2004/03/18 - 2004/03/22
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LaoBeijingさん
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3月のある日、北京から洛陽へ向った。金曜日の授業をさぼって木曜の夜出発。相変わらず夜行列車の旅だ。
洛陽から少林寺経由で鄭州へ。実は今回は観光以外に大きな目的があった。なんと洛陽に小学校の同級生、シャオバンが留学していると言うのだ。実家に母親宛に届いた年賀状を見て分った10年ぶりの情報。私は小学校時代転校が多かったため小学校3年生から5年生まで一緒だったのだ。連絡先を聞いて洛陽まで電話。遊びに行く約束をしたのだった。
話を戻して、木曜日授業が終わった後荷造りをしつつ、学食へ列車で食べる食事を買いに行った。鶏肉をピーナッツと唐辛子で炒めた宮保鶏丁丼だ。そして北京西駅から列車に乗り込む。道中ハルピン人のおばちゃんと会話。学生だというと「まだ夏休みでもないのに洛陽の実家に戻るのか?」と言われる。良い気分になりつつ2日目の朝に到着。
洛陽駅に到着して友人を探す。探す手がかりは10年前の手がかりと電話で聞いた髪が金髪になったという情報。間もなく発見。顔は痩せたがあまり変わっていなかった。10年ぶりの感動の再会である。
洛陽駅からバスに揺られ、シャオバンと喋りながら彼の留学する河南科学大学へ到着。彼の住む寮で部屋を取り荷物を置いて観光へ出発。まずは龍門石窟だ。
ここは世界遺産にも登録される石窟で、北魏の洛陽への遷都により建造が始まった。陳舜臣氏は著書の中で「漢化が進んだ北魏は大同から洛陽へ遷都をしたが、大同の雲崗石窟のような石窟が懐かしく、洛陽でも建造したのだ」と言っておられる。確か北魏から始まった建造は確か唐から五代くらいまで続いたはずだったような。この中で一番有名な仏像は唐代に政権を取り周朝を打ち立てた、中国史上唯一の女帝則天武后をモデルにしたとされる仏像である。
ここを散策。シャオバンから河を渡った向い側にタダで入れるところがあると教えてもらい、そちらも見てみる。そしてその近くに香山寺(蒋介石の別荘や乾隆帝の石碑がある)や白園へ。この白園は唐代の詩人、白居易のものとされている墓があるのだ。景色もなかなか良い。
そしてバスで移動して食事をして関林へ。ここは三国志の蜀の武将、関羽の首塚である。これは関羽が呉に捕らえられ斬首された後、「関羽の祟り」で捕らえた呉の武将や関係者に次々と不幸が起こったため首を曹操の下に送り、それを受け取った曹操が首塚を作り丁重に葬ったという話だ。
ここはこじんまりとしながらも良い雰囲気。三国志や関羽に興味がある人ならば十分に楽しめるだろう。
一旦寮へ戻る。そして実はこの日がシャオバンの誕生日であったことを知る!前もって話してくれていればプレゼントでも持ってきたのになあ。というわけでシャオバンとシャオバンの韓国人の(可愛い)彼女、その弟と4人で食事。もちろん白酒で乾杯だ。その後場所を移してシャオバンの部屋へ。ケーキを食べお菓子を食べ酒を飲み、シャオバンの中国人の友達も加わり楽しい一夜だった。そして皆が帰った後2人で暫く会話。その後なぜか彼が親から送られたという2ちゃんねるの本を借りて部屋で読んでしまった。。。
続きは次の旅行記へ!
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列車!
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洛陽に到着。
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龍門石窟!
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龍門石窟!
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龍門石窟!
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龍門石窟!
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龍門石窟!
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龍門石窟!
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則天武后をモデルにした仏像
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香山寺
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龍門石窟!
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龍門石窟!
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龍門石窟!
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龍門石窟の前を流れる河。
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龍門石窟全体。
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則天武后仏像
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石窟前の植物
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ゴミ箱。
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白園
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白園
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白居易の墓。
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白園の入り口。
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関林入り口
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関林にあった電話。少し笑った。
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関林
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関林にいたおもろい顔の鉄獅子。
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関林の祭壇
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関羽はその勇猛さだけではなく、春秋をそらんじたという伝説も残っている。
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関羽、関平、周倉の三人。
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関羽
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周倉と誰か。
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関平と誰か。
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関羽といえばこれ!青龍円月刀。持てるようになっているが重くて持ち上がらない。本当にこんなの持っていたのかなあ。
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関林
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