1988/05/07 - 1988/05/12
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ももんがあまんさん
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ロンドンから夜行列車で、ウェールズのホーリーヘッドへ、そこから連絡船で、ダブリンへ渡りました、先ずは一気に、GB&北アイルランド連合王国領、ベールファストへ向います、この頃のアイルランドといえば、一番有名なのが「IRA」この地を最初に選んだのも、そんな理由からですけれど、やや、ビクビクしながらの、旅です、夜は出歩きませんでした。
表紙の写真は、比較的、新しい建物の多い、アイルランドの町としては、やや珍しい、中世の香りの残る町キルケニーの、美しい街並です、この後15年後、再度この町を訪れ、再度この風景を見たけれど、だいぶ、写真を撮るにも苦しい状況になっておりました、町は、大きく、きれいになっているけれど、雰囲気が変ってゆくのは、仕方ないとはいえ、淋しいものです。
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ベールファスト、シティホール
船を降りて,ダブリンの港でキョロキョロしていたら、おじさんが近づいてきて、「何処へ行くんだ」と、「ベルファストへ行くつもり」と答えたら、「ノーノー、ベールファストだ!」と仰いました。 -
ベールファスト、シティホール
建物は白亜の大聖堂という感じ、巨大で、立派で、見下ろす感じ、此処は英国領だと、断固主張している、そんな感じです、アイルランド人としては、よい気はしないでしょうね、僕もあまり、好感は持てませんでした。 -
ベールファストタワー
何処にあったのでしょうか、忘れてしまいました。
この頃のベールファストは、町は大きいけれど、なんとなく閑散としておりました、一枚目の写真でも感じられるでしょうか ?
繁華街あたりでは、防弾チョッキに機関銃と言う、警官だか軍隊だか、解からないような、重装備の男達が、いたるところに徘徊しており、まるで、戒厳令を思わせるかの如き、雰囲気でありました。
とても、能天気な観光客が、カメラを向けられる雰囲気ではありません。
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ベールファスト、川沿いの風景
これも、何処の風景だったかも忘れました。 映画館もある、華やかな所だけれど、カメラのフレームの外には、空き部屋やら、壁の崩れの目立つ、うらぶれたビルが、並んでおりました。 -
ロンドンデリー、遠 景
カソリック系アイルランド人は、この町をデリーと呼びます、ロンドンデリーとは、ロンドン・アイリッシュ協会と言う、GBの殖民の斡旋組合により(1610年) 一方的に命名された名称とか。 -
ロンドンデリー、フォイル川対岸からの風景
城壁は、17世紀に、この町へ殖民してきた、プロテスタント系の人々によって築かれたもので、今も町を取り囲んでいます、周りの背の高い建物の為、あまり良く解かりませんけれど。 -
ロンドンデリー、城壁のヒューマンクロス
これはいったい、何でしょうか?? 1988年当時は、城壁の上にありましたけれど、再び訪れた2002年時は、Playhouse Theatre(?)の入口に、より巨大なコレが置かれてありました。 ご存知の方は、是非、ご一報をお寄せ下さい。 -
ロンドンデリー、セント・コラムズ・カテドラル
城壁の内側は、当然プロテスタント系の勢力範囲なので、この教会も、プロテスタントです。
前述の人型のクロスは、この教会の近くの城壁にあったものです。 -
ロンドンデリー、ギルドホール&街並
この町は、古くは 「ロンドンデリーの歌」(アイルランド古謡=ダニーホーイの元歌) で知られる、旅情を誘われる町なのですけれど・・・・
新しくは、1972年「血の日曜日」事件(イギリス軍による無防備のデモ隊への発砲事件) によって知られる、北アイルランド紛争の中でも、決して忘れられる事の無い悲劇の町でもあります。
僕の好みとしては、勿論、前者ですけれど、いずれにしても、やや暗く、沈んだ町との印象が残りました、2,002年に再訪した時も、かなり新しい建物も増え、明るく、装いを変えつつあるけれど、いまだ観光客は、多くは無いようです。 -
ロンドンデリー、城壁&墓地
城壁の外側には、墓地もあります、なんとも、寂しい墓地です。 -
ロンドンデリー、城壁の風景
