聖書の人物やエピソードに始まり───ユダヤ人の父祖アブラハム、ダヴィデとゴリアテの戦い、出エジプトと十戒のモーゼ、神によって悪魔との賭けの対象にされた信仰厚き苦難の人ヨブ、神より言葉を預かり、イスラエルの民を時に糾弾し、時に励ましたイザヤ、エレミア、エゼキエルなどの預言者たち、それからソロモンが建てたエルサレム第一神殿と新バビロニアによる破壊の歴史、バビロンの捕囚、古代ローマ帝国によるエルサレム第二神殿の破壊、そのローマ帝国に対するユダヤ人の大反乱の時の英雄バル・コシュバ、中世スペインのユダヤ人コミュニティーの繁栄、律法成立と律法学者(ラビ)たち、そしてナチスによる大虐殺(ホロコースト)、そのナチスにほとんど武器なしで立ち上がり、第二次世界大戦中のユダヤ史上最も壮絶な戦いと言われるワルシャワのユダヤ人蜂起、最後にイスラエル建国……でした。 -
写真は、クネセット(国会議事堂)です。手前の門が、現代彫刻みたいでかっこいいです。ロスチャイルド家の寄贈で建てられ、完成したのは1966年です。国会会期中でなければ、中を見学できたのに、残念です。
ツアーでは、この後、イスラエル博物館の死海写本館を訪れました。このツアーで死海写本館見学が含まれていると知っていたら、一昨日の午後のイスラエル博物館見学のときに死海写本館を見学せずに、もっと本館に時間をかけていたでしょう。
でも、死海写本館の中で、ツアーガイドにその死海写本の発見にまつわるエピソードを復習できたのはよかったです。ベドウィンの少年が、逃げた羊を追って洞窟に入ったのがその発見のきっかけですが、その写本の価値がわからなかった少年は、信じられないほど安い値段で売り払ってしまった、などなどは、イスラエル旅行最初の頃の個人ガイドのルベンさんも、昨日のユダヤ沙漠サファリ・ツアーのガイドのモティさんも話していました。そして、写本が発見された1948年5月14日は、期せずしてイスラエルが建国したその日、とも。
だから───と、ルベンさん、モティさん、そして今日のガイドの三人とも口をそろえて主張してましたっけ。「イスラエルの建国は神から祝福されたものなのだ」! ───そもそもパレスチナという地名も、ユダヤ人の反乱にさんざん手を焼いた古代ローマ帝国が、反乱を鎮圧し、今のイスラエル全土からユダヤ人を追い払った時に、「ペリシテ人の土地」の意味のパレスチナに改名させたことに由来します。だから、パレスチナというのは「アラブ人であるパレスチナ人とは全然関係ない」のだそうです。しかし───と、私は首を傾けずにはいられません。それって、そんな風に堂々と主張できるものなのでしょうか? 後者に関しては、おそらく地名を盾にとったパレスチナ人の主張に対する反論でしょうが、写本発見とイスラエル建国の日付が一致したことは単なる偶然とは考えないのでしょうか。第一、他人を説得できる根拠といえるのでしょうか。やっぱり私には理解できません。私に限らず、基本的に国を失ったことがない日本人には、到底理解できないかもしれません。
ちなみに、ペリシテ人とは、主に紀元前13世紀〜12世紀に東地中海世界で活躍した海洋民族の一派で、現在のイスラエルの地中海沿岸に住み着きました。旧約聖書時代、モーゼに率いられてエジプトからイスラエルの地に戻ってきたユダヤ人にとって、最大のライバルだった民族です。だから、ペリシテ人は旧約聖書によく登場しています。有名なところで、少年ダヴィデが、パチンコのような投石道具(ただし、投石用の石は手のひら大の石)で打ち倒した巨人ゴリアテなど。ダヴィデはそのペリシテ人の君主都市連合を打ち破って、紀元前1004年、初めてユダヤ人の統一国家を建てました。
ところでクネセットにあったメノラーの浮き彫りに話を戻しますが、あの中にイエスがひとかけらもなかったのは、なかなか興味深いかもしれません。ユダヤ教徒は、イエスを、神より言葉を預かった者として預言者の一人とみなしていますが(これはイスラム教徒も同じです)、自分たちの歴史のハイライトと言えるほど重要人物視していないのです。
もっとも、キリスト教徒にしてみれば、「預言者だって? ユダヤ人こそ、イエスを死に至らしめた張本人ではないか」と言いたいかもしれません。ですが、あの当時、イエスも紛れもなくその一員だったユダヤ人社会は、ユダヤ教の教義の解釈について、そしてとりわけ、多神教の異教徒の国であるローマ帝国との関係などにおいて意見が分かれ、同じユダヤ教徒の中で分裂・対立して激しく争い、混乱していました。だから、イエスの末路は、少々頭角を現したがために、時代の勢力争いに巻き込まれて犠牲になった人のそれとあまり変わらないといえるかもしれません。それに、そのような民族の存亡に関わる混乱の時代の預言者たちは、いや、そのような時代だからこそ出現する預言者たちは皆、同胞の理解を得られず、侮蔑と謗りすら受け、神に与えられた使命と板挟みになって苦悩の生涯を送らざるをえませんでした。
