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アントニヌスの共同浴場の見学(出発より24km)<br /><br />ここでは、この旅行を通して会った出来事を、書くことにします。<br /><br />ツーリストポリス<br /><br />エジプト、ルクソールでの事件以来、バスの旅行には銃をもったお巡りさんが同乗することになったらしい。 <br />アレクサンドリアまではカイロの警官、リビアの国境まではアレクサンドリアの警官 。<br />なんにも無くて当たり前なのですが、結局は、観光巡りのドライブを十分に楽しんでいるようでした。 <br />いい仕事を選んだものだ・・と思っているんだろうけど、何かあったときは、我々の楯に本当になってくれるのだろうか。<br /><br />コシャリというエジプトの食べ物<br /><br />Web友達の ”もう一度食べてみたい”という言葉が頭の中から離れず、成田で1度、カイロに着いてから2度、コシャリというものを食べてみたい、と訴えました。 <br />今回の旅行はかなりの贅沢旅行で、泊まるべき町の最高のホテルで泊まり、夜はそのホテルか町の最高のレストランでフルコース、という設定だったのです。  <br /><br />昼は通りすがりの一般食堂で地元の定食のようなものを食べようということだったのですが、途中、昼食を取る町では、どうもコシャリなるものを出してくれるようなところが無いという。 <br />そうなると、よけいに彼の言葉が、私の頭に大きく鳴り響いてくるのでした。<br />私は、彼がほかのひとのゲストブックにも、コシャリのことを書いていたのを知っていたので、もう一押し粘ってみました。 <br /><br />ついにエジプト最後の宿泊地のホテルに予約注文を入れてもらうのに成功。 <br />楽しみを胸一杯にしてそのホテルに入ったものでした。 <br /><br />その夜、現地ガイドの説明を聞きながらそれを食べました。 <br />パスタを5ミリぐらいに切ったものの上に、レンズ豆など2〜3品入っていて、その上にタレがのっているものでした。<br />ガイドの話では、家庭料理の一つで週に1〜2度は食べるという話で、その話に巻き込まれてしまったほかの8人も”結構いけるね”なんて話していました。 <br /><br />ところが、この夜の料理は、お変わりはOKだがほかには何も出ないという。 <br />今まで毎日出ていた前菜、もメインディッシュもデザートもコーヒーも紅茶も果物も、それにパンまでも。 <br /><br />それが分かったとたん、全員が何となく無口に・・・ <br />パンだけは、たまたま昼食のときに、あまったものを紙に包んでいてそれを食べたのです。 <br />さすが80歳代二人、70歳代一人、60歳代4人、50歳代一人とリーダーの計9人、年の功!<br /><br />翌朝はパンとコーヒーとスクランブルのみ。昼はリビアとの国境にある、ベルベル人の小さな町の、3坪ほどの土間にテーブルが二つあるだけの町食堂での食事。 <br /><br />そしてその後、リビア入国時でのハプニング(後でまたお話しします)があり、9時間をバスの中で、リビアのガイドが用意してくれていた、バナナとクッキーとコーヒーだけで過ごす結果になったのです。 <br />私はいっそう身の縮まるおもいを、その長い時間続ける結果になってしまいました。 <br /><br />ただ一つの救いは小さい町食堂のご飯というやつが本当に美味しかったことです。 <br />やきそばを細かく切ってご飯で炒めた感じのもので、日本人向きの絶妙な味がしました。 <br />名前を聞いても、ただのご飯としかいわない。炭で焼いたうまいケバブや野菜など、おかずがほかに4種類もでたのです。 <br />皆さんが”美味しい”を繰り返すたび、私は小さくなりたくて、この80?の身体をもてあましていました。 <br /><br /><br />エジプト〜リビア 国境越え でのハプニング<br /><br />昼食を済まし、国境に向かう丘を登り切ったところで、青空だったはずが、にわかにかき曇り、台風のような風が吹き始めた。 <br />そしてついにはバケツをひっくり返したようなものすごい雨が・・・ <br />おまけに大音響とともに、空を亀裂するカミナリ! <br />イミグレ、税関への不吉な予感を思わせる展開に。 <br /><br />しかもエジプト、リビア間に緩衝地帯が500メートルもあり、その間は自分の荷物を全て持って歩かなければいけないという。 <br /><br />私たちはバックパッカーではない。 <br />私の場合、23Kgm前後のスーツケースのほかに、リュック、カメラ3台(VTRも)、三脚、貴重品用のバッグを一人で持って行くのです。 <br />他の人たちも私ほどではないが、似たり寄ったりで、しかも前にお話ししたとおりの年代ばかりだ。 <br /><br />まあ、今までも砂漠でテントに泊まったり、チベットの標高3800メートルの山中で、工事のため車に8時間も閉じこめられたこともある我々としては、このくらいでへこたれてはいられない。 <br />スーツケースに持参のビニール袋を、思い思いにかけ始めました。<br /><br />バスを降りて、土砂降りの中を出国手続きのために事務所へ・・ <br />約20分、無事に出国を済ます。 <br />その間エジプトのガイドが交渉をしてくれ、リビア入国手続きのところまで、500メートルをバスで乗り入れてもらえることになりました。 <br />全員、ホッとため息を漏らしました。 <br /><br />そして最終的にバスを下りたところで、ピタリ と雨がやんだ。 <br />やっぱり天は私たちに見方をしてくれている。 <br />門の向こう側にはリビアのバスも待っていた。 <br />荷物は15メートルぐらい移動しただけで、あとはバスの運転手とガイドが運んでくれました。 <br />入国手続きも、ガイドが全員のパスポートを預かり、まとめて手続きに持っていってくれた。 <br />あとはパスポートが帰ってくるのを待つだけだ。 <br />さあ待望のリビアへGO!・・・<br /><br />30分ほどしてガイドが戻ってきた。 <br />”もう少し時間がかかりそうだ”という。 <br />”もうここまで来れば、多少時間がかかっても予定よりずっと早い”、”ノープロブレム”使えない英語などを発して雑談を・・ <br /><br />それから2時間ぐらいの間に3〜4回ほど、終わっているはずのパスポートを取りに、ガイドが車を出ていったが、そのたびに”もう少しかかる”という話のみ。 <br />4時間ぐらいすぎた頃、もう10回以上交渉に通った事務所から帰ってきて、詳しく話を聞くと、”VISAの入国地がトリポリ空港となっていたため問い合わせをしているらしい、<br />国際的な信用もあるので、何とかしてくれと頼んでいるのだが・・”ということでした。<br /><br />どうやらリビアの日本大使館が陸路からの入国が初めての例だったので勘違いしたらしい。<br />それから2時間、又何度目かの事務所がよいから戻ったときは、ちょっと泣きべそ顔で、「これ以上うるさく言うと牢屋へ入れてしまうぞ」、と脅かされたと、しょげていました。<br /><br />1時間ほどしてわれわれのリーダーに”一緒に行って交渉して欲しい”といわれ、二人で出かけていったのですが、 <br />それがものを言ったらしい。リーダーは、「結構フレンドリーでもうじき終わります」と言っていました。<br /><br />そしてそれから45分(係官の夕食時間らしい)後、やっとパスポートが戻ってきたのです。<br />そしてあらためて押印してもらうのだが、一人のパスポートに1ページずつじっくりと見て、結局9人分で50分 <br />ついにトータルで正味8時間、車に缶詰にされてしまったのでありました。 <br /><br />今までの車缶詰の最長記録(チベット横断のときの道路工事)を更新!  やったあーー!! <br />なんていってられない〜〜 <br /><br />予定のホテルに着いたのが、翌朝の4時20分・・ <br />そしてそのホテル発10時10分。。<br />2時間くらい寝られたかな〜・・よく覚えていな<br />いです・・ <br /><br />あとで聞いた話では、この国境、エジプト人の出稼ぎと、貨物トラックが殆どで、海外の旅行者は3ヶ月に一度あるかないかだそうで、珍しがられたのではということでした。<br /><br /><br />国境での思わぬ事件<br /><br />8時間待たされていたリビア入国口前での出来事です。 <br />税関の検査があるので、麻薬犬が活躍、我々の荷物も盛んに匂いを嗅いだり、あちこちを縦横に活躍していました。 <br /><br />車に缶詰になって6時間ぐらいが経過、すっかり暗くなり、みんながいい加減退屈になっていた。 <br />もちろんトイレ、喫煙、背伸びなど外に出るのは自由だが、大陸の冬の夜はヤワなものではない。 <br />5分も外にいると、もうふるえが来るほど寒くなってしまいます。 <br />車での缶詰の方が快適なのですね〜。 <br /><br />ワンちゃんもよく頑張っているな〜なんて話をしていた矢先、税関からエジプト方向へ、イヌと係官がものすごい勢いで走っていった。 <br />大分遠くの方で何かもめている様子。 <br />そのうち係官の後ろから 一人の人間が口の破れた大きな段ボールを抱えながら、嫌々、のそのそと歩いてきました。<br />その男の周りを、麻薬犬がぐるぐる回りながら吠えています。<br />段ボール箱の切れ目からは、大量のマーボロのたばこの箱が、見えていました。20カートンとしても麻薬の量としては大変な量です。 <br />と、その向こう側を、もう一匹の麻薬犬と係官がものすごい勢いで、また逆方向へ走っていったのです。 <br />あわてて視線をその先に向けたら、その向こうには、一目散で塀の方へ逃げている人が見えました。 <br /><br />イヌと係官はその人間を追いかけているのです。 <br />どうやら先ほどのつれられていった犯人の仲間らしい。 <br />もうすぐ追いつきそう、と思えたところで、塀の近くの電柱をよじ登り始めた。 <br />ほんの少し、いや危なく(なんという言い方)手が届きそうなところで塀に飛び移り、塀の外へ消えてしまいました。<br /> 仕方なく・・というよりあっさりと、係官はきびすを返して戻ってきたのでした。<br /><br />いったいどういうことになっているんだろうか。 <br />みんな探偵になったような気持ちで、推理ゴッコ?!・・・ <br />温情で少しは逃げられるようになっている?・・・まさか! <br />塀の向こうは刑務所になっていて、いらっしゃ〜い!・・と待ちかまえている。 <br />いくらリッチなリビアの国でも、そこまでのジョークと無駄金は使いませんよね〜。 <br /><br />結局、解らずじまいでしたが、古いヨーロッパの白黒映画を見ているようなシーンを見せてもらい、退屈しのぎにはもってこいの清涼剤(ん?