1988年当時、城壁の外側には、こんな空き地もありました、2002年には建物が増え、殆ど空き地もなくなっていました、町は懸命に、立ち直りの努力を続けている、そんな気がします。 -
ダブリン、ダブリン城
北のロンドンデリーから一気に、南のダブリンに戻ってきました、パスを使うと、こういう動きが自由に出来るので、便利です。 ダブリン城は、イングランド支配時代の歴代総督邸です。 -
ダブリン城、提督の執務室
ダブリン城自体は、13世紀のジョン王の時代に、建てられたらしいけれど、17世紀に火災で燃え落ちて、現在のものは、その後のもの。
16世紀以降の、イングランドによる支配は、かなり過酷だったけれど、イングランドにしてみれば、カソリックを離れたヘンリー8世以降、フランス、スペイン等の大陸国家が、同じカソリックのアイルランドをテコに、イングランドの背後を襲う心配が常にあったわけで、その為にも、アイルランドを完全に支配下に置く必要があったと言う、当時としては、仕方のない理由もある、このあたり、ロシアの南下に怯える、日本の朝鮮政策にも通じるところかもしれない。 そして共に、憎しみを今に、引きずっているのですね。 -
ダブリン、クライストチャーチ
ダブりン城の隣にある教会ですけれど、ちょっと記憶がアバウトです、ダブリンの町自体、正直、あまり魅力的とは言い難い気もします、個人的趣味もあるでしょうけれど。 -
キルケニー、風 景
ダブリンから、日帰りで出かけました、アイルランドではやや珍しい、中世の雰囲気の残る、小さくて、可愛らしい、懐かしい感じの町です。 -
キルケニー、ジョン橋&キルケニー城の塔
駅を降りて、町に向ってまっすぐに歩いていくと、この橋を渡ります、橋の下には、キルケニー城の敷地に沿って、川沿いの遊歩道があります。 -
キルケニー、聖メアリー大聖堂のある風景
この聖堂は、19世紀の建造という事で、新しいのですけれど、町には似合っている気がします。 古いのがお好みの型は、聖カニス大聖堂(13c)へどうぞ、ケルト風、ラウンドタワー付き。 -
キルケニー城の庭園
ただただ、ひたすらに広い庭園です、何故か、何も無いので、余計に広く感じます、遥か彼方に、城館が見えることから、おおよその広さがお解りでしょうか ?? -
キルケニー、川沿いの風景
キルケニー城に沿って、川沿いを散歩した時の風景です、何処にでもある風景だろうと言われれば、そんな気もしますけれど、なんとなく、懐かしさを感じさせる風景なのですね。 -
キルケニー、ブラックアビー
1325年建造のドミニコ派の修道院、1541年にヘンリー8世が、アイルランド王になって後、1543年、例に漏れず閉鎖、現在はカソリックの教会として復活。 -
キルケニー、旧市街の街並
旧市街と言っても、建物も貧弱で、石造りの建物も殆どなく、ヨーロッパの旧市街とは違います、多分これこそが、過っての、アイルランドの貧しさを示すものでしょう、城や教会以外に、まともな民間の建築など、殆ど無かったのですね。 -
アイルランド、海辺の風景(レンスター州)
ダブリンから、ロシュレアハーバーへ、列車で南下します、写真は、車窓からの風景です、今回訪れた四つの街よりも、こちらこそが、多分本当の、アイルランドの風景かも知れません。
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アイルランド、車窓の風景(レンスター州)
美しい風景です、いつかこの、街と街の間を、自転車で走って見たいです。 この後は、ロシュレアハーバーから、大陸のルアールへ、それから、一気にスウィッツランドへ向います。
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この旅行記へのコメント (5)
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- 迷子さん 2005/12/22 05:18:11
- デリー?orLondonデリー?
- お早うございます。
80年代の北アイルランドの様子、寂しい感じが出てますね。
この頃だとIRAの活動も盛んな時期だったのでは?大丈夫でした?
私が始めて行ったのは92年でしたが、デリーの町の城壁外の
ボグサイド地区(カトリック居住地)は数十メートルごとに
完全武装の英兵がいて、物騒な雰囲気でした。
デリーにかぎらず北の町や村は警備が物々しくて、
平和な日本から行ってちょっとビックリしたの覚えています。
あれから随分と北の奥まで行ってないけど、今なら少しは
普通の状態になったのかな?