第一、イエス同様、ユダヤ教の改革を試みた人たちは何人もいました。イエスの先輩である洗礼者ヨハネもそうですし、彼が所属していたという厳格主義のエッセネ派の人々もそうでした。ただし後者は、仏教で言うと小乗仏教の僧侶のように、あくまで個人の修練による魂の向上を目的とし、不特定多数の救済は問題としなかったようです。
しかし、少なくとも、洗礼者ヨハネは、イエスのように弟子を従え、人々の支持を受けていました。そして、彼にそういう宗教的カリスマがあったために、政治的な扇動者にもなりうるとして処刑されました。イエスが処刑されたのと同じような状況、同じような理由といえなくもないです。ヨハネの最期として有名なサロメの話───ヘロデ大王(注)が、宴会の席で、義理の娘サロメがすばらしい踊りを披露したので、ほうびに欲しいものを何でもやろう、と申し出た時、サロメは、ヨハネを疎ましく思っていた母ヘロディアの言いつけに従い(オスカー・ワイルドの戯曲などでは、サロメがヨハネに振り向いてもらえなかったのを恨んで、という風に味付けされていたりします)、ヨハネの首を希望した───というのは、全くのフィクションだそうです。ヨハネが処刑される経緯がイエスとそっくりだったので、イエスの最期の方を際立たせるためにそういうフィクションが作られたそうです。華やかな宴の席に妖艶なサロメの踊り、そして盆にのせられた血まみれのヨハネの首、という組み合わせは、センセーショナルで、ドラマチックで、きっと大衆にはとてもウケて、流布される原因になったでしょう。
また、当時は、死刑の方法として十字架に掛けることはごく普通でした。その証拠に、イエスが十字架に掛けられた時、同じようにイエスの左右に十字架に掛けられた2人は、窃盗の罪で死罪になった人間でした。だから本当は、洗礼者ヨハネも、もしかしたら十字架に掛けられて命を落したかもしれない、という推測もできます。
───こんな風に、イエスの宗教思想家としての偉大な面をとりあえず脇に置いておいて、イエスの実像らしさだけを求めれば、イエスだけが特別な存在ではなかった、と、いろいろ説明をつけることは可能です。キリスト教の成立は、イエスの死後、弟子たちによって原始キリスト教が打ち立てられた、その活躍と功績なくしてはありえませんでした。イエス自身はあくまでユダヤ教徒として亡くなったのです。少なくとも、本日のツアーガイドを含め、イスラエルの現地ガイドはみなそう強調していました。
ちなみに、イエスが少年のときにラビ(ユダヤ教の律法学者)を相手に堂々と意見を戦わせたというエピソードがありますが、あれは少年イエスは、ユダヤ教徒の男子の成人式バル・ミツヴァを受けるために神殿に来ていたのだそうです。
としますと、西洋絵画には描かれることはありませんが、イエスもあのフチなしの小さな帽子キッパをかぶって律法を朗読したのでしょうか。あるいはあのキッパはもう少し時代が下ってから登場したのかもしれませんが……そうやって想像してみると、なんだかとても新鮮なイエス像が浮かんできそうです。
そのようにイスラエルに来てから、いえ、イスラエルを旅行しようと下調べをしてから、いままで私が知っていると思っていたキリスト教の見方がいろいろ変わりました。私は信者ではないので、あくまで頭で考えてしまうのですが、こうやって物事を思いがけない面で見ることができるきっかけが得られるのも、海外を旅行する醍醐味の一つだなぁとつくづく思いました。
(注)サロメの話に登場するヘロデ王は、年代的にはヘロデ大王ではなく息子のヘロデ・アンティパス王の方のはずですが、文学や美術の主題としてとりあげられる時は、悪名高いヘロデ大王にされていることが多いです。
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この旅行記へのコメント (4)
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- shinesuniさん 2005/12/31 21:22:48
- エルサレム
- まみさん、こんにちは
色んな宗教、紀元前の伝説の王と物語...面白そうですね。
トルコとエジプト制覇したら次は...