・・)いや、ハプニングでした。<br /><br />しかし、国境のため、写真もVTRも全てOFF。 <br />無念!! スクープものだったのにな〜。 <br />後で聞いた話では、あそこは緩衝地帯なので、警備が厳しく、すぐ捕まるだろうということでした。 <br /><br />でも見ているときは、イヌを応援したり、犯人を応援してみたりで、言葉だけは”早くっ!早く〜〜!!” <br />複雑な感じでした。 <br />解って頂けますよね?  この気持ち<br /><br /><br />○リビアのスルーガイド <br /><br />最初、顔を見たときは、鼻の下にひげを生やし何となくうさんくさそうで、背が高く、怖そうな人に見えました。 <br />国境での応対は無口で、国境でのハプニングがあったせいかもしれないが、私たち全員が同じ印象でした。 <br />ところが時間が経つにつれて、全く反対だという事が解ってきたのです。 <br /><br />国境では、私たちは8時間も車に缶詰にされたが、彼は私たちが国境へ着く5時間前にすでに来て待っていたのだ。 <br />結局13時間、運転手と二人でそこで過ごした事になります。 <br />車の中で待たされている間、私たちにはコーヒー、紅茶、バナナ、ウエットティシュ、クッキーを、何度も準備してくれて、すごくサービスがいい。 <br />彼に、私たちに会うまでの食事はどうしていたか聞いたら、バナナ、バナナ、バナナ、バナナ、・・・・ <br />なんと13時間のあいだ、自分と運転手はバナナだけしか口に入れなかったらしい。 <br /><br />そして、その後毎日どこかでバスを止め、ティータイムを設け、彼の奥さん手製のクッキーとティシューを渡してくれました。 <br /><br /><br />○ツーリストポリス <br /><br />エジプトの場合は、各都市で次の護衛(?)警官がバスに乗り込んできたが、リビアでは最初の宿泊地アルベイダから、チュニジアとの国境まで9日間、ズーッと一緒でした。<br />一番若い上、もうみんながなれてしまうから、友達と同じで、一緒に写真を撮ったり、食事の時もわいわいがやがや。<br />最後の日本食パーティでは、一緒に歌ったり踊ったりで、お巡りさんという雰囲気が全く無くなってしまっていました。 <br />らしかったといえば、道路でのチェックポイントで、検察に立ち会うぐらい。 <br />後はスークや旧市街を散策するときに、我々の一番最後につき、道行く人や、お店の人たちを撮ったときに、私たちが言う、そのお礼をアラビア語で、翻訳してくれた事ぐらいでした。<br /><br /><br />○日本食パーティ <br /><br />リビア最後の夜は、私たち持参の日本食パーティ、全員が手をたたき、ポリタンクの底を太鼓代わりに、飲めや歌え・・・ではなく飲まないで歌って大騒ぎ。 <br />厨房にいたニジェールの黒人が、陰でこっそりリズムに乗っていたが、仕舞いに我慢が出来なくなり、中央に出てきて踊り出してしまった。 <br />バックミュージックなどまるでないのに、やはり、こちらの方の人たちはリズム感が良く、最高に楽しい夜でした。 <br />お巡りさんや、別に呼んだわけではないのだが、ガダメスの現地ガイドがどこかでその雰囲気を嗅ぎ取っていたらしい。<br />ホテルまで同行、一緒になってどんちゃん騒ぎをしていました。 <br />しかし全くアルコールなしで、これだけ気持ちよく大騒ぎが出来る、という事をリビアで、初めて知ることにもなりました。 <br />皆さんお酒を飲まなくても、ハチャメチャなことが出来るんですよ〜。<br /><br /><br />○日本食パーティ 2 <br /><br />最近では、いつもの旅行仲間が大体5〜6人ぐら参加するので、みんなで持ち寄り、日本食パーティをすることが恒例になっています。 <br />各自、自分のご飯パックの他にもう一個(現地の人や初めて参加する人の分)持ち、あとは前もって話し合い、のり、柴漬けなどのお新香類、みそ汁、麺、お汁粉、ふりかけ、梅干し、(すべて即席です)etc を分担します。 <br /><br />現地の市場では、野菜、(塩もみでキュウリやキャベツなど)パスタ(ホテルの厨房を借りられた場合のみ)、フルーツ、アルコール、(今回は無しです)コーヒーなどと、おかずになりそうなものを買い求めます。 <br />電子レンジは殆どの場合無いので、持参した湯沸かし器で、ご飯のパックを15分ほど沸騰させ、たいていの場合は、のりで巻いたおにぎりになることが多いです。 <br />旅行の最後の方になるほど、おいしさや楽しさが倍加します。 <br />現地の人たちもおもしろがって、結構集まって来てしまうんですね <br />そのおかげで、最高に楽しい思い出の一つになります。<br /><br /><br />○リビアの習慣<br /><br />リビアの人たちは。夕食を9時頃から食べるらしい。 <br />どんなに早くても8時半ごろで、私たちのホテル到着が6時とか7時という事が多い。<br />ホテルはもちろんの事、外のレストランでも、食事の準備は出来ていない事がほとんど。 <br />いつも夕食は8時半頃だったが、それでも無理に早くお願いをして、であった。 <br />従って、食事時間まで、”どこか町の中を歩いてこようか”という事で、スークや<br />商店街を、毎日のように散策することになるわけです。 <br />おかげで、私自身は町の散策という意味では、今までで一番楽しい旅でした。<br />