北アイルランドものどかで素敵な土地なのに、長らくテロの
イメージだけだったのが残念ですね。
- ももんがあまんさん からの返信 2005/12/23 16:51:44
- RE: デリー?orLondonデリー?
- こんにちわ、いらっしゃいませ、迷子のプロさん。
そうですか、迷子のプロさんも、あのロンドンデリーに行かれたことがあるんですか。
仰るとおり、北アイルランドは、本来、かなり、のどかで、美しい土地だと思うのですけれど、1988年当時は「IRA」のイメージが強くて、「危険」と言う先入観が、僕の中にも在りましたね、ロンドンデリーに限らず、ダブリンなどでも、夜の外出は控えて、泊った宿の窓から、大通りを、奇声を発しながら行く大勢の若者達を、「何事か??」と、恐る恐る眺めていた事を思い出します、間違っても、巻き込まれたりして、ニュースネタには、なりたくなかったですしね。
でも、2002年に、再度、ロンドンデリーに行った時には、街の再開発は、かなりのピッチで進んでおり、町は、少なくとも、外見については、かなり、見違えるほど、明るく近代的になっていました、けれど、それでも、知り合った、一人旅の日本人女性に聞いたところでは、「女性の夜の一人歩きは、止めなさい」と、宿の主人に言われたそうです、悪くない街だと思うのですけれどね、残念な事です。
ところで、迷子のプロさんは、あの、ヒューマンクロスをごらんになりませんでした?? 1992年には、もう城壁から、移動していたのでしょうかね?? あれは、いったい何なんでしょう?? ご存知でしたら、ご一報宜しく。
ではまた、おいでくださいませ。
- 迷子さん からの返信 2005/12/23 18:16:08
- RE: RE: デリーのヒューマンクロス?
- お返事ありがとう!
さて、あのヒューマンクロスは一体なんでしょう?
お写真をみるかぎり、古いものではなく現代彫刻っぽい感じですね。
私の行った時は気が付きませんでした。城壁もバリケードと監視カメラが
設置され上には登れなくなってました。よく上から火炎瓶や投石があると
すぐに閉鎖されるそうです。
ただ、デリーのすぐそばを流れる川の橋の正面には平和を願った銅像は
ありましたね。もしかしたら、ヒューマンクロスもそういう意味合いで
作られたのかも?(隣のフォーマナ県のボーア島にある古いケルトの
石像に関連してるのかな、これも表裏二面に人型があります。)
もしまた向こうに行けるチャンスがあったら、観光局の人にでも
聞いてみちゃおう。
もっと沢山の日本人観光客の人達に興味を持って、訪ねてもらいたい
土地ですね。いい所なのに残念です。
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- かたまねさん 2005/12/16 17:51:16
- キルケニーの猫2匹♪マザーグースの歌の舞台ですね。
- 子供が小さいとき(今36歳と32歳!!)よく読んで歌ったナーサリーライムス(アメリかではマザーグース)に”♪キルケニーの猫匹、2匹じゃ1匹多すぎる〜♪”で始まる全くナンセンスな歌がありまして、長年【キルケニー】にいつか行きたい、どんな街が見てみたいと思っていましたので興味深く拝見しました。古くてきれいそうな街並みに見えます。来年にはいつもの1人旅の行き先候補にあげて、ケルト十字架や古代遺跡などルート作り中。ここは必ず訪れるつもりです。
- ももんがあまんさん からの返信 2005/12/18 19:46:37
- RE: キルケニーの猫2匹♪マザーグースの歌の舞台ですね。
- こんばんわ、かたまねさん、メッセージを有難うございます
そうですか、♪キルケニーの猫二匹♪ですか、知りませんでした。
僕の知ってるマザーグースは(歌えるのは)
♪ロンドンブリッジ、ブロークンダウン
♪ブロークンダウン、ブロークンダウン
くらいのものですから、知らなくて当然ですけれどね
それはともかく、キルケニーは、小さな町ですけれど、可愛らしくて、とても、懐かしい感じの町でした、アイルランドの他の町とも、少し違う感じの町ですから、是非、訪れて見てください、お薦めです。
ではまた、おいでくださいませ。
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