と野望はありますがいつになることやら^^;
>来年はやはり、旅行できるのが10月になろうと、ハンガリー再訪をしたいなぁと思っています。友人には、どうせならもっと南の暖かいところにしたら、といわれましたけど@
ポーランドのマズーリ地方も、すっごく魅力的なんですけどね。クチコミを拝読しましたが、あんなに手ごろな場所があったとは!
ともあれ、とくにハンガリー情報、いろいろ情報を当てにしてます@
★ではでは新年旅行記1発目はオリュシュチンとクーセグにしましょう^^。
ハンガリーといえば『フォアグラ丼』!なんと1皿1000円前後だそうです。
あの豪快な食べ物を是非味わいたいものです。
http://homepage.mac.com/i_ban/GFH02/07.html
の中段あたりにその豪快な写真がwww
このKulacs Csarda と言うレストランホテルもやっているそうでシングル約3800円位だそうです。エゲルの美女の谷そばなので狙っております。
それでは来年も宜しくお願い致します。 Shinesuni
- まみさん からの返信 2006/01/03 02:13:46
- フォアグラ丼
- shinesuniさん、あけましておめでとうございまする
掲示板への書き込みありがとうございます。
> ★ではでは新年旅行記1発目はオリュシュチンとクーセグにしましょう^^。
ハンガリーといえば『フォアグラ丼』!なんと1皿1000円前後だそうです。
あの豪快な食べ物を是非味わいたいものです。
拝読するのはこれからですが、楽しみです。
フォグラ丼、おいしそうですねぇ。ごっくん。
キャビアはせっせと食べてきたのですが(ブダイ・ヴィガドーでのハンガリー民族舞踊ショーが軽食付きで、そのときにワインのつまみにキャビアばっかり食べました@)、フォアグラは失念していました。今度ぜひ味わいたいです@
shinesuniさんの豊富な情報を楽しみにしています。10月でもいいから、ハンガリー再訪!が今年の夢の1つです。
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- さすらいおじさんさん 2005/12/27 13:56:04
- ガイドブックよりはるかに詳しくて、おもしろくて解り易い説明ですね
- まみさん
ガイドブックよりはるかに詳しくて、おもしろくて解り易い説明ですね。
カナダのおじさん、好奇心いっぱいの行動、周囲の人達は嫌がっているかも知れない---私のツアーでの姿を見ているようです。ちょっと反省です。
随分、知らないことを教えていただきました。
旧約聖書時代からのユダヤの歴史の流れ、人間としてのキリスト像、ヨハネ誕生と処刑、死海文書とイスラエル建国、ケネディの親イスラエル政策など興味深いです。詳しい情報、ありがとうございます。
- まみさん からの返信 2005/12/27 22:48:40
- RE: ガイドブックよりはるかに詳しくて、おもしろくて解り易い説明ですね
- さすらいおじさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。
すばらしい賛辞をありがとうございます。なんかもったいないです@
楽しんでいただいて嬉しいです。
イスラエルやイエスの話は、12月にはなかなかふさわしかったではなかったですか?
とはいえ、町はクリスマスが過ぎたら、あっという間に新年モードになってしまいましたけど(そりゃそうですわね。クリスマス気分が抜けないのは、私の頭の中だけ!?)
年内にはイスラエル編は終わりそうです。あと実質1日分です@
来年もよろしくお願いします。よいお年をお迎えください。
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