アフリカ地中海の道29チュニス滞在2

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2004/01/24 - 2004/01/25

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obaq

obaqさん

アントニヌスの共同浴場の見学(出発より24km)

ここでは、この旅行を通して会った出来事を、書くことにします。

ツーリストポリス

エジプト、ルクソールでの事件以来、バスの旅行には銃をもったお巡りさんが同乗することになったらしい。
アレクサンドリアまではカイロの警官、リビアの国境まではアレクサンドリアの警官 。
なんにも無くて当たり前なのですが、結局は、観光巡りのドライブを十分に楽しんでいるようでした。
いい仕事を選んだものだ・・と思っているんだろうけど、何かあったときは、我々の楯に本当になってくれるのだろうか。

コシャリというエジプトの食べ物

Web友達の ”もう一度食べてみたい”という言葉が頭の中から離れず、成田で1度、カイロに着いてから2度、コシャリというものを食べてみたい、と訴えました。
今回の旅行はかなりの贅沢旅行で、泊まるべき町の最高のホテルで泊まり、夜はそのホテルか町の最高のレストランでフルコース、という設定だったのです。 

昼は通りすがりの一般食堂で地元の定食のようなものを食べようということだったのですが、途中、昼食を取る町では、どうもコシャリなるものを出してくれるようなところが無いという。
そうなると、よけいに彼の言葉が、私の頭に大きく鳴り響いてくるのでした。
私は、彼がほかのひとのゲストブックにも、コシャリのことを書いていたのを知っていたので、もう一押し粘ってみました。

ついにエジプト最後の宿泊地のホテルに予約注文を入れてもらうのに成功。
楽しみを胸一杯にしてそのホテルに入ったものでした。

その夜、現地ガイドの説明を聞きながらそれを食べました。
パスタを5ミリぐらいに切ったものの上に、レンズ豆など2〜3品入っていて、その上にタレがのっているものでした。
ガイドの話では、家庭料理の一つで週に1〜2度は食べるという話で、その話に巻き込まれてしまったほかの8人も”結構いけるね”なんて話していました。

ところが、この夜の料理は、お変わりはOKだがほかには何も出ないという。
今まで毎日出ていた前菜、もメインディッシュもデザートもコーヒーも紅茶も果物も、それにパンまでも。

それが分かったとたん、全員が何となく無口に・・・
パンだけは、たまたま昼食のときに、あまったものを紙に包んでいてそれを食べたのです。
さすが80歳代二人、70歳代一人、60歳代4人、50歳代一人とリーダーの計9人、年の功!

翌朝はパンとコーヒーとスクランブルのみ。昼はリビアとの国境にある、ベルベル人の小さな町の、3坪ほどの土間にテーブルが二つあるだけの町食堂での食事。

そしてその後、リビア入国時でのハプニング(後でまたお話しします)があり、9時間をバスの中で、リビアのガイドが用意してくれていた、バナナとクッキーとコーヒーだけで過ごす結果になったのです。
私はいっそう身の縮まるおもいを、その長い時間続ける結果になってしまいました。

ただ一つの救いは小さい町食堂のご飯というやつが本当に美味しかったことです。
やきそばを細かく切ってご飯で炒めた感じのもので、日本人向きの絶妙な味がしました。 
名前を聞いても、ただのご飯としかいわない。炭で焼いたうまいケバブや野菜など、おかずがほかに4種類もでたのです。
皆さんが”美味しい”を繰り返すたび、私は小さくなりたくて、この80?の身体をもてあましていました。 


エジプト〜リビア 国境越え でのハプニング

昼食を済まし、国境に向かう丘を登り切ったところで、青空だったはずが、にわかにかき曇り、台風のような風が吹き始めた。
そしてついにはバケツをひっくり返したようなものすごい雨が・・・
おまけに大音響とともに、空を亀裂するカミナリ!
イミグレ、税関への不吉な予感を思わせる展開に。

しかもエジプト、リビア間に緩衝地帯が500メートルもあり、その間は自分の荷物を全て持って歩かなければいけないという。

私たちはバックパッカーではない。
私の場合、23Kgm前後のスーツケースのほかに、リュック、カメラ3台(VTRも)、三脚、貴重品用のバッグを一人で持って行くのです。
他の人たちも私ほどではないが、似たり寄ったりで、しかも前にお話ししたとおりの年代ばかりだ。

まあ、今までも砂漠でテントに泊まったり、チベットの標高3800メートルの山中で、工事のため車に8時間も閉じこめられたこともある我々としては、このくらいでへこたれてはいられない。
スーツケースに持参のビニール袋を、思い思いにかけ始めました。

バスを降りて、土砂降りの中を出国手続きのために事務所へ・・
約20分、無事に出国を済ます。
その間エジプトのガイドが交渉をしてくれ、リビア入国手続きのところまで、500メートルをバスで乗り入れてもらえることになりました。
全員、ホッとため息を漏らしました。

そして最終的にバスを下りたところで、ピタリ と雨がやんだ。
やっぱり天は私たちに見方をしてくれている。
門の向こう側にはリビアのバスも待っていた。
荷物は15メートルぐらい移動しただけで、あとはバスの運転手とガイドが運んでくれました。
入国手続きも、ガイドが全員のパスポートを預かり、まとめて手続きに持っていってくれた。
あとはパスポートが帰ってくるのを待つだけだ。
さあ待望のリビアへGO!・・・

30分ほどしてガイドが戻ってきた。
”もう少し時間がかかりそうだ”という。
”もうここまで来れば、多少時間がかかっても予定よりずっと早い”、”ノープロブレム”使えない英語などを発して雑談を・・

それから2時間ぐらいの間に3〜4回ほど、終わっているはずのパスポートを取りに、ガイドが車を出ていったが、そのたびに”もう少しかかる”という話のみ。
4時間ぐらいすぎた頃、もう10回以上交渉に通った事務所から帰ってきて、詳しく話を聞くと、”VISAの入国地がトリポリ空港となっていたため問い合わせをしているらしい、
国際的な信用もあるので、何とかしてくれと頼んでいるのだが・・”ということでした。

どうやらリビアの日本大使館が陸路からの入国が初めての例だったので勘違いしたらしい。
それから2時間、又何度目かの事務所がよいから戻ったときは、ちょっと泣きべそ顔で、「これ以上うるさく言うと牢屋へ入れてしまうぞ」、と脅かされたと、しょげていました。

1時間ほどしてわれわれのリーダーに”一緒に行って交渉して欲しい”といわれ、二人で出かけていったのですが、
それがものを言ったらしい。リーダーは、「結構フレンドリーでもうじき終わります」と言っていました。

そしてそれから45分(係官の夕食時間らしい)後、やっとパスポートが戻ってきたのです。
そしてあらためて押印してもらうのだが、一人のパスポートに1ページずつじっくりと見て、結局9人分で50分
ついにトータルで正味8時間、車に缶詰にされてしまったのでありました。

今までの車缶詰の最長記録(チベット横断のときの道路工事)を更新!  やったあーー!!
なんていってられない〜〜

予定のホテルに着いたのが、翌朝の4時20分・・
そしてそのホテル発10時10分。。
2時間くらい寝られたかな〜・・よく覚えていな
いです・・

あとで聞いた話では、この国境、エジプト人の出稼ぎと、貨物トラックが殆どで、海外の旅行者は3ヶ月に一度あるかないかだそうで、珍しがられたのではということでした。


国境での思わぬ事件

8時間待たされていたリビア入国口前での出来事です。
税関の検査があるので、麻薬犬が活躍、我々の荷物も盛んに匂いを嗅いだり、あちこちを縦横に活躍していました。

車に缶詰になって6時間ぐらいが経過、すっかり暗くなり、みんながいい加減退屈になっていた。
もちろんトイレ、喫煙、背伸びなど外に出るのは自由だが、大陸の冬の夜はヤワなものではない。
5分も外にいると、もうふるえが来るほど寒くなってしまいます。
車での缶詰の方が快適なのですね〜。

ワンちゃんもよく頑張っているな〜なんて話をしていた矢先、税関からエジプト方向へ、イヌと係官がものすごい勢いで走っていった。
大分遠くの方で何かもめている様子。
そのうち係官の後ろから 一人の人間が口の破れた大きな段ボールを抱えながら、嫌々、のそのそと歩いてきました。
その男の周りを、麻薬犬がぐるぐる回りながら吠えています。
段ボール箱の切れ目からは、大量のマーボロのたばこの箱が、見えていました。20カートンとしても麻薬の量としては大変な量です。
と、その向こう側を、もう一匹の麻薬犬と係官がものすごい勢いで、また逆方向へ走っていったのです。
あわてて視線をその先に向けたら、その向こうには、一目散で塀の方へ逃げている人が見えました。

イヌと係官はその人間を追いかけているのです。
どうやら先ほどのつれられていった犯人の仲間らしい。
もうすぐ追いつきそう、と思えたところで、塀の近くの電柱をよじ登り始めた。
ほんの少し、いや危なく(なんという言い方)手が届きそうなところで塀に飛び移り、塀の外へ消えてしまいました。
仕方なく・・というよりあっさりと、係官はきびすを返して戻ってきたのでした。

いったいどういうことになっているんだろうか。
みんな探偵になったような気持ちで、推理ゴッコ?!・・・
温情で少しは逃げられるようになっている?・・・まさか!
塀の向こうは刑務所になっていて、いらっしゃ〜い!・・と待ちかまえている。
いくらリッチなリビアの国でも、そこまでのジョークと無駄金は使いませんよね〜。

結局、解らずじまいでしたが、古いヨーロッパの白黒映画を見ているようなシーンを見せてもらい、退屈しのぎにはもってこいの清涼剤(ん?・・)いや、ハプニングでした。

しかし、国境のため、写真もVTRも全てOFF。
無念!! スクープものだったのにな〜。
後で聞いた話では、あそこは緩衝地帯なので、警備が厳しく、すぐ捕まるだろうということでした。

でも見ているときは、イヌを応援したり、犯人を応援してみたりで、言葉だけは”早くっ!早く〜〜!!”
複雑な感じでした。
解って頂けますよね?  この気持ち


○リビアのスルーガイド

最初、顔を見たときは、鼻の下にひげを生やし何となくうさんくさそうで、背が高く、怖そうな人に見えました。
国境での応対は無口で、国境でのハプニングがあったせいかもしれないが、私たち全員が同じ印象でした。
ところが時間が経つにつれて、全く反対だという事が解ってきたのです。

国境では、私たちは8時間も車に缶詰にされたが、彼は私たちが国境へ着く5時間前にすでに来て待っていたのだ。
結局13時間、運転手と二人でそこで過ごした事になります。
車の中で待たされている間、私たちにはコーヒー、紅茶、バナナ、ウエットティシュ、クッキーを、何度も準備してくれて、すごくサービスがいい。
彼に、私たちに会うまでの食事はどうしていたか聞いたら、バナナ、バナナ、バナナ、バナナ、・・・・
なんと13時間のあいだ、自分と運転手はバナナだけしか口に入れなかったらしい。

そして、その後毎日どこかでバスを止め、ティータイムを設け、彼の奥さん手製のクッキーとティシューを渡してくれました。


○ツーリストポリス

エジプトの場合は、各都市で次の護衛(?)警官がバスに乗り込んできたが、リビアでは最初の宿泊地アルベイダから、チュニジアとの国境まで9日間、ズーッと一緒でした。
一番若い上、もうみんながなれてしまうから、友達と同じで、一緒に写真を撮ったり、食事の時もわいわいがやがや。
最後の日本食パーティでは、一緒に歌ったり踊ったりで、お巡りさんという雰囲気が全く無くなってしまっていました。
らしかったといえば、道路でのチェックポイントで、検察に立ち会うぐらい。
後はスークや旧市街を散策するときに、我々の一番最後につき、道行く人や、お店の人たちを撮ったときに、私たちが言う、そのお礼をアラビア語で、翻訳してくれた事ぐらいでした。


○日本食パーティ

リビア最後の夜は、私たち持参の日本食パーティ、全員が手をたたき、ポリタンクの底を太鼓代わりに、飲めや歌え・・・ではなく飲まないで歌って大騒ぎ。
厨房にいたニジェールの黒人が、陰でこっそりリズムに乗っていたが、仕舞いに我慢が出来なくなり、中央に出てきて踊り出してしまった。
バックミュージックなどまるでないのに、やはり、こちらの方の人たちはリズム感が良く、最高に楽しい夜でした。
お巡りさんや、別に呼んだわけではないのだが、ガダメスの現地ガイドがどこかでその雰囲気を嗅ぎ取っていたらしい。
ホテルまで同行、一緒になってどんちゃん騒ぎをしていました。
しかし全くアルコールなしで、これだけ気持ちよく大騒ぎが出来る、という事をリビアで、初めて知ることにもなりました。
皆さんお酒を飲まなくても、ハチャメチャなことが出来るんですよ〜。


○日本食パーティ 2

最近では、いつもの旅行仲間が大体5〜6人ぐら参加するので、みんなで持ち寄り、日本食パーティをすることが恒例になっています。
各自、自分のご飯パックの他にもう一個(現地の人や初めて参加する人の分)持ち、あとは前もって話し合い、のり、柴漬けなどのお新香類、みそ汁、麺、お汁粉、ふりかけ、梅干し、(すべて即席です)etc を分担します。

現地の市場では、野菜、(塩もみでキュウリやキャベツなど)パスタ(ホテルの厨房を借りられた場合のみ)、フルーツ、アルコール、(今回は無しです)コーヒーなどと、おかずになりそうなものを買い求めます。
電子レンジは殆どの場合無いので、持参した湯沸かし器で、ご飯のパックを15分ほど沸騰させ、たいていの場合は、のりで巻いたおにぎりになることが多いです。
旅行の最後の方になるほど、おいしさや楽しさが倍加します。
現地の人たちもおもしろがって、結構集まって来てしまうんですね
そのおかげで、最高に楽しい思い出の一つになります。


○リビアの習慣

リビアの人たちは。夕食を9時頃から食べるらしい。
どんなに早くても8時半ごろで、私たちのホテル到着が6時とか7時という事が多い。
ホテルはもちろんの事、外のレストランでも、食事の準備は出来ていない事がほとんど。
いつも夕食は8時半頃だったが、それでも無理に早くお願いをして、であった。
従って、食事時間まで、”どこか町の中を歩いてこようか”という事で、スークや
商店街を、毎日のように散策することになるわけです。
おかげで、私自身は町の散策という意味では、今までで一番楽しい旅でした。

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  • アントニヌスの共同浴場

    アントニヌスの共同浴場

  • 地中海に面したところにあります

    地中海に面したところにあります

  • かなり広い遺跡です

    かなり広い遺跡です

  • ただ、アメリカのテロ事件以降、隣に大統領官邸があるため写真撮影制限あって、そちらへカメラを向けると罰せられるのだそうです。

    ただ、アメリカのテロ事件以降、隣に大統領官邸があるため写真撮影制限あって、そちらへカメラを向けると罰せられるのだそうです。

  • アントニヌスの共同浴場の見学

    アントニヌスの共同浴場の見学

  • 海辺のレストランからの遺跡

    海辺のレストランからの遺跡

  • この呂子最後の観光地、シディ・ブ・サイドの見学(出発より29km)です

    この呂子最後の観光地、シディ・ブ・サイドの見学(出発より29km)です

  • チュニジアの写真でよく見かける風景ですね〜

    チュニジアの写真でよく見かける風景ですね〜

  • 青い空とぴったり

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  • 夏になると地中海の青とも重なり、もっと素晴らしいのだそうです・・・

    夏になると地中海の青とも重なり、もっと素晴らしいのだそうです・・・

  • ちょびっと残念

    ちょびっと残念

  • 首相官邸<br />こちら側からの撮影はOKなんだそうです。<br />へんなの!!

    首相官邸
    こちら側からの撮影はOKなんだそうです。
    へんなの!!

  • 青い空と青い窓・・・<br />ベストマッチですね

    青い空と青い窓・・・
    ベストマッチですね

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  • まみさん 2006/04/26 18:54:03
    ステキな写真がいっぱい〜。
    obaqさん、こんにちは。

    昔、チュニジアに1人で出かけ、9年もたってますが、今、旅行記を起こしている最中なので、チュニジアの部分を中心に拝見しました。

    いやぁ、デジカメ(ですよね?)ということもあると思いますが、写真がたくさんですね。そして、ステキですし、テクニックもある方だと思いました。
    (特に私の無さと比較して。。)
    渡り鳥とか虹とか、タイミング大変ですよね。
    それに構図もステキで、しゃしんとして見映えがします。

    あと、やはりツアーということで、効率よくいいところたくさん見てますね。車を止めて撮影っていう自由さもいいですし、マトマタのスターウォーズ・ロケのおうちを見学させてもらったりとか、いろいろ便宜はかってもらえたと思いますし、そういう点はやはりうらやましいです。

    といいつつ、私もツアーだと1人で勝手にやりたくなってムズムズしてしまうのでダメなのですが@(いままで一度だけ団体ツアーに参加しています。)
    私がいままで経験した旅行の中では、チュニジア旅行は珍道中になっていますので、ぜひ遊びに来てください。現段階ではやっと半分ってところですけど。

    obaq

    obaqさん からの返信 2006/04/26 20:27:46
    RE: ステキな写真がいっぱい〜。
    まみさんコメントを、また写真のお褒めを戴き有り難うございます。
    ツァーではあるのですが旅行社のではなく、6〜10人で、知り合いのツァーコンダクターにこちらの希望を入れながら日程を作ってもらい、つれていって貰っています。
    従って臨機応変に車を止めて貰って写真が撮れるますし、朝や夕方のいい時間に景色の良いところを通るよう選んだり、場合によっては砂漠や景色の良いところでテントを張って泊ったり出来るのでいいシャッターチャンスが得られているのかも知れませんね。
    チュニジアの珍道中・・楽しそうですね。
    拝見しに伺いますね。

    まみ

    まみさん からの返信 2006/04/27 09:06:11
    RE: RE: ステキな写真がいっぱい〜。
    obaqさん、こんにちは。

    なるほどツアーはツアーでも自作のツアーだったのですね。
    知り合い6〜10人からだと気心知れた仲間でしょうし、コスト的にも良さそうですし、コンダクターがついてくださるので安心ですね。
    一番理想的な旅のスタイルかもしれません。

    obaqさんの旅行記には興味深いところがたくさん!
    なので、またおじゃまします。

    obaq

    obaqさん からの返信 2006/04/27 10:28:47
    RE: RE: RE: ステキな写真がいっぱい〜。
    旅行社を通さないのでその分だけ安くなりますね。
    成田で集合したときに、気のあった人たちだけなので、ツァーという感じは全くないです。

    >obaqさんの旅行記には興味深いところがたくさん!
    なので、またおじゃまします。

    有り難うございます。
    一緒に感動していただけたらとてもうれしいです。

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